僕らが旅に出る理由
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一昨年の末から去年の始め頃ににかけて、不況のせいもあったと思うのですが、派遣の仕事がなかなか見つかりませんでした。最初は横浜で探していたのですが職種が限られてしまうので、東京に範囲を広げて求人を見ていたときに見つけたのが今の仕事です。
私の希望は通訳または翻訳をやらせてくれて、しかも初心者でもOK、業界はできればIT以外で、家事があるので残業は少なめ、時給は都心なら1600円以上というものでした。 この中で一番条件が厳しかったのが残業でした。何らかの専門性のある仕事をさせてくれるのに残業が少なくてもいいという会社はそうはありません。 今の会社はそれを完璧に満たしていて、通勤時間の長ささえ我慢すれば理想のように思いました。それで派遣会社に電話をかけて詳しい内容を聞いた時に、原子力業界ということが分かりました。 その時はなんとなく、そのまま申し込んだのですが、夜、急に心配になりはじめました。
話は少し戻りますが、私はチェルノブイリの事故を多感な?高校時代に経験した世代で、原子力に対する抵抗感というのは人並みにありました。忌野清志郎さんやスネークマンショーの反原発ソングなどを聞いて、普通に共感していました。 ただ、それで原発を受け入れないために積極的に行動したかと言えば、してません。 そのうち原発の存在に慣れてゆき、まあ、事故さえ起こさないならいいか、と思うようになっていきました。ただし、福井の皆さんに足を向けては寝られないな、と思い(関西電力の原子力発電所はほぼ福井県にあるので)、何かの折りに福井の人に会ったりすると、「ああ、いつもお世話になってまして」と挨拶していました(まあ、半分冗談ぽかったですけど、関西地方には福井県を「日本海側のどっかのイナカ」みたいに言う人もいますので、それに対する反抗心もあって。そんなこと言うけど、福井がなくなったら大阪の電気半分くらい消えるぞ、というよく分からない脅しの気分で。)
そのうち地球温暖化が問題になるにつれ、原子力はクリーンエネルギーということで急にもてはやされるようになりましたが、それもどうだかなという気はしていました。 もちろん、CO2を出さないことに間違いはなく、それが温暖化阻止に一役買う事は分かりますが、過去にいろいろな事故や問題もありながら、それを一切忘れたように 「私、キレイなエネルギーなんです♪」 みたいに出て来られても、なんか胡散臭さを拭いきれない、という気持ちがありました。
しかし、私たちの暮らしに電気は欠かせない。 原子力による電力は全体の3割、都市部では5割と聞いています。 原子力に反対するなら、現状の半分停電してもいいという覚悟が必要です。少なくとも、それに替わるエネルギーを具体的に考え、電力会社に対して 「こうすれば原子力に頼らず生きていける」 というくらいの道筋を示せなければ、電気はいるけど原子力はイヤ、というだけのワガママになってしまうと思っていました。 だから、原子力については、とても複雑な気持ちを持ち続けました。 好むと好まざると、今の私たちは原子力を選ばざるを得ない状況だ、というような気持ちでした。そして選ぶ以上は、原子力の悪い所だけをあげつらうような態度でいてはいけないのだろう、と思っていました。
そして話を最初に戻すと、今の仕事に応募した時、ちょっと悩みました。 原子力業界、というのはできれば無視して生きて行きたい場所でした。あんまり難しいことを考えたくなかったのです、他にも考えなければいけないことはいっぱいあるから。親の事や配偶者の事、自分の将来のこととか。 しかし、当時の派遣の状況を考えれば、入れるとこにはどこにでも入りたいという気持ちはありました。結局、主義?に従って申込を引っ込めるというところまでの強い気持ちは、私にはなかったのです。 そういうケースに限って、書類選考から面接までトントン拍子に進みました。 面接の時、私は将来のボスになる人に対して、 「原子力は必要だとは思う。ただ、一般的には抵抗感が強い。この状況をどう思っていますか」 と質問しました。 (一瞬、場が凍りましたが。私のような一般人からすれば、原子力が嫌われているのは仕方のない事実であって、それを認めるも認めないもない、という気持ちだったのですが) 質問相手の彼は、 「まずは原子力に対して、もっと一般の人々が学ぶ機会を作るべきだと思う。原子力を安全に保つのが僕らの仕事で、そのためにどれほどの努力をしているのかを、もっと知ってもらいたいと思っている」 と答えました。 それは私の思ったような答えではなかったのですが、「安全に保つ為に努力している」という内容がどんなものなのか、見てみるのも悪くないかと思いました。何にしても、知らないままで批判するよりは、実際にその世界に飛び込んでみて、自分の体で何かを学び取るほうがいいだろう、せっかくのチャンスでもあるし、と前向きに考えることにしました。 あんな質問をした割に、面接もパスして、私はその職場で働き始めることになりました。
