てくてくミーハー道場

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2012年10月18日(木) 『星めぐりのうた』(天王洲 銀河劇場)

『銀河鉄道の夜』を最初に読んだのは高校生の時。

他人よりちと遅かったのですが、きっかけはぼくが大好きな漫画家である松本零士先生の『銀河鉄道999』のブームというベタなものでした。

そもそも童話ではあるんだけど、妙にうす怖いというか、裏テーマも表テーマも“死”という話なので、本当に子ども時代に読んでいたら、苦手になっていたかもしれない。

この高校の時も、なんかこう、ちゃんと理解できていなかったかもしれない。



『銀河鉄道の夜』を基にした芝居・・・といいますか、そのものずばりの作品も観たことがあります。

ジョバンニとカムパネルラを当時本当の少年だった当代中村萬太郎と金子昇平(アグネス・チャンの次男)が演じてました。

いわゆる“ファミリー劇場”で、いい意味でも悪い意味でも学芸会を観てるみたいでした。

それと、ヅカオタ的には、『イーハトーヴ 夢』という作品が印象に残る。

これは、外枠は宮沢賢治の伝記的お芝居で、劇中劇で、賢治役のねったん(夢輝のあ)がジョバンニを、ゆうかちゃん(椿火呂花)がカンパネルラを演じて、端正な妙齢の男性と無垢な少年の両方を一人の生徒が演じ分ける、という、タカラヅカならではの武器をいかんなく発揮した、かなり評判の良い作品だった。

この作品では、『銀河鉄道〜』のジャイアン的キャラ(こら)であるザネリを、当時バリバリ注目株だったちえちゃん(柚希礼音)が演ってたことも語り草になっている。

・・・と、ヅカオタの思い出話で終わりそうなので、気持ちを入れ替えて、今回の作品について。





さすがに、原作通りのジョバンニとカムパネルラをアッキー(中川晃教)と(山崎)育三郎が演ったら絵面的にキツいので(こ、こら/汗)、登場人物たちの年齢はぐっと底上げしてあり、20代後半から30歳ぐらい? の設定。

舞台は、現代の東京。

都会の路地裏に転がっている小石のように、輝けない青年・ジョバンニと、それを照らす太陽のような存在のカムパネルラ、という構図。

ぼくは根が暗いので、この、カムパネルラみたいな人間て、どうなんだろうなあ? あんまり心から信用できないんだけど、という気持ちになってしまう(昔、この小説を読んだ時にもそう思った)

そもそも、「なんで二人とも男の子なんだ?」という疑問もあった。

二人とも男の子なのに、ジョバンニのカムパネルラに対するぎこちない感情は、どう考えても(ここで腐思想を出しては、いかん! と心理的ブレーキを強くかけるわたくし)と、昔から思ってた。

自分をからかう同級生から、そっと(表立って、ではないのだ)かばってくれる優しいクラスメイト、という設定なら、女の子でもいい。いや、女の子だろう普通は。

二人で銀河鉄道に乗って旅をするくだりでも、ジョバンニは、ちょいちょいカムパネルラに対して、異性の友達に抱くような、淡い想いややきもちなんかの感情を抱くのを考えても、まだ“腐”じゃなかった当時のぼくは(おい)、「カムパネルラが男の子って点が、どうも変だな」と思いながら読んでいた。

カムパネルラのモデルは、賢治がとても愛していた妹のトシさんだという知識があったからかもしれない。

ただその後知ったことだが、カムパネルラのモデルとしては、盛岡高等農林学校の後輩である保阪嘉内という人物説もかなり有力だそうだ。するってえと(“腐”禁止なので略!)

まあ確かに、最後の方で、川に落ちたザネリを助けるために、カムパネルラは果敢に川に飛び込むので、ここは男の子である方が自然なのだが。

だがむしろ、カムパネルラを「ジョバンニの(なりたい)理想」と考えれば、なんとなく腑に落ちる。

その「人のために死ねる人間(賢治が、ずっと「そのように生きたい」と望んでいた生き方)」の具現化として、賢治自身の“理想の自分”を投影してるキャラクターなんじゃないだろうか? と思うのだ。

そのように考えると、カムパネルラも、無敵の陽性人間ではなく、どこかしら、はかない(まあ、実際“魂”の状態で旅してるわけだからね)、弱い存在である。

まだ小学校(中学校かも)に通っているような子供が、「みんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」なんて語るくだりは、子供のくせにやけに達観していて不自然に思ってしまうのだが、死期間近だった賢治が、ジョバンニそしてカムパネルラに自分を投影していたとすれば、本当にこれは当然の筆の流れなのだと思える。





あ、本日のお芝居(ミュージカルかな? 「歌(とダンス)入り芝居」ではあった)の話からだいぶそれた。

うん。大変歌が上手でした、二人とも(←なにそのやっつけな感想?!)

