眠る金
私が私を見失わないために。
●2015年01月12日(月)
1月2日の出勤時に撮影。
元旦は極寒の中勤務だったので、屋内の勤務にひとまずほっとする。
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いつも大体ここはぽつぽつ愚痴を吐き出す場所になっているけど、今日は本格的に他所では言えない愚痴吐き場にする。
新年早々、久しぶりの更新にして。
なので、愚痴を読みたくない人は早々にお引き返しください。
以上、警告終わり。
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私は今ふたつの部署の仕事を掛け持ちしていて、A部署がメイン、B部署がサブ。でも。B部署の新しいプロジェクト投入と共に、仕事が昨年後半くらいからかなり増大してきた。それ自体はいい。B部署の仕事も、私が望んでいたものだから。
ただ、B部署のチーフは新しいプロジェクトにあまり積極的でなく、「何となく」私が舵取りをする形で進んできた。
正月休みなんてどこ吹く風の年末年始の多忙期を終え、プロジェクトをぎりぎりの際際でなんとか進めつつ、今月半ばには冬休みをとろう。何年ぶりかでほんの数日でも実家に帰省し、誕生日を実家で過ごそう。その翌日の父の命日には墓参りしよう。気のおけない友達と食事をしよう。
そんな時、チーフの体調不良。チーフは年始に連休をとっており、その復帰後の告白だった。
チーフも私に気遣ってしばらく様子を見る……、と言うも、その辛い様子に、療養が必要なことは明らかだった。
何せ、新しい命が宿っているのだから。
チーフは躊躇っていたが、私は早々に帰省を諦めた。
何よりも大事なのは新しい命を育むことで、周りはそれをサポートすること。
一方でB部署の運営のためには、1日程度の休みはともかく、連日休みを取ることは難しい。
それに、掛け持ちで、迷惑をかけているA部署の仕事だってあるのだ。
ましてや、プロジェクトは未だ進行中で成功にこぎつけるには程遠い。
まだできることはたくさんあるし、やらなきゃいけないこともたくさんある。
元々、舵取りをしていたのは自分だったので、幸か不幸か、チーフが抜けたとしてもプロジェクトの進行自体には影響はそんなになかった。冬休みも帰省も先延ばしにしよう。
連休が無理なだけで、別に私が不眠不休で働かなきゃいけないわけじゃない。
そんな私の決意を知らないはずだが、チーフからしばらく出勤が難しいと連絡があった。
心づもりして約束も日延べしておいてよかった。連絡をもらってすぐ、「安心して休んでください」そう伝えられた。
周りの、
「今はあなたががんばって」という言葉に頷いた。(いつまで?)
「え、どうして、だって、大変じゃないですか……」という言葉には、まあそうですね、でもおめでたいことだものと。
私は幸い健康で、風邪も怪我もすることもなく、仕事に穴をあけることはなくやっていける。
チーフと私はほとんど同年齢だけども、私は独身で、子供ができることもきっとないので、大丈夫だ。
ここまでが、今の私の状況である。
苦しくて、哀しい。
久々に帰省して、命日に父の墓参りをしようとか、友達と美味しいお酒を呑もうとか、そんなささやかな楽しみも私には許されないんだなあ。
前職にいた頃ならそれなりに給与ももらっていたので、新幹線で帰ってまた新幹線でとんぼ返りみたいな真似もできたけど、今はもう無理だ。
友達には来月帰るよ、と伝えたものの、本当にそれができるのかどうかも判らない。
規定休日を取るのに精一杯で、冬休みも、ましてや有給休暇なんてとらないまま消失しそうだ。
何故こんな状況になっているのか、コントロールする上司は?ってまあそれがいればこうはなっていないわけだ。
お子さんができることは本当におめでたいことで、何よりも何はさておいても大切にしなけりゃ。それは心からそう思える。
一方で、会社がそれを想定したサポートをしているかというと? まあ穴埋めできる人間で穴埋めするしかない。
シングルはどうしたって、お母さん達に比べて融通がききやすい。こんな状況は多かれ少なかれ昔からあった。
そうして、昔も今も、私は子供を持って働く人の肩代わりをずっとする人生で終わるんだなあ。
自分が子供を持つ、という選択肢に時間を使えぬまま。
それが私の人生の使い方、と思えば、まあ何も役に立っていないわけではないと思えるのかなあ。
でも、私が私を大事にできていない、そんな状況で誰が私を大切にするのだろうか。