技術畑に配属され、1年あまり技術面から原子力発電というものを見てつくづく感じるのは、原子力とは高度に人工的な発電方法であるということです。 だから、本能的に理解するということが難しい。人間が根っこの部分に持っている、とても根源的で原始的な部分に、まったく連絡しないのです。 化石燃料であれば、燃やせば火がおきて、それが熱になる、というのが目に見えるし、メカニズムが単純です。 でも原子力はそうではない。核が分裂する瞬間に生まれる熱エネルギーを利用しています。それは目に見えるようなものではなく、手をかざして暖まれるようなものではない。 最初に世界に現れたのが兵器という形だったというのも、悪いイメージをもたれてしまう原因の一つでしょう。
ただ一方で、核分裂の時のエネルギーを使って発電できる、ということを理解した人は、誰しもが興奮しただろうという想像もできます。 軽い言い方をしてしまえば、ナイスアイデアなのです。 そんなところから熱が取れることを発見してしまったら、やっぱりそれを使いたいと言わずにいられないだろうと思います。そういう人達から見れば、誰も彼も宝の山があるのに見過ごして生きてる、っていう風に見えるだろうからです。 確かに放射能は出る。しかし、安全に封じ込めることができれば、人間の手で管理・運営をすることは可能だ。それさえできれば、こんなに画期的な発電方法はない。 技術者の人達は、きっとそう思っただろうと思います。 そうやって、長い年月をかけて、原子力を平和目的に使おうとする人は、それを安全に運用する為の研究をずっと続けてきたんだ、というのが、発電所や燃料の仕組みを教えてもらうと分かります。その点は、私のボスが面接で言った通りでした。 原子力発電所の建物は、中から外迄完全に理解するのは無理なんじゃないかというくらい複雑です。今回は、事故の想定が甘かったと電力会社も認めているし、そういうことになっていますが、発電所の構造は、それでも多岐にわたる事故を想定していろんな工夫がなされています。私たちの与り知らない所で、それは地道に、ひとつひとつ積み重ねられてきたのだろうと思います。 私には、そういった試みが全て、核と人間との闘争であるというふうに見えます。 核が次々とつきつけてくる課題を、人間の知力で克服してゆく、その繰り返し。 核の持つ良い部分だけを引出し、悪い部分をどう閉じ込めるのか。 そこにある種のロマンを感じて、夢中で研究する人がいてもおかしくないな、というのは理解できます。今この時期に何がロマンか、というお叱りは当然あると思うのですが。
そういう私は、それで原子力ファンになったかと言うと、そうでもなく、それに魅力を感じて研究する人の気持ちは分かるようになったけど、やっぱり割り切れない気持ちはそのまま残っています。ただ、今回の事故を受けて、それで原子力のげの字も言わなかった人が、急に評論家みたいになっているのを見るのも(それは賛成であれ反対であれ)、あまり気持ちのいいものではないと思っています。 私も、今回の事故はとても心配です。でもそれは、これまで原子力に対してどちらかといえば拒否感を持ちながら、特に行動も起こさず、さしあたって電気が途切れなく供給される事だけを望んでいたいつかの自分に対して、しっぺ返しをくっているような気がするからです。福島のニュースを見る度に、事態が悪化するのを知る度に、自分自身の軽薄さが暴露されていく気がしていたたまれません。
数十年後には福島第一は、すっかり消えてなくなっていると思います。 嫌な記憶が目の前から消えて、私たちが選択するものは何なのか。 原子力以外の、より効率的で弊害の少ない、代替エネルギーが現れてくれればそれに越したことはないです。 でも、私自身は、やはり原子力ではないかという気がしてしまいます。 私は、やっぱりダメです。めんどくさいのです、そういうこと全体を考えるのが。 ただ、自分として少しでも進化するためには、今のこの状況をよく見ておくべきだと思っています。 あの場所で展開されている事に、抜き差し難く自分も繋がっているという事を。 そしていつか、私の町に原発が来る事態に立ち至った時に、どう対応すべきなのかを。
今も日本のどこかにいるかも知れないルドルフを、孤立させることだけはしたくないと思います。大半の人々が、たとえ彼のようでなかったとしても。
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