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回顧録 - 2008年01月24日(木)

二年間の教官生活もあと数日でピリオドを打つ時がきた。
所属で救助隊長を降り、
“救助”に別れを告げたはずなのに、別な角度で“救助”を見、勉強することができたことは自分にとってかけがえのない財産だった。
人に教えることがいかに難しいことか、そして教えることの喜びをも感じることができた。

最後の別れに、訓練塔にロープを展張しひとり渡り納め・・・・
20年間の救助に自分自身のけじめとして、想い出として一歩一歩をかみしめて渡った。
たかが20m、されど20m・・・想いは尽きない!
涙をこらえてもこらえても出てくる!
ありがとう!
救助に出会えて、本当によかった・・・・・


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回顧録 (外出禁止) - 2008年01月23日(水)

初任科生は、全寮制を基本とし6ヶ月の教育を受ける。
年齢は18歳から26歳ぐらいであろうか・・・
20歳を過ぎていようとも、寮生活は禁酒である。
また、外出も寮生活に落ち着きが見られてくれば週1回ぐらいは許可される。
もうそろそろ週1で許可しようと思い始めた頃、普段よりグループ化されてきた数人の悪たれ小僧が問題を起こした。
授業が終了時分になると、若い娘2〜3人が学校の周りに見受けられるようになった。
ある時、当直教官が私服に着替え学校より抜け出す3人を見つけた。
即座に非常呼集をかけ点呼が始まった。
脱走を企てた3人はあわてて戻ろうとしたが後の祭り!
知らせを聞いた私は、3人を廊下に座らせ、どこに行こうとしたのかを問いただした。

「どこにも行きません」と1人の学生が言ったとき、すでに私はゴムぞうりを握りしめ叩いていた・・・・
「この野郎!嘘付くにもほどほどにせよ!なぜ、私服に着替えて出ようとしている?この野郎!」
やってしまった!
「しばらく、そうしていろ!」
こんなことがあって、3人の罰は学生全体の罰として外出禁止とした。
この期の学生は卒業まで外出は許可されなかった。

卒業式・・・
この3人は他の誰よりも泣き・・・・私も、ちょっぴりもらい泣き。
最後に学生全員が制帽を高く投げ、苦しくも楽しかった学生生活にピリオドを打ち旅立って行った。
一人の消防人として・・・



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回顧録 (効果測定) - 2008年01月21日(月)

効果測定と聞くと、身震いしてしまうのは私も同じ。
結果が悪いと追試も待っているし・・・
各担当教官も成績が悪いと教え方云々言われるし・・・
試験ばかりじゃないのは判っているんですが、成績順に評価されると・・・ましてや、自分の所属の学生もいるんですから・・・

「ここは重要だから覚えておけよ!」って言ってもできない者、常に満点に近い者・・・・さまざま!

ある日、教官室で
「今年の学生は悪いねー」って教官が言った時、当時私の教官だった副校長が
「昔悪くても現にこうして教官で来ている人もいるんだから・・・」と・・・・。

その時の副校長の目は、確かに私を見て笑っていた。
他の教官も気が付いたんだろうね・・・・



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回顧録 (野外訓練) - 2008年01月20日(日)

6ヶ月の初任科課程の中で4回の野外訓練が計画される。
兄と慕われ可愛い弟たちのために訓練計画を作成するわけだから、当然綿密な計画がたてられる。
そして、訓練自体も思い出深くなるようにと・・・・
第1回目の訓練は、近くの山への挑戦である。
学生にはリュックを準備させ、中には着替えと水筒、少々のお菓子類を許可し持たせる。
これだけでは単なるハイキングで終わってしまう!
これでは想い出は作れない。
消防職員である以上、消防ホースはつきものだ!
大事な商売道具だから、粗末に扱えない!
当然リュックの中に・・・・
すれ違う登山者たちは、こんな山でくたくたになった若者をみて、
「情けない!」って言っているかもしれない。
リュックの中にホースが入っているなんて知る由もない。

