眠る金

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貴方の腕が声が背中がここに在って

●2014年07月23日(水)

今の仕事に就いてから世間様のお休みが仕事であることが多いのだが、先週の3連休はそのうち1.5日、お休みをもらった。仕事が終わった後の夜も出かけたりなんだりで、なんだかすごくお休みらしく過ごした気がする。

仕事絡みのイベントを覗いて、その後都心に出かけて友人に会おうという日。その日もせっせと働いている職場の人に挨拶をしたら、
「あら〜いつもと雰囲気が違う」
満面の笑みで言われた。えへへ、おでかけモードなので、と照れつつ返した。

休み明けにその人と顔を合わせた時、開口一番言われた。
「職場でもああやって髪を下ろせばいいのに」
「男性陣に独身女性がいるってこと意識させてあげないと、ねえ?」
(ちなみにこの時の女性だけ飲み会参加メンバーの一人である)

「きゃー、いやあん(*ノェノ)」な感じで返してたら、それを聞いていた男性社員の某氏がふふふと笑った。そんな日常の軽口。

最近、変わった変わったとやたら言われるのだけども、自分ではあまりその意識がない。
でも、振り返ってみるとこういうやりとりが増えたかもしれない。

あなたは女性ですよ、という声が増えたのか。
からかわないでください、私は女性足る存在ではないという私の声が小さくなったのか。
それとも両方なのか。

振り返ってみると、自分が女であるということを意識し始めたのは、13年くらい前のことだ。
それまでは、女であるどころか、自分が一人の人間ということであることすらなかなか許容できなかった。でもどうやら、女というものらしいということを自分の中では感じ始めていた。
ただそれは自分だけの身勝手な認識でだと思っていた。
そんなことを外に出しても、気持ち悪いだけだと。

ずっとがむしゃらに仕事を右から左へと片付けてきた日々が続いた。

紆余曲折があって転職して、今の職場に来た。
普段は普通に、女性も男性もなく働いているけども、ふと冒頭のような会話が挟まれる。

私は私の中の女性を外に出してもいいんでしょうか、気持ち悪くはないんでしょうか、と思う。

私はここにいていいようにしなければ、とただそれだけ考えてきた中で、女性としてどうのこうのなんて考えてきたことがなかった。

でも、日々を経て自分を見て、あなたは女性なんだと、それらしいことをしてもいいんだと自分に許せるようになったかも知れない。

そして私は紛れも無く女性であって、キスしたり触りたい相手がいる。
それを自分に許せた。

どうもうまく頭が働かない、文章がまとまらないけど、そういうことなんだろう。

Say Something - A Great Big World



I'll be the one, if you want me to

●2014年06月29日(日)

今月初めの日記でLindsey StirlingとPentatonixのRadioactiveカバーを紹介したが、その後、PentatonixのYoutube公式チャンネルを流しっぱなしにしていることが多い。

Daft Punkのカバーが話題になったPentatonix、私もそのPVを以前観て記憶に残っていたが、改めていろいろな曲を聴いていくと、優れた歌唱力と(多分低予算ながら)うまいこと考えられた演出に病みつきになる。
特に惹きつけられるのはその低音とリズム。
このグループに限らず、アカペラではベースとビートボックスが心地良いともういくらでもごはんが食べられます。しかもチェロ弾きながらのヒューマンビートボックスって。

[Official Video] I Need Your Love - Pentatonix (Calvin Harris feat. Ellie Goulding Cover)

ゴ、ゴレンジャー。
このPVを観て(聴いて)から、原曲をググってみたら正直びっくりした。アレンジによってここまで(素晴らしく)変わるものか。それにしてもいくら観ても観飽きないね。

[Official Video] Carol of the Bells - Pentatonix

これはできればクリスマスシーズンに紹介したかったけども、我慢できずに。
一曲の中に何回山場があるんだ。

で、これらの曲やらDaft Punkの高揚した曲と映像を堪能した後、次の曲を聴く(観る)と一際しみる。

[Official Video] Say Something - Pentatonix (A Great Big World & Christina Aguilera Cover)


”Say something, I'm giving up on you
I'll be the one, if you want me to
Anywhere, I would've followed you
Say something, I'm giving up on you”

A Great Bid Worldが歌う原曲についてはまた今度。

どうでもいいが、紅一点のKirstie Maldonadoは誰かに似てると思ったら、若い頃の鬼束ちひろによく似てるね。そっくり。
Daft Punkカバーでは顕著だが、時々片方の口角を極端に上げて歌う。それが最初ちょっと鼻についたけど、だんだん病みつきになってくる。顔の筋肉柔らかいんだろうなあ。
今21歳か、すごいなあ。他のメンバーも22〜25歳だとか。

こんなことをやっているうちに今日もまたしんしんと時が過ぎていっている。

黄金色の麦

●2014年06月22日(日)

“黄金色の麦”

ひと月ほど前に通勤路で見かけた麦畑。一面の金色に、思わずカメラのシャッターを切った。

今日(暦上は昨日)は会社のちょっとしたハードなイベント。それが終わった後、前々から予定していた飲み会が開かれた。

女性だけで顔を突き合わせて飲む機会というのもなかなかないもので、有能な諸先輩方と楽しくも真剣な時間を過ごしたわけだけどさて。

酒も進む中で、私にとって職場のある方はどうなのよ、という話になったわけである。
諸女史曰く、その方は私のことをそれなりに気に入っているのではないのか、と。
どうも以前からそういう方面に仕向けたがる人がいて、私もその度いやいや冗談でしょう、と言うお決まりのパターン。

冗談でもこんなやりとりが交わされるようになるとは、何とも複雑な気分である。

私を過去に散々馬鹿なことをやってきた人間だと露とも思わず、一人のまともな人間として扱ってくれていることに、いろんな気持ちを抱く。

その方々の中で、私の右腕を見た人はいない。
私は職場では決して長袖以外のシャツを着ないので。
当たり前だけど、私の太ももや首筋をまじまじと見た人もいない。

私が過去に自分でつけた傷は、自業自得だと思っているし、消えるものでもない。それは当たり前。
今の私は、そんな過去を繰り返そうとも思わないし、手渡された生を全うしたいと思っている。
仕事をする上で、傷があろうがなかろうが何の関係もない。

ただ、私の右腕を見せた上で、一人のまともな人間として扱って欲しいとはとても言えない。
だから、決して見せたくはない。


ここにこうして居られることは、当時の阿呆だった自分を支えてくれた人達のお陰で、傷だらけながらもなんとか生き延びたからで、私はその生を意味あるものにするために今こうして動いている。それはこの前書いたとおり。

でも、今ここにある自分だけではなく、そういった過去もひっくるめた自分を、他人に受け入れてもらえるとは思っていない。
同じことを繰り返そうとは思わないがでも、なんでそんなことをしたか、その時の気持はよく覚えている。傷をつけて、その痛みと太く走る赤い血の筋によって、割れそうにどくどくと締め付けられた心が、すっと落ち着いた日々のことは。
避けられたらよかったのかもしれない。でも避けられなかった。
ここにだけ書き留めておく。


私をまともな人間として扱ってくれてありがとう。
私は今いる場所で自分のできる良きことを成していく。成していかないとね。
さて、今日も仕事に行ってきます。
朝晩のどかな風景の中をぽーっと歩くのは楽しい。
苦労も多い職場だけど、けたけたと笑いながら、楽しく働きましょうね。







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