みんな、苦しまず楽に死ねたらいいのに。
つらい。
早く死ねたらいいのになあ。
エンディングノートを書いておいたほうがいいのは分かる。 が、自分が死んだあとのことなんてどうでもいいし、知ったこっちゃねえや、誰かが迷惑こうむってくれ、とも思ってしまう。 つまり、面倒くさくてなかなか書く気になれない。
2021年09月26日(日) |
あんなにやる気になっていたのに、一瞬でやる気が失せた |
この数年、何もやる気がしなくなり、熱中して打ち込めるものもなく、自分にとって生産的だと思えることをやるエネルギーもなく、どんどん生きる気力がなくなった。 それが、あることをきっかけに、少しでも気持ち良く生活するために動こうという気になった。
あれこれ考え、精力的に動き出した矢先、母親が、父親にも相談しろと言ってきた。 いい大人が自分のカネでやろうとしていて、相談する必要がないことを、相談したくもない奴に、なぜ相談しなければならないのか。 しかも、理由が「相談したら、お父さん喜ぶから」だと。 気持ち悪すぎる。 子どもの頃から長年性的加害してきて、それをまったく反省・後悔していない奴を、なぜ私が喜ばさなければならないのか。
母親の一言で、一気にバカバカしく、心底どうでもよくなり、やる気が失せた。 計画は、やめにした。
大人になって、いまだに、何かやろうとすれば「お父さんにも相談を」と言われる。 結局、母親はずっと私のことをバカにしているのだ。
あんなに計画立てて、あんなにやる気に溢れていたのに、自分でも本当にびっくりするほど、一瞬でやる気が消滅した。もうどうでもいい。
期待してはいけない。 はしゃいではいけない。
そんなこと、分かっていたのに……。つい、油断してしまった。
2021年09月25日(土) |
自殺されたくないなら生むな |
子どもに自殺されたくないなら、子どもを作らなければいいのに。
2021年09月13日(月) |
やめたくてもやめられない |
しにたい。
生きる以外のことは、たとえ自分の意思で始めたことであれ、途中で嫌になったらやめてもいい。 しかし、自分の意思で生まれたわけでもないのに、嫌になったからといって簡単に生きることをやめられないのはなぜなのか。 理不尽すぎる。
途中でやめれないなら最初から生むんじゃねーよ、ふざけんな!
生きているのがつらくてたまらないときと、
生きているのが嫌でたまらないときがある。
昔は、本気で死にたいと思ったことがないような、物事をまじめに考えない人間が子どもを生むのだと思っていた。 が、自分も死にたいほど人生がつらいのに子どもを生んでしまう奴がいるのを見るにつけ、人間という生き物の外道さを思い知る。
人生がつらい「のに」ではなく、つらい「から」子どもを生むのは、さらに上をいく外道だ。
5歳のとき、母親から存在を、人格の尊厳を否定される言葉を投げつけられた。
その言葉に自分が実はものすごく傷ついて苦しんできたのだと自覚できたのは、大人になってからだった。
大人の私の中で、”小さなわたし”が泣いていた。
被害を認識できたから、正しく憎むこともできた。
こんなもの、ほしくはなかった。
ただ迷惑なだけだ。
でも、心を殺して「ありがとう」と言わなきゃいけない。
2021年09月03日(金) |
いったい、いつまで…… |
こんなこと、いつまで続けるのだろう。
この家が私名義なら、あいつらを追い出すのだが。
2021年09月01日(水) |
あいつらには分からない |
私がずっとどんな気持ちで生きてきたか、私がどんな思いをさせられてきたか、あいつらには分からないのだ。
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