舌の色はピンク
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昼は昨日とっておいた生春巻き。 あと余ってたカボチャとサツマイモ素揚げした。 …せっかくの生春巻きなのに、 妻の弁当にチリソースを入れ忘れてしまいへこんだ。 自分の方には入ってる。
オリンピコー、今も先行き読めない。 中止を求める声もむなしく開催するんだろう、 が中止すべき状況に傾きすぎてる。 大会規模が縮小するようになってくるのかな。
原神、なんか再ハマりしてしまってる。 深層螺旋12層がクリアできてしまったから希望がある。 クリアっつっても星数は1だから先があるし。 で今はみるみる刻晴が育ってて楽しい。 先生のときほどじゃないけど。 あとリソース管理が好きなのかもしれない。 限りある樹脂をどう切り盛りして 天賦本にまわすかとか… 武器育成、レベル突破などをどの順序で進めていくかとか。 仕事の段取りと同じなんだよな。
仕事がひまひまだった。 流石にこう時間がありあまって 誰とのやりとりもなく過ごせているとストレスもたまらない。 やるべきことは見つけられるし。 面白いことに、文章はなかなか書けない。 いやお話の文じゃなければ書けるのだが、 お話を書くには、ダイブ感が必要だ。 職場でできるものじゃない。 そういうわけで、資料となるものを読んだり考えたりした。
誰をひいきしたりもせず、 誰に対しても一定の善意を向ける。 これはたしかに、理想的な綺麗事のようだ。 しかし、友情を否定している。 友情は特定の誰かを特別に扱う。 友情が美徳とされている限りは、 人々を平準化して相対することなく、 任意の誰かを特別視すること自体は認められるはずだ。 そこには自由もある。
友情も恋愛も、場所性に縛られている。 場所あって人と出会い、仲を育んでいくから。 この場所は、ネットワーク上でもありうる。 仮想空間でも空間と見なして、広い意味での場を考察しよう。
割拠を再開。5章目。 5章目はすでに書き終えてる。 6章目で心理学-認知バイアス、人口地理学-アドレスの話にもってって、 7章目でマンションの方に凸かな…。 でもこれだとビナが出てこない…。
帰宅して妻にチリソースの件をさんざん謝った。 あんまり僕が低姿勢だから妻は調子に乗った。 夕飯はぶっかけ。 めんつゆに醤油足してチューブ生姜溶いて 万能ねぎ、揚げ玉。 昨晩のうち冷凍しておいた大根おろしが解凍しきれず残念。 でもうまかった。
今朝はフレンチトースト。 昨晩のうちに卵と牛乳に砂糖足した卵液に 食パンを浸しておいた。 バターで焼いて、うんま。 カロリーのお化けみたいなイメージあったけど まぁアイスとか足さないならいいのかな…。 休日はいつも食パンの四辺をマヨネーズで囲って 卵を落として焼くトーストにしてるから むしろマヨに比べたらましかもしれない。 フレンチトースト、本当は厚切りが望ましいけど 8枚切りでもじゅうぶんだったな。 厚切りにしたらその分だけ不健康だしな。
プリチャン最終回。 順当に終わったか。 やっぱクライマックスって難しい。 物語の盛り上がりとしてのクライマックスと、 エピローグ的な締めとあるから、 どうしても似たような演出でくどくなる。 今回はソルルとルルナが宇宙から贈り物して それが桃山の脳天に直撃して 桃山が目を回してたのが痛快だった。 とうとう粛清かという感じで。 あと最後のライブシーンでは感極まってしまった。 来週からは桃山のナビで シリーズの振り返りするみたいだけど…。
ミュークルは総集編。 残念だけど仕方ない。
ちょっと自前のwindowsのデータ整理した。 itunesの使い勝手の悪さは もう本当に数えきれないほどあるし その一つ一つが馬鹿極まるて感じで むかむかして仕方ないんですが アーティスト名をプロパティから変更する際に 勝手に コロン; が足される仕様はもう馬鹿とかじゃ足りないレベルで頭おかしい。 入力した時点で勝手に付け足されて いちいち消去して 適用してみても 勝手に足されたことになっていて 別アーティストとして認識するって もう 関係者一同全員絶対に二度と社会に出てこないでくれよ。 地面の下で一生恥じていてくれ。生涯を悔いてくれ。 そう呪わずにいられない。
飯は昨日の残りの天ぷら。 フライパンでそのまま焼く。うまい。
図書館へ。 小説借りたくてどれがいいやらねばったが これというものがなかった。 小山田浩子という作家の小説が借りたくて 検索機では出てくるのに棚になくて 職員さんにたずねようが悩むだけ悩んであきらめた。
古本屋が20%オフだったからこちらでもねばったが なにも買えなかった。 中国SFの三体読みたいのだけどな。 いま、ようやく古臭い日本文学ばかりでなく 新しめの小説読みたいって気分になってきてるから。
映画も空振り。 こちらは仕方ないか…新作が振るわなかった。
まぁあんまり作品に追われるような気分もなんだし たまにはいいだろう。
スーパーの帰り、 ベンチが一つあるだけの小さい公園で ちょっくら座って本を読もうと目論んでいたのだが いざ公園の目の前まできて 幼児二人を連れた若い家族が先に入ってしまった。 せっかくの休日の憩いが… という気分が一瞬だけよぎったけれども、 むしろ自分が鼻の差で先に入っていたなら この一家は遠慮したろうし 結果的にはよかったはずだ。
で、感情と論法が同時に発生してるなあと思った。 自然発生といえる利他的な感情と、 利己を抑えるための意識的な論法。 前者は善意だけど、後者は偽善と呼ばれる。 これが同時発生していた。 「せっかくの休日の憩いが…」 の気分すら通過せずに前者の感情だけが発生してれば、 まぁそれなりに善人らしくはある。 だけど後者には後者なりの価値がある。 これは良識と呼ばれるものだ。 はたして善意の塊ばかりが人間的か? エゴを自発的に押さえつける方が 立派とまではいかないがより人間的なのではないか?