担当教官は事前に計画書を作成し、計画書を基に実際に同ルートを調査してこなくてはならない。
ということは、これも学生より教官の方がきつい!
わたしの担当は、富士登山と昼間訓練して夜9時頃から消防学校までの夜間行軍である。これも実際に夜間実施する場合は、危険個所等の把握のためにも実施するわけです。
それも128名が夜間であっても道路を歩き休憩もするわけですので大変です。
計画もほぼできあがり、事前調査のため山梨県にある某山を訪れたときのことである。
天気は快晴。9月ではまだまだ暑い。
途中、所々で“まむしあります”という看板が目に付いた。
一升瓶の焼酎漬けである。
その時は何も感じず通り過ぎた。
今日の調査は山のみであったため、迎えの車両を下山口に回してもらった。
さあ、開始だ!
足場を重点的に調査するため、目は当然下方に向けられる。
10分ぐらい登った頃、立ち止まり何気なく周囲を見回したところ、な、なんと、あの看板にかかれていた“まむし”がとぐろを巻いているではありませんか! 
ヒャー!と悲鳴にも似た声を出してしまった。
“看板に偽りなし”です。
確かに逆三角形をした“まむし”である。
“ヒャー!”と声を発して、その場から2〜3メートル逃げた。 
まさか?
おそるおそる周囲を見回す。
“ヒャー!” ここにも、いるじゃん!
引き返すにも車は下山口に行っちゃってるし・・・・
この山を登るしか方法はない! 
なんたることだ!
走った!一目散に走った!心臓が張り裂けそうなぐらい・・・・
疲れた!精神的にも肉体的にも。 この仮はいつか、お返ししてあげたい!
結局、この山は断念するしかなかった・・・・・



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回顧録 (せめてもの想い出に・・・) - 2008年01月19日(土)

こうして私の担当とする授業も順調に進んだかと思えば・・・・
座学授業中、居眠り者発見!

“俺の授業で眠るとは、不届き千万!
俺の授業の進め方が悪いかもしれないが、ここは一つ犠牲になってもらわなくっちゃ!
すまん!

「こら!○○学生!授業が終わるまで走っていよ!」 

嫌がる学生を無理矢理引っ張って・・・・教室から外へ出した。
授業が終わり、ふとグランドを見ると制服のまま汗を流して走っているではないか・・・・
「よーし、あがれ!」と声をかけ、心の中では“ごめんな!いつか学生の前で誉めてやるでな!”と・・・・
どうしてもポカポカと暖かな日は、眠くなってしまう。
しかし、俺の前では許さん!

次からは、マジックを胸ポケットに潜めての授業が始まった。
眠った奴には、額に×を書いてあげた。
実科訓練では、あくびした者にはヘルメットに“あくびをするな”と人の話を聞いていない者には、“人の話を聞け”と自筆名文句。
卒業前、所属消防長への披露には「教官、消してもいいですか?」との具申。

「だめだ!これがお前らの今までのすべてだ!見てもらえ!」

照れくさそうにかぶって行く後ろ姿・・・・・胸を張れ!お前らの汗と涙がヘルメットに、いっぱい詰まっているじゃないか!消しちゃったら、何もかもが消えちゃうぞ!
せめてもの想い出に・・・・残しておいてくれ!


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回顧録 (点滴打って) - 2008年01月18日(金)

初任科学生128名・・・
寮室120名分しかないというのに、苦肉の策として娯楽室をカーテンで仕切って8名分を作った。
当然、クラスも3クラスに編成・・・・まてよ?
3クラスということは、実科訓練も週3回あるということに・・・
だめ!だめ!
誰のための訓練だかわからないじゃないか!
常に体力づくりとして山に走りに行くのに、教官が3回走って学生は1回!そんな馬鹿な?
・・・・急遽、2クラスに編成
・・・・それでも教官の方が多い!
ちくしょうめ!みていろよ!
くたくたにしてやる!
そんな訳があって実科訓練がスタートした。
この辺一帯はみかん山に囲まれ急勾配の山、山また山・・・である。
午後の時間帯は実科訓練が組まれ、当然私の担当は救助である。
準備体操が終われば先頭に立って、山を散策に・・・当然走ってであることは言うまでもない。
途中、急勾配での一輪車、腕立て伏せ、バディを組んでのおんぶ・・・・昼食をたらふく食べた者は、当然のごとく地に返してあげた。
私の訓練日の昼食は各々調整された。食堂より苦情も出た。
「日によってご飯が残ってしまいます。」
適度な運動では太ってしまうものね!
ある日実科訓練があるというに、39度近い熱が出てしまった。
我慢も限度が来た。
仕方なく午前中に近くの医院に行き、点滴を打っていただいた。
“根性、根性!”と自分に言い聞かせ、学生に無様な姿はみせたくない一心で、ふらふらしつつも一日が終わった。
数日後、一人の学生が「教官、熱があるので実科訓練休ませてください。」って報告してきた。
「何度ある?」と優しく聞くと「37度です。」
プチン!と何かが切れた。
「何が37度だ!」「死にゃあせん!」
訓練開始!



