偶然ここに来ちゃった方に「メリークリスマス♪」。サンタさんなんていないよね。でも優しい家族に恵まれて、ささやかにプレゼントを交換し、ケーキを食べ、フライドチキンも食べて、クリスマスのアイテムをそれなりにゲットした今年でした。
「えんとつ町のプペル」話題になっているようで、サンタさんは私にこの本をくれましたよ。絵が細かくてなかなか私の好みです。夜の工場地帯ラブな私のハートをくすぐるような感じですね。で、1回目はすらすらと読みまして、年を重ねるとひねくれてしまうのか、ちょっと採点するような、そんな感じもなきにしもあらず。
(うちのサンタさんは22日に来たので)そうして次の日誰も居ない昼下がり、また読んでいた私は、あ〜ら不思議ぽろぽろ涙がでましたよ。まさしくクリスマスマジック。私のハートのどこにそんなガーリーな部分が残っていたのでしょ。
ありがちな話なのでありがちの涙かも知れないけど、気に入ってます。
始めたことはいつか終わらなくてはいけないから、その日が来ることは決まっていたのだけど。その終わりの始まりのきっかけを作ったのが私だったことに、私は少し傷ついているみたいだ。その事に気付いてはいけないような気がするけれど、心の隅っこに、例えばおせんべいのかけらが落っこちているような、そんな感じ。
なんとなく不快感、不安感。落ち着かない感じ。実を言えば私が目指していたことなので、誰を責めることもできないし、「いっそ悪者になっちまえ」と、思っていないこともなかったので、結果オーライなんだけど、どこか空気が抜けていく、そのせいでうすら寒い。
年末年始は忙しいし、時はたいていの事をぼんやりさせてしまうことは、良く分かっているので、どんなに心許なくても明日は何パーセントか楽になっているだろう。
そうやって過去の事になっていくんだね。
ちょいと年末の京都に行ってきた。外国語が飛び交い、外国の旅行者がたくさんいて迫力負けしている私がいるのだった。私も外国に行くとその国の衣裳を身につけてみたいと思う方だ。残念ながらまだそういう機会はなくて、それに若い人の衣裳だったりするのはいやだな・・・と思うし、だからといって年配向けのがとても地味だったら悲しいかもしれないな・・・とも思う。
で、たくさんの人がキモノを楽しんでいた。けれどお客さんが選ぶのかお店の人が勧めるのか、そこは良く分からないけど、ほとんどが派手だった。派手というより浴衣?・・・と思うような柄だったりして品がないものが多いように思った。
それに12月だというのに単衣だったり、よく見たら襦袢を着てなかったり、「こ、こんなんでいいのか?旅行者さん?」と思ったのだ。中にはもちろん日本人旅行者も居て、着物の将来をちょっと心配したのだった。
舞妓さんに化けている人もいた。
安倍さんがプーチンさんと会ったあとの会見で、「きみが・・・」と言うのを聞いて、ちょっと面白かったのだ。「きみ」なら「ボク」なのかと思って見ていたら、「ワタシ」だったので、つまらなかった。で、どうやらプーチンさんは「シンゾウ」とは言わなかったようなので、ちょっと片思いだったね。
それとも・・・。東京の方ではその辺の人達が「きみが・・・」とかいうのだろうか?どこかのお店で、隣の席の人が「きみが・・・」等と会話していたら、関西人の私はきっとちらっと見てしまうと思う。
とりあえず、普通の人々が「きみが・・・」と言っても、まぁいいのだけど、エライ人達が親しさを出すために、なんだか無理矢理「きみが・・・」なんていうのはやめた方がいいと思うのだ。そして「きみが・・・」と言いたいならそこはきっちり「ボクは・・・」といってもらいたいものだ。
「きみ」といえば「しろみ」だな・・・と思う私。
この前、うちの母上86歳を連れて温泉へ行ってきた。一年ぶり。そりゃー滅茶苦茶喜んでくれて、楽しんでくれて、ハイテンションで、こんなに興奮して明日ぽっくり逝ったらどうしよう・・・と内心心配しつつ、でもそれはとても幸せな人生の終わり方かもしれないと思ったりしたのだ。
