東日本大震災から
R/H



 現役JCに寄付

今日、青年会議所の埼玉ブロック会長と専務に
現役活動資金63万円を手渡した。

我々も現役時代に阪神淡路大震災が発生し
みんな手弁当、自己負担で活動した。
今回は、阪神淡路の比ではない災害。
支援期間も範囲も長く広いだろう。

OB諸兄に声をかけ寄付を集めた。
まだ1週間にも満たないがあっという間に63万円が集まった。
通帳記帳をすると、懐かしい名前が並んでいた。
JCの友情はOBになっても嬉しいものだ。

まだ、連絡が行っていないOBやOB会がある。
まだ集まるだろう。



2011年03月31日(木)



 直接支援隊立ち上げ準備

3月11日、地震発生以来ずっとモヤモヤしていたが、54歳を過ぎた体でもようやく動く決心をした。

阪神淡路のときは、地震発生6日目に寝袋と食料を持って現地入りしたが
あれから16年、地震発生以後20日、

さあ、できることから頑張るか!

かつて、海外支援で行動をともにした仲間、
三聚会、友人などに声をかけ来週水曜日に打ち合わせをする。

避難所に、絵本・児童書などを届ける予定。

2011年03月30日(水)



 パーティー決行!

今日は上尾商工会議所通常総会と永年勤続者表彰式、祝賀パーティーがあった。

先日の正副会頭会議で会等から「総会は行うが、表彰式とパーティーはどうしたら良いか?」と相談を受けた。私は即座に「決行しましょう!」と答えた。

東日本大震災の被害者の支援と表彰パーティーは違う。あまり自粛すると震災不況に陥るので、逆に商工会議所は「過度な自粛はやめよう!」宣言をしようということで一致した。

予定通り行って本当に良かったと思う。
入学式や卒業式を取りやめるところも多いと聞く。
一生に一度の場をどうして取りやめるのか?支援と自粛は切り離さないと本当に震災不況になるぞ!


2011年03月27日(日)



 家族でゴルフへ

土曜日なので、長男と次男と会社の専務と4人で取引先のゴルフ場にお見舞いを兼ね出かけた。地震以降休場していたがこの日から再開と聞いていたからだ。

来場は3組8名。

殆どのコンペは中止か延期。確かに大震災でゴルフではない方も沢山いる。しかし、ゴルフ場も従業員を抱え企業として成り立っている。このままでは倒産するゴルフ場が続出するだろう。

何とかしなければ!

2011年03月19日(土)



 カップラーメンが消える!

スーパーやコンビニではカップラーメンやパン、日持ちのする食料品が消えている。それは何故か?家でTVを見ていて恐怖心を植えつけられてしまっている主婦たちが大挙して買いだめに走っている。開いているスーパーを除くとキャリーカート一杯の食料品買いだめの列。

貴女達の家族は何人ですか?

被災者は食料に困っています。被災者の親戚に持って行きたい人も沢山います。

それでも今困っていない貴女が、困っている人を押しのけ買いだめするのは何故ですか?

昼間働いている一人暮らしの若者が、仕事を終わって買い物に行ってもパンお牛乳もないと困っています。

何故自分だけ余るほど買うのですか?



2011年03月18日(金)



 ガソリンがない!

街からガソリンが消えた。
東北の製油所が津波で流され、千葉のオイルタンクも燃えた。
街のスタンドの多くは閉め、やっているスタンドは長蛇の列。しかし並んでいる殆どが乗用車、これでは営業者やトラックが可哀想だ。

幸い、わが社は法人契約しているスタンドが3箇所。そのうち2箇所は融通してくれるので助かる。法人契約車を優先してくれなければ経済は止まる。日ごろ車に乗らないユーザーは給油を控えるべきだ。

花咲スパも通常営業にしても売り上げは戻らない。お得意様はガソリンが心配で毎日来れないと嘆く。都内や県南部からのお客様の足は遠のく。

2011年03月17日(木)



 停電なし?

