2013年07月20日(土) |
わたしの日記は季刊なりつつある |
薄曇り 枝豆 あぶらげとにんじんと切り干し大根の煮物 アボカドわさび醤油和え 生ウインナー粒マスタード ビール このところの猛暑に比べると過ごしやすい一日。 日差しは強烈でありながら 日陰は肌寒い。 このコントラストは不思議と宇宙なんてものをわたしに想起させる。 湿気のない日などは砂漠を… 砂漠って「宇宙」っぽい。 地球だって宇宙の一部だけれど 地球はやっぱりスペシャルだ。 地球が地球である所以は水と緑。 なんてことを泡立つグラスをかたむけながら思うのだ。 ビールのあとはお茶漬けにしようか… 今朝漬けたきゅうりと大根が冷蔵庫のぬか床に眠ってる。 まだ浅いだろうから薄くきざんでおかかとみようがで少し醤油をたらすといいかな…
村松友視さんのエッセイをいくつか続けて読んだ。 わたしは最近はテレビを視聴することから遠ざかっているので氏のメディアでの露出度はわからないけれど 二昔前まではCMなどによく出演されていたのを覚えている。 その時の印象は柔らかな都会の大人の男性のイメージだったけれど エッセイから漂う深い洞察力観察力があの風情に加わるのをイメージすると… これはなかなかに凄い。 恐いと同時になみなみならない魅力の持ち主という驚き。 えっと…エッセイの中の何かに刺激されて書き始めたけれど それが何だったのかここまで書いて忘れたので、ひとまずペンを置くわけです。 *にんじんサラダ 夫婦揃ってにんじんが好きです。 さまざまなにんじんサラダを作って食します。 やわらかなにんじんはそのまま細く細く千切り 塩でもんでバージンオイルとレモンを搾って… すこし堅めのにんじんは短冊に切ってキャベツと蒸してごまドレッシング またはラー油としょうゆとでナムルっぽく和えたりして… それなのに夫が急に 「久しぶりににんじんサラダを作ってほしい…」 と言い出しました。 だっていつも作ってるのに… 彼はわたしが以前作っていたバージョンのにんじんサラダが食べたいらしいのですが、それがどんなドレッシングだったかわたしには皆目検討がつかないのでした。 外食する時もメニューに「にんじんのサラダ」があると注文して食べていたとのことですが、 「Kちゃん(わたしの名)の作ってくれるのじゃない…」 といつも失望していたのだと。 ふふ…ういやつじゃ… で、よくよく聞いてみると、マヨネーズに練りごまを混ぜて作ったタイプのものみたいで そういえばこの頃は作ってなかったなあ…と思い今度作ってあげましょかね。 *南部鉄瓶 コープで5600円で南部鉄瓶を売ってるけれど、これってどうなんだろう? 本物だろうか? *先週はまたガス漏れ警報器が料理酒の蒸気に反応して鳴ってしまった。 金目鯛を煮付けていた時のこと。 寒かったので窓を開けて換気をしたくなかった。 そんなことで鳴ってしまった。 金沢出身の方から金目は梅酒で煮付けるとおいしい…とうかがったのでやってみたいけれど 暖かな日を選んでやろう。 水は入れない。梅酒としょうゆ… 梅酒 金目 金沢… なんだかよく似合っている組み合わせ。 微妙に豪奢なムードだ。 *保育園が少なくなるのも 老人が増えるのも ずっと前からわかってることじゃん… 朝ご飯は ザワーブロート(ライ麦パン)のサンドイッチ ホワイトセロリと新玉葱でマヨネーズのスプレッドを作ってハム・チーズ・トマトをはさんで。
晴れ 何度? 昨夏 他課のIさんがコンポステーラを歩かれたのだという噂を耳にしてから ずっと彼女と話をしてみたいなと思っていた。 しかしバリバリのキャリアな彼女にはわたしなどが話しかけるすきなどないばかりか 寄らばはねかえされそうな強いオーラを放っていたのだった。 そんな彼女がコンポステーラを歩いたという事実は不思議な気持ちにさせられた。 わたしがその道を知ったのはシャーリー・マクレーンの本を読んだことからだった。 記憶を辿ればシャーリーの道程はとてもストイックで 日頃一心不乱に仕事に打ち込んでいるIさんがひたむきに歩く姿のイメージと重なって、そう思えばさほど不思議なことでもないのかなと思えた。 先週のいつだったか忘れたが、朝の通勤途上後ろから早足で歩いてくる人をやり過ごそうと歩道脇に寄ったところ、その足音の持ち主はIさんだった。 挨拶をして通り過ぎようとする彼女に 「ご一緒していいですか?」と声をかけた。 彼女はちょっと意外そうにしていたけれどにこやかに一緒に歩いてくれた。 道々その旅のことを尋ねた。 野犬は出なかったの? どんなところに泊まったの? わたしがシャーリー・マクレーンの本でその道を知ったのだと話すと彼女はとても驚いた様子だった。 わたしが彼女に「不思議」を感じたように 彼女もわたしに同じような不思議を感じたのだろう。 けれどそんな話をしながら、日頃殺伐と仕事をこなすだけの関係だったものに柔らかな化学反応が起こったような… ほんの僅かだけれど細い糸がつながったような… 淡雪のような優しいものが間に生まれたような… 何かで読んだ言葉が頭に浮かんだ。 ちょっとしたつながりを持つだけでそれが「癒やし」につながるのだと。 事実そうなのだろう。 ちょっとした挨拶や 思いがけず見つかった共通点がどれだけ日常に安堵をもたらすか… 夕餉は にらと玉子のおじや 胃が疲れている今日この頃。
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