芽生えた悪意、敵意、殺意をどれだけ押さえつけられるか。 自分はよくない人間である。 その認識を真っ向から受け止めて、 少しずつでも改善していこうとする働きが、 果たして偽善の一言で一蹴されていいものか? 善人になれない偽善者は それでも善人に近づこうと頑張っている。 人間って、人間の尊厳って、こういうところでしょう。
住まいと仕事の地理学、おもろー。 人口地理学についての本は タイトルにそう銘打ってるわけじゃないからだいぶ探しにくい。 この本にしても、人口地理学そのものを扱っているわけじゃない。 しかし内容は求めていたものだ。 人間が社会的に生きるためにはある場所に根差す必要がある。 ある場所は固定化されるのが望ましいが人間は静止画では生きていられない。 そこで地理的な移動が発生する。 というような観点から、人口地理学に興味を持ったのだった。 この本では歴史人口学の功績による、 日本の戸籍の歴史から人口移動の歴史を追ってくれてるので助かる。 でも理論はよわめかな…。 アドレスの話が出てきてくれてよかった。
アドレス。 第四の住所。 なるほど現代では人間は、住所が特定されにくくはなった。 ただし多くの現代人が、メールアドレスやSNSアカウントを取得している。 ネットワーク空間に内在するアドレス。 アカウントという、新たな人口概念。
アカウント。なりすまし。 戸籍。人物の同定。
場所。地理。 ある場所を占める人格の配置。
割拠。 「権力者が、各自ある地域を領有し、 そこをよりどころにして勢力を張ること。」 拠点の統一者が、ある場所を占める。 ほかの人格も居座るような場所で、強く占める。 他の人格の居場所を威圧するように。
まだまだ考えがまとまらないな。
産婦人科へ。 自宅で採精したブツは専用の容器に入れて、 薄いビニール袋で包んだら タオルにくるむな バッグに入れるな 人肌で温めろ と言われてたんで 来院時すごいそわそわした。 ただでさえ気まずい空間なのに こんないかがわしいものを携えてきて…。 ちょっと待たされてから現れた先生に渡すと 温めなおすから10分ほど待っててくれという。 メシか。 で、その後一緒に見た。顕微鏡による生の映像を。 ほんとにたくさんのクリオネが泳いでるみたいだった。 じゃあ数えますね、と先生がカウンターを片手に目つきを鋭くする。 カチカチカチカチ! びっくり。 一定の区画内で 元気に動き回るのがどれだけいるか、こうして数えるらしい。 産婦人科医こんな能力まで求められるんか。
結果は正常の範疇ということで、まぁ安心した。
帰って冷やし中華。 キュウリとトマトと錦糸卵。ハムはなし。 うまい。夏だ。
食後妻に誘われるままに 寝室でそよ風を浴びながら漫画を読む。 黄金のラフ。 やっぱり面白いなこれは。 ゴルフに興味ないどころか嫌ってすらいるのに楽しめるんだから本もんだ。 そういえば数日前に あさひなぐを最終巻まで読みきった。 うーんよかったけど… やはりインターハイ出場が決まるコクリョウ戦がクライマックスで あそこで最高潮を迎えてしまった感じがある。 あぁあと作者先生のあとがきが感動的だった。
夕暮れ時を見計らってマルエツへ。 昨日赤黒い夕焼けに見入ったから それを期待して。 今日のは地味めだったがこれはこれでなかなかいい空だった。 自然現象には小偉そうに品評与えてもいいからいいな。
帰りの川沿いの道で 初老のおじさんと 中年のおじさんが ほんの一瞬すれ違って あっ どうも あぁこんにちはー というやりとりしてていいなと思った。 このくらいでいいんだよな。 当たり前だけど、どのまちづくりの本読んでても 地縁を大事に といった意味のことが さまざまな文で書かれてる。 それら一つ一つに ウムウムまったくその通り と頷いているくせに今の自分はてんでダメだ。 家の前で隣人の姿に気づいてないふりしてやり過ごしたりとか。 でも朝出勤時に近所の人らしき人が現れたら おはようございまーす と自分から挨拶はできるようになった。 ゴミ捨て場とか。 やはり挨拶はいいな。とくに攻めのあいさつはいい。
いいことをたくさん探していこう。 いいことはいい。
夕飯は失敗した。 天丼にチャレンジしてみたのだが 海老の品質も悪く 下処理も悪く 揚げ方も下手で 天丼のたれも適当にやったらだめだめだった。 ついでに用意した野菜の方はうまかった。 かぼちゃ、茄子、さつまいも、大葉、 玉ねぎとニンジンのかきあげ。
夕飯後親に電話。 兄はもうワクチンを打ったらしい。 やはり二度目がきついんだとか。仕事にならないとか。
今日は全然考えごとがはかどらなかった。 書きものも全然。 明日は…明日こそは…。
毎日高円寺駅を利用しているわけですが。 途中で通る純情商店街が嫌いだ。 死に体の象徴みたいな道だ。 保険相談店、パチンコ、ハードオフ、タピオカ屋、 唐揚げ屋、携帯修理店、チェーン店、チェーン店、チェーン店。 シャッター街の方がましだってくらいだ。 かろうじて、精肉店が生きているのが救い。 20年前はまだ生きてたと思う。 まだ、ゴイステが歌ってた町だった。
店の入れ替わりが激しく、 そのたびにドンドンとゾンビ化していってる。 最新の店舗はこれもまたチェーンの中華そば店で、 いかにも安っぽい内装が恥ずかしい。 いや安っぽいこと自体はいいのだが まっこと工場生産的というか、白くて無味乾燥で、 貸し会議室みたいなそっけなさなのだ。 合理性の極致というか。 一番の問題は券売機が外に設置してあること。 これにより、公道に人がたかる。 これが車道とガードレールで隔たれた歩道であるのならまだいいが、 純情商店街にガードレールはなく、しかし車は通るので、 単純に歩道が遮られることとなり、危ない。 ここへ進出するにあたり 市場調査を実施していないはずはないだろう。 入念な下見の上、経営戦略を練り、 券売機を室外に設置するよう決定したのだ。 汚い。
いまはコロナ禍の事情があるから 過密を避けるためという名目が通るのも気に食わない。 あけすけだ。 思い出したがマクドナルドも害悪だ。 人の並びを店舗外に突き抜けさせて公道に迷惑をかけている。 ラーメン屋の行列とくらべてたちが悪いのは、 レジに向かって並ぼうとするせいか、客は店舗から正面一直線に列をなしがち。 たいてい店側の誘導もないから迷惑なばかりだ。
産婦人科に予約を入れた。 明日ケンサ。 なんともまあ恥ずかしいこった。 事前にインターネットで予約を入れたのだが 診察の予約という項目しかなくて 検査を頼めるのか不安だったから電話をした。 「いきなり持ってこられても困ります」 なんてなったら立ち直れないからな。 ものがものだけに。 電話してみたところ問題はなさそうだった。 とはいえこの検査は事前にこう連絡いれることでスムーズになる、 といった意味の対応もしてもらえたから気が楽になった。
かかえていた業務が一通り片付き ひっさしぶりにまとまった時間が確保できたから 大掛かりなデータのバックアップをしていくことにしたのだが もう打ち切られている案件の 十年以上前のデータが大量にDVDケースで保管されていて 収納棚の限られたスペースの邪魔になっている。 外付けHDDをわざわざ買うほどのこともないからと、 念のため残しておこうというデータだけ分けてあとは捨てる、 その判断がつきにくければ上に相談してみる、 さらにはさいわい元々あるHDDを1つ空けられそうであるから 大量のディスクをそこへ移しかえればその分もスペースができる、 といった考えを いつもの先輩にいつものつもりで話しても通じないから ゆっくりゆっくり要点を繰り返して伝えてあげた。 「どおぅーなんだろうね」 ハイあほ〜。 いつもどおりの、あまりに予想通りな受け答え。 受け答えにもなってない。 どうなんだろうじゃなくて、明確にどうすべきか伝えてるのに。 なんていうか愚痴のレベルが低すぎて恥ずかしい。 もっとレベルの高い悩みならまだいい、 でもこれはお外に出せないというか、 あんまり出来事が幼稚で、 嘆いている側の人間の程度も疑われるお粗末さなのだ。
あと仕事のつきた後輩をあがらせてやってほしい。 ただでさえコロナ禍で、なるべく早く退勤させるようお達しすら下っているのに、 こちらから進言してすら、 「どおぅーなんだろうね」 と応えて答えたつもりになっている。あほすぎる。
でも陰口ひとつたたかず むしろ庇ってやるつもりで 黙っていろいろ支えてやってたり 便宜をはかったりしてるんだけどな。 いろいろな面倒を請け負ってる。 さすがに馬鹿らしくなってきてるけど…。
