VITA HOMOSEXUALIS
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2019年02月19日(火) うたかたの

 夢のような日々


2018年06月28日(木) 愛撫

 レズビアンにくらべてゲイはべたべたと愛撫をしない。

 お互いのカラダを触る手はすぐに性器に向かう。

 レズビアンはそんなことはなく、いつまでもたっぷりとカラダをなでまわし、なめまわしてペッティングするという。

 そう言われてみれば自分も、性器に手がとどかないのにじっくりと愛撫だけ続けるという経験はあまりない。

 ただ、ウリ専のボーイさんから教えてもらった乳首責めのテクニックは使える。舌の先に力を入れて舌をちょっとすぼめ加減にして、猛烈な勢いで乳首を舐めるのである。

 これをやるとたいていの男の乳首は硬く勃起し、よがり声があがりはじめる。

 相手が感じていると思うとそのまま舌を脇腹にずらすこともある。これはくすぐったいような、気持ちがいいような、やられると不思議な気分で、快感というわけではないのだが、思わず声があがる。

 ここで相手が声をあげればしめたもので、自分でよがり声をあげたということに興奮してしまうから、結局は興奮が増すのである。

 それにしても、こうやって活躍した舌は結局はペニスに向かう。

 キスをしたままじっくりペッティングしたいと思うこともないわけではなかったが、性器にさわらないで何が面白いのかという気もする。

 それに、体位にもよるのだが、男がのしかかってくると重い。この重さに耐えるのが大変ということもある。

 上になったり下になったりしてからみあっていると、そのうちにレスリングっぽくなってくる。

 こうなるともう興が冷めるので、やっぱり愛撫はそこそこにして性器に向かう・・・


2018年06月27日(水) キス

 四月まで続く降雪を我慢しきれないやうに、雪の下では春の浮動するものが生き初めるころは、わけても悩ましい力がからだに湧いてくるのであつた。私だち少年らは、おたがひに女の子のやうな深い情愛をかんじ合つて、かく詩や俳句の対象はいつもそれらの友に於て選んだ。美しい少年の友だちらは、ある時は、詩のことを話したりして、熱い握手や接吻をしたり、蒼い日暮の飽くことをしらない散歩をしたりしてゐた。

 室生犀星『抒情小曲集』

 
 深い関係がキスから始まるのはよくあることである。
 というか、キスもせずにいきなり性器の接触に向かうことは少ないだろう。
 もっとも、性を商売にする男性はそうではないかもしれない。
 性器は許しても、キスは本当に好きな人のためにとっておく・・・これはあり得ることである。

 好きだなと思う相手がいて、話が深い方に進みそうになって、軽く手なども触れているとき、「このままキスができるかな、できないかな」と迷うのは一種のスリルである。そっと口づけをして拒絶されたらどうしようと思い悩むのもこういうときである。

 私の経験では、口と口ではない場合、つまり手の甲にそっとキスしたり、頬に口づけをしたりすることは、たとえノンケといえども、それほど抵抗を感じないようである。

 口と口は、相手がノンケならば、拒絶されることが多い。

 相手にゲイの気があると、雰囲気にもよるが、拒絶されることはあまりない。口と口の接合を機会に深い関係に進むことも多い。私とI君の関係もそうやって始まった。夕暮れどき、砂浜に突き出した防波堤の上で、かなりの風に吹かれながら、私たちは文学の話をしていた。

 私には、フェミニンな印象の彼を抱きたいという欲望がふつふつと沸き起こっていたが、初対面ではあるし、それを理性で抑えつけるのに苦労していた。

 だが、とうとう我慢できなくなった。話が途切れたのをしおに、私は彼の肩を抱き寄せ、いきなり口づけをした。彼は一瞬驚いたようだったが、それを受け容れた。私は舌を入れた。しばらく舌と舌がからみあった。

 ほんのわずかな接合の後に、私たちは体を離した。彼の頬は桃色に上気していた。それを見るとまた欲情が湧いた。その晩私たちはホテルで一夜を過ごした。

 考えてみると、口どうしをくっつけ、舌をからめた機会はそれほど多くはない。相手が年上だとなかなかそうしみくい。夜の公園のようなところで性器をいじるときにもキスはしにくい。

 そうなるとやはり、気持ちが傾くということがキスの第一歩なのだ。


2018年05月31日(木) 出張のよる

 実家に帰り、家族と同居の気詰まりな生活が始まり、仕事も忙しく、自由がなくなった。依然として非正規雇用のままだが、いちおう雇用関係を結んでいた会社とは退職した形になるので、自分の食い扶持は自分で稼がなければならない。

 こういう日々だともうゲイがどうしたとかオトコがどうしたとかいうことは考えられない。

 長年続けていたSNSもやめてしまった。

 毎日同じメンバーが同じことを書く。それに対して儀礼のようにコメントを書くのにも疲れた。

 あらためて思うとおかしな人ばかりであった。メンタルをやられている人、そのせいかどうか周囲のちょっとしたことに細々文句を言う人、毎度みじめったらしい反韓記事を書くネトウヨの人、それに対する反発かどうか、韓国をやたらに称える人、それも嫌味な称え方で、反韓と同一人物なのではないかと思った。とうに30を越えていて巨体を持て余してるのに自分がカワイイと思っているニートの人。一日中ネットを見てるのかと思うほど拾い画像やツィートを集めてきてチンチンとお尻の話ばっかりする人・・・