平日だったので、他のお客さんも少なく、お風呂は貸し切り状態だったのでゆっくりできてよかった。話もたっぷり出来て・・・たっぷりできるのはいいことだけど、余計なことも話題に出てきて、微妙にひんやりとした物を私の心に降り積もらせるのだった。
86歳はどれだけ元気でしっかりしていても、不安な毎日だ。もう何も未練はないらしいけど、長く寝込むことだけは避けたいと思っていることが、しみじみと伝わってきた。それは娘も願っていることだよね。
「ねぇ、優しい娘だよね?」と聞かれるような感じ。
最近のテレビ番組は、見てる人も参加できるのがあって、ゲーム参加や投票なんかできちゃう。それに対応したテレビももちろん必要で、うちのテレビはそれができるらしい・・・と、思いつつもその為の努力を惜しんできたのだが、電話会社のポイントが溜まったよ〜なくなるよ〜的なメールが来た時に、欲しい物なんかなんもねぇーと思いつつ、これがあればもしかしたらうちのテレビで番組参加ができるかもと、とある品物を貰ったのだった。
けれど、それは一つでは足りなくて、もう一つ必要で、そのためのポイントは使い果たされ、自分で買うには結構な値段のものだった。そんなわけでただのお荷物になってしまたその品物だったのだけど、それは図らずも私に、視聴者参加番組に参加したい・・・というハートに火を付けたのだった。
結論から言うと、何も買い足すこと無く、配線を替えるだけでうちのテレビはネットにつながり、今年の紅白歌合戦の投票に参加できるかも知れないと思うとちょっとうきうきするのだ。
とりあえず、さっきM−1の投票をしてみた。
私は絵を習っているのだが、カルチャーセンターに属しているわけではないので、新しいメンバーが入ってこず、存続が危ぶまれている。それなのに、とりまとめをやって下さってた方が長期療養ってことになってしまって、次は誰だ?ってことになってる。ぼんやりしていると、私に回ってきそうでヤバイ。
もうちょっと若ければやっていたかもしれない。私は、過去の色んなシーンでそういうのは優柔不断に引き受けちゃう奴だったからだ。でも、最近の私はこっそり還暦を迎えただけあって、少しは学習した。もう、そんな余力は無いって事を。
あれこれ問題点を「それを解決するべく超頑張る」ほど、まだ絵が描きたいか?・・・と、自問自答する時、心の隅で「NO」と答える私がいる。始めるときは、一生の趣味にしようと思ったのだけど、結局中途半端で終わることになりそうだ。それほど夢中にもなれなかったことも正直な気持ちだ。
時を忘れて打ち込める事を持っている人がうらやましい。
今日から12月。今年もあと一ヶ月になってしまった。憂鬱だ・・・と、毎年言っている。物忘れがひどいけど、毎年言ってるということを忘れないのは、最近始まったことじゃなく、もうずいぶんなが〜い間、何年も言い続けているからだ、きっと。
独身の時は、楽しかったんだろうな・・・と、思う。あまりにも昔で実感が伴わないけど、クリスマスや忘年会やお正月、スキーや温泉の計画にウキウキしていたような気がする。結婚してからはそういうのとは縁遠くなったけど、やっぱりクリスマスやお正月は楽しみだった。ツリーを出して誰かのサンタさんになるのはテンションの上がることだったよ。
今は・・・。年末大掃除はしんどいわ。ツリー出したら片付けないといけない。ケーキもチキンも太るしな。お正月の食費、高くつく。何もせず、誰も来ず、閉じこもって年末スペシャル放送をこっそり見てるってのは・・・どう?
・・・と、考えたらやっぱり寂しいと思う私の心は複雑です。
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