3月31日。明日から4月。今日、なんだか突然春が来たって思った。昨日の夜(孫太郎の抱っこひものための)小物を作っていて、確かに針は確認したはずなのに、午後無いことに気付いた。てなわけで、家捜し。掃除機のゴミパックの中もごそごそ。
あ〜ぁ、見つかんねぇ〜、まずい・・・と、思った。でも焦ってもしょうがないと、色々推理した結果・・・見つかった。自分でも驚きの推理力。自分を褒めたい!・・・その前に、縫い針には糸をしっかり通して結んでおくというルーティンをしっかり身に付けろよ私!・・・と思い切り反省したのだった。
そして思うのだ。最近捜し物が多い。あれはどこに行ったのか、どこに置いたのか、まったく思い出せないことが多い。探しているその物を利用する時間より、探す時間の方が長くなったら老化の証拠とかなんとか、聞いたことがあるが、まさしく老化ですよっ!それがなにか?
・・・と、逆ギレ。その逆ギレこそまたしても老化現象だったりする。
まずいなぁ〜とぼんやり思う。パソコンがヤバイかも知れない予感。今日仕事がくるというのでメールチェックしようと電源を入れて、しばらくしてみたら真っ黒でキーボードをさわっても真っ黒、こりゃいかん・・・と思った私は電源を切って、しばらくしてまた電源を入れても、ブォ〜〜ンと音ばっかで起動しなかった。で、今は普通に動いている。復活したのか?
まずいよなぁ〜。何年使ってるかなぁ〜と考えたら丸7年。前のパソ太郎も7年で買い換えた。その前のも。考えたくないけどそろそろなのかしら。とりあえず、バックアップ必須なものはちゃんとコピーを取った。メールのアドレスとか設定とか・・・・・・え?
どうやるんだっけ?まずいよね〜。こんな時こそ色々なモノのバックアップを取るよいチャンスなのに。全くもってやる気がでない。要はめんどうが臭い。パソコンがない生活は考えられないから、次の事もそろそろ考えないといけないな・・・なんてこともめんどうが臭い。
意気揚々と新しいPCの事を考えた若い頃が懐かしいわ。
3月は別れの季節。取り立てて別れがあるわけではないけれど、年を重ねると昨日食べたモノよりずっと昔の事の方がリアルに思い出されることが多く、「別れ」と聞くと一つのシーンを思い出す今日この頃なんだ。
もう名前すら忘れてどんな季節だったかも忘れたが、小学生低学年の時一人のクラスメートが引っ越していった。廊下で彼女は泣き続け、次の時間のチャイムが鳴り響き、みんなは教室に入ってしまうのだけど、泣いている彼女の真ん前にいる私は不器用な慰めの言葉を並べながら、離れるタイミングを失っていた。
そこへやってきた担任が私に早く教室にはいるようにと告げ、なんと言ったか忘れたけど、私の最後の言葉に彼女はひときわ泣き、その声を背中に私は教室へ入った。私達は特に仲が良かったわけではなかった。けれど、この事を思い出す度、胸がきゅっと痛くなる。
別れの記念に皆に配られたハンカチをすいぶん長い間持っていた。
ちょっと台湾に行ってきた。食物は美味しいし、なにより安いし、台湾はいいね。今回はパック旅行だったので、個人旅行ではできない人間ウォッチングが楽しかったけど、向こうも私を見て観察してるんだろうな。で、パック旅行にお約束のお土産店のお話。
なんとなく、これをスルーして近くをウロウロしたらガイドさんが困るんだろうなぁと感じていたので、他の旅行でも土産物店では買い物はしなくても一応一周する。でも、今回お店に入らなかった人がいて、その人にガイドさんがはっきり「ルール違反だ」と言ったのでちょっとびっくり。暗黙の了解ってやつじゃなかったのか?
