てくてくミーハー道場

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2012年10月06日(土) 『リチャード三世』(新国立劇場 中劇場)

2009年に新国立劇場が企画制作した『ヘンリー六世』三部作一挙上演(拘束時間12時間20分!)は、興味はあったのですが、観る前から倒れそうだったので、やめときました(役者の立場は・・・)

1日に一部ずつ、3日間通うってテもあったらしいのだが、それだと他の芝居に通うスケジュールがとれなくなるしね(一番の理由はそれか)



まぁこれだって上演時間3時間20分(休憩時間除く)、本日のぼくの拘束時間8時間40分(移動時間含む)だったわけですが。

なので、途中なぜか(理由はわかっとろうが)覚えてないところがあったりするんですがm(_ _)m本当にすみません



で、ぼくにとっては三回目の『リチャード三世』(“あれ”の劇中劇は当然カウントに入っておりません)となりましたが、キャスト的には一番若いリチャード、若いマーガレットだった。

正直、オカケン(岡本健一)を見くびってたな、というのが最大の感想。

そういや、この人ももう43歳だもんな。どうもジャニーズの人というのは、アイドル時代のイメージでずっと見ちゃうからアレなんだが、オカケンも、リチャードを演じるにはもう充分な御歳なんだ。

でも、実物を見たことがある方ならわかると思うんですが、オカケンて、華奢なんだよね。遠目で見ると、やっぱり“青年”にしか見えない。

しかし問題はそういう“実年齢”とかじゃなくて、“実力”である。

ぼくもミーハー歴が長いですから、彼の芝居はけっこう昔から観ており(もちろん全部ではないです)、本当に“少年”だった『唐版 滝の白糸』のアリダや、原作と全く違う“美少年な革命家”バレンティンを造形したアッカーマン版『蜘蛛女のキス』、今でも“ジャニーズ舞台”としては最高傑作だと思っている『スラブ・ボーイズ』、神経質度満点のトレープレフだった『かもめ』、少女マンガ版泉鏡花って感じの花組芝居版『夜叉ヶ池』の山沢学円、絵に描いたような善良青年だった『CABARET』のクリフォード、はっきり言って出演者の中で一番良かった『ロッキー・ホラー・ショー』のリフ・ラフ・・・なんかを観ております(全部書きやがったな)

惜しむらくは、一番の当たり役だと言われている『人間合格』の太宰を観られてないこと。いつか再演してほしいなぁ・・・。

さて、そんなオカケンを長く見てきて思うことは、この人、極端な鼻声なんだよね。そんなオカケンが、「1セリフ10ページ」のシェイクスピア作品で主役! そんなん大丈夫なの? という失礼極まりない予想だったわけです。

ところが、それを見事に裏切ってくれました。

「リチャード三世」と言えば、イロオトコとは対極にある醜男の典型で、彼の殺戮暴虐は、野心というよりもむしろ「世界への復讐」ゆえと言われるほど、「この世のすべての楽しみ」の対岸にいる男。

それを、柳腰(笑)の美男であるオカケンが、どうやって演じるん? と戦々恐々で出かけたのですが、まず、生まれつき背骨が曲がってて、股関節にも障害があってまっすぐ歩けない、というところは脚本のまま。

ただし、顔には特にひどいメイク(確か、ヤケドの跡があるんじゃなかったっけ?)はせず、お顔はキレイなまま。

そのせいか、「一目見ただけで」嫌悪感をもよおすような男ではなかった。

それを、役づくりが甘い、やっぱジャニーズだな、と見るか、演技力だけで勝負しようとしたんだな、と好意的に見るかで評価は分かれるかもしれない。

でも、ぼくとしては、後者を採用したい。

むしろ趣があったのは、キレイな顔のままのリチャードが、終始不自由な体勢でひょこひょこ道化のように跳ねまわるように動くたびに、

「ヨーク公爵夫人は、この“できそこないの性格の悪いせがれ”を忌み嫌ってるようなこと言ってるけども、おそらく幼少期は、この“生まれつき不運を背負って生まれてきた息子”を、どの兄たちよりも可哀想と思い、同情の涙に明け暮れていたのではないだろうか?」

と思わせるような一種の愛らしさを感じずにはいられなかったところだ。

おっと、ぼくもこの「世界最強に口のうまい男」に、知らず知らずだまされているのかもしれないな。

一番ぼくがオカケンの芝居に「おっ」と思ったのは、後半、母親であるヨーク公爵夫人に「お前が私の苦しみの根源」と散々にののしられるシーン(なんかこのおばさん、母親として最悪だよなあ・・・と思いません?)があるんだが、それに対してリチャードは、しれっと、

「そのとおりだと思います。おれも自分が嫌いですから」

みたいなことを言う。

こういうセリフを書くシェイクスピアもシェイクスピアなんだが、人(役者や演出者)によっては、このシーンのリチャードって、「そんなこと言わないで、お母さん」みたいな表情をするような気がするのだが、今回オカケン(と、演出の鵜山仁さん)はそういうセンチメンタルな解釈を採用しなかった。

ほんとに「しれっと」した感じだったので、逆にぼくは感服してしまったのだ。

ただ、そう思って観ていくと、ラストシーン、

「馬をよこせ!」

という有名なセリフのあと、ホリゾントに、子供が遊ぶ“木馬”(幸せな幼年時代の象徴)が浮かび上がり、そこへ向かって「まっすぐに立った」リチャードが歩いて行く姿で幕切れになる。このラストシーンには、ちょっと、「うーん」となってしまった。

これはちょっと、センチメンタル解釈ではないのか?