ああ今日は昼飯がうまかった。 牛肉薄切りにタケノコ細切り加えて炒めて しょうがチューブにんにくチューブ醤油オイスターソース みりん砂糖塩コショウ! 5分でできる簡易版チンジャオロースって感じだ。 さすがにチンジャオロースには及ばないが しかしまじうま。やば。
夕飯はサバの味噌煮にした。 醤油砂糖を加え生姜とネギを多めにすると まぁ当たり前だけどうまい。 録画してたソーイングビー見た。 これまでにあなた方が裁断してきた衣類の端切れを 実はとっといたんでしたーっこれを再利用して服繕ってねー って内容で すげえグロテスクだなと思った。 フランケンシュタイン的というか。 衣服が身体の代替物みたいに実感できてこわかった。
2021年05月27日(木) |
どうするどうなるオリンピコー |
ヨイジャナイ思いして って言い回しがあった。母親に。 ふと思い出した。
僕に対しても使われてたし、 母が誰かと電話してる最中にもよく使っていた。 文脈からはなんとなく、 大変な思いをして〜 といった意味合いが読み取れた。
きっと二十歳を過ぎてからだが、 いよいよ放ってはおけんと発起して 直接訊いてみた。 「それどういう意味なの」 「あんたは言葉を知らないね。 容易じゃない、容易じゃないって、言うでしょ」 言うか? よそでは見聞きしたことがない。 あわやケンカになりかけたが、 なるほど「容易じゃない」で「大変だ」かと、 なかなか面白く思った。 母は苦難や苦悩のニュアンス(「大変な思い」)で使っているから、 「容易」の字義からすれば明らかに誤用ではあるのだが 「大変だ」がニュアンスを媒介して意味合いを成立させている。
で、今日調べてみた。 「容易じゃない」は茨城の方言らしい。 母は埼玉育ちで、成人してからはずっと東京だから どこでそんな方言仕入れて来たんだと訝りたくなる。 でも母の姉弟相手には通じているようで、ますます不思議だ。
しかしやはり、難事を示す意味合いにとどまるようで。 辛い目に遭ったといったニュアンスで 「容易じゃない思いをして」なんて言い回しをするとは、 どこからも読みとれなかった。
割拠、 ようやく参考資料も打ち止めってとこまできたから いよいよプリントしたろかしらな。週末かな。 40枚分くらいにはなるんだよな。 1枚に本の選り抜き8P分くらい詰め込んでるから 単純計算で320ページの情報量か…まじ? いやいや、これ少なく見積もってだ。 400ページぶんぐらいにはなるな。 …読んだなあ! だからって褒められるわけでなし、 ちゃんと形にしなくっちゃあな。
東京オリンピックの動向がかなり見ものだ。 誰がどう考えたって中止だろうが、 といえるほど単純な状況じゃなく(当たり前だけど)、 結構の理由も中止の理由も肥大化しすぎていて、 どんな落とし所も正解じゃないし、 なんというか究極にバランスの取れた問題に仕上がってしまったと思う。 もともとが国家的大事業で、 多くの課題もはらんでいて、 そこへきてコロナがドーンとやってきて、 2020年に延期が決定してから 論点はますます複層化していって、 大会まで60日をきった今、 この問題は絶頂といえるほどの高みに達した。 当事者意識を可能な限り遠ざけてしまえば、面白すぎる。
おおざっぱにいって、 中止と唱えれば人道的な立場が確保できそうだ。 しかし、中止になった場合の経済的損失を鑑みれば、 それを理由とした人死にだって出るだろう。 それを理由とした不幸は無数に出る。 そこんとこの因果関係は厳密に立証しえないにしても (決行しても経済的損失とそれを理由とした不幸は発生する)、 そう主張する立場の人はいくらでも湧くだろう。
だいいち、中止の責任をとれる人間がいない。 権限、代表の立場はあるだろう。 だが名前が置かれているだけじゃない。 そこにいるのは一個の人格ある人間だから、 責任などとれたものじゃない。 下にいる人間は一顧だにしないが、 (貶めたいときに限り、利益追求型といった都合のいい人格を調達する) 彼ら彼女らだって家族もいれば 寝る前にその日あったことを思い返しもする、人間なのだ。 知事も理事も利権屋も。 彼ら彼女らの見える限りの仕事が 下の人間にとっては 彼ら彼女らの人生そのものだが、 実際には、彼ら彼女らの人生は続く。 肩書を失おうと、歴史に忘れ去られようとも。 保守、保身的な打算を働かせるのは果たして姑息だろうか。 そう斟酌してやるのは行き過ぎた温情だろうか。 このあたりの 人間としてのぶれ も、問題点の複雑化をブーストさせてる。
昼飯は初めての店。居酒屋かな。 飯屋のある区画の外れという立地で、 また今日はここにしておくかと9割がた心に決めつつ 5mだけ進んで大通り沿いも確認してみることにした。 その十数秒のタイムラグで他の客に先に入られたら業腹だなあと思いながら、 果たしてその重数秒で ほんのわずかな差で4名客が入り口まできていた。 さらに、1名の単独客まで後ろに加わっていた。 最悪だ。 もちろんこの5名に苛立たしさが募ったわけじゃなく、 単に「先を越された」不運を嘆いているわけでもなく、 みそは 「予測できていたのにその結果になった」 てとこだ。
これ、人に言うとすぐ誤解される。 どうでもいいような、自明の、言うまでもないようなコメント返されたりして。 そこがまた腹たったりする。 対戦ゲームでよくある。桃鉄とか。 不利益のリスクを予測しながら、敢えてその一手をとる。 で、結果的にその不利益な不運が訪れた。 予見してようが、望ましくない結果に対しては、面白い気分になるわけがない。 だから、ちょっとはムッとなる。 そこへきて、「ほらあ」と余人がいう。
今回は一人きりだったから、余計なコメントを入れてくる輩はいない。 ただ、脳内で勝手に仕立て上げてしまった。 あまりにも過去の記憶が苛立たしいからだ。 先日書いた、「おやじぃ。」のエピソードも根は同じようなもんだ。 「そのときの正しさ」とも通ずる。
飯はうまかった。 が… このお店は唐揚げのソースを おろしポン酢か油淋鶏かお好みで選べる。 おろしポン酢で注文したのだが、 一口目の唐揚げのカリカリサクサクは感動的であったのに、 後半は過剰なソースにやられ せっかくのからあげがビショビショ。 ソースを別添えにするか、 または二択じゃなくてソースは無しとか、 可能なら少なめとか、 そういうオーダーができたらいいと思うんすけどお! と思ったけど口には出さない。 フロアの店員にいってもクレームみたいだし、 貴重な意見とも思われないし。 こういうとき客席にアンケート用紙でもあれば役立つのかな。 あったら書いた。今回ばかりは。 だってせっかくの唐揚げがビショビショ! 後半冷えてるししなってるし。 これが油淋鶏ならそういうもんですねって話だけど。
夜は牛肉ちらし寿司。 のつもりが、思いのほか涼しく肌寒いくらいだったから、 なにかあったかいものにしよう と意気込んでスーパー行って よくわからないまま なぜかチキンソテーにしてしまった。 フライパンにオリーブオイルぶちまけて 鶏もも肉置いてアルミホイルかさねて なみなみ水を注いだ鍋を重しとして載せる。 はじめ強火で焼いて皮をパリッとさせて、 あとは弱火で10分弱。 塩コショウを揉みこんどくのを忘れたからここで振った。 ひっくり返して5分。 その間にソース。玉ねぎ刻んでバターで炒めて ウスターソースとケチャップと醤油と粒マスタード加える。 こっちにも塩コショウした。 肉の方の火は止めてあとは余熱。 うまかった。肉、柔くできた。
5月きもちい。
まー やっぱショックなんだな。 読んでもらえない、反応がないってのは。 ヘテロトピア、なかなかよく書けたと思う。 でも企画側からは無反応。これが現実だ。
馴れ合いとか、いわゆる駄サイクルみたいな輪が嫌で、 これまで避けてきたこの手の企画だけど、 その壇上にすら立てないとは。 というのがショックだ。
SNS上では何者であるかが求められる。 なんだかんだで、数を得ている方々は何者かである。 専門があったり、売り込めるスキルがあったり、 少なくとも人格的統一性…キャラクターがある。 面白いのに、いい文書くのに 数を得ていない…という人は、やはり何者かが読めないアカウントになってる。
作品を読んでもらうことに関しては、 宣伝、告知、 広くいってPR力の問題ともいえるだろう。
だが僕は宣伝を憎む。 広告社会への憎悪が根底にあるから 都合よくひるがえせない。 単に、かっこ悪いからヤダ、としているところも大きい。 それで読まれずに嘆いている方が余程かっこ悪いのはもちろん踏まえた上でだ。