ルールなら行程表のどっかに書いとけよ・・・と、思ったけど、それより感じるのはお土産店の商品の凄さ。今時こんなもの買う人いるの?的な物達。そして値段も高い。欲しい物が何一つない。小一時間いたからといって何も買わないでトイレだけ済ませてお店を出た。
そろそろこの慣習やめた方がいいんじゃないかな。
あまりプロ野球は見ない。日本シリーズとかいうのでどこかが優勝しても、たまたまスーパーが安売りしてたりすると、気付く程度。だから最近覚醒剤がらみで保釈された元選手も、ローラちゃんとCMに出てた人・・・ぐらいの認識。だから保釈されるのがこんなにもニュースとして価値があるのが理解できない。
普通、保釈が決まるとさっさと出てくるらしいのが、なんと約4時間もでてこなかったらしく、それはそれでいいのに、その間ずーっと「あ、車が出てきました・・・あ、違いました」みたいなことを延々とやっていてあきれたのだ。
その間テレビを見ていたのか?・・・と聞かれたら、見ていたから知っているのだけれど、さすがに他の話題に移るだろうと思っていたので仕方なかったのだ。で、出てきた車の後を、単車やらヘリコプターやらが追いかけるのも目を疑った。一体追いかけていって何を見たいのか・・・全然わからない。
彼の前途が滅茶苦茶厳しいのは誰にだってわかるのに。
孫太郎は寝返りが出来るようになった。うつぶせになって、一生懸命頭を持ち上げるのだが、力尽きてパタっと顔を伏せてしまうのが可愛くて、ずーっと見ていて飽きない。自分の子どもの時、こんなに楽しめたのかしら?と、不思議に思う。幼子は魔法そのものだ。
2、3日前やっとこさ寝返りができたばっかりなのに、もう前へ進もうとするのが見て取れて興味深い。まだ、手脚の動きが気持ちについていかないみたいで、やたら手脚をバタバタしているのだが、視線は前にある・・・スリッパだったりチラシだったりおもちゃとは限らない・・・ものに向けられて、近づきたいのに近づかなくて、見ている方がもどかしい。
それなのに、懸命にどうにかしようとしているのをみて、私達はいつこの健気な頑張りを、無垢な頑張りを忘れてしまったのだろうかと、切なくなってしまったのだ。日毎成長していく孫太郎。
頑張りを忘れた時、人は老い始めるのかもしれない。
例の「保育園落ちた・・・」にまつわる色々で、自民党の議員が自分のヤジに関してテレビで弁解しているのを見ていて、全く効果が無くてむしろ出てこなかった方がまだよかったような気がしたのだった。ヤジった他の人はテレビに映らなかったからばっくれているのだが、映ってしまったこの議員は「貧乏くじ引いちまった」わけで、テレビに出てきたことを褒めてあげるべきなのかしら。
でも「・・・日本死ね」の言葉がよほどお気に召さないようで、「子どもに悪影響がある」とか「本当に女性が書いたのか」とか、「そこなのか???あんたの言いたいことは」という弁解出演だった。
そのあと、どこかのテレビが「死ね」の部分にぼかしをかけていて、子ども達にご配慮いただいているのかどうかわからないけど、電波とめちゃうよ・・・の女性大臣の顔が頭に浮かんで食欲がなくなった。
まぁ、日本はこのままだと死ぬんだろうなぁ・・・と思ったりした。
毎年同じ頃に同じ事をやっている。昔々その昔、その時はそれなりに「私も年をとったわ、去年より疲れる」などと、ほざいていたのだが、それはただのなまけものだったな・・・としみじみ思う。今年は、確実に疲れているぞ、私は。かすかに命のキケンさえ感じている。
若い時は、命のキケンというと傷害保険がでるような種類だけだったような気がする。でも今は違う。心臓が止まりそう・・・とか、血圧急上昇でどこかの血管切れそう・・・という、自分の身体の中で何が起こってるんだ?・・・という不安というかざわざわしたものだ。
去年と同じ事をやりおおせながら私は思う。年々要領はよくはなっているのだが、年も年だしより一層の改善をやらなくては・・・と。で、ふとまた思うのだ。確か去年も来年は一層の計画性を・・・等と言っていたのではないのか?命のキケンというか記憶力のキケンは既に起こっているような気がしないでもない。
今年も無事「来年への備え」を考えている幸せ・・・たぶん。
2016年03月07日(月) |
日記:ひょっとして・・・ |
私のかーちゃんはもうすぐ86歳だが、とても元気で記憶力だって私の上をいくな・・・と、話をしていていつも思う。そしてもう一つ感じるのは自己肯定力の強さだ。彼女の娘・・・私・・・は、見かけはたぶんそこそこな押しの強さなんだが、実はとても小心者ですべてにおいて自信がない。世の中の人達を「すごいなぁ〜」と良きにつけ悪しきにつけ、いつも感心しているばかりだ。
が・・・。この前実家に行ってぐだぐだとおしゃべりに時間を費やしている時、「そういえば○○のネックレスのこと思い出して・・・」と、この”思い出して”というのが肝心なところなのだが、そのネックレスを見せて、数々の思い出話とちょっと自慢話をしたあと、「これは気に入ってるから、まだあげられなわ、死んだら好きにしていいよ」と片付けたのだった。
「別に欲しいって言ってませんけど?」・・・というのはさておき、この『死んだら好きにしていいよ』という台詞、何回聞いたかしら。あれやこれや、娘にやるのが惜しいなら、それはそれでいいけど、見せびらかしてのこの台詞。
ひょっとして・・・惚けたのか?と意地悪く思ったりする。
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