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立ち食いそば屋さんのこと。 - 2010年03月31日(水)

3月最終日。明日から社会人か。

楽しみあり不安あり。期待半分不安半分とはよく言ったもので。
大学の友達や会社の同期の人の意見を聞いていると、
それこそ、「入社楽しみ」であったり、
「社会に出るのが少し怖い」とかであったり、
「上手くやっていけるか不安だけど頑張りたい」とかだったり。
千差万別でありながら、根本に渦巻く感情は似たものだと思いました。

ふと「自分が大学入学するときはどうだっただろう」と思い返す。
はじめてのひとりぐらし?いや、私は高校卒業してすぐ、
一年間集中して予備校に通うために既に一人暮らしを始めました。
だから一人暮らしに対しての不安なんてものは無く、
むしろ、地元とは遠方の地で大学生活を送ることに対し、
入学前は、それこそ不安と期待に胸を膨らませていたと思いました。
あれからもう、4年。早い。あっという間だったし非常に楽しかった。

就職が決まって、上京。
入社前に思うことには、また、一人でスタートしていく、ということ。

思えば、
その予備校生のときに始めた一人暮らしのときのほうが、
大学入学のときよりも、今の気持ちに似た感じがあるのかな、
なんて思います。

あのときは、とにかく限られた毎日をどう過ごすかに必死でした。
その中で、自分を殺しすぎないよう生活を送る。
はじめての自炊より、はじめて行きつけのご飯やさんを見つけるほうが、
当時の僕には、価値のあることだったと思います。
そしてそれは、今の僕にとっても、そうであるのかな。

あのときのように、お気に入りの立ち食いそば屋さんを見つけました。
良かった。これで少しは、心の安定が保てる。

スタートラインに立ち、とりあえず走り出す。
今は、目標が無いかもしれない。あっても漠然としているかもしれない。
でも、迷ったら帰ってこられる場所がある。
美味しいお蕎麦。いつでもそのスタートラインは、存在している。

がんばります。よし。

***

2010/3/31 21:56


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待つということ。 - 2010年03月30日(火)

今日は多忙でした。

なんて書くと随分充実して毎日を過ごしているように見えますが、
何のことは無い、ただ友達と遊ぶ約束が多かっただけです。

で、今日思ったこと。
「待つこと」について。

小学校、中学、高校と一緒の学校に通った数少ない学友と、
今日久しぶりに会えることを楽しみにしていた私は、
「ここのカレー屋さんに連れて行こう。
 お店がオフィス街にあるから混むだろうし、
 11時30分開店だから11時集合にして。
 開店に間に合うように食事したいな」
なんてことを構想して、前々から友人にその旨を伝えました。

と、そんなこんなで当日の朝、
友人から早めに到着したので○○で待っています、との連絡。
なるほど、よし、今から家を出れば間に合うかな。
そう思った私は、彼にすぐさま連絡。
ところが、電車に乗っているうちに、
時間的にもしかしたら○○まで行くよりも、
やはり当初の集合場所に行ったほうが、11時で集まれるかな、と判断。
そうして、実際、最初の目的どおりの集合場所と時間で、改めて連絡。
彼からは、「了解」の返信。

しかし、私が集合場所に到着したところ、
11時間際になって彼から、
「ごめん、やはり11時30分集合でいいかな」と連絡があり。
もうその時点で「せっかく早めに落ち合おうと思ったのに・・」と思い。
まぁ、それでも仕方ない事情もあるからよしとするとして、待機。

で、結局彼が到着したのは、11時40分ほど。
もう嫌だった。私は幼稚かもしれませんが、もう遊びたくありませんでした。
こんなことを言うと、本当に根性捻じ曲がってんな、と思われそうですが、
人と遊ぶ約束なり会う約束をする、ということは、
それは「自分の時間を割くこと」のみならず、
「相手の時間も割くこと」であることを意味することを意識すべきかと。

もちろん、遅れることは誰にだってあると思いますし、
そういった場合は、「仕方ないな」と思えるだけの理由も必要だと思います。
しかし、その今日遊んだ彼は、遅れて現れても何の謝罪もせず。

結局私も彼と当初のカレー屋さんで食事、それから遊んだりしましたが、
終始、「つまらない」という気持ちが拭えませんでした。
遊んでいる間も、どうも、彼と一緒に行動していて、
「イラッ」と感じることが多くありまして。
別にそれは彼の人間性を否定するわけではありませんが、
恐らく、「合わない」そういうことなのかな、と思いました。
でも「合う・合わない」はここでは問題にするつもりはありません。