天才の領分で遊んでいたいのだ。 思えばしばらくのあいだ、天才呼ばわりされていない。 呼ばわりは恒常的でなかったにせよ、天才扱いには慣れきってた。 才能を知らしめるだけの活動もしてこなかったし縁も紡いでこなかった。 だからって省みない。今でも自分の天才は疑ってない。 たたかってこ。 何もかもがにくいな。 これでいい。
関係ないけど 自分の得意分野で得意がって、大人ぶるってあるよなあ。
いい年してて…って言い草はだいたいそうだ。 品性。服、言葉遣い、マナー、対応、スキル、 まあいろいろあるけど 相当毛並みのいい手合でも どっかしらは抜け落ちてる。 そこんとこ置いといて 人を非難がましく品評しだすからな。 ああはなるまいよ。
昼飯うまかった。 昨日つくった担々麺用のひき肉にナスを加えて炒めたもの。 醤油だけちょっと加えた。 あんなに嫌いだったナスを こんなに好きになれるだなんて思わなかったと 何度でも驚く。
夕飯は冷凍しておいた牡蠣の炊き込みご飯。 それだけじゃなんだからと 余ってた蕪をバターでソテーして 思い出したようにニンニクぶちこんで バルサミコ酢ぶっかけて オリーブオイルちょいたらして塩コショウ、 思い付きで洋おかずになっちったけど美味かったな。
やりたいこと、やらねばならないことが多いな…。 昨日、おばから電話が入った。 父が死んで以来ほぼ絶縁している父方親族のおばで、 10年前に彼女を通じて生命保険に入ったのだった。 そっから保険は放ったらかし、毎月8500円くらい払ってるのに 健康そのもので一度も世話にはなってないから 保険とはそういうもの とわかっていながら もったいねー って気持ちがやまないんだけど いよいよ保険を乗り換えようとは思ってる。36歳を前に。 そのおばはもう当の会社はやめてるらしく、 でもこのまま放っておくと高くなっちゃうよと、 親切で連絡をくれたようだ。 僕は結局電話に出なかったが、母親は電話に出たらしく、 間接的に話を仕入れた格好となる。
引っ越し先を探すだけじゃなく 荷造りをちょっとずつ進めなくちゃならんのが心底面倒だ。 ものが多い。
菓子もつくりたいし料理もこりたい。 流星ワールドアクター進めたい。 原神も。 カラオケ行きたい。 しばらく描いてない絵も描きたい。 小説全然読めてない。 縁遠くなった友人と会話したい。 書きたい。
本命の前に気軽に一本書こうと始めた 『割拠』ですらここにきて手止まってるって参っちゃうな。 でもやる気が。 そがれて。
あーにくいにくいにくい。 にくさあまって 短編小説の書出し5本分くらい用意した。 ネタさえ用意しておけば、あとはお題または主題しだいで書き進められるしな。 書いてる間だけは呼吸できる。
やっぱ 男らしい女らしいを否定する観点がなっとくいかねー。 と急に思った。 既存の価値観、固定観念に縛り付けるなーて話なのはわかる。 それで、本来の自分らしさに蓋をされてしまうっていう。 でもそれごときに抑圧される個性って何だよとも思う。 それに、男らしさ女らしさは本来、美徳を謳っているものだ。 美徳の方までまるごと否定するのはもったいない。 男女ともに男らしさからも女らしさも 美徳を抽出してわがものにすりゃいいじゃんって思う。 歴史と風土から仕上がった素晴らしい美と徳があるのだから。 それとこの手の「受容」の問題、だいたい女の観点だ。 それがいい悪いってことは抜きにして。 もっといえば母親の観点だ。 (まさにジェンダーロール的な見方と批判されそうだがここには逆説のねじれがある) 我が子に優しくしたい、守りたい、のびのびさせたいという接しかた。 飴と鞭の飴。 今は、鞭が徹底的に非難される。女から。(逆説のねじれ) つまり、我が子に厳しくする、責める、抑圧するといった接しかたは、 「今どき何言ってんの?」レベルで、相手にもされない。 …どちらがいいの悪いのじゃなくて。 どっちもがあって一体化するものだと思うんですねー。 どっちも肯定できないもんですかねー。 男と女は対立でいいんじゃないですかねー。 凸と凹で世代を紡いでいってるんじゃないんですかねー。
こんな暴論めいた主張、もちろんいかようにも、反論はできる。 ただ、反論できるからといって、即座に悪のレッテルを貼ったり、 無意味と一蹴しようとする、そんな輩どもには一切議論の土俵にあがってこないでほしい。
読書してるとき 文字情報が上滑りして 頭に入ってこないことは 誰しもにあるだろうけど 時たまそれが音楽みたいに作用してるときがある。 歌詞なんて聞き取れてなくても歌声は気持ちいいみたいに。 でも、なんとなく耳には残ってたりして。 本読んでてもたまに同じ感じになる。 読んでるけど読めてない、でもなんとなく頭に残ってる。 たいてい他の考えごと、自由空想ができてるから それはそれで割といい時間なんだけど 繰り返し同じページを読む羽目に陥るのはありがちな悩み。
駅前の広場が形だけ封鎖されてる。 ちっこいバリケードに、 飲酒や宴会はご遠慮くださいとか 広場ではマスクはしてねとか とにかく集会させないように注意した文言が 小さい文字でずらずら書かれた紙がラミネートされて貼ってある。 これを誰も読んでいない、 いや読んでないふりをして、 連中ずらずら集まって、酒を飲んでいる。
バリケードには立入禁止とは書いていない。 これって同調的なもんだよなあ。 だって他の人もやってるジャン ていう。 すげえだせえぜ。 ああはなりたくない。
弁当めちゃんこおいしかった。 豚バラ肉と茄子を醤油とバルサミコ酢で炒めてブラックペッパー。 いつも目分量だから味は安定しない。 今日のはすごかった。完成形って感じがした。
夕飯もうまかった。 なにしろ担々麺。 市販の茹でればできあがるそれに、 豆板醤とネギとニンニクと生姜を炒めて ひき肉とシイタケとタケノコ加えて 醤油とオイスターソースと塩コショウで味を濃いめに整えたものと 白髪ねぎとチンゲンサイを加えればもう最強よ。
空手バカ一代7話目見た。良回。 名だたる流派に誘われて上機嫌な飛鳥拳。 しかし自身の過激ともいえる修行法に難色を示され、 結局はどの流派にも所属できない。 彼が優勝した大会で解説者を務めていた 空手連盟の権力者が彼を嫌い、裏で圧力をかけていたのだった。 あえなく仕事に出る飛鳥拳。 京都で車屋をやることにして、いい修行になると精を出していたが 客に騙されて駄賃をもらえなくなった。 雨に打たれて笑い出す。おれは裏切られてばっかりだ。 そして幼いころ満州で近所のおじさんに拳法をならったことを思い出す。 彼は店で荒くれものに絡まれても低姿勢で、 すごまれたときには土下座して争いを回避しようとするのだった。 が、 荒くれものがそれでも手を出そうとしてきたときには 強烈な一撃をくらわしてノックアウトした。 やっちゃうんかい。 立ち上がって逆上した荒くれものに対して、またも一撃をくらわす。 おいおい…。 しかし彼は、ワカランやつには何度でも、わからせるまで付き合ってやる、 それができないならはじめから力をふるう資格はない、と弁をふるうのだった。 ウーン、すごい。 やっぱりりっぱな人だ。 飛鳥拳はその後、ただ乗りせしめたオッサンと偶然の再会を果たしたが、 彼のことを許してやった。 詫びの品もいらんといって突き返す。 もうこんな真似をしないならそれでいいと。 かっこつけやがった。 が、いいかっこつけだ。 間違いなく良回だった。
飯の後ちょっと原神やって 気付いたらまた石が溜まってたから 妻に恒常引かせてみたら刻晴出した。 今更感はあるけど…育ててみよう。 刻晴は広告塔みたいなところもあって プレイヤーたちの間で 彼女面すんなよ って扱い受けてるのが面白い。
帰りの電車で本読みながら フ と一本ネタを思いついたから 夜に書きなぐってみた。 だいたい2000字くらいか。 細かいところと、中盤の中身ができあがってないけど。
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理科の授業で落下速度について教わり、ぼくには無敵の時間ができた。 ぼくがマンションのベランダから飛び降りたら地面に激突するまでどれだけの時間がかかるのか計算するために、まずは高さを割り出すことにした。 おおよそ37mだった。おおよそ、というのは、落下する物体(ぼくのことだ)の中心部を定めかねたからだ。落下の始点にしてみても、ベランダの柵の上部からなのか足元にあたる地点からなのか、わからない。どうしたって誤差は生じてしまう。 計算式に当てはめてみると、どうやら自由落下ならば3秒とちょっとかかるようだった。 ところがこの計算式というのは、空気抵抗を無視した場合に限るらしく、現実には適用されないみたいだった。ぼくはインターネットと、理科の先生をうまく使って、ぼくの飛び降り時間をなんとか追い求めてみた。 3.6秒。 これが、ぼくの時間だ。 ぼくの手に入れた無敵の時間。
