げっかん かちょうふうげつ
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 誰にも見せたくない風景





今月のタイトルは、ある写真家の言葉。
全くの引用ではないのですが、趣旨は同じ。
外的に、内的にも見せたくない、明かしたくない風景は
確かにある、と思うのです。

今月の写真は、
私がいる間、誰も来なけれないいなぁと思いながら
しばらくいた場所。
そうして、誰も来なかったわけではないのですが、
ほぼそのように、時間は過ぎました。

この場所から離れて、しばらく歩くと、
娘さんとお父さん、という感じの組み合わせの
外国の方とすれ違いました。
カメラを持った彼らが、あそこを見つけてしまうのかなぁ、
「見て」しまうのかなぁと、
不安なような、楽しいような。

家に帰って、この日、撮った、最初のほうの写真を、
消してしまったことに気がつきました。
昔なら、数日はがっかりしてそうなことですが
そんなにがっかりしていないのは、
誰にも見せたくない風景もあったから、かもしれません。


この言葉は、矛盾を含んでいるような気がします。
とても魅力的な矛盾。
そしてその方の写真、
見てると、なんだかドギマギするほど。
このドキマギ感、いつのまにか自分を肯定する材料、
写真を続ける動機にもなったかもしれません。
それが、いいのか、わるいのか、よくわからないですが、
写真が
「空間を切り取ったもの」
ということを超えて届いた、確実な例だなと思いました。

それが何方か、知りたくなったかもしれません、でも秘密。
私がもうちょっと大人になったら(?)、書きましょう。

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2008年03月11日(火)



 そっちには、行かない




「神様はサービスいいなぁ、うーん!ありがとう♪」
雪の日に、何度もこう思いました。
(詳しくはこの日記の昨年の十月をご覧ください。)


上の写真を撮る少し前、とても足の長い三脚を抱えたおじさんが、
自分の行く方向を指して
「○○がいますよ。」
(よく聞き取れなかったけど、たぶん鳥の名前。)
と声をかけてくださいました。
はい、ありがとうございますと言いつつ、指す方向へは行きません。
そっちへは、行かないと思っていたので。


春や秋、大きな公園や観光名所へ行くと、
撮る人がたくさんいる場所があります。
行列と同じで、人が人を呼ぶところもあるのでしょう。
そこには誰が見てもよい光景があります。

でも、私は目で楽しんで通りすぎることが多く、カメラに手はかかりません。
無意識のうちに、以前からそんな傾向のあることを
うすうすわかっていたようですが、この時は、はっきりわかりました。
それは針の穴に糸を通すような発見だったのかもしれません。
撮るものがより見えるようになった気がします。

写真は灯台ツツジの芽、おそらく。

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2008年02月10日(日)



 むすぶ




ピンと張った縄の結びめが並ぶ。気持ちがよいもの。

実は今、着付けの練習をしています。
どこかに習いに行っているわけではなく、ひとりで。
きっかけは、いつも着付けてくださる方のひとこと。
「あなたはもう、自分で着れるでしょう?」

どうして自分で着れるのだと思われるのだろう、
その根拠はどこ?といぶかしんだのですが、
外国へ転勤していく友達が、
あわてて着付け教室に通っている理由を思い出しました。
「民族衣装で、パーティとかあるんだってさ。」
持っているなら、自分で着れないと、ダメだと思ったのです。

背中を押すよいきっかけをもらったので、やらなけば!

着物は「結ぶ」のオンパレード。
日本人は「結ぶ」ということをいいかげんにせず、
育ててきたようなところがあるのでしょう。
写真の雪吊りの縄の結び方も、その世界ではきちんとした流儀があるのでしょうね。

もう数年来、絶大な信頼を寄せて着付けをお願いしている先生は
着物には腰紐、伊達締め、
長襦袢は衣文抜きに長い紐を通して、それで結びます。
コーリンベルトは両方に使うので二つ。
それはいつもそうされるので、こちらも準備して、おぼえてしまったこと。
締め加減、位置は身体が覚えていました。
衿のあわせ加減はこれから目と手で勉強。

問題は帯でした。私の背中で起っていることを見ることもなく、
未知の世界。
手がかりは、帯枕の位置と締め加減しかありませんでしたが、
セーターの上から帯を結ぶ練習からはじめました。

なんとかキモノスガタは出来上がりました。
でもこれで、やったね!ではなくて、
自分で着て、出かけて、一日過ごし、いろいろとアラを見つけて、失敗もしてから、先は長いです。

「結ぶ」ということばは、概念を表すことばでも。
実を結ぶ、縁を結ぶ。

「実を結ぶ」というのは、今日(1/26)blogに書いたことにつながりますが、ウラでちゃくちゃくと重ねてきたことが、オモテに結果に出ること。

「縁を結ぶ」というのは、それまでもちゃくちゃくと何かを進めてはいたのでしょうけど、これから一層積極的に事実を、ウラもオモテも重ねようのようなことでしょうか。

最近、ちょっと悲しいようなびっくりしたのが
彼がいなかったから、私はとても困るぞと思うBabayfaceが離婚していたこと。だめだがいっぱい重なって、ある時、結び目はだらりとほどける。
離婚を経験した友達から感じたこと。
「結び目」を解いてきた彼女の、すがすがしさ!
あらゆる紐を解いて、着物を脱いだ時の、「ふう〜」ったら!

「結ぶ」っているのは、もともとは努力の意思ようなことをさすことばだったのかもしれませんね。

今月は長いな、最後までありがとうございます。

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2008年01月26日(土)
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