結局何が言いたいのか、ただ愚痴を吐き出したいのか、
きっと後者なのでしょうが、とにかく、
「人と会う約束をすること」は、「人の時間を割くこと」であり、
前もって組んでいた予定を崩したりすることには、
それなりの事情や理由が必要だと、改めて今日感じました。
何が言いたいか、っていうと、「待つ」ことは、私には苦痛。
それをクドクドと述べてみました。

まぁ私も人を待たせた経験が無いとは言い切れないので、
こんなカタチでの八つ当たりと戒めを同時にしてみた次第です。

社会人になったら、そういう「時間」の使い方、使わせ方、
ちょっと意識して自分のコントロールと、他人との約束をしてみたい。
そんなことをふと思ったり。

***

2010/3/31 3:19


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新宿歌舞伎町での蕎麦のこと。 - 2010年03月28日(日)

小学校・中学校時代からの友人と食事に行ってきました。
場所は新宿歌舞伎町。別に変な遊びじゃなくて、本当にただの食事。

最近ヘルシーなものと言うかさっぱりしたものが食べたくて、
友人に「そばなんかが食べたい」とリクエストしたらば、
とりあえず新宿で探そうということになり。
で、ぶらぶら歩いてお店を決めて入りました。
結構古くからあるお店らしいのに店内が明るく綺麗でした。

まぁそれはそれとして、
久々に会った友人はすっかり社会人だなぁと思いました。

実は私は、大学受験に失敗して一年間浪人生活を経験しているので、
同級生である彼よりも一年遅く社会に出ることになりました。
それでよく、就職活動時のアドバイスや社会人の生活について、
先輩としての彼に相談に乗ってもらったり色々訊いたりしていまして。
今回も、入社を3日後に控えた私に対して、
「社会人って(新人って)どんなものぞ」と彼は話してくれました。

なるほどなあ・・。
平日5日勤務で帰宅しても寝るのだけ生活や、退勤は終電間際当たり前、か。
他にも、結構詳しくお給料やら残業代やら教えてもらって参考になった。
私はどんな働き方をするんだろうな、なんて。

そういえば、先日父親の一周忌のとき、
伯父(母の兄)から、一冊の本を手渡されました。
「これ、ukにあげるから。読みなさい」
タイトルは「働き方」でした。

なるほど。伯父も心配してくれているのだな。そう感じました。
親父がもう居ない私にとって、伯父のその優しさがしみました。
同時に、「学生」と「社会人」の違いについて、
改めて覚悟しようとも思いました。

「生半可じゃいけない。とにかく愚痴はこぼさない。
 与えられた仕事は何が何でもこなす。キャパシティや限界を考えない。
 辛くてもとにかく頑張れば誰かが必ず見ている。
 そうすれば、自分に対する高い評価の分だけたくさん仕事が回ってくる。
 気が付くとキャパシティや能力も、どんどん広がっていく」

前にも伯父はそんなアドバイスを私にくれました。
ありがとう、全てを糧にして歩んでいきたい、そう思いました。


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2010/3/29 1:20


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生命が途絶えること。 - 2010年03月27日(土)

まだお試し版は使えるんでしょうか。ukです。

さて、先日と言うか今日ですね。親父の一周忌でした。
去年のほんとに今日この日に親父が亡くなってもう一年。
あっという間でした。色んなことがあった。変化も。

親父のことを思い出したり偲んだり悼んだり・・
というのは、ここでは控えますけれど、
この日、実家で飼っている金魚が一匹、天に召されました。
私にはそれが、大変ショックなことで仕方ありませんでした。

実家の母や弟に金魚の飼育を勧めたのは私で、
彼らが金魚に対する愛情は多からずともありはすれど、
それが実際「生命」に対する尊厳かと言うと疑問で。

明らかに病気と思われる状態に陥った一匹の金魚に対し、
既に手遅れなほどになっていることもあって、
自分が適切な処置を行えなかったことが本当に残念で、
そして何より、母や弟にその飼育を任せてしまったことも残念で。
もし自分が監視して、きっちり世話をしていれば、助かったのではないか、
そんなことを思うと、胸が痛んでしょうがありませんでした。