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回顧録 (新米教官イザ!) - 2008年01月12日(土)

教官は座学を2教科と実科訓練を担当するわけですが、座学となればそれなりの知識を要求するし・・・
消防大学校でいくら学んだとはいえ、随分時が経っているし・・・
学生の履歴を見れば・・・なんと、東京消防庁の初任科を途中で辞め、地元消防署に入った者が3人ほどいるではないか!ごまかしはできぬ!担当教科が始まる前に準備して置かなくては・・・・
担当教科1時間目の授業を迎えた。よりによって2時間授業。
授業準備(5分前行動を原則としていて、学生が集合して授業準備ができると、担当教官を呼びにくる)が完了し日直当番が呼びにきた。
「よし!」と、言ったものの内心は、怖い!行きたくない!

教室は、2階・・・・階段を1歩上がるごとに溜息をついて立ち止まって・・・・あゝ、やだ!やだ!
心臓が、口から飛び出てくる!
教室の入り口まで来てしまった。
深呼吸だ!落ち着け!落ち着け!・・・・なんたる惨めさ!
こんな姿学生に見せられない。 ガラガラ・・・・
「規律!、礼!」・・・総代の元気ある声。
そして学生の“規律正しい姿”・・・・
目が覚めた!こいつらに、俺の知っている全部を教えてやる!
真っ白なこいつらに、俺色の色で染めてやる! 
こいつらに怪我させてなるものか! 
殉職させてなるものか!
“私は、救助しか知りません。
救助の神様と言われたいが、せめて救助の仏様に・・・・・
仏様は死んじゃえばなれるか”・・・・と、自己紹介で始まりました。



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回顧録 (教官として着任) - 2008年01月10日(木)

消防学校教官として着任!
教官としての一日目は、借りてきた猫より始末が悪い。
初任科学生が直に入校するというのに勝手がわからず・・・・
ただ机に向かっている始末!
先の教官からは、「申し送りはありません!○○さんの好いたようにやってください。」と一言。
机の引き出しを覗いてみたら・・・・なんと、空っぽ!きれいさっぱり!
好きにやれって言ったって、先の教育内容が判らなければどうしようもありません。
“さあ、こまったぞ!”
仕方なく、先輩教官に「何したらいい?」って聞いちゃいました。
聞かれた教官は唖然としして、「申し送りはありませんでしたか?」って・・・・「あの人のことだからしょうがないよね。」ってどういうこと?
あ〜あ、疲れた。着任早々こんなんでは・・・・
一日が終わり、皆帰り支度・・・・聞けれない! 
今日はもう聞けれない・・・・・
「私は、どうしたらいい?」って・・・・
仕方なく皆に合わせて帰り支度。
そのまま皆に流され玄関から出てしまった。
仕方ない、今日は帰るか!

2日目も3日目も言い出せなくて1週間が経った・・・・
このまま家から通ったら給料全部通勤費になってしまう!
 (通勤距離100キロ、東名高速道路料往復3500円の出費)
ついに切り出した。
副校長に・・・この副校長は、私が初任科生の頃の教官で、東京消防庁を辞め県職として教官をしていました。
「なんだ、家から通っているのか?そりぁ、大変だ!」
「学生寮の中に1部屋空いているが・・・」
というわけで、私の単身赴任の寮生活が始まった。





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わたしは何を教えたのか - 2008年01月09日(水)

私は、隊員に対して厳しく指導しすぎたのか?
何を教えたのか?
時々、ふと感じる。

隊員に想定訓練を実施させると、基本に忠実すぎて応用がきかない。
臨機応変な処置が隊長等の目を気にしてか、できないでいる。
怒られることを気にしている。そしてまた、隊長たちも独自な方法を固定化しようとしている。
なおさら隊員たちは、身動きできない。
もっと隊員たちには選択肢をたくさん持たせなければならないのに・・・・
救助操法にも基本があり、応用がある。
安全管理上外せない基本と応用が利かせれる部分とがある。
基本操法を反復しマスターすれば、いろいろな応用が見えてくるはず。
常に頭の中で現場作り、イメージした中で考察することも必要だ。




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いらぬおせっかい? - 2008年01月08日(火)

折からの台風接近に伴って、河川が増水していたとき警察からの一報が入った。

『○○川において乗用車一台が流されている。安否を確認して欲しい』
この河川は、二級河川で幅970メートルある。
ましてや、昔は“あばれ○○”と異名もつけられていたほどだ。
現場は、旧国道一号線に架かる橋上だ。
すでに警察官により交通規制がひかれている。

橋上より河川を見る。橋上より上流約5メートル地点に乗用車を発見する。濁流により少しづつ乗用車が移動しているではないか!
消防署長より『降りれるか?』との問いに
『強風により降下するには、危険が伴います!』隊員の安全を最大限考慮しての返事だった。
『なんとか、確認したい!』との警察官からの再度の依頼により、自分たちもこのままでは帰るわけには行かない。

何とかせねば!

