トルコはアジアとヨーロッパの間にあって、なんだって凄い。その中で、メビラーナさんのことは私は初めて聞いたので、とても新鮮でおもしろかったであります。イスラーム神秘主義の一派・メビレビー教団の創始者である、メビラーナさん。
この方が今も生きていて、大きな声で自分の考えを世界に発信していて、そしてたくさんの人が耳を傾けて、ちょっと立ち止まって考えたなら、そして自分の損得より少し他の人の事を考える事ができたなら、世界は今よりずっと安らかだったのではないかしら?…と、思いました。
私は神をも恐れぬ不信心者なので、宗教とはあまり親しくないのだけど、メビラーナさんなら親しくなりたい…と、不可能なことを考えながら見た、コンヤのメビラーナ博物館でありました。
願い事が叶うわき水…ってのがありました。
トルコの遺跡は凄い。そして自然も凄い。トルコと言えば誰でも思い浮かぶ、カッパドキア。あんな不思議な光景はマジはじめて見た。昔々流れた火山流の中から、雨と強い風に削り出された・・・きのこ。
そして今でもゆっくりゆっくりあたらしいきのこが削り出されているのを見て、長い地球の人生のほんの一瞬だけ、存在を許されて、生きさせてもらっているんだなぁ〜と、しみじみ思った。
カッパドキアでは一番楽しみにしていた「気球」は乗れなくて、がっかり。他のバルーン会社の気球はぷかり浮かんでいたのに、私が乗るはずのバルーン会社は安全を期して催行取りやめ。
安全…って言われると、諦めるしか無いよね。(涙)
トルコへ行ってきた。無事帰ってきた。重畳である。・・・と、自分で言ってもしょうが無いけど、留守宅も何も無くてよかった、よかった。トルコはいいとこだった。自然も文化も人も街も、大好きだ。でも食べるものはいまいちだった。
トルコのよいとこそのいち。 とりあえず、遺跡をめぐるのだけど、これが凄い。今から五千年も前の街の跡。さぞや立派であったろうなぁ〜と思わせる柱やなんかがごろごろしてる。無造作に腰をかけたりする。すっかり忘れ去った世界史の教科書がおぼろに浮かんでは消えて、美術館にあった石膏モデル?…なんかもちらちらして、ガイドさんのお話を聞くと、人間って5千年前もあんまり違わないって思って、とってもおもしろかった。
遺跡には野良にゃんこがよく似合う。
いよいよあと少しで出発。あれを入れてもこれを詰めても、なんか忘れ物がありそうで、無いとめっちゃ困りそうなモノを忘れてそうで、落ち着かない。留守番担当にも言っておかなくてはいけないことがありそうで、一番大事なことを言ってないようで、落ち着かない。
外出する際に、ガスを消したか、カギを閉めたか、とても気になる(小さい人間の)私としては、あれもこれもそれもどれも気になりすぎて動悸息切れですでにお疲れ。…で、ふと思う。これって、必要以上に心配なこれって、「更年期障害」? う〜ん、立派に病気であるような気がしてきた。
ま、とりあえず、留守宅も私も無事に元気で旅行が終えられるよう、日頃は神をも恐れぬ不信心者の私だけど、八百万の神様にお願いしている最中です。
飛行機が大好きだったはずなのに、実は飛行機が怖いらしい私。そんな私に一番驚いているのは、本人である私。明日長い間飛行機に乗るに当たって、「もしものことが…」と思うとドキドキする。今時ちょっと旅行に行くだけなのに、こっそりドキドキしている私って、「滑稽」。こっけっこっこっこのチキンちゃん。
でも、心配なものはしかたないじゃないか!…と、逆ギレ気味で一応遺言書いとこうと思って書き出したのが、兄妹でわけるちょびっとのお金について。他に無いかと思って書き足したのが、「兄妹仲良く」「ドラ(息子)は早く結婚するように」「ドラ(娘)は婚約者とずっと仲良く。
でも、親としてはこれ以上のことは何にもないよね。このエンピツの事は家族は知らないので、いつもはブックマーク登録してないけど、留守の間だけ登録して、自動でINできるようにしとこうかと思ったりする、出発前夜。
毎日のご飯作りから解放される旅行は楽しみ。何も16時間も飛行機に乗らなくても、電車で2時間とか、そのくらいの旅行でもいいんだけど。もっと言うなら、私だけおうちに残って二泊三日とか…一番いいんだけど。
そうもいかず、私は今旅の準備にとても忙しい。お洋服は何と何をドンだけ持って行くべきか。向こうは寒いのか暑いのか? 滅多にやらないお化粧だってさすがに持って行かないといけないし、お風呂の道具とか、カメラとか携帯とか、バナナはおやつに含まれるのか?・・・とか。
ドラえもんの道具の「くぐり抜けフープ」とかいうの…。あれって「どこでもドア」みたく抜け出せないけど、忘れ物を取るために世界のどこからだって、手を伸ばせるのではなかったっけ?