しかし、そういう思いは、もしかしたら、
親父の死に際にも馳せられた経験もあったのかなぁと、
今更ながらに思います。
母や祖父母が、父の思い出話をする際にはいつも、
「自分の無力さ」であったり、
「病気の偶然性(あるいは必然性)」の感情が纏われているのを感じます。

金魚と人間の生命を一緒のカテゴリに入れるのは、
もしかしたら間違っているのかもしれないし、
ましてや、それらの「重さ」なんていうものを、
それこそ天秤にかけるようなつもりもありませんが、
こうして、一つの命が終わる瞬間は、
残された人々に何かしらの心の動きを与える。
そう思います。

生命が途絶えること。それは、常ならぬ世の中において当然のこと。
しかし、それを意識するのは言葉で言うほど容易なものではなくて。
自分以外の存在のそれを見て、自分のそれを確認する。
そういった部分もあるのかな、とそう思ったりもします。

乗り越えていこう。屍を。
何事においても、そういうものに対して、尊厳を持っていられたら。
そうしたら、きっともう少し生きることに真剣になれるかな。


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2010/3/28 3:09


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卒業式のこと。 - 2010年03月25日(木)

ukです。

大学の卒業式に行ってきました。
正式には学位授与式と言うんでしょうか。
式に出席した目的は、卒業証明書などを貰ってくることだったので。
まぁそれはいいとして。ようやく大卒なのかなぁと。
頭はぜんぜん空っぽのままですが。

さて。久々に大学へ行き、学友と会い。
大学1年の頃のクラスメートや、
かつて所属していたサークルの友人たちと写真を撮って。
「もうこれで当分会うこともないのか」なんて思うと妙にしんみり。
ですが、「もう会わないかも」なんて思うからこそ、
「この一瞬を大事にしたい」という思いも沸きあがってきたりしました。

一期一会、という言葉ではないですけど、
本当に一生のうちに会える人数は限られていて、
そして、そのほとんどと会える時間も短い。
そんなことを思うと、嫌いだったり苦手な人とも、
少し、「仲良くしてみようかな」なんて思ってみたくなったり。

刹那、という考え方というか。
人の一生なんてのももしかしたらそういう部分もあるのかな、と。
なかなか実践するのは難しいですけど、
恥じることなく臆することなく、悔いなく生きたいなと思います。切に。

感謝。大学生活も、そしてこれから会う人々にも。


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2010/3/25/22:28


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荷物のこと。 - 2010年03月20日(土)

ukです。

明日からちょっと所用で関西圏に行ってまいります。
荷物を準備しているときに思ったこと。

数日分の着替えの衣類。あと下着とかその他諸々。
用意しようと思ったら結構たくさんで大きなものになってしまいますが、
それほど用意する必要もないのかなぁなんてことも思います。
切り詰めて切り詰めて・・なんて書くとみすぼらしく聞こえますけど、
そうじゃなくて余分なものは極力持っていかない。

つまり必要最低限の荷物。
手持ちのキャパには限界がある以上、そういう考え方は大事かなと。
これ以上は持つことが出来ない。
別の荷物を新たに持つには、手持ちの荷物を手放さねばならない。
みたいな。

もちろん他方で、何が何でも無理してでも必要と思えるものを全て持って、
大きな荷物で出掛ける人も居るでしょうけれど。
でも、私はそう出来ないなぁ。と言うかそれはあまりに疲れる。
結局、持って行っても使わないものも、考えてみれば多いわけで。
そういうのを想定して必要最低限を考える。
「必要」じゃなくて「必要最低限」のハードルや敷居の話。

ただ、その中に遊びも必要かなーとも。
ギリギリまで脂肪分を削ぎ落として筋骨隆々の身体よりも、
少しだけぜい肉があったほうが水の中では泳ぎやすい。
そんな話に似ているなぁと思いました。
荷物も、あまりに無機的だったり殺風景なだけじゃつまらないから。
適度なゆとりというか、遊びだったり余裕だったり。そんなの。

心にも、身のこなしの中にも、
余裕を持って生きたいなぁなんて。



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2010/3/21/12:02


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晴れ舞台のこと。 - 2010年03月14日(日)

