自分の足で立つことができ、歩くことができ、人並みの腕力もあったなら、不愉快な目に遭わせた奴の髪をつかんで壁に叩きつけ、足で思い切り蹴り上げていたかもしれない。
自分の人生を棒に振らないためには、そんなことができないこの体でよかったのかもしれないと思うが、そもそもこんな体でなければそんな不愉快な目に遭っていないかもしれないというのも、また現実なのだ。
祖母の誕生日に贈り物をするからと、カードにお祝いメッセージを書かされた。
仕事なら、思ってもいない美辞麗句を言うことも書くことも容易いが、お金にもならないプライベートで、ありもしない愛情を演じさせられるのは不愉快だし苦痛だ。
何の愛情もない。
祝う気持ちなんて微塵もない。
それでもそこに罵詈雑言ではなく何かしら祝いの言葉を私に考えさせ、書かせることは、私に嘘を強いていること。
今日も私は嘘をつく。
嘘をつき、偽りの愛情を演出し、家族ごっこに参加させられている。
2018年01月05日(金) |
てめえでどうにかしろ! |
自分でやるつもりだったけどできなかった、ならまだしも、何でハナから自分でやる気がなくこっちに丸投げ前提なくせに他人に「やっておくよ」と確約するんだ?
忙しいか暇かは関係ない。
私は私のために時間と能力を使う。
2018年01月04日(木) |
うるさい。エネルギーがない。 |
今までのすべてを記述した遺書を書いてから死にたいが、強烈にそう欲するときは遺書を書くエネルギーがなく、エネルギーがあるときは遺書のことを忘れている。
母の、気が触れたような鼻歌がうるさい。
リビングにいると音や音声に耐えられなくなり、息もうまく吸えなくなるが、自室に引き上げたとたん、すーっと気持ちが落ち着いて呼吸が楽になる。
ラジオの音が耐えられない。
なんで毎年毎年新年早々嫌な気持ちにさせられないといけないんだろう。
|