僕らが旅に出る理由
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三原順が「Die Energie 5.2☆11.8」という作品の中で、 「オレは加害者でいい」 という言葉を登場人物に言わせている。
三原順がそういう人物像を描きたがった気持ちというのはすごく分かって、世の中にはあまりにも被害者があふれている。
理解してくれない夫に悩む妻、理解してくれない妻にうんざりしてる夫。 横暴な上司に苦しめられる部下、わがままな友人に迷惑をかけられてる人、悪意のあるご近所に困っている人。 大国に搾取される弱国、大企業に振り回される零細企業、政府に欺かれる人民。
理解してくれない夫は横暴な上司のせいだといい、横暴な上司はライバルの大企業のせいだといい、企業は政府のせいだといい、政府は政府同士で非難し合う。
では、ほんとの加害者はどこにいるんだろう? そんなに被害者がいて、加害者の数は間に合うんだろうか?
誰か一人くらい、「オレは加害者だ」という人がいなきゃ、釣り合わない、というくらい、この世は矛盾が多いのだと思う。
なぜそんなに被害者の声が多いのか。被害者になれば一つだけ、楽なことがある。 自分を責めなくてもいい、ということだ。 ひどいのは他人であり、世間であって、自分は悪くない。 少なくとも、他人や世間が悪いほどには、自分は悪くないと思える。
ああ、でも。それは言ってはいけない。
私は結局、加害者側の人間になってしまって、そのせいでよけいにそう思うのかもしれないが、加害者として気をつけなければならないのは、決して自己弁護してはいけないということだ。
世の中で被害者と呼ばれる人が現れるたび、わけもなく苛立ち、彼らの弱さや不甲斐なさを責めてみたい気にかられるが、それはあくまで封印しなければならないのだと思う。加害者というだけで十分に悪いのだが、それでも、せめても意地を持ちたいなら。
私も、いい。 加害者で。
2010年01月07日(木) |
good times and bad times |
年末何をしていたかというと主に結婚式をしていたのだけど、実際にやってみて、しみじみ感じることがあった。 さすが人が人生の一大イベントと言うだけのことはあると思ったのは、古い友だちとの連絡が次々復活したこと。 中学時代仲良くしてて今は全く連絡してなかった友達、高校時代仲良くしてて今は全く連絡してなかった友達、大学時代仲良くしてて今は全く連絡してない友達に、それぞれ繋がった。 私は昔から友達を作っては放置、作っては放置みたいになってて、自分でもそれはよくないと思ってたので、こういう機会に連絡が復活するのは、うれしい。
ただ会ってみると、さすがに連絡が切れただけのことはあるというか、もう価値観がかなりずれてしまってる感じで、それが旧知の仲であるという心地よさと相殺しあって、終わってみると楽しかったんだか何なんだか、という印象しか残らないことが多かった。結局、こういう機会に復活はしてみても、持続はしない気がする。友達の中には当時のクラスメイトとこまめに連絡を取っている感心な子もいたけど、私がそうでないのは、不精という他に私自身が変わり続けてるせいなのかも知れない。
私は昔から結婚式に憧れがなく、いつでも、それよりその後の生活のほうが重要だと思っていた。もちろんウェディングドレスの試着とかすると瞬間的に血圧は上がるが、それがレンタル代ウン十万とか聞くと、いやもういいですわ、と一気に冷める。 人が結婚式に盛り上がるのは全然いいんだけど。なんか、私にはしっくりこない。これという実体のハッキリしないものに何百万もつぎ込むなんて無理だ。それなら職業訓練の学費に当てたほうがずっと意味があると思う。
ただ、私たちの為に親戚や友達が、万障繰り合わせ、礼服に身を包んで、式や披露宴に出てくれたのは有り難かった。私なんかが、そんなことしてもらえる値打ちがあっていいのかなと思うけど、結婚式は、そういう値打ちが自分にあると、思っていい日なのだろう。
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