僕らが旅に出る理由
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2003年12月10日(水) My Only London - レッスン

あなたがロンドンの3年間で学んだことはなんですか、と聞かれれば、いくつか答えは出るだろうが、これは決して外すまいと私が固く思っているのは、コミュニケーションについての認識だ。

この世に人間関係のある限り、コミュニケーションということを怠ってはいけない。
言わなくても分かってくれるだろうということは、日本以外ではありえない。
(実際には、日本でだってあまりないのだが)

一見、当たり前のことのようだけど、それを痛切に感じた体験がある。

それは私がロンドン南西部の、バタシー地区に住んでいたとき。
バタシーはテムズ川をはさんでチェルシーの対岸にあり、キングスロードへも徒歩で行けるような便利な場所にありながら、白人と黒人が混ざって暮らす下町の感じが残り、ロンドン有数の大きな公園もあるという土地柄で、大好きだった。たぶん、ロンドンで暮らした中では一番好きなエリアだった。できればずっと住みたいと思っていたから、トラブルを起こして出なくてはならなくなった時は、とても残念だった。

そこはカウンシルフラットと言って、低所得者が優先的に入れるようになっている建物が何棟も続いている、そのうちの一つだった。日本で言えば高度成長期に建った団地群を思い起こさせ、愉快な外観ではないし、設備もいろいろと古かったが、その分家賃も安かったので特に文句はなかった。
家主をやっているのは私より年下の日本人の女の子だったが、その子ももともとはそのフラットの持ち主から借りていて、自分が住む広い部屋以外の残り2部屋を使ってくれる人を探していた。
家主の女の子はボーイフレンドとそこに住んでいた。
ボーイフレンドはアルバニア人で、バスの運転手だったと思う。中央アジア系の顔で、がっしりした体格だが、物静かな人だった。
もう一人のフラットメイトも日本人の女の子だった。仮にMちゃんとする。Mちゃんとは結構仲良くなって、キッチンでよくお喋りした。
そのうち、Mちゃんが、アルバニア人の彼とはキッチンで会ってもほとんど言葉を交わさないのに気が付いた。最初はたまたまかと思ったんだけど、いつでもそうだった。

Mちゃんは私より長くそこに住んでいて、当初住人は女の子だけだったらしい。男の子は入れない、と聞いていたのに、ある日家主の子が急に彼をつれてきて一緒に住み始めた。それが、Mちゃんには気に食わなかったらしい。
そういう複雑な事情があるとは私は露知らず、ついうっかり、「あ、このアルバニア人の人とは、別に仲良くならなくていいんだ」みたいに受け取ってしまった。
正直、喋ってもあんまり面白くなかったから、喋らなくていいんなら気が楽だわと思った。それ以後、私も彼とフラット内で会ってもあまり世間話をしなくなった。彼のほうも、それで特に、自分から話そうとするわけでもないので、私はもうすっかり、彼としてもそれでOKなのね、と思ってしまった。
彼は時々自室で故郷の家族と喋っているのか、大声で分からない言葉で喋るのがとても耳障りだった。喋り方が荒っぽくてちょっと怖くもあった。そんなことがあると、私はますます彼を避けた。目が合っても、「ハロー」どまり。
そんな状態が、ずっと続いた。

人と関係を結んで、それを維持する作業というのは、実はちょっとめんどくさい。
多少省略しても大勢に影響がないなら、ぜひそうしたい。
問題は、どこまで省略するかだ。
当時の私は、自分は人とのコミュニケーションが上手いと思いこんで、自分をちょっと過信していた。つまり、ナメてたのだ。

半年も過ぎたころ、私の部屋でラジオを聴きながら友達とお喋りしていて、彼から注意された。ドアが開いていて、自分の部屋までラジオの音が聞こえるというのだ。彼は不機嫌で、それだけボソボソ言ったかと思うと、"Fxxx"と捨て台詞を残して出て行った。
深夜だったから確かに非常識だったんだけど、私はそれを言われると、あんたの電話の声もじゅうぶんうるさいんですけど、と思わずにいられなかった。
それが最初の前触れで、爆発はそのしばらく後に起こった。

