てくてくミーハー道場

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2012年11月04日(日) 『ルーマーズ−口から耳へ、耳から口へ−』(ル テアトル銀座)

完全インドア派のぼくでも、さすがに今日みたいな日は、劇場にこもってなんかいないで成田山でも高尾山でも登りたい気分だったのですが(少し嘘)、やっぱり行きました。

だって、千穐楽だったんだもん。

この公演、「黒柳徹子主演海外コメディシリーズ第26弾」というカンムリがついています。

鉄板(ハズレなし)の公演なんです。

だがしかし、年齢不詳(いえ、年齢は別に隠してないです)、不死身の才女・黒柳徹子女史といえども、最近『徹子の部屋』でお見かけするたびに思う、

「この、口から生まれたようなお方が、なんだか最近お口が回らない感じ・・・これは、女史最大の危機なのではないか?」

という心配が頭をもたげるようになってきているのも事実。

つれあいなんかは、のんきに、

「入れ歯が合ってないんじゃない?」

などと言っている。

そうか、入れ歯のせいなのか(←オイ)

頭のほうは相変わらずしっかりしているのだな。

しかし、女史も今年79歳。

先日光一さんが出演した際に、ひっさびさに『徹子の部屋』を視たんだけど、テーブルの上に、絵巻物みたいに広々と並べられた大量のメモつーかカンニングペーパーには若干びびった。

昔(っていつ?)は、こういうものはなかった。出演者のプロフィールや取り上げるべき話題などは、以前はすべて暗記されていたと聞く。

そんな黒柳女史に、瞠目していた。

いや、今でもやっぱりすげぇな、と思うんだけど。





また前置きが長くなってしまった。

そんな、一抹の不安を抱えながら出かけたル テアトル銀座。

だいじょうぶだろうか。

セリフがとんだりとか、それから、足元が若干おぼつかないとか・・・。

勝手に心配していた。

なんてことはなかった。

そりゃ確かに、女史とて“ミュータント”ではない。

昔とまったく同じってわけには行かない。

でも実年齢を考えれば、こりゃすげえ体力と頭の回転であった。

(蛇足)女史は、ほかの役者たちと身長のバランスをとるため、花魁の高足みたいな厚底ぽっくりをはいていたのだが、よくあれで歩けるもんだと、正直ハラハ(略)



実は、女史が演じた「クリス」って役は、思ってたほど(ぼく、『ルーマーズ』は初見です)ひとりでべらべらべらべらしゃべる役ってわけでもないのだった。

作品は、ニール・サイモンの代表的な「何かをごまかそうとすればするほどドつぼにはまっていく」というシチュエーションコメディ。

出てくる人物がほとんど早とちりやぼんやりの名手という、鉄壁のドタバタものである。

なので、登場人物全員が、ほぼ平等にしゃべりまくる。

ニール・サイモンの作品に出てくる登場人物たちって、どうしてこうも余計なことをべらべらべらべらしゃべるんだろうか? と毎回思う(こらっ)

こういう、「登場人物たちが、がんばればがんばるほど事態が悪化していくコメディ」って、ぼくも昔から大好きなんですが(三谷幸喜さんもニール・サイモンに大影響されてるのよね)、実ところ、最近物事を複雑に考える体力がなくなってきたのか、こういうの若干めんどくさくなってきている(なんですって?!)

今日も、

「なぜそんな風に嘘で嘘を塗り固めようとするだ?! 正直にすべてさらけ出してしまったほうが、結果的に傷は浅くすむのに」

と思いながら観てしまった。

まあ、それじゃ芝居にならんのだけど。

でも、彼らがその嘘をつきたがる動機が、ぼくにとっては、なんか不愉快なものだったのだ。

「誰かを傷つけないために」みたいな、思いやりのある理由じゃなくて、「立場が悪くならないために」みたいな理由だったからだ。

この芝居に出てくる人たちは、みんなアッパー階級の人たち(ニューヨーク市長代理だとか、弁護士だとか、会計士、精神科医、テレビのレギュラー番組を持っている料理研究家、上院議員候補・・・そんな感じの人たち)で、全員“立場”がある。

だからこそ、スキャンダルを異常に恐れる。隠したがる。嘘をつかざるを得ない。

ひょっとしたら、ニール・サイモンは、そういう地位の人たちの、そういう身分の危うさ、いけすかなさを、揶揄したかったのかもしれない。

そして、やはりここがニール・サイモン作品の愛すべき点なのだが、立場とお金があって、人より偉そうな身分の人たちの割には、隠し事のしかたがど下手だったり、嘘のつきかたが幼稚だったりと、てんでずるがしこくないところがイイ。

ラストも、本当かよ! あっはっはっは! みたいに笑い飛ばせるオチで、後味がすごく良かった。

さすがコメディの名手だ。





でもね、やっぱりぼくがこの芝居を見て学んだことは、「嘘って、必ずばれる」ってことでした。

ばれたときに「そんな理由でそんなこと隠してたんだ、ばかだねー」と笑って許してもらえるならいいけど、取り返しのつかないことになってしまうこともあるでしょ?

相手のためを思って嘘をつく、なんてことを人間はたまに(よく?)するけれども、果たしてそれって本当に「相手のため」?

結局自分を取り繕うためなんじゃないだろうか。

そして、そういう理由でついた嘘ほど、ばれたときの取り返しのつかなさは巨大である。

そんな暗い感想になってしまう秋晴れの一日であった。(←暗いよ、お前)


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