げっかん かちょうふうげつ
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 みず みちて みどりの みなづき




雨風をしのぐ、と言う言葉があります。

「雨風をしのげたら、どんなにありがたいことか!」
という境遇も体験も、できれば、したくはないもの。

この言葉は、雨と風が、やっかいなものとして扱われていますが、
何か、育てるものがあるならば、
雨や風は、ありがたいもの。

雨のありがたさは、誰でも知るところ。
風は、植物の活動を促します。

内に、なにか、育てるものがあれば、
世の中の、雨と風も、きっとやりすごせるでしょう。
育てるものは、
たくさんあったほうがよいのです。

写真は枝豆でしょうか。
この畑の主は、ビール好き?

有刺鉄線に覆われたフェンスに、腕をのばしての、撮影でした。



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2008年06月13日(金)



 




しばらく、周囲がうるさいように思いました。

それは生活が落ち着かなかったから、ということではなくて
小さなことが、いちいちわたしに引っかかってくるような具合。

この日記スペース「エンピツ」も、
更新するかどうかを考えなくてはいけない時期。
実はこのスペース、有料です。
が、あまり使い勝手はよくありません。

広告が目に付くページは、好きではなく、
その他、いろいろなことがさっぱりして
安定したサービスを提供してくれるところを探すと、
あまりないかもしれませんね。
ここは、blog風にはしたくないので、特に!

「かちょうふうげつ」の写真が、今月でちょうど三年分たまりました。
ざわざわとして、遠くの景色もよくわからないけど、
目の前を進もうと思うこのごろです。

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2008年05月10日(土)



 春とモーツァルト




モーツァルトの音楽は、春のようです。
すると、うららとやさしいことを
想像されるかもしれません。
私の思うことは、ちょっと違うのです。


暖かかったものが、急に寒くなる。
風が吹こうが、雨が降ろうが、
花が咲いても、散っても、
一定の尺度のなかに、それらをきっちりおさめてすすむ。

実にさまざまなことが、勢いよくどっと、春には起るのですが、
まるですべてが必要なことであったかのように、
みんなの胸のなかに
「春」として、ちゃんと納まってしまう。

それは初めて弾いてみた時の、
モーツァルトの感触とよく似ていました。


私のモーツァルトは、私のダメさ加減がよく出ます。
正直に書くと、聴いていて、弾いていて、
付き合ってられないなと、思うことすら。
モーツァルトを上手く弾ける人は、
どんな状況でも、最終的には自分の望むように
ものごとをおさめられるような気がするのは、
ヒガミかな。

短調のモーツァルトは、上のこととは一転して、
吐き出してる、ぶつけているような、
あるいは、
長い独白を、きかされているような。
こっちのほうが、断然好きだと思うことも、
やっぱり「そのひと」をあらわしている気がします。

ちなみに・・・
春が大好きとは言えないな、わたしは。

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2008年04月06日(日)
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