「確認に入ります!」と署長に報告。
“自分が降りる!”と心に決め、「照明、用意!」「三連はしご、逆伸てい!」「降下地点、車両上部」
「上部に支点作成!」
降下隊員の人選には苦慮した。その時、安全員である隊員と目があった。
「自分が降ります!」・・・経験、意欲などを総合的に判断しても、頼りになる隊員からの具申だった。
「降下、準備!」
「確保!」「確保よし!」
「降下!」
橋下は強風により音をたて、濁流を意気込みづかせているようだ。
命綱を共に取り、車内を検索する。
車内には濁水が入り確認がとれない。
浮かんでいる靴を発見!
「もしかして・・・」二人で顔を見合わせる。
RCバールでガラスの破壊に入る。
互いに手を入れ車内を検索する。
「要救助者、なし!」
車検証を確認し所有者の照会にあたる。
引き続き、ナンバープレートを手探りで読む。
これには苦慮した!
背中に“好き”と書いたのを読むのとは訳が違う!
数字一つ違えれば、人の生死につながるからだ。
「検索終了、撤収!」の指示をだす。
この時点で、所有者が判明される。
所有者は自宅に帰っているとのこと・・・・

そして一言
「いらんことするな! ほっといてくれ!」
「おい、おい?それはないんじゃないの?」
本人の勝手かもしれないけど・・・・・



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さあ? - 2008年01月07日(月)

今夜は、いつもにもなく遅くまで事務処理をしてしまった。
久しぶりに頭の中の細胞を感化させたせいか、目がさえて仕方がない。
いつの間にか仮眠というべきか、熟睡というべきか眠りに入ってしまった。(これも私のいいところ・・・)

2時35分、「救急救助指令、現場○○町○○、バイパス上り線上、交通事故」
熟睡しているはずの身体が、反応する。
(家ならダダこねて、ちょっとやそっとじゃあ起きないのに・・・仮眠なのかねぇ)

尽かさず編上靴を履き、ヘルメットをかぶる。
指令書に目を通し現場を確認する。
外は小雨・・・・
「よりによって、雨か」とつぶやき、防火衣を羽織る。
夜間ましてや交通事故現場では、自分の身を守るために夜光チョッキを着て活動する。
防火衣にも当然夜光テープが貼ってあるので有効である。
現場は、国道1号線バイパス上り線上、当然大型トラックが行き来し作業危険が伴う。
出場途上、先着救急隊より、現場状況が入る。
「普通貨物トラックと普通乗用車の衝突事故、普通乗用車の後部座席の男性1名、右足下腿部が挟まっている模様」
現場到着、先着救急隊長より状況報告を受けると同時に事故車両を確認する。
事故車両の後部は原型をとどめないほど大破している。
燃料漏れの確認を急いだ。
「燃料漏れなし!」
この間に隊長は、事故車両内に進入し、要救助者の観察に入った。 
さすがベテラン!
救出方法を考察し、「スプレッダー用意!」
他の隊員も機敏に動く。
「設定箇所ここ! 解放始め!」
いつも感じるスプレッダーの威力! 
「すごいなー!」と・・・・・
おっと!感嘆している場合じゃあない。
間隙が取れたところで、「停止!」
「当て木、設定!」
「よし、そのまま車外に救出!」
救出完了報告を通信指令室に入れる。
事故車両を見て、「おい!ところで運転手は?」
消防隊長 「さあ?」
「確認せよ!」
万が一車両より放り出されていたら、大変だ!
「何人乗車していたか確認取れ!」
「救急車内にすでに収容済み」との報告を受け、ほっとする。
救助資機材を撤収後、帰路につく。

「まてよ?確かここへ以前おまえ(機関員)と一緒に来たことあったよな?」
「はい!」
「あの時は、消防に入って2年経った頃で、即死の要救助者を見て、懐中電灯持っているのがやっとだったよなあ?」
「はい!」
少し照れ顔だったが、今のその顔は、自信に満ちた顔つきだった。

