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■ むすぶ
ピンと張った縄の結びめが並ぶ。気持ちがよいもの。
実は今、着付けの練習をしています。 どこかに習いに行っているわけではなく、ひとりで。 きっかけは、いつも着付けてくださる方のひとこと。 「あなたはもう、自分で着れるでしょう?」
どうして自分で着れるのだと思われるのだろう、 その根拠はどこ?といぶかしんだのですが、 外国へ転勤していく友達が、 あわてて着付け教室に通っている理由を思い出しました。 「民族衣装で、パーティとかあるんだってさ。」 持っているなら、自分で着れないと、ダメだと思ったのです。
背中を押すよいきっかけをもらったので、やらなけば!
着物は「結ぶ」のオンパレード。 日本人は「結ぶ」ということをいいかげんにせず、 育ててきたようなところがあるのでしょう。 写真の雪吊りの縄の結び方も、その世界ではきちんとした流儀があるのでしょうね。
もう数年来、絶大な信頼を寄せて着付けをお願いしている先生は 着物には腰紐、伊達締め、 長襦袢は衣文抜きに長い紐を通して、それで結びます。 コーリンベルトは両方に使うので二つ。 それはいつもそうされるので、こちらも準備して、おぼえてしまったこと。 締め加減、位置は身体が覚えていました。 衿のあわせ加減はこれから目と手で勉強。
問題は帯でした。私の背中で起っていることを見ることもなく、 未知の世界。 手がかりは、帯枕の位置と締め加減しかありませんでしたが、 セーターの上から帯を結ぶ練習からはじめました。
なんとかキモノスガタは出来上がりました。 でもこれで、やったね!ではなくて、 自分で着て、出かけて、一日過ごし、いろいろとアラを見つけて、失敗もしてから、先は長いです。
「結ぶ」ということばは、概念を表すことばでも。 実を結ぶ、縁を結ぶ。
「実を結ぶ」というのは、今日(1/26)blogに書いたことにつながりますが、ウラでちゃくちゃくと重ねてきたことが、オモテに結果に出ること。
「縁を結ぶ」というのは、それまでもちゃくちゃくと何かを進めてはいたのでしょうけど、これから一層積極的に事実を、ウラもオモテも重ねようのようなことでしょうか。
最近、ちょっと悲しいようなびっくりしたのが 彼がいなかったから、私はとても困るぞと思うBabayfaceが離婚していたこと。だめだがいっぱい重なって、ある時、結び目はだらりとほどける。 離婚を経験した友達から感じたこと。 「結び目」を解いてきた彼女の、すがすがしさ! あらゆる紐を解いて、着物を脱いだ時の、「ふう〜」ったら!
「結ぶ」っているのは、もともとは努力の意思ようなことをさすことばだったのかもしれませんね。
今月は長いな、最後までありがとうございます。
大きな写真でお楽しみください →こちら
2008年01月26日(土)
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