VITA HOMOSEXUALIS
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自分としては、人として人を好きになりたい。
そこに性別の違いはない。
だから、男である私が女を好きになることもあれば、男を好きになることもある。
まず気持ちがあってのことだ。
と思うのであるが、ときにはその思いに自信がなくなる。
何となく性欲が高まっていることがあるからだ。無性にオナニーがしたくなる。そのときに考えるのは、かつて私の体の上を通り過ぎたり、写真や映画で見たりした男性であり、私は何も考えず、その男性と体を絡め、キスをし、愛撫をし、ビンビンに硬直したペニスを舐め回したいと思うのである。
そのときも相手が誰でもいいというわけではないので、何かの抑制は働いているのだが、気持ちとして愛しているかどうかは二の次になる。
こういうことでは同性愛が異常でないとわかってもらおうとしても無理かも知れないと思う。
数年間加入していたゲイのSNSを退会した。
このところSNS全般が低調である。一時はたくさんのコミュニティが作られて人と人の交流を促していたmixiも昔日の勢いはない。ゲイのSNSというやつもmixiを真似てコミュニティを作ったり、足跡機能を作ったりしていたが、どれも下火になった。
下火になった理由の一つは、規約で禁止しているにもかかわらず、生のペニスの写真をアップロードする人がいたりして、警察から摘発を受けたからだと言われている。このことの真否は私は知らない。だが、少しボカしただけでほとんど生と変わらない画像や動画はそれこそいろいろなサイトにアップされているものである。
SNSが衰退した最大の理由は、その目的が曖昧だったからだろう。
誰か特定の人との出会いを求めるのが目的ならば、自分の好みの人が見つかった時点でSNSの役割は終るわけである。
相方がいるのにSNSへの書き込みを続ける人はいったい何だということになる。
では、出会いを求めるのではなく、単に投稿を楽しむならば、何を誰に発信したいのかという問題になる。どこにいる誰なのかもわからない「みなさん」に向けて何かを書くことほど虚しく、無駄なことはないだろう。
誰にも彼にも愛想のいい対応をしなければならず、そのうち疲れてくる。
そのように疲れたときに、あらためて自分がSNSでつながっている人々を考えると、悪い人はいないのだが、クセの強い人ばかりであり、個人的に深く付き合いたいと思う人はいなかった。
そういう人でも実際に会えば気兼ねもする。カネも使う。
身勝手ではあるのだが、これからは人の気持ちを考えて一喜一憂したくない。私が何をやり、何を考えたかをレポートする必要もない。コメントを期待して当たり障りのないレポートを書く必要もないだろう。
そう思って退会した。あっという間の出来事であった。
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