ワクワクしたりちょっとした緊張だったり、
心が何か情動に突き動かされたり。
そういうことが、日常のスパイスで必要なのかなと思いました。


***


今日は、従兄の結婚式でした。

私が幼い頃からよく世話をしてくれていた、
そんないい兄貴分のような従兄の結婚式。

とても立派だった。そう思いました。

その従兄は、高校を出てその後専門学校へ行き、
以降、一つの板金塗装会社に勤め10年ほどになる。
仕事を長く続けるというのもそうだけれど、
それ以上に、家庭を持ち、堂々と人生の晴れ舞台を迎え、
それを親類や親しい友人に披露できるというのは、
本当に立派なことだと思いました。

私もいつか、そんなことができるようになるのだろうか。

まずは、稼ぎたい。一人前に生計を立てたい。
そういう思いが強いです。

あと。今日思ったことですが。
ここ数ヶ月くらい吐き気のようなものを催すことがままあって、
ちょっとそれに対して何ともし難いなぁと思っていましたが、
やはりこういったものは、精神的な部分が強く支配しているのかな、と。

お酒を飲むのも最近は遠慮がちになっていたけれど、
こうして今日、感動的な結婚式や披露宴、そういった場に招かれ、
実際に祝福の杯としてお酒を飲んだりすることは、
ほとんど苦しいものではなかった。

本来そういうものだと思います。
でも、一度何かのトラウマ的な経験をして以来、
「お酒を飲むのは良くない」
って心に刻まれてしまっていた。
今日は、忘れていたそういう大事なツールとしての役割や、
実際に自分がそれを用いることに障害はさほど無いことに、
気付かされました。よかった。

それが、日常のスパイス。
平和ボケしている毎日や自分の精神に、たまに活を入れること。


***


そして普段穏やかな親類のおじさんと、
今日はテーブルを並べて飲んでいましたが、
そのおじさんは、祝いの場ということで珍しく酔いが回って出来上がり、
普段思っているのだろうけど私に言えないことを話してくれました。

たとえば、仕事のこと。
私が春から就職することに対して、幾つかアドバイスを頂いたり。

とにかく。めでたい日。
楽しくお酒を飲む。それが一番だと思いました。
堅苦しく考えず、変にトラウマにもしない。

とにもかくにも。
おめでとうございます。末永くお幸せに。

私も幸せになります。


***



2010/3/15/12:00


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新宿での飲みのこと。 - 2010年03月13日(土)

昨日は大学の友人と新宿で飲んできました。
九州は郷土料理のお店らしく、おつまみに馬刺しや辛子蓮根を頂く。
非常に美味しかったですです。

ここ数カ月、悪心というか吐き気をしばしば感じることが多くて、
飲みの誘いを受けても断ることが多かったり乗り気ではなかったけれど、
今回はとても楽しく、美味しく食事もお酒も飲めました。

量が大事だな、と。適量でいい。
ちなみに飲んだのは生グレープフルーツサワーだけです。
あと、気持ち悪さを感じたらミントタブレットもいいなと思いました。

***

2010/3/13/23:11


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自己紹介のこと。(2017/06/15更新) - 2010年03月12日(金)

自己紹介、更新しました。

***

ukと申します。男、アラサー、既婚、子あり。
地方の大学を出て新卒で入社した中堅くらいの規模の会社を
数年で辞めて、未経験業界を経て、また元々の業界に戻り、
そのあと何やかんやあって結局今も同じ職種続けてます。
今はこの仕事でやっていくと決めましたが、それをもう一度
考える、次の節目は35だと思ってます。もう時間無いな・・。

結婚して子供ができ、その間に仕事で何やかんやあった末に
やっぱり仕事より家庭の方が大切だと思うようになりました。
とはいえ、仕事がつまらないと人生もつまらなくなるので、
自分を含めた家族を幸せにする手段という意味で捉えてます。

以下色々思うところあって認識するようになった価値観です。

<仕事をするうえで大切にしたい価値観>
・現場で力を付けて腕を磨き続けていくこと。
・プロとして誇りを持って働くこと。
・自分を含めた家族の生活を豊かにしていくこと。

あと、子育てに追われたりする出来事はあったりしますが、
基本的には仕事上で感じることメインにしか書かないです。

座右の銘は「塞翁が馬」。結局なるようにしかならない。
出来る限り我慢はしないで、自分の感覚を大事にしながら
楽しいことを探して生きてます。

宜しくお願いします。

***

2017/06/15 04:30


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