私がなんとなく居心地悪いものを感じて、引越しを決めた後、私の部屋には入居希望の日本人が数人見学に来た。(家主の子が日本人しか取りたがらなかったのだ)
その日は家主の子が不在で、彼が代わりに部屋の案内をしていた。すると見学の子が、私に日本語で部屋について質問した。日本人同士だから、日本語のほうが通じやすい。結局、いろいろ喋ったが、私は早く決まってほしかったから、いい点を特に強調して話した。悪いことは、とくに言わなかった。(まぁ、別になかったし)

だけどその子が帰った後、彼がすごい剣幕で私の部屋に怒鳴り込んできた。
あそこまで怒っている彼を見るのは初めてだった。
一瞬、恐怖を感じるほどだった。
今の日本人に何を言った、と叫ぶように聞かれた。
それで私はすべて理解した。
そうか、彼は、私達が日本語で話していたから、私が何か告げ口めいたことを言ったと勘違いしたのだ、と。特に、家主と住んでいるアルバニア人について。

私は部屋の説明をしただけで、それ以外のことは言っていないと答えたが、彼は完全に頭にきていて、まったく聞く耳を持たなかった。fxxxとか、bxxxx とかのswear wordをやたらと吐いた。そして、攻撃は私自身のこれまでの態度に及んだ。前から気に入らなかったんだ、お高くとまりやがって、みたいなことを、彼は大声でわめきたてた。私が返す言葉がなくなって、自分が一方的に言うだけになっても、えんえんと喋り続けた。

彼はそれから部屋に引っ込んだが、怒りが収まったわけではないらしかった。
夜になって、また再燃した。
もう、言う事はただ、同じことの繰り返しだった。
そして怒鳴り声。
理性的な話し合いなんかできない。
夜にはたまたま友達Sが遊びに来ていて、彼が怒鳴りながらちょっと私を小突いたのを見たものだから、危険を感じて男友達(←ケンカ上等/笑)に手助けしてほしいと携帯で連絡してくれたのだが、それが彼をよけいに逆上させることになってしまった。
本気で怖くなって来たので、Sと私はその男友達が到着するのを待たず、とにかく外へ出た。もう、部屋にも戻れそうにないので、その夜はSのフラットに泊めてもらうことにした。

私は歩きながら、震えが止まらなかった。
上の歯と下の歯がうまく合わさらない。
Sは事情をよく知らなかったので、なんて野蛮な男なの、と文句を言いつつ、私を心配してくれた。
だが、私はただ怯えていただけではなかった。
自分自身に対しても、気が動転していた。
まさかこんなことになるなんて、と。

翌日フラットに戻り、事情を聞いていた家主の女の子は謝ってくれたけど、ほんとに謝らないといけないのは私のほうだったかも知れない。
私は予定を早めて引っ越した。
引越しの日、彼は自分の部屋から一切出てこなかった。

いたたまれなかった。
私には彼の気持ちがよく分かった。(と、思う。)
もともと、自分が来たときから他のフラットメイトにあまり歓迎してもらえず、ちょっと肩身の狭い思いをしていたのではないだろうか。その頃には私もそういう事情を知っていたので、そう思えた。
そこへ新しいフラットメイトが来て、今度は仲良くやれるかと思ったら、同じように無視する。一緒になって自分を馬鹿にする気なのか、と思ったのではないだろうか。日本とアルバニアでは日本のほうがお金持ちで恵まれていそうだし、そんなイメージもあっただろう。
最初はちょっとした違和感だったのが、徐々に増幅されていったのだ、多分。

そこに、会話がなかったから。

ただちょっと、話をすればよかっただけなのだ。たぶん。
夕食を作るときキッチンで、世間話でもなんでもいいから、言葉を交わして、もう少し分かり合えていれば、こんなことにならずに済んだ。
きっと、根は悪い人じゃなかったはずだ。
なのに、ちょっとの努力をめんどくさがったばかりに、不要な衝突を招いてしまった。



私はそれから、意識して周囲の人とコミュニケーションを取るようにしている。
そうやって見てみると、私達はいろんなところで、会話を怠っていると思う。
直前までは平穏だから気づかないが、ある日、いきなり沸点を越える。
だけど、いきなりと思うのは自分の不明であって、実際には深く静かに進行しているものがある。

それは夫婦でも、友達でも、企業同士でも、はたまた国家同士でも。
ものごとすべての基本は、コミュニケーションだと言っても言い過ぎではないと思う。


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