てくてくミーハー道場

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2012年10月08日(月) 『騒音歌舞伎(ロックミュージカル) ボクの四谷怪談』(Bunkamuraシアターコクーン)

世界のニナガワだろうが何だろうが、正直に言います(おっ?)










もうこの方、停滞してる。←思いっきり、腰が引けてるやないか!

こういうの、「キッチュ」って言えばOKなの?

ぼくは違うと思うな。(←内心バクバクです)

単純に、時代の空気を読み違えてるだけと思うな。(←脈拍130)


やー、昨日『ロミジュリ』を観た後で、

「ミュージカルって、こういう風に作ればいいのに、なんで日本の演劇界の人たちは、わからないんだろ?」

と不思議でしょうがなく思ってたのだが(日本にも、世界に全然引けをとらない音楽家はいる! 教授(坂本龍一氏)だけじゃなくて、若い才能がいっぱいいる! ただ、その音楽家たちとエンゲキ界とが、どうもうまくコラボできてないだけなのだ)、今日のこの作品を観て、やっぱり、エンゲキ界か音楽界のどっちかが(もしくはどっちもが)、“相手方”を見誤ってる、もしくはお互いに「自分と釣り合う」相手を見つけられないでいるんだなと、身にしみてわかった。



今回の音楽を担当したのは、昨年活動を無期限休止したムーンライダーズの鈴木慶一さん。

昨今では『座頭市』『アウトレイジ』なんかの北野作品で音楽を担当されている。

それよかムーンライダーズっつったら、ぼくらの世代にとっては、十代後半にリアルタイムで巡り合った、

「めっちゃ最先端行ってる人たち御用達」

のミュージシャンであって、YMOの高橋幸宏さんと組んだビートニクスとかさぁ、プラスティックスの立花ハジメさんとかさぁ、その一派(?)の音楽を意味もわからずに聴きながら「オシャレじゃん」とか言ってた愚かな当時の自分を思い出して、あー穴に入りたい。(←あ、これはれすね、上記の方々の音楽を聴いてたことが恥ずかしいんじゃなくて、その、本当の良さを知りもせずにファッションで聴いてた自分が恥ずかしい、という意味です

そう! そうなの。今日この芝居を見て、思い出させられたの当時の自分を。

だから不愉快(おい)だったのかもしれないねー。



原作の橋本治センセイとくりゃあもう『桃尻娘』で、この、ラノベの元祖みたいな小説は、タイトルが一見エロいので、にっかつロマンポルノとして映画化されて(でも小説自体は一つもエロいところはない。もちろん、マンガから絵を抜いただけのライトノベルでもない。東大出の橋本センセイらしい、青春コリクツ小説である)、その主演をした竹田かほり(美人であった)は、後に甲斐よしひろと結婚した。

そういうどうでもいいことを芋づる式に思い出しながら、恥ずかしくてなかったことにしたい80年代初頭の軽佻浮薄なニホンをありありと思い出していたのである(橋本センセイがこの戯曲を書かれたのは1976年なので、まだそれよりちょっと前なのだが)

うん、80年代にケーハク(←こういう表現が流行ったのである当時)な青春を送っていたぼく自身が悪いんだ、きっと。

ニナガワさんのせいじゃない。

鈴木慶一さんのせいじゃない。

橋本センセイのせいじゃない。

この芝居が古臭く感じてしょうがなかったのは。



何ですかね、出てくる風俗が、どうも。

当時生まれてなかった世代には新鮮なんでしょうね、きっと。

ぼくにとっても、これよりももっと昔なら、“着心地の良い古着”だったと思うんだね(1960年代の日本はぼくも大好きだ。懐古趣味だが)

そして、これよりももうちょっと最近なら、それもそれで「あー、あった、こういうのが(笑)」で済んだと思うんだね。

Around 1980'sというのが、何だかもう、居心地悪くて。

ただこれは、橋本センセイがまさにこれを書いた当時の“現代”なのだから、その状態で上演するのは原作者への礼儀なのだ。それは甘受します。



でも、本当はそれだけじゃないんだ、居心地が悪かった理由は。

それが、しょっぱな言及した「音楽」

鈴木慶一さんだと知ってしまったから、腰引けまくりのだらしない感想を書いているが、ほんまに正直に、思ったとおりに書けるならば、

「なんでこんなに音楽がダ(中略)の?」

と書きたい。勇気があれば(←実際、書いてるようなもんだろ)