世の中、停電で殆どの方々が困っている。しかし我が社は未だ停電がない。しかし突然切れても困るので計画停電予定時間は営業をしていない。

東京電力へいくら電話してもつながらない。弊社は法人契約をしているのでうちの部長が担当者の部署へ電話をしてみると繋がった。確認をしてみると
花咲スパさんは重要な送電線と同じラインなので停電はしないと言われたそうだ。それでも節電に協力して欲しいといわれたので大看板他目立つものは消し、室内も消せるところは消し、節電通常営業を開始した。

この日は夜、隣の地区第3グループが停電だったため夜のレストランは満席であった。

また花咲スパのガスボイラーは、発電機となっているのでもともと節電対策はできていた。導入のときは高価なボイラーなので悩んだが今となっては自家発電ボイラーを入れてよかったと思う。

2011年03月16日(水)



 地震後初都内

地震後5日目、都内で取引があったので出かけた。電車、地下鉄は計画停電の影響でダイヤは乱れ、まともに予定がつかないため車で出かけた。首都高速は開通し、道路はガラガラだった。

次男の住む飯田橋へ、ヘルメット、食料、ラジオつきの懐中電気を持っていった。

この日の本社の計画停電は3時から6時、花咲スパは10時から2時と7時からの営業と2部制となった。この日も売り上げは20万円台。これは大変だ。

前日、停電を無視していた温浴施設は突然電気が切れ、お客様に大ヒンシュクをかったそうだ。

2011年03月15日(火)



 計画停電

月曜日の朝、まだ余震が頻発している。TVでは福島原発が被災し電力が足りないので計画停電を行うと発表した。本部と花咲スパ、自宅とも第4Gだそうだ。今日は夜7時から停電予定。幹部と相談して花咲スパの営業を6時で止める。

すぐ隣の第3Gの停電は予定通りあったが、当社は消えなかった。営業をすればよかった。この日の売り上げ20万円。通常この時期の平日の売り上げは100万円を越える。これは痛い!!

この日、どうしても軽井沢で取引があり午前中日帰りをした。長野新幹線は通常運転。都内と東北方面への電車は不通で大宮駅はごった返していた。

街では、ガソリンと即席めん、電池などが消えていた。

2011年03月14日(月)



 昨夜、次男がバイクで戻る。

次男が飯田橋のアパートで一人暮らしをしている。15階にいて余震が怖いとバイクで持ってきた。首都高が使えれば45分ほどで帰ってこれる道を2時間近くかかって戻ってきた。特に停電している交差点が危なかったようだ。

東京でも震度5弱、15階ではTVやPCは床に落ち、冷蔵庫も開き動いていたとか。エレベーターは緊急運転ということでゆっくり動いていたそうだ。

長男夫婦と孫も、宮原の13階に住んでいて避難してきた。そこはエレベーターが動かないそうだ。

2011年03月13日(日)



 ゴルフ場視察

昨日の大地震は、想像をはるかに超えた被害のようだ。我が家の地域は停電も何もなく夕飯を食べられたが、TVで見る映像は津波で街や畑、人や車が飲み込まれる映像が繰り返し流される。
都内では、高速道路も電車も地下鉄も止まり帰宅難民であふれていた。我が社はどこも大きな被害はなく、緊急停止したエレベータとボイラーは深夜までに点検が終わり復旧した。

土曜日、ゴルフへ行く予定だった。
朝、メンバーにメールで確認をとると特に支障が無いというので、取引先でもあるのでゴルフ場へ向かった。営業はしていたが殆どキャンセル等ことで4組だけだった。道路と電車が動いていないらしい。

弊社、花咲スパは通常営業ができたので営業したが、来客は通常の半分以下であった。余震もかなりあった。

被害状況はかなり酷くなりそうだ・・・。

2011年03月12日(土)



 地震発生!!

昨日の朝、ホーチミンから帰国。
帰国後すぐ、会社の事務所の引越しのため出社して引越しの準備。
この日は、朝は商工会議所の常議員会をこなし昼食後会社に戻った。
事務所スタッフは全員で引越しの準備片付け中。

3時少し前、いきなりグラッと大きく揺れだした。
そしてすぐガタガタと棚やロッカーが揺れだし、皆で抑えた。
しかし、更に大きな揺れになったので、「全員机の下に隠れろ!」と号令をかけた。

しばらく揺れた。
かなり長かったような気がした。
こんな揺れは生まれて初めてだった。(震度5弱)

揺れが収まり全員を確認すると無事。
すぐに近くにある木造の古い家屋を改装した「カフェ山本屋又右衛門」へ行った。
特に問題はなかった。

その後、車に乗り花咲スパへとんで行った。
途中、信号機はついてなく事故を起こしている車もあった。

お客様はロビーに集まり怯えていた。
特に怪我をしたお客様はいなかったのが幸いだった。

TVをつけると、東北地方で大津波
家や車が流されて行く様子が生々しく放送されている。
信じられない光景が延々と続く。

都内では、列車がすべて止まり帰宅難民が続出。
次男は、無事に歩いて飯田橋のアパートへ帰れたようだ。


2011年03月11日(金)
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