僕らが旅に出る理由
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プルシェンコ負けてしまった〜〜〜〜
全盛期のプルシェンコなら、絶対勝てていたのになぁ。 全盛期じゃなくても、4回転を飛ばなかったライサチェクが暫定1位になった時点で、「4回転飛ばないやつに金はやらない」という意地だけで、1位になってくれればと祈ったけど、ダメだった。くすん。
これが現実だろうな。ライサチェクの滑り見たけど、まぁあそこまですべてをソツなくやられてしまったら、点をあげない訳にいかないよね。あれにくらべたらプルシェンコの滑りは重かったもん。
4回転を跳ぶ事がすべてじゃない。 それは確かにそうだ。 ただ、それを言っていいのは4回転をちゃんと跳べる人だけだよ。 跳べない人間が言っても、それはただの「すっぱいブドウ」にすぎないじゃないか。
だけどま〜、ライサチェクっていい人ぽいもんね。 きっと人格者で、人間的にもバランス取れた、いい子ちゃんなんだろうなぁ。 ま、いいけど。 私は性格イビツな人のほうが好きなんだからさ。
昨日はプルシェンコかわいそで、あのサラサラの金髪を撫でながら一晩中でも抱いててあげたいと思ってしまった。そんなことで何も解決しないんだけどさ、でもさ。
そこに問題があるかどうかもはっきりしないような状態のときに限って、論争は過激になる。 空虚な論争なのに、または空虚であるがゆえに、ブクブク増幅する。
歴史の中で起こってきた致命的な事件のいくつかは、そういう、問題があるかどうかも分からないところに「ある」と決め付けた時に発生したのかも知れないな、と考えたりする。盧溝橋事件とかさ。
最近本を出したり、ドラマ化されたりして有名になった某ホステスさんの妊娠のニュースがあった。 その記事によると、現在も店には出ているがアルコールは口にせず、 「客のタバコにも神経質になっているという」 とのこと。
それについて、 「わざわざ銀座で高い金を払って飲んでいるのに、タバコを気にしなければならないなんて」 「客に気を遣わせるな」 みたいな批判コメントが多くついたようで、知り合いのブロガーさんがそれに対して 「金を払ってるんだから何してもいいなんて、いかにも安い客の態度だ」 みたいなことを書いた。
すると、彼のブログはものの見事に炎上した。 そのうち、議論はニュースの内容を離れ、最後はただの中傷みたいなものまで混じるようになった。
そのニュース自体には、私は関心がない。 あるのは、それに引き続いて起こったこの騒ぎだ。
「神経質になっているという」 という伝聞形式で書かれただけの、根拠も何もないこの一文に、何故そこまで白熱できるのか。 最初は興味がないので流し読みしていたが、数日後、60くらいコメントがついた時点でなんか腹が立ってきて、 「このニュース自体、どこまで信憑性があると思ってるのか」 というような書き込みをしたら、それ以後、誰も書き込まなくなった。
「記事にだまされた、おどらされた」 という人もいるかも知れないが、それも正当性は半分くらいしかなくて、後の半分は自分がちゃんと読んでないだけのことなのだ。「神経質になってる」と決め付けたのは、記事ではなく、自分のアタマなのである。
そこに議論するだけの、あるいは戦うだけの意味のあるものがあり、そのために議論し、戦って負けるのならば、まだ仕方ないと言えるのかも知れない。だけど、そうでなく、ただ空虚なもののために戦って負け、傷ついたり命を落とすということがあるなら、こんな無駄な話はないと思う。
アンテナを立てなきゃいけないのだと思う、私たち一人一人が、自分だけのアンテナを。 誰かを無為に傷つけたりしないためには。
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