ぼくは何度も何度も、何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、延々、執拗に、 飛び降りている間の3.6秒間を想像してみた。 一度シミュレーションするのに3.6秒しかかからないから、100回試しても6分。 ぼくは一日に1000回飛び降りたことすらある。
ぼくは3.6秒を手に入れた。 この時間、ぼくは自由だった。 ひるがえって、3.6秒を使えば、ぼくはいつでも自由になれた。 体格にめぐまれた上級生から女の子を守ったことがある。 まともにけんかしたなら勝てるはずない相手だった。 そこで、3.6秒を使う。 今にも殴りかかってくる彼を前に、"ベランダから飛び降りる"。 3.6秒が始まる。 この時間、ぼくはなんだってできる。 何千回も飛び降りた経験のなかで、ぼくはなんだってしてきたから。 もちろん火を噴いたり、稲妻を落とすなんて真似はできないけれど、隣町まで聞こえる大声をあげるくらいはお手のものだ。動体視力は人並み外れる。落下しながら7階のカーテンの隙間からお姉さんの着替えを覗いたことも、6階のベランダのプランターからてんとう虫が飛び立とうとしている様子も、5階の手すりに染みた雨粒の名残を見て取ったことだってある。小学生のうすのろな大振りなんかくらうものか。あとはもう、3階地点にまで伸びた枝に手を伸ばす速さで一撃をくらわせればいい。 いや、きっと闘う必要すらなかった。 3.6秒の間なら、ぼくは目玉に指だって突っ込める。
昔、なんとかいう哲学者が、死は存在しないと言い切ったらしい。 自分が存在している間には死はないし、死が現れたときには自分は存在しない…そんなパラドックスを言いのけたそうだ。 ぼくはそうは思わない。 人間の一生なんて宇宙の歴史からしてみたら一瞬だって、テレビで誰かが言っていた。本でも誰かが言っていた。漫画でも、近所のおじちゃんも言っていた。 だったら、人間なんて全員、100年生きようが、即死しているも同然だ。 産声をあげたときからもう死は始まってる。人生は即死の最中に過ぎないんだ。
3.6秒。ぼくは無敵になれる。 3.6秒さえあれば、この先怖いものはない。 どんな退屈も、挫折も、苦労も、いなしてしまえる。 だけど16階住まいの義屋羅串くんが 「へえ、きみも計算家なんだな。ぼくは3.9秒だぜ」 とうそぶいてきたとき、ぼくのなかの数字が惑った。 「ぼくときみが一緒に飛び降りたら、14階の君は0.3秒早くおだぶつってわけさ。 ふ、ふ、ふ。きみの勇気が試されるぞ!」 「ころしてやる!」 「やってみろ! 0.3秒差でぼくが勝つ」
義屋羅くんばかりでない。 最上階に部屋のある角安詩夢ちゃんも、ことあるごとに屋上を遊び場にしている合符音くんも、ぼくより長い無敵時間を誇っていた。 「さあ、一緒に飛び降りてみたらどうだ!」 きたないやつらめ! でも、それからは何度3.6秒を試しても、上の方から彼らの声が聞こえるのだった。
だからぼくは3.6秒を捨てることにした。 そしていま、せっせせっせと、落とし穴を掘っている。 誰か誤って落ちてしまったら困るから平時は蓋をしているだけであって、いわゆる落とし穴の意義は満たしていないかもしれない。単なる穴といえば穴だった。 ぼくの部屋のベランダから落下したらちょうどここへ落ちる。 1階の住民には、夏休みの自由研究という言い分で納得してもらえた。 ぼくはたっぷりひと夏かけて、この穴を掘れる限り掘ってみせよう。 そういう夏にしよう。 すでにぼくは4.1秒を得ている。 まだ合符くんには及ばないが、義屋羅くんにも詩夢ちゃんにも勝てる。 この夏はきっと忘れられない夏になる。 穴を掘りながらぼくは、ふとした遊び心で、マンションのベランダ群を眺めながら、4.1秒をつかってみた。 ぼくの住む部屋の縦のラインを除いた全住民がいっせいに、同じタイミングで、ベランダから飛び降りる。 ……みたいだった。 みんな、何考えてんだろう。
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最後の「--みたいだった」はある映像で、 ここの単語がそのままタイトルでいいだろう。 中盤の、無敵の時間となる理屈付けは、見せどころだ。 ムチャだけど説得力がある、そんな文章に、まあやろうとすればできるだろう。 ただし文字数がいる。 あとはお題次第か。 ラストは変えてしまっていいし。
ヘテロトピア、Twitterに投稿した。 企画者まわりからの反応は一切ないし ツイートアナリティクスで メディア参照数見てみても10に満たないし どう考えても労力に見合わないけど kizzさんがふぁぼってくれたからいいや。 書いてる時間が楽しくて、 あとは一人でも認めてくれたならそれでいい。
よつばと!最新刊をようやく読んだ。 さすがに作風にぶれを感じる。 年月感じさせるナー。 ていうか連載開始18年て。ぎょっ。 でも最後のお話には泣きそうになった。 まさか泣かせに来るとは… と思ったけど実はあの場面は ただとーちゃんが泣いているシーンだというだけで 読者を泣かせにかかってきているとは見なさないでいいだろう。 よつばが 泣いてるの って言及しているのが証拠だ。
弁当は昨日多めにつくった炊き込みご飯。 牡蠣と生姜と舞茸の。うまし。 ダシ汁入れ忘れたけどな。 牡蠣のダシでかんべんしてもらお。
鬼滅すっご。 女性向けファッション雑誌にジャンジャン特集されとる… わざわざ表紙に据えた特別版まで発行して…集英社本気だな。
だるさ、月曜だけどちょっとマシ。 "ヘテロトピア"の推敲を手がけてて楽しかった。 アルフォンソリンギスの 何も共有しない者たちの共同体、 むっずかしーとばかり思ってたけど 身になってる。 やっぱ買お。
ほぼネガティブ感情に見舞われない一日だった。 というか一旦悪循環から抜け出したところなんだろうな。
えー、ちまちまと 流星ワールドアクター進めてる。 世界観はハードボイルドっぽいのに キャラクターたちに全然その気がないから イタくないというなんか異色作。 尻切れとんぼで終わると専らのウワサだけど 6月には続編が出るそうだしそれを買えばいいんだろ。 今のところ面白い。 事件進展と日常パートが一体化してて全然飽きない。 次から次へと読めてしまう。
あ、思い出した。不愉快なことあった。 うちの会社には 社会に不適応とされそうな人材がもともと多く まだ技術職の色が強かった頃はその傾向が顕著で いろいろあってヤベェ人たちは一掃されたけど まだ空気感にはそんな調子も残ってて たまにオイって思う。 いやもともとそういうのが苦手な人たちはそれでいいとして お前外ではじゅうぶんコミュ力発揮してるだろうって人間が 社内ではろくに挨拶も返さなかったりする。 そういう輩にはこちらも挨拶などぜん などと引き下がろうとも思わないので 何年でもやってやるぞというつもりで 挨拶はし続ける。 会社引っ越しによって これまで顔を見合わせる機会の少なかった連中で 一部この手のぶしつけな手合いがいたから しぶとくやってやろうと思う。
挨拶って 「する分には奨励される」 っていうめちゃくちゃ楽でわかりやすいツールだと思うんですけどね。 何も考えないでいい、判断しないでいい保証つきっつうか。 昔は ここは挨拶すべきかしないべきか… とぐるぐる思考高速回転させること多かったけど だんだん あ する分にはいいんだ ってなってった。
夕飯はレトルトカレー。 月曜だから仕方ない。 引っ越しを前に備蓄を消費しておきたいし。 引っ越し先見つからないけど。
食べながら見たグレーテルのかまど、 今回はドイヨシハル先生…漢字わからん のキャビネットケーキだーっつって 彼の生い立ちまで紹介してた。 両親ともに料理研究家だったんだそうだ。 お父さんが 一般に家庭料理を広めたひとなんだとか。 ドイ先生自身はその道を受け継ぐ葛藤があったらしく なんで料理を極めたいおれが家庭料理なんか… と思ってたそうで、 でもあるとき 山で例えるなら料理屋ってのはいわば山頂だけ、 でもふもとの方にだってきれいな景色も花もたくさんある、 そんな感覚を実感したらしい。 そしてその感覚を世に知らしめている。 りっぱな人だ。
りっぱな人、 と 生の実感 は お気に入りのワードとなってきている。 勲章みたいなものだ。
