てくてくミーハー道場
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事實を讀者の前に告白すると、三月に入ってからも色々とてくてくをしてゐるのである。
ところが三月一日に受けた人間ドックの結果が思はしくなく、それを言い訳に、てくてくはしてもその感想を書いてゐると睡眠不足で体に悪いなどと理由をつけ、猶三週間の暇を貪ることに取極めて仕舞つたのが原で、とうとうその三週間が過去った現在にも筆を執らず、ついブログ上へは杳たる有様で暮して仕舞つた。
自分の當然遣るべき仕事が、斯ういふ風に、崩れた波の崩れながら傳はつて行くやうな具合で、只だらしなく延びるのは決して心持の好いものではない。
久し振だから成るべく面白いものを書かなければ済まないという氣がいくらかある。
それに自分の健康状態やら其の他の事情に對して寛容の精神に充ちた取り扱ひ方をして呉れた社友の好意だの、又自分の書くものを毎日日課のやうにして讀んで呉れる讀者(居るか?)の好意だのに、酬いなくては済まないといふ心持が大分附け加はつて來る。
で、何うかして旨いものが出來るやうにと念じてゐる。
けれどもたゞ念力丈では作物の出来榮を左右する譚には何うしたつて行きつこない、いくら佳いものをと思つても、思うやうになるかならないか自分にさへ豫言の出來かねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合せをする積であると公言する勇氣が出ない。
そこに一種の苦痛が潜んでゐるのである。
(原文出典『彼岸過迄』夏目漱石 1912年)
大文豪ともなると、長期休筆の言い訳(コラ)すらも美文である。(だからって、パクっていいとは・・・)
前回のエントリから三週間ばっくれてしまいましたが、その間八か所てくてくしました。
そしてまたしてもおふくろが入院(前回と同じ病)
ふぐすまへトンボ帰りしたり、姑のお彼岸の法要の手配をしたりとバタバタしつつ、お彼岸が終わってほっと気が抜けたのか、珍しく三連休に仕事がなかったのも気が抜けた要因か、何の予定もなかった最終日の昨日、一日中寝込んでしまった。
長時間(11時間)睡眠後覚醒 → 何となく頭痛(寝すぎるとアタマ痛くなるよね?)→ 「こんぐらいどってことない」と歯磨き → ムカムカ → (タバコも吸わないのに)歳かな・・・?(涙)→ ムカムカムカ →あれ? 並みのムカムカじゃないな・・・ → 頭ズキズキ → また寝る? でも寝すぎ頭痛だったら逆効果だよな → ムカムカムカムカ → やべえ、来た → トイレでゲ(略)準備 → なかなか出ない → ぐらぐら → メニエール? → 寝床へバタリ → ムカムカムカムカ → 用心のため洗面器を枕元に → 若干ウトウト → ムカム(略)→ オ、オェ(略)〜〜〜ッ! → 胃液しか(略)→ バタリ(意識不明)
変な夢見ながらちょっとずつ覚醒 → 夜10時半 → あ、『SMAP×SMAP』始まる〜(焦)→ でも、録画セットしてるからいいや → うとうと → 午前零時20分 → あ、『どんなもんヤ!』始まる〜(焦2)→ こっそり部屋でヘッドホンで聴く → 頭痛の耳にも優しく響く光一さんの甘い低音に酔いしれるも、正直何を話してるのかさっぱり頭に入ってこない(←愚か者)→ 終わったんで、またもや寝る → 6時間後、元気に覚醒
とまあ、こんな具合の一日でした。
前日、暴風の中ダンボールかついであっちこっち(お寺とか舅の家とか)動き回ったのがたたったのかもしれん(体力をつけとけば、そんなことないのに〜/嘆)
暖かくなって動きやすくなってきたのだけが救いだ。
この間のてくてくは、追々書いていきます。
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