だって、うまいんだもん本当に。

ちなみに、タイトルにもなってるというのに、賢治が作詞作曲してることで有名な「星めぐりの唄」は歌われませんでした。

まあ、テイストが違いすぎるしな。

アッキーが作った曲が4曲ほど歌われていました(他の曲は坂部剛氏と佐橋俊彦氏が提供)

この人が作る曲は、基本的にリズムが複雑。そもそもR&Bを歌ってた人だしね。

ソングライターとしても才能はあると思うんだが、若干“ミュージカル俳優”としての方が、順調と言えるのかな。ぼくにとってはそっちの方がアッキーに触れられるチャンスが多いからいいんだけど。

ただし、『Promises, Promises』みたいな作品には出ないでほしいっす。全然合いませんから(こないだこのミュージカルの『inコンサート』やってたので、ヒヤヒヤしてる)

『CHESS』だったら、まぁ・・・観てみたいけど。

それより、『ロックオペラ モーツァルト』(クンツェ&リーヴァイのじゃなく、フレンチミュージカルの方ね)に出演が決まりまして、こいつぁめっちゃ楽しみだ。

おっと、余談でしたね。

で、育三郎の方ですけども、アッキーが作る独特のノリの楽曲をちゃあんと歌いこなしてたのには、全く舌を巻きました。

声や歌い方は断然育三郎の方が好きなんです。

ただ、上の方に書いたような、ぼくがカムパネルラというキャラクターに抱くイメージよりは、単純に「陽性の人」だった。

育三郎自身の“明るくっていい子”みたいなイメージのせいだろうか。

別にそれは気にはならなかったけど。色気は一切感じなかったな(カムパネルラに色気が必要かという話ではあるが)



他のキャストさんですと、ザネリを演じた植木豪くん、歌も普通に上手いんだけど、主演の二人と比べるとさすがに少々落ちる感じ。が、ダンス力で存在感ばしばしでした。

殺し屋・サソリ、カッコ良かった(^^ゞ

だがダンスっつったら、ダンサーの皆さんのダンス力が、ちょっと、はんぱなくて。

ただし、タイタニック(とは、一言も出てこないのだが)でのダンスパーティの時のダンスが、あの時代の、あの階級の方たちが踊るダンスとは違うんじゃねえの? と、振付に違和感。着てる衣裳(女性たちのドレス)にふさわしくない振付だったので、ちょっとばかり気になりました。

上島雪夫センセイの演出・振り付けだったんですが。(←今、自分で自分の首を絞めたね?)

上島センセイは、コンテンポラリーダンスはお得意だが、ああいうボールルームダンスみたいなのは、単純に畑違いなんじゃないかな? と思った次第。

しろうとのくせに生意気ですみません。

フランク莉奈ちゃんは、『リトルショップ・オブ・ホラーズ』以来でしたが、育三郎とのデュエットで、やっぱり『ロミオ&ジュリエット』を思い出しちゃいました(と言っても、ぼくはこっちの組み合わせは観なかったような気がする)

実は若干発声が鼻にかかってるというか、ハヒフヘホが変なんだよね莉奈ちゃんて。今日はやたらそれが気になった。

逆にお芝居では、そのハヒフヘホが可愛かった(マニアかおのれは)んだけど。



ええと、こんな感じ・・・っておい、一番の人を書いてないじゃないか!

土居裕子さん。

歌上手すぎ。

いや、歌はいくら上手すぎてもそれにこしたことはないが。

それにしても上手すぎ。

いやー素晴らしかった。



作品全体の印象としては、幻想的で哲学的でさえある原作を、若干“等身大”にしすぎたかな? って感はなきにしもあらずだったが、とりあえずこの作品のテーマである、

「人のために生きてこそ人間」

というところにきれいにオチたのが、すがすがしかった。






終わって外出たら、銀河どころか(コヤは「銀河劇場」だったのだが←オヤジギャグは要らん!)暴風雨(――;)

あ、雨ニモマケズ、風ニモ・・・負けそうだ(←情けない)

季節の変わり目ですので、皆様もお体だけは大切に。かしこ。


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