あれから5年、一人前になったものだ! 
もう、お前たちに任せてもいいよな!
俺も、いつまでもここにいちゃあ、だめだよなあ・・・・
自問自答の帰り道だった・・・・



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共に学ぶ - 2008年01月06日(日)

『救助指令、現場○○町○○、労働災害』
先ほど救急隊が出動している現場ではないか。
ということは、現場からの要請だ。
確か救急隊長は、救助隊の経験者のはずだ。
出動途上、指令室からの付加情報が入る。
『二階建て住居の建築現場において、二階より負傷者を降ろすことができない』
現場到着後、先着救急隊より状況を確認するとまだ、棟上げが済んだばかりで階段もなく・・・・
これでは救急隊だけでは降ろせないはずだ。
要救助者の頭部に“かけや”が落ちてきて、一時的に意識を失ったものであり、救急隊によりポリネックで頸部を固定されていた。
傷病者の無理な移動が、傷病程度の悪化や苦痛を強いることになる。
当然、救急隊長もいままでの救助隊の経験から、より安全な搬送や応急処置の継続のため、即座に『救助隊を要請』した。
「“一箇所吊り担架水平救出”で救出する!」隊員に命令する。
「支持点、ここ!」
「支持点直下、開口部より救出!」
基本に忠実な操法を繰り返し訓練していたおかげで隊員同士息が合う。
基本が身体に染みついたおかげだ!
救出方法の場所や困難性にもよるが、必ず救命処置が優先することを忘れてはならない。
そして、救急隊員が救助技術を知ることや、逆に救助隊員が救命処置をマスターすることも必要不可欠なことだということを・・・




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退去! - 2008年01月05日(土)

『火災指令、現場○○町○○、建物火災第1出動』
寝静まった街中を赤色灯が散光し辺り一面を綺羅びやかに映し出す。
そして、それに反するかのように、けたたましいサイレンが街中に響き渡る。
通信指令室から付加情報がはいる。
 『要救助者にあっては不明・・・』
逃げ遅れた者の有無の確認を隊員に指示する一方、空気呼吸器の着装に入る。
機関員には、『交差点内、最徐行!左右確認』を指示する。
昔、上司から言われたことを言っている自分が、今ここにいる。
『あせるな!現場に急ぐより、現場に着いてから急げ!』と・・・・
私たち消防職員は、確かに全てにおいて迅速さを要求される。
しかし、あせるあまりに事故を起こしたのでは、本来の目的が達成できない。現場に着いて始めて活動ができるのである。
ここでも、機関員の冷静な判断が要求される。
私たちを現場に連れて行くことが機関員としての役目だ!
そのためには、運転技術、地理の精通、道路通行禁止箇所の把握等、機関員の役割は大きい。ましてや、現場に着いてから、同じ隊員として活動するんだから・・・・。

現場到着。
現場は木造、瓦葺き平屋建ての借家で、表側からは既に火炎が噴出しており、他の借家への延焼が心配になる。
隊員に検索用ロープの携行と関係者からの情報収集を、機関員には照明の点灯を指示する。
「この家の方はいますか?」
「母親と息子の二人暮らしです。息子の車はないようだけど・・・」
「母親は入院しているみたいだけど・・・」
「もう、退院しているのでは・・・・」
いろいろな情報が交錯する。
建物火災では、要救助者情報の把握に苦慮するが、このような時は要救助者があるものとして活動することが基本である。
即座に裏側に回る。
一室は雨戸で閉ざされていたため撤去する。
続いて、ガラス戸だ。
ここで進入を試みようとしたした時、異様な熱気と煙を確認する。
「退去!」 
直ぐさま退去を命じる。
その時、窓から『ボワン!』と、火炎が噴出した。
『バックドラフトだ。』
建物火災では、破壊による解放時には噴出している煙の色、勢いから判断して、バックドラフト現象に配意する必要があることは承知している。
また、これと同様な爆燃現象で『フラッシュオーバー』という現象も忘れてはならない。
進入路を閉ざされてしまった。
要救助者がないことを祈りながら消防隊の防御に協力し、他への延焼を防止し鎮圧した。
鎮圧の安堵感もつかの間、『母親の焼死体発見!』の情報が入る。
『ごめんね!』
と心の中でつぶやきながら、その母親を毛布で覆う。
悲惨な場面を幾度とも経験しても、やはりつらいものがある。
それは、家族とだぶらせるからだろうか・・・・・。
しかし、我々救助隊はその扉の向こうがいかなる状況であろうと、持てる知識や技術を駆使してそこへ行かなくてはならない!

