世界を作って守るということ。 - 2018年03月31日(土) 以前からここの日記で書いているかもしれない。 家が欲しい。と言うか、安定して住む場所が欲しい。 正直、独身だったり夫婦二人暮らしとかであれば、 住む家なんてどうでもよくて、若くて働けるうちは ずっと賃貸だって構わないと思っている。 しかし、子供の将来を考えると、持ち家が欲しい。 もっと言えば子供が小学校入学から大学卒業するまで その間はせめてずっと同じ街で過ごさせてあげたい。 個人的には、結婚してから色んな街を移り住んだが、 やはり子供たちには、親の都合で転校させたくない。 そういうわけで、あと約2年、それまでの間で、 しばらく長く住む家が欲しいなと思っている。 ただ、もしかしたら住む家が欲しいというよりは、 「そこに居たい場所」が欲しいのかもしれない。 結局は引っ越しに伴って学校の転校を避けたいという だけなので、持ち家じゃなくていいかもしれない。 たとえ賃貸でも、「この街で生きていきたい」という 思いがあれば良いような気もする。 そしてそれは自分にとっても、妻にとっても、つまり 家族にとっても生活しやすいものであってほしくて。 今住んでいる場所も嫌いではないけれど、不便だ。 東京で働いていることを思うと、東京に住むのが やはり一番生きやすいのかなぁと思う。 通勤の便もそうだが、やはり勤務先と住処が近いと、 それは家族の時間が増やせるため大きな利点だ。 他方で、子供にとっては東京かどうかなんてのは あまり関係は無くて。 それよりも、のびのびと駆け回れたり、色んなものに 触れることができる場所が良い。 自然環境とか教育環境とか、今パッと頭に具体的な ものは浮かばないけれど、そういうのが充実してると 親としては嬉しいなと思う。 妥協点を探るというか、なかなか決めるのも難しい。 それに加えて、これも以前書いたか分からないけれど、 自分の実家についても考えなきゃいけない。 現在、実家には親は住んでおらず、祖父母しかいない。 母と弟は別のところで暮らしている。 祖父母ももう80過ぎなので今後を決めなきゃいけない。 一時期(というか今も検討できていなくて保留中だが) 実家の家を継いで先祖代々の土地を守っていくことも 自分の役目なのではないかと思ったけれども。 現実的に、周りに田んぼと山しか無いような田舎の地で 今まで東京でしか働いたことのない我々夫婦が移り住み、 そこでどうやって子供二人を養っていくことができるか 正直何もビジョンは無いしそれを描ける気もしない。 決して田舎を馬鹿にしているつもりはないけれど、 今まで自分が働くうえで身に付けてきたスキルが多少 あるとしても、実家に帰ってきた後に、あの街で、 それらを活かして仕事をして、子供たちを大学卒業まで 育て上げられる自信は、正直今のところ全く無い。 今に思えば、母親は当時ほぼ専業主婦だったので、 親父一人の稼ぎで、自分と弟を大学まで出したことは 本当に凄いことなんだなと思う。 今の自分が子供たちに対して、自分がそうしてもらったのと 同じように、せめて何不自由なく望む学校へ進ませて あげるためには、現時点ではやはり今の仕事場で、 今の収入で暮らしていくほか無いんじゃないかと思える。 そう考えると、やはり東京かその近辺でないとしんどい。 ただ、そういう選択をすると、実家の家は空き家になり、 祖父が守ってきた土地は売り払われるか誰かの手に渡る。 つまり私の代で、その先祖の土地は途切れ、失われる。 意図をしていなくても、そういう選択をしたことになる。 古い考え方かもしれないが、父がもはや居ない以上、 自分がその地を守らなければ、そこでその地は途絶える。 祖父母にとって、私のその選択は辛いものになると思うと、 どうにもすぐに実行に移すことができない。 臆病者と言われるかもしれないし、理想論かもしれないが、 可能な限り万人が幸せになるような選択は無いか、と 思ってしまって決断できない。 おまけに、現時点で確かでないことを書くべきでないかも しれないが、祖父に認知症の気が出ているらしい。 