僕らが旅に出る理由
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2009年11月08日(日) 原風景

私の生まれた田舎は小さな城下町で、その昔、能好きの城主がいたとかで、田舎にしては立派な能楽堂がある。
今でも春と秋、それと元旦の深夜に能が催される。

昔は、能をやっても観客もまばらで、私のような小学生が自転車でキコキコ出かけて、神社のそばの岩場に腰掛けて、意味も分からずぼうっと見ていても、何も言われない雰囲気があった。
最近は、もうそんなことはないらしい。入場料も結構するし、演者も高名な人を呼んで、盛大に催されているそうだ。まぁ、演じる方からしても、何も分かっていない小学生よりは、遠来の通のお客さんに見てもらうほうが、やりがいもあるだろう。

小さい頃、大晦日は家族で紅白歌合戦を見て、それが終わり、「ゆく年くる年」が始まる頃に、うちの父は出かけていくことが多かった。
近くの神社に初詣に行くのである。深夜だが、元旦能をやっているので、人が出るのである。
父は商売をしていたから、お客さんに会ったら挨拶のひとつでもして、新しい年もご贔屓にしてもらおうという気があったのかも知れない。
子供の私は深く考えず、ただ真夜中に出かけるのが面白かったので、父についていった。神社に着くと、真っ暗な空の下をあかるい篝火がほの白く照らし、凍り付きそうに寒い空気を割るように、笛や鼓の音が聞こえてくる。
神社の参道は結構な人出で、知らない人ばかりだが、父はすぐに知り合いと行き会うらしく、立ち止まって
「明けまして、おめでとうさんです」
云々と始めるので、短い参道を過ぎて境内に入る迄がなかなかだ。
しかし、私はその雰囲気が好きだった。父やその周囲の人が交わす”大人の会話”を聞くのが好きだったのだ。なかには、私を認めて
「45ちゃんけぇ。大きいなったったなぁ。お父さんといっしょで。ええなぁ」
と、声をかけてくれる人もいた。

そういう、大人の世界をかいま見た感じと、能を舞う人のきれいな着物や、篝火や、雅楽の音色などが混じりあい、私の記憶の奥底に沈んでいる。

なので、今でも、日曜の午後に見る番組がないと、なんとなくNHK教育の能狂言を見ている。さほど注意して聞いてはいない。意味も分かっていない。
ただ、何となくほっとする。

もっと年を取ったら、もっと興味をもって見そうな気がする。
それまで、この古典芸能が生きていてくれたらいいなと思う。


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