僕らが旅に出る理由
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2010年12月30日(木) 星に祈りを

◆続・10年以上前に書きましたシリーズ◆

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大学生の頃、新幹線の車内販売のアルバイトをしたことがある。
当時はチーム制で、チーフと社員のペアの下にアルバイトが1〜2人、合計3〜4人で乗車していた。今でもそうだと思う。ただ私がアルバイトしていた当時は、車内販売員のことをパーサーと呼んでなんちゃってスチュワーデスのようなおしゃれな格好をさせる風潮はまだなかった。
だっさい水色のエプロンをつけて、その下は「白っぽいシャツ」と「黒っぽいスカート」なら何でもよくて、みんなエプロンのポケットをお釣り用の小銭入れにして、じゃらじゃら言わせながらワゴンを押していた。

初アルバイトの日、私と一緒になったのは高卒で社員として働いていたA子だった。
ぽっちゃりして色黒で、未成年でタバコをプカプカすうような女の子だったが、動作は機敏で無駄がなかった。A子は私に、
「あんた最初に本川さんなんてついてへんな」
と言った。
本川さんとは、A子のチーフをしている女性社員のことである。小柄で痩せていて、年齢は40代くらいだろうか。くりっとした小さな目と、細かく生えた茶色の髪を短く刈り込んでいる様子はサルの子供を思わせた。
「なんでついてないの」
「チーフさんの中でも最悪や。めちゃめちゃ働かされるで。休み無しや」
A子はエプロンのポケットに手を突っ込んで、しきりにぼやいた。
本川さんがやってきた。化粧っけのない顔は何歳にも見える。特に愛想よくもなかった。私がお辞儀をすると、無表情で頷いた。
私たちはこだまに乗り込んだ。
確かに休憩もほとんどなく働かされた。ワゴンを押しながら全車両を往復し続けた。
何往復目かに、途中のデッキでズル休みをしているA子を見つけた。A子は悪びれる風もなく、
「あんた最初から飛ばしすぎたらあかんで。こういうのは適当に流しとかんと」
と逆に年上の私に説教するのだった。

私はそれからもしばしば本川さんのチームに入った。妙にA子と気が合ったからでもあるし、本川さんも嫌いではなかった。
A子は不思議がった。
「あんた変わっとるな。うちのチーフさんとなんか誰も乗りたがらへんねんで」
「そうかな。本川さんて結構いい人だと思うけど」
「ええ人かいなあんなん。仕事のムシやんか。あの年で独身なんてワビしいわ。ああはなりとうないな、絶対」
「本川さん独身なんだ」
「決まっとるやんか、ダンナがおったらこんなとこおるかいな。もう働いて金貯めるくらいしか楽しみないねんで。ツボか何かに小銭貯めて夜中に数えとるんちゃうか」
A子は本川さんのことになると悪口のタネが尽きなかったが、それでも本川さんをよくサポートしていた。重い荷物を運ぼうとしているのに気付いて助けに行ったりするのはボンヤリしている私よりずっと早かった。

ある時、私は更衣室で財布を盗まれた。
仕事と環境に慣れて、油断し始めた頃だった。
その時乗り合わせたチームの女の子たちが心配して一緒に探してくれたが見つからなかった。私はすっかりうろたえてしまった。
そこへ本川さんがやってきた。その日は私は本川さんのチームではなかったのだが、私の様子が変なのに気付いて本川さんのほうから話しかけてきたので、事の顛末を話した。
本川さんはタバコに灯を点けながらふんふんと聞いて、
「うちの社員の子らが盗むとも思われへんけどなぁ。更衣室ということは、内部のもんでしかないわな。ま、災難やったな」
と淡々と言った。私はちょっと拍子抜けして、それまでのショックが軽く薄れたほどだった。
「ところで、帰りの電車代くらいはあるん」
「イエ、まったく」
と私が答えると、
「そう。ほんならこれとりあえず」
本川さんは財布から五千円を取り出して私にくれた。
私は建前にも辞退することなく飛びついてしまった。
「あの、ありがとうございます」
もっとうまいお礼の言葉が言いたかったが、見つからなかった。
「うん」
本川さんはいつ返せとも言わず、更衣室の奥へ消えて行った。
私は次のアルバイトが入った時に、本川さんのチームを選んで乗り、五千円を返した。その時も本川さんは「ああ、うん」と言っただけだった。

ある日、いつ知り合ったものか、車掌の一人と恋に落ちたA子が仕事を辞めると言い出した。
本川さんはその日は敢えてA子を働かせず、ビュフェで二人で窓の景色を見ながら長い間話し合っていた。
私は、普段休憩所になっているキッチン脇の狭い倉庫の扉を薄く開けてそれを見た。食べていたサンドイッチを終わらせて、すぐにワゴンを押して客車へ行った。
最終車両から折り返してビュフェに戻る途中、おみやげを売り歩くA子に会った。
「やめるの」
「ううん。もう少しやってみることにしたわ。まあ、しゃあないな」
A子は照れ隠しに笑った。

東京に着いたら夜だった。品川の宿舎に向かいながら、A子が聞いた。
「チーフさんて大阪〜東京合計何往復くらいしたはるんですか」
「星の数ほどでしょう」
私は思わず言った。とたんに反省した。嫌味に取られやしないかと思ったのだ。前を歩いていた本川さんは振り返りもせず、
「それ以上ちゃうかな」
と答えた。まるで、なんでもないことのように。