実は先日祖父は交通事故に遭い、命に別状は無かったが、 腕を骨折し、日常生活に支障をきたすようになった。 そのことで、自動車を運転することが難しくなり、 高齢ということもあり、免許更新はすべきではない、と 周りから言われている。客観的にはもっともなことで。 でも、恐らく本人からすれば、今まで畑仕事などで 自動車が必須だったのにそれが運転できないとなると、 自分の仕事はもう自分一人で出来なくなる。 もしかしたら、自分の生活にも張り合いが無くなる、 そんなふうに祖父は思ってしまうのではないかと、 勝手に想像する。 祖父に会って話した限りだと認知症とは思えないが、 そういう事情も関係してなのか、ボーっとするような 様子が増えたのはたしかに感じたりもした。 結局のところ、自分にとって何か大切か。 自分が下した選択によって、他の誰かを傷つけてしまう。 そのような可能性もあるということなのだと思う。 自分が住むべき場所、自分の世界を作ることは、 それは少なくとも今の自分にとっては、子供たちの そして家族の世界を作ることでもあると思う。 それを作り、守り続ける覚悟はお前にあるのか。 何だかそんなことを問われているように感じる。 *** 2018/03/31 05:15 ... 未来への準備ということ。 - 2018年03月14日(水) 特段変化は無い。仕事も変わらず。 ただ、将来のことを考える。 今はそこそこ充実している。 仕事もある程度好きにやらせてもらい、 残業もほとんど無く。 同僚もあまり干渉してこない。 何とか家族みんなで生活していける だけのお給料も貰えている。 けれど何だろう。 今自分が立っている足元には、あたかも レールが敷かれているようで、実際には 何にも無いんじゃないかと思っている。 一寸先は闇、というか。 安定した業務内容、職場環境が、この先 一体いつまで続いてくれるかというと、 分からない。 新卒で入社した会社にも、そんなことを 思ったことがある。危機感というか。 でも思い返してみれば当時は、そういう 感覚を持っていても、ヨソの世界を 知らなかったから、どれだけ恵まれた 環境に自分が居るか気付かなかった。 あれから数年、何度か転職を重ねてきて、 そしてライフスタイルも変わってきた。 仕事内容、給料、働く環境(人間関係)、 3つのバランスがある程度揃っていれば、 それはホワイトというか、幸せな職場だ。 けれど、たとえば1つや2つ欠けていても、 あるいは3つ全て揃っていたとしても、 自分のモチベーションと志向次第で、 それを幸せと思うかそうでないと思うか 全く変わってくる気がする。 要するに、どれほど安定した職であっても 目標とか将来的な展望というものが無いと 物足りなくなるんだと思った。 実際今がそうだ。 これはこれで、毎日そこそこ早く帰れるし 仕事も嫌じゃないし、お金も貰えるし、 これはこれでいいじゃん、という人生も アリだと思う。 けれど、自分の中のそういう変な危機感が 「もし部署異動で今と違う仕事になったら?」 「もし上司や同僚に嫌な人が現れたら?」 「もしヘマをして今より給料が下がったら?」 「もしこの先給料が上がらないままだったら?」 「もし病気で働けなくなったら?」 「もし会社をクビになったら?」 なんてことが頭に浮かんでどうしようもなく 不安な気持ちにさせられる。 だから、やはり「未来への準備」が何となく 必要なようにも思う。少なくとも自分は。 そういう不安が現実なものにならないように。 あるいは、現実化しても対処できるように。 どうにも対処できそうにない場合には、 回避しても別の人生の選択肢となるように。 そういう準備というか、武器を得て磨くこと。 まあ結局はそんなウダウダ考えているよりも、 実際に今すべきことは、目の前にある仕事に 全力でぶつかって処理することなんだろうな。 はい、精進します・・。不安症なのかもなぁ。 *** 2018/03/15 05:39 ...
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