てくてくミーハー道場
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2012年10月23日(火) |
NODA・MAP第17回公演『エッグ』(東京芸術劇場 プレイハウス) |
悔しいが、野田秀樹にはやっぱかなわん(かなうつもりでいたのか? と笑われそうだが)
この人は、ぼくらが「こっから先はやばいから、見なかったことにしよう、蓋をしよう」と思ってる物事を、平気で石をひっくり返してダンゴ虫やゲジゲジを大量に発見する子供のように、悪意のある(こら)無邪気さで晒してしまう。
去年の『南へ』の、大震災直後の上演続行という英断(だとぼくは思った)も、この人の“悪意のある無邪気さ”のなせる技だった。
今回も、どんなストーリーか全く知らないまま観に行って、登場人物が何をしている人たちなのかも、生きている時代さえ知らされずに、それどころか、性別さえもあやふやなまま、芝居はどんどん突き進み、気がつけば、ぼくは自分が絶対避けていたはずの絶叫マシンのシートに座っていて、ガタゴトガタゴトと、トロッコが頂上に向かってゆっくりと上っているところだった。
もう降りることはできない。
しかたないので、どっちに走り出すかわからないコースターのシートに座ったまま、観念するしかなかった。
レベルを振り切った恐怖はドーパミンを分泌させるそうで、それはいつしか官能に変わる。
今回も、野田にしてやられた。
この、ちっさいおっさんにしてやられた。
悔しいけれど、気持ち良かった。
キモい感想でごめんなさい。
せっかくなんで(?)、このままキモくいきます。
深津絵里――この、野田秀樹も三谷幸喜も蜷川幸雄もが競って演出したがる女優の、稀有な透明感は何だ?
別に、天使じゃない、女神でもない。だが、どう考えても、地上の女じゃない。
秋山菜津子――カッコ良すぎて鼻血吹いた(暗喩)
なんだこの男前さ。『THE BEE』での、“女という存在の塊”と同一人物に、とうてい思えない。
妻夫木聡――『キル』からの成長具合はどうだ。
野田と別の意味で、“悪意のある無邪気さ”の権化。
年齢詐称の輝ける笑顔が老若男女を騙しまくる。この翳りのなさが、いつしか憎くなる。
いや、本当に憎むべきは、この笑顔にあっさり騙される己の単純さなのだが。
仲村トオル――思ってもいなかった肉体の美しさに眩暈(事実)
絵に描いたような理想の日本男児。もてない男の敵だ(何を言い出すやら)
大倉孝二――目立つのに、悪目立ちしない。手練のキャラクター。
藤井隆――道化と思っていたらこっそり足首にひっかき傷をつけられる。
女言葉を使う男には用心しろ(え? ぼくのことですか?)
橋爪功――この方を“評する”なんて、おこがましくてできません。
メインキャストの皆さんへの感想はこんな感じ。
そして一周して野田秀樹――よく「妖精が見える」とかいってる人たちが見る“緑色のジャージを着た小さいおじさん”て、この人のことなのかな? 年齢性別(いや、「おじさん」って言ってるでしょうが)生きてる時代の全てが不詳。見るのは怖い。が、見える人がうらやましい。自分も「見える人」になりたい。
音楽が椎名林檎。
彼女の楽曲はぼくはほとんど聴かないが(ヒットした曲だけ知ってるってレベル)、“ださ感”がゼロなのにはひれ伏さざるを得ません(いや別に何かと比べてというわけではないですよ←わざわざそういうことを書くな!)
深津絵里の歌唱レベルの高さにも驚愕した。
東京芸術劇場が改装成ってから初めての観劇だったのだが、あの、大ホールへ向かう「高所恐怖症いじめ」の長距離エスカレーターがなくなっていたのは、ちょっとさびしかった。
まぁ、客に恐怖心を与えてどうすんだ、って話ではあるが。
震災のことも鑑みてのことなんだろう。それは良いことだ。
元中劇場の「プレイハウス」は、内装はそんなに変わっていなかったが、客席に入ってみるとKAAT(神奈川芸術劇場)の大ホールとそっくりな気がした(客席数はKAATの方がだいぶ多いのだが)
今後もここで面白い芝居をたくさん見たいものだ。
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