てくてくミーハー道場
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2012年02月22日(水) |
温かいねぐら、ごはん、愛。 |
数日間ミーハーして、根暗熟年はちょっと疲れた。
今日は暗い話をしますので、苦手な人はまた後日来てください。
ぼくの通勤経路にいつもいたメスの野良猫(近辺の商店街に生息し、いろんな人からエサをもらっていた様子)と、ここ数週間会えなくなっていたんだけど、そのコ(と言っても、推定年齢10歳ぐらい。人間に直せばかなりの婆ちゃん猫です)らしき猫を昨日久しぶりに見かけた。
ここんとこ寒かったし、年寄猫だったので、最悪の場合を想定してたんだが、
「良かった、まだ生きてたか」
と近づいたら、見る影もない薄汚れた姿で、目つきがバリバリ悪くなっており、以前はぼくが近づくと、一応寄ってきて頭なんか撫でさせてくれていたのに、その日は全く別人(猫)になっており、エラい形相で、
「シャーッ!」
と一声威嚇して走り去ってしまった。
ショック!!!(T△T)
いや、別人(猫)だ、人(猫)違いだったんだ、と自分に言い聞かせたが、その後ろ姿の模様に見覚えがあった。
悲しい(;;)
一体どんな目に合えば、あんな風に変わってしまえるのだろう・・・。
彼女をあんなにしてしまった人間(複数と推定)を憎む。
・・・いや、結局ぼくにだって、その責任の一端はある。
野良猫を野良猫のままにしていて、通りかかった時だけかわいがっていた。無責任な“その他大勢”の一人なんだ。
この話は本当に猫の話であり、人間を疑猫化した話ではありません。
だけど、どうでしょう。
もしあのコに、
「温かいねぐら、ごはん、愛」
が保障されていたら、あのコはあんなこと、しなかったんじゃないでしょうか?
性善説なんて、生ぬるいですか?
ちなみにぼくは「性善説」論者じゃありません。正確には「中道説」論者です。
人間は、元来どっちでもない。環境によって良くもなり悪くもなる、という説を支持してます。
もちろんね、「シャーッ」っと威嚇する猫に腹立てず、ケガ(野良猫にひっかかれたり咬まれたりしたら、けっこうおおごとになることは、経験者はご存じだと思う)を厭わず保護するのは、半端な気概じゃできません。
よほどの猫バカで、なおかつ自分に余裕がないと。(←ここ、情けないが事実だ)
結局、「どこかの立派などなたかが、それをやりなさいよ」と、無責任全開で思っている、一番タチの悪い人間です。
自分がやってしまったことの責任はとらなきゃならない。それは分かるよ。
だけど、自分がその罰に値することをやってしまったことを、本心から見つめられるようにならなきゃ、どんな罰も意味をなさないのじゃないかと思ってる。
でもこの考えって、「心から反省できたときが、彼の命が絶たれるとき」ってことなので、それこそ一番残酷な罰をぼくは支持してるってことになるのかもしれない。
ああいえ、人間の話じゃないですよ、本当に(←説得力ゼロ)
とりあえずあのコの変貌が未だ信じられないので、今日は早く帰って捜すことにします。
もしまた威嚇されたら悲しいが、ひっかかれないように気を付けながら、せめて(動物用ウェットティッシュで)顔を拭いてあげたい。
ちなみに、ぼくはどんな猫にでもデレデレしてしまう猫バカですが、どんな猫でもなついてくれるわけではありません。そこまで猫好かれオーラは出せません。
でも、腹立ちません。
猫には猫の世界があるから。
人間にもこんぐらい達観できれば、もっと潔く生きられるんだろうな・・・。
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