悲しいことに、「音楽が面白い」と思ったのは、第二幕ラストの「テーマ・ソング」(これはありものの和洋のヒット曲やCMソングをつなげたもの)と、明星(真由美)さんが驚異のノドを駆使した(笑)「ワルキューレ」だけだった。そもそも「ワルキューレ」は作ったのワグナーじゃねえかって話ですし。

つまり、鈴木さんオリジナルの楽曲は、どれもこれも平板でぼくにはまったく響かなかったと。(←コーフンしすぎて、伏字にするの忘れてますよ?)

あー、でも、メイン挿入歌といっても良い「君はいつも夢の中で」はいいメロディーだったな。




ただ、演出に関しては、音楽ほど「つまんねえ」感(あ、あわわ・・・)はなく、やけにリアルに汚らしい大道具や生活感出しまくりのモブなんかは、いつものニナガワだなーと。

役者たちに関しては、まず、カッちゃん(勝村政信)が一点の間違いもない役づくりで安定度100%。

ターコさん(麻実れい)や梅沢昌代さん蹉川哲朗さん、市川夏江さん、峯村リエさんあたりの熟練の方々も文句なし。

そしてもう一人、100点満点が(尾上)松也ちゃん・・・と言いたいのだが、これ、ネタバレになるのでこっそり書くが、最後、佐藤隆太くんと同じコスチュームになるんだけど、松也ちゃん、現代人の体型じゃない!歌舞伎って恐ろしい・・・と思いました(いや、それって歌舞伎のせい?)

小出恵介くん(与茂七)と勝地涼くん(直助)は、鶴屋南北が書いた『東海道四谷怪談』の二人とは真逆の役どころ。

これには、橋本センセイの才気を感じた。小出くんは歌は下手だったけど(こら)、芝居はがっつり嵌ってた。お見事でした。勝地くんも、イヤミなく嵌り役。

栗山千明ちゃんは、『道元の冒険』のときのようなコケティッシュさがなく、なんか、ちょっと残念。谷村美月ちゃんは、テレビで見るイメージよりも、かなりトンでて面白かった。ただ、この二人も、要するに橋本センセイの脚本次第の役だったと言えるのかもしれないが。


お梅がぶっ飛びキャラっつったら、花組芝居の『いろは四谷怪談』がその最右翼だが、加納さんも橋本センセイの影響を受けてないとも限らないし、この辺はどうなんだろうな? でも、この『ボクの四谷怪談』は、未発表作品だったらしいし・・・深く考えるのはよそう。


あと、三浦涼介くんが演じた次郎吉というキャラ、こういう登場人物がいることは知らなかった。ここはさすが橋本センセイというところか。

でも、元の次郎吉がどういう人物なのかわからないから、三浦君の演技に関しては特にコメントしようがないです。


と、例によってとっちらかった感想に終始しましたが、要するには、

作り手側が思ってるほど、ぶっ飛んでもないし、キレッキレでもない作品でしたよ(パンフレットを読んでの感想)

ということです。

なーんかね、何かが違うんだよな。

“お岩”さんと“ロック”をかけてるところは・・・どうなんでしょうね? 2012年の今だから失笑しちゃったけど、それは、36年後の卑怯な後出しじゃんけんてものかもしれない。1976年に聞いてたら、感心してたかもしれないし。

ただ、ラストシーンの伊右衛門の独白(佐藤くん、めっちゃがんばってはいたが、うーんとうなるほどでもなし)を借りて橋本センセイが言いたいことは、わからないこともなかった。

わかる・・・と、思うよ。当時の若者として。

南北が書いた、ピカレスクな伊右衛門とはまるで違う、“何もしない”伊右衛門。

悪いこともしない代わりに、世の中の役に立つこともしない。

モラトリアムな、ニュートラルな、希薄な若者、それが『ボクの四谷怪談』で橋本センセイが描きたかった伊右衛門。

それは、まさにAround 80年に若者だった、ぼくたちそのものの姿なのだろうな。

居心地が悪かったのも、当然なんだろうな。やはり。


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