                         
       − 合掌 −





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部下を殺すな! - 2008年01月04日(金)

むかしの話。
私がまだ若く救助というものがなんとなく解りかけてきた頃の話。

いつものように、朝から訓練開始。 
当救助隊の訓練は、当直あけの非番日に訓練を実施していた。
訓練内容は、5名で低所から高所へ高所から低所へ、そして濃煙内への進入と幾多の障害を突破していく過酷な訓練である。
一通りの訓練を終了し、その隊が休憩をとるため、高所からの降下を開始した。 
その中の一名が他隊の設定ロープを安易に借り降下し始めた。
とその時、固定されていないロープを使用したため、隊員は7メートル下のマット上に転落してしまった。
私は、別の隊を指導していて、ふと振り向いたとき目の前でその隊員が転落していく様を見た。
そして、今でもその事が脳裏に焼き付いて離れない。
即座に隊員の所に行き、負傷部位を確認する。
隊員はいたって元気だ!
ほっと安心したのもつかの間だった。
隊員の脇に手を差し出し介添えした時、何やら変な違和感がした。
血だ! 出血しているではないか!
即、隊長が同乗し、救急車で病院に搬送する。

マット上に転落した際、バウンドし脇にポールが刺さったのだ。隊員の怪我は、数日の入院で無事完治し退院した。
話の重要性はこれからだ。
病院に付き添った隊長は、駆けつけた家族に事情を説明した。
その時、その隊員の小さな子供が「パパ死んじゃうの?」って隊長に問いただしたとき、ハッとし声もでなかったと・・・・
そして、小さな子供にこのような言葉は、今後二度と言わせたくない! と・・・・
言わせないためには、安全に対する再教育と環境整備が必要だ!
事故があってから防止策を考えるのではなく、事故を予知予測して回避する安全の先取りが必要だ。
この事故が起こってから15年位い経っただろう。
今では、安全に対するマニュアルも整備され、怪我もなく訓練に励んでいる。

もうそろそろ、自分自身にも“活”を入れなくっちゃいけません。
“部下を殺すな!”って・・・・・・・



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またあそこか! - 2008年01月03日(木)

一雨ごとに寒さが増してくる。ここら辺は冬になると“遠州の空っ風”といわれる風が吹き荒れる。
こうなると、海釣り愛好者たちが待っていましたとばかりに夜釣りでの太刀魚釣りで、防波堤はにぎわいをみせる。この防波堤は立入禁止区域なのに、依然としてテトラポットからの転落事故があとをたたない。
家庭ではすでに一家団らんの一時をおくっている時間に、事故は発生した。



『救急救助指令、現場○○町○○地先、水難事故』
指令書を確認、出動。
「またあそこか!」
隊員たちはそれぞれが、口にする。そのぐらい事故が多発する区域だ。
以前にも要救助者救出完了後、隊員がテトラポットから足を滑らせ転落したばかりだ。
今日は特に夜間という悪条件が重なる。
テトラポットからの転落は、運が悪ければ海の中に落ち、そのまま行方がわからなくなってしまう。
出動途上、先着隊に自己確保をとり活動するよう指示する。
また、自己隊には暫定的な救出方法を指示する。
現場に近づくにつれ、防波堤には当然先着隊等の赤色灯及びサイレンで事故があった旨を察知しているはずなのに、何食わぬ顔で魚釣りをしている人、人、人・・・
目の前で事故が発生しているのに平然と魚釣り・・・・
「これじゃあ、減らないはずだ!」
現着後、隊員には救助工作車の照明と資機材の準備を指示するとともに現場に走る。
「足元注意!」
現場の状況を聴取する。
要救助者は転落時、海水に落ち流されそうになったため、近くにいた者が咄嗟にタモを差し出しつかまらせた。
救急隊長は、テトラポット一段下に降りその要救助者に救命胴衣を着装させをロープで確保している。
この時点で救助工作車からの照明が点灯され、周囲を明るく照らし始めた。
この照明は、ハロゲンランプを8灯つけ、100メートル先で新聞が読めるほどの照射能力がある。が、油断するな!
テトラポットより下が照射できない。
高低差がわからない。
暗闇ほど不安になるものはない。 
テトラポットは波が打ち寄せ、不気味な音を醸し出す。
要救助者にとっては、これほどの恐怖はないだろう。
ましてや海水で濡れ震えているではないか。
あせるな! 
自分に言い聞かせる。
幸いなことに、要救助者には骨折等の負傷箇所はない。
負傷程度によっては、別な救出方法を考察しなければならない。
「ワイヤー梯子の設定!」
「確保しながら、ゆっくり上げ!」
要救助者は、隊員の指示に従い一歩づつ確実に上がってきた。
そして、テトラポットからテトラポットへ隊員の確保を受け、無事防波堤にたどり着く。
「救出完了!撤収!」
「気を抜くな!」 
事故は始めより終わりの方に発生している。
ちょっとした気のゆるみだ。
「撤収完了!」