 まあ、それはそれで面白いとも言えるが、私はもう疲れた。

 こないだ関西に出張したときウリ専を買った。18歳というのは信じられないが、民俗学に興味を持つ大学生という話は本当らしかった。新入店だと言った。そう言えば、ベテランに比べると対応がぎこちない。

 シャワーを浴びて灯りを暗くした。すぐにキスしてきた。舌をからめる。唾液がたっぷりからまる。最初は団子のように小さかった彼のペニスがむくむくと大きくなってくる。乳首を責める。声を出す。乳首をいじりながら唇を腹に這わせ、それをだんだん下におろし、叢に顔をうずめ、ペニスをしゃぶる。ずる、ずる、と音がする。彼が良さそうな声を出す。

 今度は私を責めてもらう。のしかかられると重い。乳首を噛まれる。痛いが気持ちがいい。痛みを感じるのと同時にペニスが反応する。私がやったように、手で私の乳首をいじりながら口を下半身に這わせ、私のペニスをくわえて口を動かす。ずぼ、ずぼ、という音がする。

 「声を出してもいいか?:

 私は聞く。「うん」彼は可愛らしく答える、

 私はあえぐ。彼は責める。私のあえぎ声はだんだん大きくなる。マンションの一室だ。隣室に聞こえることはないのだろう。私は大きな声をあげ、自分の声に興奮して体を波打たせる。彼の上に覆いかぶさる。あまりの興奮で息が苦しい。涙で目が潤む。再び彼に顔を近づけ、激しくキスをする。息が出来ない。鼻水が出る。謝る。「いいよ」と笑う。再び取っ組み合う。

 これがオトコの味だ。私はこれを求めるのだ。野獣と言われてもいい。精神性などどこにもない。だがこの快感、この充実、筋肉が震える。尿意のようにも便意のようにも思えるほど下半身が張ってくる。我慢汁が溢れる。ベッドをぎしぎしときしませながら二人のオトコが絡み合う。


2018年04月08日(日) 愛情か性欲か

 自分としては、人として人を好きになりたい。

 そこに性別の違いはない。

 だから、男である私が女を好きになることもあれば、男を好きになることもある。

 まず気持ちがあってのことだ。

 と思うのであるが、ときにはその思いに自信がなくなる。

 何となく性欲が高まっていることがあるからだ。無性にオナニーがしたくなる。そのときに考えるのは、かつて私の体の上を通り過ぎたり、写真や映画で見たりした男性であり、私は何も考えず、その男性と体を絡め、キスをし、愛撫をし、ビンビンに硬直したペニスを舐め回したいと思うのである。

 そのときも相手が誰でもいいというわけではないので、何かの抑制は働いているのだが、気持ちとして愛しているかどうかは二の次になる。

 こういうことでは同性愛が異常でないとわかってもらおうとしても無理かも知れないと思う。


2018年04月07日(土) SNS疲れ

 数年間加入していたゲイのSNSを退会した。

 このところSNS全般が低調である。一時はたくさんのコミュニティが作られて人と人の交流を促していたmixiも昔日の勢いはない。ゲイのSNSというやつもmixiを真似てコミュニティを作ったり、足跡機能を作ったりしていたが、どれも下火になった。

 下火になった理由の一つは、規約で禁止しているにもかかわらず、生のペニスの写真をアップロードする人がいたりして、警察から摘発を受けたからだと言われている。このことの真否は私は知らない。だが、少しボカしただけでほとんど生と変わらない画像や動画はそれこそいろいろなサイトにアップされているものである。

 SNSが衰退した最大の理由は、その目的が曖昧だったからだろう。

 誰か特定の人との出会いを求めるのが目的ならば、自分の好みの人が見つかった時点でSNSの役割は終るわけである。

 相方がいるのにSNSへの書き込みを続ける人はいったい何だということになる。

 では、出会いを求めるのではなく、単に投稿を楽しむならば、何を誰に発信したいのかという問題になる。どこにいる誰なのかもわからない「みなさん」に向けて何かを書くことほど虚しく、無駄なことはないだろう。

 誰にも彼にも愛想のいい対応をしなければならず、そのうち疲れてくる。

 そのように疲れたときに、あらためて自分がSNSでつながっている人々を考えると、悪い人はいないのだが、クセの強い人ばかりであり、個人的に深く付き合いたいと思う人はいなかった。

 そういう人でも実際に会えば気兼ねもする。カネも使う。

 身勝手ではあるのだが、これからは人の気持ちを考えて一喜一憂したくない。私が何をやり、何を考えたかをレポートする必要もない。コメントを期待して当たり障りのないレポートを書く必要もないだろう。

 そう思って退会した。あっという間の出来事であった。


2018年02月28日(水) 新生

 私は横浜に帰ってきた。

 そこには家族がいた。

 私の生活は自由ではない。食事の時間、入浴の時間、すべて自分の思うようにはならない。自分の空間がない、オナニーする空間もない。

 仕事も一変した。

 定職がなくなり、つごう三ヶ所から職能給で一年単位の契約を結んだ。以前よりも仕事は忙しくなった。

 これまでのような遍歴の人生は終わり、今まで何だったのかを考える時間を作りたいと思う。


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