2015年03月20日(金) |
おぞましい姿は、誰のもの? |
自分自身が障害者のくせに、いや、自分自身も障害者だから、だろうか、障害者の姿をおぞましく思うことが少なからず、ある。
歪んだ口元、何処を見ているのか分からない目、不気味に曲がった手足、言葉にならない呻き声。
そんな姿を、よく人様に晒せるものだ。 醜悪でしかない姿を自らテレビカメラの前で曝け出すなんて、やはり正常ではない。 見せられている方は、不愉快極まりないだけだ。同情心なんて欠片も湧いてこない。 被害の苦しみを訴えるなら、もっと有効な手段があるだろうに。 あれでは、ただの見世物小屋だ。
己の醜い姿が公共の電波で晒し者になったら、私なら生きていけない。 己の醜さは、痛いほど分かっている。だから、必死に目を逸らしている。
あの、おぞましい姿は、いったい誰?
もしかして、あれは、鏡の中?
性懲りもなく、今年もテレビの前で涙している。
バカじゃないの?
泣いている暇があるなら、何か一つでも行動を起こせば良い。
その涙が、本当に見ず知らずの他者を想ってのものであるならね。
本当に、下らない。
せっかく楽しい時間を過ごせたのに、駅を出たところでその顔を見たから、最後の最後で落胆させられた。
自由は幻想なのだと突きつけられ、思い知らされる。
「家に帰るまでが遠足です」と、言われていたっけ。 だとしたら、今日の遠足は、すべてが台無しだ。
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