適当に荷造りして、足りないモノはずいっと手を伸ばす…便利だね。
私のおとうちゃんが別宅(老人ホーム)に入居して、初めて今日面会に行ってきた。この前あったのは10日ほど前だけど、なんだかずいぶん年を取ったみたいで(…いや、もう十分年を取っているのだが)しなびていた。
なんというか、ゆでてアクが抜けたみたいな…というか、牙を抜かれた老ライオンみたいな…というか、別に10日前はギラギラ吠えていた…というようなことは決してないのだけど。人が年をとって色々出来なくなっていく中で、「あきらめのステージ」を一つ一つ究めていくなら、『あぁ、また一つステージ上がったな』…と感じたわけで。
会話を交わしても、コーヒーを勧めても、うすいうすいカーテンが間にあるような、そんな気がした。少しずつ少しずつこのカーテンが厚くなっていくのかなぁ〜と、私も「あきらめのステージ」を一つ進んだような気になったのだ。
来週旅行に行く。飛行機に16時間も乗ってトルコに行く。16時間…長い。地に足の付いた生き方をしたい私は16時間も宙に浮いてなくてはいけないなんて、ヤだ。それも狭い飛行機の中で。そう余裕がある旅行でもないからもちろん普通の席だし。
海外旅行経験が私に比べてたくさんあるドラ(娘)にとっては16時間くらい「どってことない」らしいが、ずっと座ってる、ずっとじっとしている、ずっとDVDとか見てる…なんて、考えられない。
毎日ガサゴソ動き回っていて、たまにはぼ〜っとしたいと思っている私にはチャンスの16時間である!…と、思えばよいのだけど。なんだか突然「わーーー!」とか叫び出しそうで不安。
つまみ出されたらどうしよう。
昨日はさくらも足踏みする京都のちょっと北で、本当なら満開のはずのさくらのつぼみを見ながらお茶を頂いてきました。朝早くから起きて髪をあげて、着物を着て、寒くて寒くてどうにかなりそうな午前中をやり過ごし、午後はちょっとあったかくなって、生き返りました。
そして今日は昨日脱ぎ散らかした着物をまとって、和裁のお稽古へ行きました。暑くて暑くてどうにかなりそうでした。先月がんばって縫った着物を着ていくと、みんなも寄ってくる、先生も喜ぶ…で、楽しかった。
そしてなにより、昨日の今日の着付けで、大昔習った着付けの感触が戻ってきたような気がしてこっそりうれしかった。時々着物を着たらもう少し早くきれいに着付けることが出来そう♪…と。
着物を着て出歩くことに慣れたい。
さくらぁ〜さくらぁ〜♪…と、ついつい森山直太朗気分で歌ってしまうほどのさくらさくら。でも寒い。春だから〜♪…と薄着で出かけようと思っても、春なのにぃ〜…と、柏原よしえな感じで歌ってしまうほど、寒い。おそるおそるモコモコダウンで出かけて、他にも冬服姿の人を見かけてほっとする、小心者。
この時期、年によって寒い時もあれば暑い時もあって、暑いとさくらも大急ぎで咲いて、大急ぎで散っていく感じだけど、寒いと「もういいかい?ま〜だだよ」とか言いながら少しずつ咲いていく感じ。とっても寒い今年だけど、それでも今日は昨日に比べて「もういいよぉ〜」のかけ声がかかったみたい。
「まだか、まだか」と待ちかねたさくらを、「もう行くのか?」…と、名残惜しく見送る時までは、いっぱい楽しませてもらおうっと。
銀行においてある封筒、あの銀行名が書いてある封筒…は不思議だ。空っぽだとわかっていても、なんだか中身(お金)が入っているような気がする。入っているような気がするので、そのままくちゃくちゃっと捨てられない。必ず中身を確認する。それだけでは足りなくて、捨てる時は必ず破って捨てる。
破りながら「もし中身が入っていたら、お札は丈夫だからなかなか破れないはず…」と考えている私がいる。さっき空なのを確認したのに。なんてせこい…というか用心深い…というよりやっぱりせこい。
ごくたまにその辺を整理すると、デパートやお菓子屋さんの袋に紛れて、あんな銀行やこんな銀行の袋が幾つも出てくる時がある。なんでもため込む性分は袋だって例外なし。
そのたびに中を確認しつつ破りつつひょっとして現金が出てきやしないかとと期待する。
初めてお金を使ったのは何時のことだったかしら。お使いに行った時?かーちゃんと一緒にお買い物に行った時?自分の手からお店の人にお金が渡って、かわりに何か品物が手渡される時、私は何を思ったかしら。
自分で稼いだお金を使った時、どんな風に考えたのかしら。もったいない…とか、やっと買える!…とか、きっとちょっと誇らしかったのに違いないと思うの。自分の手で得たお金を自分の意志で、自分の欲しいモノを買う。素敵なこと。何時だってワクワクするじゃない?
そうやって子どもから大人になって、多かれ少なかれ、そして自由度が多少変動しても、お金はいつもそばにあった。そんなお金を取り上げてしまうんだね。とーちゃんがホームに入居するにあたって、現金は持って行けない。
娘に小遣いを手渡すこともできないんだね。
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