サラメシで 中小企業のOLが会社のビルの屋上で キャンプ飯してるのがなかなかよかった。 同僚誘って3人で。 コロナがきっかけだったらしい。 2人はあらたにキャンプグッズ買ったんだとか。 限られた休憩時間で調理するために 自宅で材料切ってまとめてあって あとは煮たり焼いたりするだけという。 火の気は気になるけど 消火器用意してたし 煙はあがらんようにしてるんでしょう。 このビルの大家さんが 隣のビルに住んでいるらしく 時たま屋上同士でくっちゃべるらしい。 これはいい。 近隣にとっては声うるせえんだろうな とも思えるけど 許容した方が町が生きる。
プリチャンがまじなけた。 来週で最終回か。 思ったよりズーンと来たな… さいきんはミュークルの方に心がいってたけど ここ最近のクライマックスへの盛り上げで だいぶプリチャン愛が戻ってたようだ。 プリチャン及び桃山のキーワード 「やってみなくちゃわからない」 「やってみよう」 ってやっぱ素晴らしい。 そのワードを盛り込んだ歌を 今回は主要キャラ全員で歌っててまじなけた。 ジーン。 デジタル化したキャラたちがライブして 前時代のいいねを集めて 宇宙空間から到来しつつある バグの隕石にぶつけて解消させるって 本当に本当に意味わからないけど別にいいと思う。
ミュークルは日常回。 あんなに友達っていってたコトコトを ことこ先輩があっさり修正しまくるの怖いし面白いし最高だ。 来週はまた実写回らしい。残念。 でも全体のクオリティ保つためなら…いいさ…
昼は蕪とベーコンのクリームパスタ。 そういえば昨晩は蕪の煮物を出したんだった。 フライパンで蕪をかるく煮て 電子レンジでもどした干しシイタケを加えて めんつゆ醤油みりんで味を調えただけの。 蕪はいいっすね。和でも洋でもいける。
割拠の1から4をまとめたものを Twitterにあげた上にプライド捨てて読書メーターにもあげてみたが 一切誰からもなんの反応もなく これには心折れそうになった。 だいぶつらい。 大仏ラライのライ。 ほんならもうええわ、誰が投稿なんかするかよ と へそ曲げたくもなったけど 勝手な都合で毎日小出しにTwitterにあげてきたわけだしな… それもまだ3割という中途半端なところでまとめられてもっていう… いやそういうのはあるが… でも実際誰も… うーん… 前向きな方向にもってくことはできるが ここには正直に書こう。 心底うなだれた。
息抜きがてらに 傷ついた記憶 の読みものの方を手掛けておいてよかった。 こちらはほぼ仕上がったので妻に読んでもらった。 面白かったとはいうが 語り手が結局何の話をしていたのかは伝わっていなかったようだ。
伝わるか伝わらないかのギリギリ、 でも伝わる寄りで…わかりやすくなりすぎないように、 というラインを攻めたつもりだったけど 僕の意図するところを読み取りやすいはずの妻に伝わっていなかったのだからと、 最後の一文をあらためた。 これならまぁ伝わるだろ。 勢い任せな割にはなかなか面白く書けたと思う。 まだ最終稿とはいいきれないとはいえ あとは単語の言い換えくらいだろうから 今の時点でここにも残しておこ。
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テーマ;傷つけられたお記憶
タイトル:『ヘテロトピア』
あの愛の真相ともいえたあたたかな場所を何ものかにうばわれて以来、私はもう25年眠っておりません。 催眠術師が、哲学者が、娼婦が、詐欺師が、強姦魔が、花の香りで、晦渋な書物で、豊満な肉体で、型破りのメンタリズムで、秘伝のカクテルで、どうにか私を眠りにつかせようと方途を尽くしてくれました。 果ては長広舌が自慢の校長先生、しまいには絞め技の精髄を極めたプロレスラーまで、意気昂然と我が家にやってきては、敢え無くすごすご帰っていったものです。 脳外科医に至っては私の頭蓋骨を射殺すようにねめつけ、七晩で七人の患者を殺めたのだといういわくつきのドリルを操り小さく穴を開けると、開ける前と変わらぬようきっちり元通りに整形し、身動きできない私の隣ですやすや眠りこけてしまいました。 そういうことではないのです。 私が眠りにつくとは、そういうことではない。
それでも私は毎夜0時になると、ベッドに横たわり目を瞑ってみます。 最後に眠れたあの日を思い出してみるのです。 そこはあたたかく、安らぎ、何ものにもおびやかされず、生の喜びからも死の恐れからもまぬかれている時空間、この世すべての愛をたゆたわせた小さい海でした。 今となってはそれこそ夢のような、現実ならぬ現実の異郷、決して取り戻せはしない、恋焦がれるばかりのトポフィリアに過ぎません。 けれども、この記憶を思い返すと、かすかながらに眠気の核のようなものがうみ出されます。 ここからが大事業なのです。 核からかろうじて弾かれた波長を頼りに、大気中に動揺する眠気の分子をかき集めていきます。 目に見える物体ではありませんから、まぶたは閉じたまま、体外へ神経回路と電気信号を延ばして、撃ち落とすようにつかまえます。 眠気の分子には時間の都合がありません。 過去から未来にわたる全時代を通じての眠気をある程度…目玉二つ分ほど…収集できたら、今度は、記憶を失わせていきます。 漢字を忘れ、平仮名を忘れ、今日の悲しみ、昨日の慈しみ、月の名前、戦争史、神話、鯨の描きかた、鶫の鳴き声、恋、感情、生い立ち、…めまぐるしくイメージされる何もかもを忘れていきます。 記憶を手放していくごとに、私の輪郭はやわらぎ、境界を失い、生も死もあいまいになって、やがて世界と同化していきます。 ところがようやく私が私を手放しかけた頃、夜は覚醒している。これは世界と同化した私と同一のものなはずであって、いやおうなしに夜の覚醒は共有されてしまい、せっかく失えつつあったシルエットの正体も気取られて、そうして、今夜も眠れない夜を過ごします。
いよいよ私は堪忍ならない。 だって、これではあんまり、生物としていいかげんではりませんか。 こんな不条理の根は絶たねばなりません。 私は我が身の複製をこしらえました。窮余の一策とばかり、分身の方に眠ってもらう手筈です。 分身は我が身が実現させた異郷で、今は生も死もなく眠っています。 分身が見る夢を思い描いてみます。 分身は孤島でした。 孤島のくせに橋をかけられて、一方的に物資を運び込まれていました。 孤島は日に日に大きくなっていきます。 孤島は孤島を囲む海が好きでした。 謎めく海の向こうへとつながる橋にも愛着がありました。 孤島にとって日々とは橋との対話でした。 「この向こうには何があるの?」 「向こうにだって? もう、取り返しのつかない夜が、一面に!」 孤島はまた、かつての私でした。
いったい誰があのつながりを断ち切ったのか? そのお節介者を私は決して許さないでしょう。 仕掛け人の手がかりはあります。 しかしいま、私自身もまたその仕掛け人の立場を継承しつつあります。 まもなく分身は眠りから覚め、やがてはあなた方に見つかり、取り返しのつかなくなることでしょう。 この先もしも私の分身を見つけた方がいたら、どうか優しくなでてあげてください。
あなたにへそのあたりを傷つけられた記憶がないならば。
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これでだいたい1600字くらいか。 思考整理のため、自分で自作を解説する。 語り手は「母親の胎内にいた時間」を眠りと表現している。 胎児は生きてもなければ死んでもいない、 このあいまいさこそを真なる眠りとしている。 羊水に満たされた空間を恋しく思い返している。 胎内の外は あなたがた=他者が横行する夜。 語り手はこんな恐ろしい世界に生まれたくはなかった。 ずっと安心安全の胎内にとどまっていたかった。 しかし橋を…へその緒を断ち切られた(傷つけられた記憶)。 語り手にとってはその記憶こそが呪いの発端。 であるのに今また、分身=孤島=胎児を自らの身から生み出そうと、 仕掛け人(母)になってしまう。 この子はあなた方=他者に発見されて、 取り返しのつかないばかりのこの世に生み出されてしまう。 だから優しくしてあげてね。 あなたにへそのあたりを傷つけられた記憶がないならば = あなたに母体とのつながりを断ち切られた恨みがないならば = あなたが祝福されて生きているのならば。
最後の一文は 「そのあたり」から「へそのあたり」に変えた。 わかりやすくするため。 どちらにせよ意味合いは複数とれるようにしてある。 「そんな記憶のないほど無神経ならば」とも読めるし 「へその緒を切られてなければ(=そんな人間はいない)」とも読めるし ようは この子をこれからおびやかすであろう他者を 威嚇しているのだという意図さえなんとなく読み取ってくれればいい。