咄嗟の判断で自分のタモを差し出した人にお礼を述べ、終始何食わぬ顔で釣りをしている者を横目で見、帰路に着く。



...

もうだめだ! - 2008年01月02日(水)

夜中の受付勤務を控え、少しの仮眠をとろうと横になったその時、
火災の予告指令が静まりかえった庁舎内に響き渡る。
即座に防火衣をまとう。
本指令が入る。
「火災指令、火災指令、○○町○○、建物火災、第2出動」

「あちゃー!」
嘆きの声を発する間もなく指令書に目を通し、火災現場の確認する。
救助工作車に乗車し、AVM出動操作・・・・・
ここまでは、いつもの出動パターンだ。
しかし、現場の工場名には聞き覚えがない。 
「はて、何の工場なのか?」
外は生暖かな風が吹いていて、いかにも災害が起きている兆しをみせているかのようだ。
先着隊からの一報が入る。

「工場からの炎は外周からは確認できず、工場内にあっては煙が充満している。」

助かった!と安堵感もつかの間。
「化学車の増強要請!燃焼物品は工場内のアルミ粉」
それこそ、「あちゃー!」である。
アルミ粉の燃焼は、水をかけると水蒸気爆発を起こし、火災を誘起する性質を持ち、禁水である。
いくら化学車を増強しても化学液自体水溶性であるから意味がない。
化学車の隊長は、乾燥砂の備蓄確認をとるとともに、その搬送に切り替えた。
工場内の濃煙熱気及び自然鎮火までの長期戦に備え、空気呼吸器の予備ボンベの増強を要請する。
現場到着後、2名の隊員に周囲の確認と要救助者の確認を指示する。
1名は自分に同行するよう指示した後、工場内検索に入る。
進入後、10メートルほど進んだ時点で、濃煙熱気により呼吸及び視界が不良となり、隊員に呼吸器の面体着装を指示、なおも火点の確認に前進する。火点らしきドラム缶を発見、燃焼物体を確認するも、これだけじゃないはずだ!
ドラム缶直上にあるダクトだ!
咳き込む・・・・・ 

「あちゃー!」

面体着装前にかなりの煙を吸い込んでいる。
咳が止まらない!
面体の中での咳こみは苦しい。
呼吸器は本来吸わなければ空気の流入はなされない。しかし、今日着装しているのは、自動陽圧型の呼吸器だ。
面体内は常に陽圧を保っているはずだ。しかし、吸おうとしても身体が機能しない。
気管支が収縮しているのか、ゆっくり深呼吸しても呼吸ができない! 
空気が・・・・! 
苦しい! 焦る! 
このままじゃあ・・・・・死んじゃう。
“喘息の発作みたいだ” 
隊員に脱出を指示する。
脱出後、外気の新鮮な空気を吸えども、咳き込み、嘔吐もしばらく治まらない。
隊員には他の隊員と合流させた。
ごめん! こんな指揮者で・・・・
進入前に、早めの面体着装を心がけるべきだった。 
ちょっとばかりの節約が何になる。 
自分自身の保護具じゃないか!
限られたボンベの容量、活動するには自分で呼吸量を管理し、節約するのは当然だ。 
しかし、節約の意味が違う!度合いが違う! 
指導者たるもの、早く気づけ! 
この火災で一つの教訓を得た。 
そして、自分の健康管理の大切さ・・・・



...

