- 2007年04月01日(日) 冬ごもりをしていた。 めまぐるしく変わる周囲の状況に ついていけない。 自分自身も変わっているのにね。 自分が何を求めているのか。 静かな環境? たっぷりとした愛情? ゆっくり落ち着いていられること? たぶんそんなところ。 - - 2007年01月04日(木) 良い夢をみた。 母が、祖母(父の母)と仲良くしている夢。 −はい、最中。 −今日のおやつは、おばあちゃんのおごりね。 母が、今の私で、祖母が今の母なのかもしれない。 - - 2007年01月01日(月) 父を迎えに行った。 近所に買い物に行った父を、車で迎えに行った。 私がみつけて、車を寄せても、 父は気がつかなかった。 窓を開けて、お父さん、と呼ぶ。 破顔一笑。 この人に抱っこされて、私は大きくなった。 幼い私は、父に、子どもを持った喜びを与えることができたのだろうか。 今は、どうなのだろうか。 娘がいてくれてよかった、と思ってくれているのだろうか。 そうでありますように。 長生きして欲しい。お父さん。 - - 2006年12月25日(月) 死ね、死んでしまえ、と言われた言葉が 情景とともに、 時々、 とても鮮明によみがえってきて、 困る。 本当に死んでしまってもいいかな、と思う 弱い自分がいて、 困る。 生きていたい。 - - 2006年12月21日(木) それから、私は、戻ってきた記憶に翻弄された。 母が幼い私を叱る場面。 母が祖母と言い争う場面。 私の不用意な一言で、その場が固まる場面。 いくつもいくつもよみがえってきて、 私は涙が止まらなくなった。 - - 2006年11月30日(木) きっかけは、おーどりーだった。 N●K朝のテレビドラマである。 『私は誰も傷つけたくはなかった。ママもおかあちゃまも』 という主人公のせりふに、私の記憶が開いた。 主人公は、ママと呼ぶ本当の母親とおかあちゃま、と呼ぶ育ての母と ふたりの間で板挟みになって育つ。 私も、母と祖母、二人に育てられた。 - - 2006年11月17日(金) 今日は、まわりのありとあらゆる人に甘えてしまった。 「もう信じない」なんてことも、言ってしまった。 甘えてるがゆえの言葉だと、わかってもらえただろうか。 - - 2006年11月01日(水) 私は病弱な子どもではなかったが、 食の細い子どもだったらしい。 両親、特に母は、相当悩んだらしい。 覚えているのは、小学校4年の頃だろうか、あまりにも食欲がなくなり 病院につれていかれたこと。 医師が私のお腹を触診したとき、押された苦しさに私はいやがるそぶりをした。 医師の診断は、異常はない、ゆっくりして少し神経を休めて、と いうものだった。 家に帰ってから、私は母に怒られた。 「診察のとき、あんなにいやそうにして。 まるで私が悪いみたいじゃない」 母の理屈は、よくわからない。 このときもわからなかった。 今は 完璧な子どもを望み、完璧な母親になることを望んでいたのかも、 と思う。 母も私も苦しかった。 今でも苦しい。 - - 2006年10月31日(火) 父と母と三人で、ずいぶん長く話した。 父は、話したくはなさそうだった。 過去のけんかのことを話したって…… と言った。 その通りだ、と思いつつ、私は話を止められなかった。 過去のことじゃないから。 けんかでもないから。 過去のけんかなら、笑って話せる。 これは、現在の話なのだ。 一方的に母から受けた(と私が思っている)傷をいやすための。 これからどうしたらいいのか、わからない。 *だけが、私のよりどころ。休息場所。 - - 2006年10月25日(水) 母と会話した。 いかに母が私の心を傷つけてきたか、を話してみた。 そんなことをした覚えはない、 私はそんなことをする人間じゃない、 と、母はすべて否定した。 最後に、 「普通だったら、親には気を遣って言わないようなことを 言ってくれてありがとう」と母は言った。 こういうところが、母は、普通じゃない。 皮肉なのか、本心なのか、はかりかねている。 -
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