宿舎は品川駅から少し離れた場所にあった。
疲れと、ほかに話題もないことから、私たちはしばらく黙々と歩いた。
本川さんの言葉を反芻しながら、私は夜空を仰いだ。地上が明るすぎて、星は見えなかった。


2010年12月24日(金) みんな淋しい

◆これは10年以上前に書いて、知人に配った小冊子に収めたエッセイ?雑文?を転載したものです。話題が古いのはそのせいです。今の私ならこれと同じ反応はしないでしょう^^; 私にもいろんな季節がありました◆

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新幹線の3つ並んだ席の、一番窓側だった。
早朝のことでそれほど混んでいない。私は真ん中の席にバッグをおいた。
しばらくすると、その真ん中の席を予約したらしい男性がやってきた。私はバッグをどけようとした。
「ああ、いいですよそのままで。混んでいないから私は通路側に座りましょう」
男性はそう言った。親切な申し出だと思って、私はにっこりした。私は不用意ににっこりしすぎる癖がある。結局通路側を予約した女性がやってきて、私たちは隣り合わせることになった。
男性は中背で太り気味、紺のスーツ姿、胸に何かのバッジを付けている。年は40代〜50代くらいか。髪は七三分けで眼鏡をかけている。「いかにもサラリーマン」だ。渋谷の交差点にいたら一日に50人くらい会いそうだ。
男性はいろいろと話しかけてきた。単に話し好きな人かと思ったら、やがて話題が逸れていった。
「45ちゃんはさぁ、カレシいるの?」
「はぁ」
「若い人はヤリ放題だろうねぇ。いひひ。俺なんかもう銀座行ったりしてもだめでねぇ。全然モテないの。金だけ持ってかれちゃうんだよなぁ」
男性はそういって卑猥な笑い方をした。
おっさん、ここは夜の店じゃないぞ。
と私は思ったが、別に腹は立たなかった。失礼な人だが、所詮私には関係ない人だ。
男性は私の聞いていたカセットテープを断りもなく取り上げ、インデックスを読んだ。
「若い人はさぁ、SPEEDとか聞かないの。安室奈美恵とか」
「さぁ。子供っぽいんじゃないですか」
「あ、やっぱり!?俺、昨日テレビで見たんだよ。そういうの聞くのって中学生くらいまでで、若い人はもう相手にしないんだってね。いや俺なんかSPEEDでもついてくの大変だってのに。そうか、やっぱりあれって、ほんとだったんだ。なるほどねぇ」
その番組なら私も偶然見た。NHKのドラマだ。つまらなかったが。
「45ちゃんはさぁ、これまでオトコ経験はどのくらいあるの」
「大してないですけど」
「またまた。結構遊んでんじゃないの」
「さあ、遊んだんだか、遊ばれたんだか」
適当にかわすつもりで言った言葉だったが、男性は食いついてきた。
「そうかぁ。遊んだか遊ばれたか。深いねぇ。いや、意外な言葉だったよ、遊んだか遊ばれたか、ねぇ」
その話を聞かせてくれとしつこいので、私はまた適当に話を作った。男性は拍子抜けするくらい素直に聞いていた。ただ淫猥に笑うだけでなく、時には至極まじめ顔でうなずいたりもした。
「いや、45ちゃんほどできた人はいないね。男にとっちゃ理想だよ」
私はばかばかしいと思った。勝手に空想を膨らませている。
「じゃあ45ちゃんは間に合ってるわけだ」
「そうですね」
「じゃあさ、誰か友達ででも・・・セックスフレンドとか探してる人、いないかな」
「ないですね。テレクラとか行けばいいじゃないですか」
「うん考えたんだけどさ、あれって相手が誰か分からないじゃない。そこまでリスク負いたくないっていうか」
「会社にも女性がいるでしょう」
「でもこじれちゃったらさ、全社員にEメール送りつけてバラしちゃうなんて話聞くじゃない。ちょっとコワいよ」
「じゃあ奥さんしかないですね」
「だめだね。見込み無しだよ。俺たちの世代ってのは、紹介されて会って、そのまま結婚って感じだったからさ。今みたいに自由じゃないよ。女房だって俺以外に男知らないし、そういうのの楽しみって全く分からないのよ。だからあいつも可哀想なんだけどさ」

しばらく沈黙があった。

ふと、男性が思い出したように言葉を繋いだ。
「でもテレクラってさ、流行ってるよね。結構ティッシュもらうもんね。俺には信じられないなぁ、相手が分かんないまま会う約束するなんてさ」
「そうですね」
「結局みんな、淋しいんだろうね」
みんな淋しい、か、と私は声に出さず口の中で繰り返した。

みんな淋しい。

ありふれたまとめ方だ。
ニュースキャスターがCMの前になるときまって言う、
「いったいこの国の政治は、どうなってしまうんでしょうか」
みたいなのと同じだ。

名古屋が近づいた。
「ほんとにもう会えないの。なんだか信じられない気がするよ」
男性は私の太腿に手を忍ばせてきたが、それを振り払って「さようなら」と言った。
男性が席を離れてから、しばらく窓の向こうを眺めた。
彼はホームに出たが最後、車内を覗き見るようなことはしなかった。
振り返らず歩いていった。
もう私の顔も思い出せないだろう。

やがて同じようなサラリーマンの波に消えた。

(終)


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