無残だよ! - 2008年01月01日(火)

「○○町○○地先、国道○号線上、○○号車増強指令!」 
食事中だというのに・・・・
しかし、この増強指令は入電時とは違って、 先着救急隊からの応援要請である。 
あせる心を落ち着かせ、ヘルメット、携帯無線機を携行しつつ指令書に目を通す。
国道での交通事故。 状況不明確なまま救助工作車に乗車する。 
隊員を確認後、『出動』のAVM操作 ・・・ と同時に先着救急隊からの状況報告が入る。
『国道○号線、信号機のある交差点、軽乗用車と普通貨物自動車の衝突事故。 折れた信号機と普通貨物との間に大破した軽乗用車があり、軽乗用車の運転手が閉じこめられている模様。 
なお、要救助者にあっては、ST・・・・・』

まいった!
しかし、ここで弱音を吐いたら隊員たちの指揮に影響する。 
指示を出さねば! 
先着隊の状況報告をもとに、使用資機材の指示。 
機関員には、事故車両の直近に部署を命じる。
現場に近づくにつれ、大勢の野次馬が視界にはいる。
そして先着隊の赤色灯が ・・・・と、その時、左前方には大破した軽乗用車にもたれ掛かるように折れた電柱・・・
軽乗用車と同化しているように普通貨物が重なって・・・・
要救助者の状態が気になる! 
隊員に車両部署位置を指示、即座に事故車両に急ぐ。

あゝ・・・・・。 
声にもならない。 

意識があれば『大丈夫ですか? すぐに救出しますから、頑張って下さい!』って励ますのに、励ます言葉も失ってしまった。
無惨だよ! 
要救助者にシートを覆い保護する。 
こんな姿、野次馬に見せてはならない。
ましてや、今家族には・・・・・
しかし、私たちは救助隊員! このまま放置するわけにもいかない。 
医師に診せるまでは・・・
救出方法を考察する。 
開口部を設定するには・・・どうしたら? 
信号機は折れてなおも点灯し、撤去出来ない!  

救出箇所は、どこだ! 
事故車両を一周する。 目線にはない。 
どこだ! 
下だ!下からの救出だ! 
隊員への指示がとぶ。 まだ隊員には要救助者の状態は目に焼き付いていないはずだ。

確認呼称!声を出せ!

「運転席ドア、蝶番の切断! 切断機及びスプレッダーの用意!」 「消火器準備!」
隊員の返事が返る。 
「よし!」
いつもより頼もしい声だ! 隊員に勇気づけられた感じだ。
間髪入れず、消防隊には、タンク水での注水準備を指示し二次災害防止を図る。
「エンジン始動!」  「下部蝶番、切断開始!」 
「切断よし!」 
「上部蝶番、切断開始!」 
ここで、上下の蝶番が切断された。 
「ピラー切断!」 
「ピラー切断よし!」
「スプレッダー用意!」 「ドアの開放!」 
「ゆっくり、ゆっくり、停止! 当て木設定!」 

すごい力だ!
この切断機は重量こそあるが、力はあなどれない。
金属の切断音は不気味で恐いものがある。 
力をかけた反対方向に力が及ぶ。 これも二次災害の発生要因だ。 
そして、圧迫部分の解放には特に注意を要する。 
圧迫部分の急激な解放は、血液が一気に流れ出すためショック死を起こす可能性があるからだ。 
私たちは救助隊員としてのプロだ。 
負傷程度を加重させてはならないことは百も承知だ。 
「ゆっくり」ということも最適手段だ。
全てに対して“早い”ばかりが最良ではない。
時として“遅延”ということも最適な救出方法で、これが迅速さにつながるのだ。
この時点で、要救助者を救出可能な開口部の設定ができた。
「当て木、設定よし!」の合図とともに、「要救助者、確保!」   
隊員たちは、要救助者の姿を目のあたりにしても怯むことなく、抱える。 
救助服は血だらけだろう。 
それでも隊員たちは、自分たちの使命と誇りで任務にあたっている。 
この要救助者から「ありがとう」という言葉ももらえないのに・・・・・ 
そして、「がんばれ!」という励ましの言葉もかけれないまま抱きかかえる。
「足部、出た! ゆっくり、ゆっくり。腰部、確保!」  
「担架、用意!」 
待機している救急隊員は、即座に担架を用意する。
「救出完了! 撤収!」
                           

追記
                                                                  
私たち救助隊員は、このような現場ばかり見ています。
そして、その現場は母親の泣き叫ぶ声で修羅場とかしていたり、自分の家族とだぶったり・・・・・ 
でも、感情に左右されていたら冷静な判断はできないし、二次災害の発生にもつながる。 
冷酷かもしれない。でもそれは、隊員を預かる私の使命でもある。 
隊員を死なせるわけにはいかない!
そして、隊員たちに、自分の手で人を助けることの喜びを教えてあげたい。自分の手を差し出せば、その人は助け出せる。そして、助け出したときの満足感を! 

私たちは、真剣です!
                                                              −合掌−



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