ウン、 こうして自作を解説するのは まさしくギャグの受けどころを自ら説明する愚に等しく痛々しいものだけど まぁいいとして やっぱりなかなか面白く書けていると思う。 それなりに読み取ってくれればだから 読み手の読解力に加えて ちゃんと読んでくれるのかって問題もあるけど 今回は 少なくとも企画者が読んでくれるわけだから まーまー真面目に読んでくれるだろう。
傷つけられた記憶 ってテーマを見てすぐに、 ストレートに書きたくないなと思った。 思いながら次に、 なんとなく 「〜以来ずっと眠っておりません」 という文が浮かんだから一文目に置いてみた。 人間がそんな何年も何十年も眠らないわけないよなあ だから眠りっていうのがここではちょっとずれた意味なんだろう と自分で解釈を推し進めて、 ドグラマグラに胎児が見る夢ってあったなあってイメージから、 そうなると傷つけられたはへその緒あたりか、 となるとそれはよくもこの世界に出してくれたなって話になるなあ… こんな調子で書き進めていった。 だから、主題は後からきた。 自らに伝えたいことがあっての創作でないならこんなものだ。 今回伝わる伝わらないいってるのは手段の、方法論の領域の話だ。 おかげで枷の少ない分自由に書けて楽しかったけど、 本命の、割拠の方はそうはいかない。 やるきださんとな…。
昨今の騒がしい人たち。 権利を所与のものとしているようだ。 権力構造の上部に居する者たちの既得権益を憎みながら、 どうやら人権をそうとは見なしていないらしい。 はじめからあり、あって当然のもの、 おびやかされるはずのないものであると。 勿論、建前はそうだ。 理念の上では、現代の民主主義国家にあっては、 人権とはあって当然のもの、何の対価もなしに与えられるもの、 おびやかされてはならぬものであると。 そしてこの理念は達成されるべきものだ。 人権は目に見えない。 自然発生する形而下の事物ではないから、 保証あって初めて成り立つ。 これは民主主義国家が保証するものだ。 だが彼らは、この構造を省みようとしない。 理論の中に組み込むことはあるかもしれない。 しかしそれは、あらかじめ自分が掲げたい主張あったうえで、 都合よく批判しやすい一角を配置しているに過ぎない。 いやんなるな。
本の一部をプリントする手間を惜しみ 最近はiphoneのメモ機能で書類スキャンしてPDF化しているのだが これはこれで手間取る。 スキャン性能はしかたないにしても、 アプリとしてのメモのUIが悪く、 ちょっとした操作ミスですぐに未保存の書類を消してしまう。 操作ミスというか、誤操作をまねくUIをしている…。 そんなこんなで一時間もふいにしてしまった。 午前中は購入したばかりの録画機器が 前触れなくTVと接続されてないと言い出してその解決に腐心した。 ケーブルは接続されている。 誰も何も触れてないのだから当然だ。 一応引っこ抜いてももう一度同じところに刺してみる。だめだ。 TVも録画機器も電源を落とす。入れる。だめだ。 30分ほどほっといてみる。だめだ。 同じことを何度も繰り返していたら いきなり認識し始めた。 いかり。
最新の便利品に 時間を割かれるという本末転倒には つくづくイライラしてしまう。 Eテレの教育番組で早生まれの子供を特集していた。 早生まれの子供は何も悪くないが 学力等に差が出てきてしまっている事実はある、 しかし年を追うごとにこのギャップはうすれていく、 彼らには自己効力、自己肯定感をちゃんと大事にしてやってほしいと。 そんなようなことを言っていた。 だがあくまでこれは、日本の、 子どもたちは4月に一斉に入学する学期制が維持されてたらの話だ。 まずその前提を見定めておくべきだ。焦点がずれる。 じゃあその学期制を変革したらいいのかっていうと そういう問題でもなくて、 とりあえず今日覚えた違和感は なんで今生きてる人間の方が システムに追従していかなくちゃいけないの?という点だ。 隷属っつうか。 あの憎たらしい流行語、 価値観のアップデート とかいうやつもそうだ、 その最新の価値観の方が誤っているとは考えないんか。 いや誤ってるかどうかの議論はある。 今生きてる人間と比べてどうだって問題だ。
じゃあどうしたらいいの、 って話は 目的でなく手段の話であって、 最終的な目標を見据えるためには 冷静で公平で透徹した目がいる。
社会学、とりわけ社会心理学の本を いっぺんにゴチャゴチャ読んでるが、 冷静で公平で透徹した目が養われていくようでもある。 これらの本は無批判に読めるものではない。 常に疑いながら、批点を探りながら読み進めることで、 真相に接近するための視力が養われてゆく。
昼飯はチャーハン。 すっかり美味しくなった。 多めの油でじっくり長ネギの青い部分を炒めて、 ネギ油にしてから刻んだネギ投入、ベーコン投入、 卵投入、炊き立てのご飯投入。 強火で木べらでガーッと混ぜて塩コショウ。 ネギ油さえできてれば2分くらいか。 小鍋に酒ちょっと、醤油ちょっと、中華だし入れて火にかけて、 水溶き片栗粉でとろみをつける。 餡かけチャーハンにして、 あとは冷凍しておいた万能ねぎをふる。できあがり。 …ネギの青い部分の呼び名は あらゆるレシピに ネギの青い部分 て書いてあるけど正式な呼び名ないんか と思って グーグルで検索かけてみたけど出てこなかった。 出てこなかったというのは "ネギの青い部分のこと" というワードで検索をかけて 上位20くらいにそれらしい結果が見られなかったから これを 出てこなかった と見なしているだけで もうちょっと探せば出てくるのかもしれないが、 この場合 調べ上げた結果よりも 調べている実感 グーグルで検索するという行為について 自覚的批判的に向き合ってたいので これ以上は調べない。 はじめのワードで 上位20くらいにそれらしい結果が見られなかったら 出てこなかった という実感をもったのだと。
自転車で荻窪へ。 片道20分くらいだが フリーの考えごとをするにはちょうどいい。 道中 いかにも個人経営と思しき唐揚げ屋の店舗を見かけた。 ここ1,2年で唐揚げ専門店を称するチェーン店が増えたのは タピオカ経営と同じ筋にあるともっぱらのうわさで 例の 金賞連発のあくどい宣伝法なども手伝って つくづく嫌気がさしているが もともと唐揚げ専門店を営んでいた個人もいるのだ。 相当あおりを受けていることだろう。 商売上の競争としてこれは仕方ない。 とはいえ悪感情は沸き立つ。 勝手な流行で市場を乱しておいて 流行が去ればあとは放ったからしの 暴風みたいなものだ。 2chで イオンモールだかの出店を FF5のエクスデスになぞらって わたしは イオンモール すべての商店街を消し去り そして わたしも消えよう 永遠に! って表現あったけどあれみごとだな。 ほんとそうだ。 既存の秩序を新たな秩序で上塗りするのは仕方ないが 既存の秩序を無にしてから無秩序を招くって こりゃ悪だ。 法が許してるからといって 感情の方でも許さなきゃならんなんて法はないでしょう。 むかつくぜ。
小学生のころ好んで通っていた おじさんおばさんによる個人経営のコンビニが すぐ近辺にできたミニストップができてから あからさまに客がうばわれていき それから2年もたずつぶれた。 そこのおばさんはスーパーでパートをするようになった。 僕ははじめミニストップを憎んでいたが 途中からは応援することにした。 小さな石につまづいたのではなく 大きな岩にぶちあたったのだと、 あるいは 大会で自分を打ち負かした相手には 是非とも好成績をおさめてもらいたいと、 そんな心境からだ。 当のミニストップはその後 地道な経営を続けている。 きっと今もあるだろう。
ブックオフが街の古本屋を殺していったあげく、 今ではそのブックオフが、 Amazonやメルカリに殺されかけている。 そこんとこの因果関係には異をとなえる人もいるが 少なくとも後押しにはなっているだろう。 ミニストップと同じ論法で ブックオフにはガンバッテもらいたいところだったが これはまぁどこまでいっても感情論だよなあと思う。 Amazonやメルカリが嫌いなのは自分なりの理念に基づくものだけど。
そんなブックオフで4000円ほどつかった。 社会学用語図鑑が買えたのはうまい。 哲学の方で良書と見なせた、イラスト付きの体系的な解説書だ。 こういうの だんだんと定価で買うようにしていきたい。 もう安く買おうとする根性が身についちゃってるし 実際の支出額痛いから だんだんと で済ませたいのが偽らざる正直なところ。 ブックオフより町の本屋の方が大事だし いずれは 入手しにくい古い本以外は ほぼ全部新品を…のつもりではいる… もたもたしてる間に 本屋もブックオフもつぶれてっちゃうが…