とても哀しい。手が冷たいまま、縮こまっている。
私が私を見失わないために。
この記事をまた読み直さないといけない。
「わたし」を見失わないために:ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」を読んで」
http://d.hatena.ne.jp/yagian/20141118/1416253778
Raise Your Glass
●2014年11月20日(木)
So if you're too school for cool
And you're treated like a fool
You can choose to let it go
We can always, we can always party on our own
ここから続くくだりが特に好き
あと、ラストの姐さんね
Pinkで思い出した。そういやこれ、格好良かったねえ
美しい罅
●2014年11月10日(月)
母にもらったそば米が美味しい。そばの実を米状に加工したものらしい。米と一緒に炊くと違和感なく混ざり合って、でもぷちぷちもっちりした粒が心地よい。いつもと同じ水の分量だと若干固めに仕上がるので、固めが好きな私はそこも嬉しい。
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10月はとても波瀾万丈で、楽しいことも辛いことも多くてめまぐるしい日々だった。
多分9月末くらいから。
私の人生は間違っていた、と、もう取り返しがつかない、と、鬱々と考えていた。
これまでそれなりに後ろ向きな人生を送ってきたのだけど、自分の人生が間違っていた、と確信したのはその時が初めてだった。
なんでこんな時期になるまで気づかなかったんだろう。
絶望なんぞもう何度もしてきたが、何度しても慣れるものではない。
絶望はどこまでしても果てがなくて、果てがないからこその絶望で、またこの感覚を味あわなくちゃいけないのかと。
仕事をしている間は何も考えなくて済む。仕事に向かう道すがら、収穫を待つ稲穂や青々と実る野菜畑を横目に見ながら、とぼとぼと歩いていた。
10月に入るとまず1日に資格試験。ろくろく勉強しておらず全く自信はなかったがやたらに簡単だった。
試験が終わってほっとしたあたりで、墓参りがあった。
綺麗に整えられたお墓に訊きたかったことを投げかけてみた。当たり前だが返答は返ってこなかったが、その後秋の山並みを眺めてぼぅっと過ごした数十分は貴重なものだった。
大好きな線路の写真を撮った。
お土産に買って帰ったお菓子は美味しかった。
10月後半、変にことが動き始めた。
新しく始める仕事のアウトラインを引いて提示してみたら、その線でどうぞ、と言われた。
責任重大な仕事だ。
試験の合格も判明して、想像以上に祝福を受けた。
毎日成長を眺めていた稲穂はある日収穫の日を迎えた。
月末、旧友に誘われてとあるライブに行った。演劇とアカペラを組み合わせたそれは素晴らしい完成度で、大興奮のまま新宿の魚介居酒屋で旧友と美味しい時間を過ごした。
そこは会津の蔵元直送の日本酒に力を入れているお店のようで、日本酒好きの友達に釣られて、久しぶりに美味しい日本酒にほんわりしていたら、
「日本酒を一緒に呑める女友達がなかなかいないから、今日はとても楽しい」
と友が言った。
楽しんでくれて私が嬉しい。それに、日本酒の美味しさを再認識させてくれてありがとうね。
会計後、店主が名刺をくれた。まだできたばかりのリピーター獲得に頑張っているお店だからだろうが、女二人で日本酒をうまうま呑んでいるのを気に入ってくれたのかも知れない。
ばたばたした仕事の合間に競馬場に行って馬が走るのを観た。天皇賞の怒号は初体験で恐ろしかったが、だだっ広いレース場を馬が走り抜けるのは何度見ても爽快だ。
今日、酉の市に行き、去年買った熊手を収めて、新しい熊手を買った。また一年。
判っている。私が生まれてきたのは間違いだったという気持ちが、こういった事々で消え去ることはない、ということは。
苦しみは消え去ることはないけれど、頭を巡らせ身体を動かしていると楽しい出来事もある。面白い人達もいる。それは恵まれたことなんだ。
したいことはなくてもすべきことがある。
間違っている私のことは誰も知らない。
職場の人々と綺麗なものを創り上げてそれを広めるまで、「消えたい」という気持ちは抑えこんでいこう。
美しい日々。