ぼくは、鵜山さんの意図を、汲み取れていなかったのかもしれない。



それにしても、リチャードって女にモテなさすぎる(今さらだが)

恨みを買ってるマーガレットに嫌われるのはしかたがないが、義理の姉であるエリザベスのみならず、実のおっかさんのヨーク公爵夫人にまでひどい嫌われよう。

つうか、シェイクスピアって、時代のせいもあってしかたないのかもしれないが、彼の戯曲に出てくる女には、人格なんてないからねぇ。

チェスの駒としての役割しかない。ま、男の登場人物も同様だが。

ヨーク公爵夫人も、マーガレットも、エリザベスも、そしてアンも、出てくりゃ「いかに自分が不幸か」を長々と訴える不幸自慢大会で、彼女らのセリフは全く会話になってない。

・・・あれ? 別にシェイクスピアの戯曲に限ったことでは(こらっ!)

やってることは悪事でも、将来への希望(というか野望)を述べ立てるリチャードとバッキンガム公の会話の方が、聴いててよっぽど楽しい。

人間のこういうところを鋭く抉り出すから、シェイクスピアは何百年も飽きずに上演されてるんでしょうねえ。





役者は皆さん手堅くて(実を申しますと、あまり知らない方が多かった。オカケン以外で知ってたのは、“蛍ちゃん”中嶋朋子、“将軍さま”今井朋彦さん、立川三貴さん、美声の勝部演之さん、そして浦井健治“殿下”のみ)、演出で「へー面白い」というところがいくつかあった。

まず、衣裳の時代考証をわざとはずしてるところ。

この話は15世紀後半が舞台なのに、登場人物たちは、19世紀末の服装なのだ。

しっかりと「当時」でもなけりゃ、思い切って「現代」でもない、「ちょっと昔」・・・このズレが、なんかモヤモヤしてて面白かった(それどころか、主役のリチャードは、黒デニム(多分)皮ブーツなのだ! 殺し屋は黒いトレーナーに脱色ジーパンだし・・・。スタッフが間違って出てきたのかと思ったよ/笑)

あと、キャスティングで失敗しかねない(エ)子役を出さず(この戯曲には、ちゃんとセリフのある重要な役の子どもが4人出てくる)、指人形にしちゃったところ。

彼らは皆王侯貴族の子女なので、まぁー大変大人びたセリフを長々としゃべるのだが、それを大人の役者がしゃべることによって、「子どもなのに可愛くねぇな」という余計な感情を抱かずに済む。という効果があった。

そして、何といっても、ここ新国立劇場中劇場の最大のウリである、やたらとすごーい奥行。ホリゾントまで1キロぐらいありそうな(そんなにはありません)奥行を、この作品でもきちんと活かしていました。

舞台には赤い砂が敷き詰められているので、登場人物が歩くたびにザリザリと印象的な音が。そして、全体的に“荒野”感が。

それと、これは正解だったのかよくわからないのだが、二幕の冒頭で王位についたリチャードを、ロンドン市民が喝采しなければならない? フシのシーンがあるわけ。

確か、いっちゃん(市村正親)版でも、ふるちん(古田新太)版でも、このシーンでは観客もロンドン市民になった体で、「リチャードばんざ〜い!」みたいに言わされた(“言わされた”って言うな!)ような記憶があるのだが、今回はそういうご要望(役者からの語りかけ)がなく、みんなそのシーンでは「・・・」となってしまい、まるでキリショーの「キスミー」無視みたいな状態(^^ゞになっちまってた。

これがまた、びみょ〜な空気感を醸し出してしまい、それが観客としては絶妙で面白かったのだが、本当は、演出側からは、どうしてほしかったんだろう? やっぱ無視が良かったのかな?





※ここで話がずれちゃうけど、この「キスミー」無視にしても、「ヴィジュアル系のライブでは普通言うものなのにみんな無視する」のが面白いから無視しようってことから始まったわけでしょ? でも最近は、「無視するようにキリショーが言ったから」ってみんな必死でそれを成立させようと我慢してる。そんな風に見える。

そうなってくると、まぁ、正直もう面白くないんですよ。

新規のくせに偉そうなこと言ってすみません。もちろんぼくは、わざと「キスミー」って言ってやろう、なんて微塵も思ってませんから安心してね。だいいち、それだと「空気読めてない」やつと区別つかないしな。

ただ、これだけ(怖いもの知らずかもしれないが)言っておきたいのは、「キスミー無視」が成功した後に喜んで湧くこと自体、「キスミー!」って叫んじゃうことと大差なくダッセェな、ってぼくは思うってこと。

どんなギャグを面白いと思うかって、世代の差が顕著に出るから、押し付けられないんだけどね。

ま、金爆ギャ中心世代とぼくとじゃ、とんでもない世代差があるからなあ。この話はここまでにしときます。






閑話休題。

今回、『ヘンリー六世』と同じ役を同じ役者が演じるということも話題となっていたのだが、前作でタイトルロールを演じた“殿下”だけ、ヘンリー六世は死んじゃってるので、その義理の甥にあたるリッチモンド伯(後のヘンリー七世)を演じた。

これがまたカッコいい役で(^^ゞ

『ヘンリー六世』観るべきだったなあと、今頃後悔したのであった。





しかし・・・「絶望して死ね!」という終盤最大のカッコいいセリフに笑いをかみ殺してしまうようになってしまった自分を殴ってやりたいと心から思いました(←嘘をつけ)

すべてジャ○ーのせいだ!(オイ)


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