夕飯はカツオの刺身。 サクで700円は ユータカラヤにしては高額だけど いまいちだった。 鮮度というより単に脂身のなさか。 高知でカツオ食べたいです。 美味しいそうじゃないの。
あさひなぐ25、26巻。 このあたりは毎巻なけるなあ。 やす子先生と真春の取り合わせすばらしい。 お互いキャラとしては なかなか誰とも噛み合いにくいだろうに、こうするとは…。 あと 「1秒後の旭」 ってサブタイ、かんぺきすぎる。 これ単独でもあまりにかっこいいし、 中身にも適しすぎている。 すげえ、すげえ。
夜、 傷つけられた記憶 が8割がたできた。 あとは全体整えるのと、最終部への接続か。 主題とか つたえたいこととか なしにやってると楽だな。 与えられたお題に沿って 思い付きで書けるというのは。
会社の休憩時間には これまでコンビニを使っていたが 引っ越してからは最寄りの店舗が成城石井になった。 同僚の誰も彼もが でも成城石井って高いよね という。 何も考えてないからだ。 ちゃんと自分の目で見て判断してやれば、高価格の品が揃っているわけでもない。 高価格帯の商品はたしかにあるが、 コンビニで売っている品ならそれを上回ることは当然ない。 要は、「成城石井は値段が高い」という大事な前情報を無駄にせず、 きっちり話題にして消費して、その上で感覚を共有し、安心したいのだ。 ばからしー。 事実関係よりも幻想的感覚の実感の方が大事だと信じているからこそ このアホくささにおぞけだつ。 もうずっと黙ってればいいのに。
お弁当はステーキ。 国産牛4等級の美味しいやつ。 弁当にはぜいたくなのだがたまにやりたくなる。 岩塩とコショウで味つけたら90秒ずつ焼くだけ。 あふれた肉汁と醤油でニンニクを煮るように焼いて濃厚なタレに。 ついでにじゃがいも余ってたからバターで焼いて添えた。 10時くらいからもう食べたくて仕方なかったな。美味かった。
kizzさんが 昨晩投稿した分の『割拠』のツイートに いいね をしてくれた。 なんと喜ばしいことだろう! 部分的にであったにしても読んでくれたのだ。 やる気になるなあ。 うれしいったらありゃしないぜ。
割拠、4章まででいったん一区切りとした。 140字弱×30強×4=16800字くらいか。 改行や段落まで加味すると原稿用紙50枚弱になるのかな。 数日間のインターバルいれて その間に「傷つけられた記憶」の方をやっつけよう。 こっちは2000字までとなる。 ギリギリまでいきそう。 だいたいラフはできてるからあとは清書か。週末でできっかな。
原神がな。 先生引いて以来できることが増えて、 エンドコンテンツの螺旋深境チャレンジに時間くわれることくわれること。 ここに至ってゆくあきを育成してみようかとも案じている。 時間…。
嬉しさ。 嬉しさの記憶って全然ない。 喜びはある。 ここのニュアンスさは難しいとこだけど、 ほとんど唯一といえる嬉しいの記憶、 ツナミノさんのHPの 一言ネタを書き込むBBSに おそるおそる二つ投稿して 「そういうのでいいんだよ」 的なコメントもらったことだ。 嬉しかったな。 あれに勝る嬉しさを今後果たして得られるものだろうか。
夕飯は肉じゃがと、 冷凍もも肉余ってたから 先日のなんちゃってからあげをもう少ししっかりやってみた。 下味付けてから卵とも絡めて拭いて小麦粉まぶしてから片栗粉。 うま。
今日は エスノメソドロジー というなんとも覚えにくい用語を知った。 覚えてみようと思う。 アメリカの社会学者が言い出したんだそうで、 日常を解体するための学術的手法? 我々があまりにも無意識に行っている社会的生活、 あえてそう仕上げるつもりもなく仕上げている日常が、 どのような細部の積み重ねから構成されているのかを紐解く… とでもいうのか。 まだ概要だけでその研究については読んでないから あまりわからないけれども 主題のうちの 人心 にはめちゃ役立ちそうな観念だ。 というか直撃かもしれない。 覚えてやる、覚えてやるぞ… エスノメソドロジーエスノメソドロジー…
朝 パパパパーッと なんちゃって唐揚げもどき作ったら美味しかった。 冷凍鶏もも肉解凍して 醤油 チューブにんにく チューブ生姜 の液に10分浸してからキッチンペーパーで水分とって 片栗粉まぶしてフライパンで揚げ焼き。 美味かった。 これは妻への弁当に。
自分の昼飯は木曜なのでお外で。 九段下も靖国通り側じゃなければだいぶお店あるのだな。 しかも強い。 今日はキッチンジローで済ませてしまったが 来週はパスタでも食うか。 しかし客層は悪い。 しっかりしたお勤めとこのビジネスマンて 飯食いながらハキハキした声でくっちゃべるの好きだよな。 平生なら個人的な苛立ちで済んだが この時局だから公共性をもって怒れる。 いやあらわにしたりはしないけど。
今日もあほらしい後処理をした。 コロナによる 出勤の可否を判断するための明確な線引きが更新され、 その概要を記したプリント一枚が各部署に配布されてきた。 この時点でおかしいのだが、 皆に読ましてくれとの通達を額面通りに受け止めた先輩は 長いこと目を通してから 回覧して とまわしてきた。 濃厚接触、体温、検査、同居者などの情報が入り組んだ、 パターン別の対応が記載されている。 おそらく、一度目を通した上で、 後は全員の目に触れるところにでも 一枚貼り出しておけばいいと考えているのだろう。 いや、それすら考えてないかもしれないが… とにかくこれは、会社にあっても仕方のないものだ。 家で、出勤前に確認をするための資料だ。 一度目を通して完全にその情報を把握し記憶し実用できる、 そんな人材のそろった会社じゃない。 へたしたら一人もいない。 だからまぁ、仕方ないなあというつもりでコピーをとる。 どうせなら部署内の人数分とらないとと、 一応先輩に声をかける。 「うん、配布してもいいし、回覧してもいいんじゃない」 絶句。
あらゆることを許容していきたいと思う。 愚かしい人間、愚かしい言動のことも許してやりたいし、 そして、 そうした愚かさを憎む呪いの怨念の方も、許してやりたい。 どちらかを選ぶってわけじゃない、 切断しちゃあいけないんだ、接合された複雑なまま、処理していく闘争。 祝福と呪い、祈念と怨念。
神無月紫子の優雅な暇つぶし二巻。 面白いな…。面白い。 自分を騙しに来た詐欺師を有能だっつって 執事に雇うの素晴らしい。 ムチャな流れなのに自然だし。キャラのなせるわざか。
雨が続いてる。 今日の雨は穏やかでなかなか好みだ。 荷物が増えるのが難点か。 スーパーからの帰り道は地味にストレスになる。 夕飯は肉じゃが。 ジャガイモと人参がかさばる。 玉ねぎを大量にストックしておいてよかった。 というか玉ねぎ余ってるからこその献立なわけだけど。 鯛の刺身もつけてヘルシーめな夕飯。 空手バカ一代6話を観た。 飛鳥拳、寸止めしなくちゃいけない空手大会で 思いっきり中空飛んで蹴りかまそうとするから どうすんだろうと思ったら 相手選手の顔の間近で 審判から一本の声がかかり そのまま静止して角度変えて着地。 おまえ飛び蹴り寸止めできるんか。 身体能力つうか空間操作だな。 あと審判もおまえ未来読んで一本言ったろ。 なんて楽しいアニメなんだろう。
夜中になって、外で偏差値低そうな若者がわめいている。 いや偏差値が低いのはいいんだけど。 いかにも下品な声だ。社会性のない…。 夜中に若者が騒ぐのはいい。 偏差値が低いのもいい。 下品なのは癇に障る。 品を身につけられなかったのは仕方ない。 だからといってこちらの癇に障るのも仕方ない。 許容、呪い、優しさと怒り。
そういえば中学の頃の初デートを今日は思い出してた。 映画館に行った。 映画もデートもなにも面白くはなかった。 けどそれでがっかりとか、反省とか、きまずいとか、何もなかった。 ただつまらなかった時間をそのまんま受け入れてた。 あの感覚ちょっと恋しいな。 今はもう失ってしまった。
思想としての孤独、 透明の話から分身の話まできた。 ちょいちょい安部公房の作品を引き合いに出される。 わかりやすい。 しかし透明のくだりはまんまピングドラムの解説書のようでもあったな。 この本読んであの脚本仕上げたんじゃねえかってくらいだ。
明日が過ぎれば週末。早いな。 月曜がしんどくて、火曜も月曜の怠さをひきずってて、 水曜が普通、木曜になると今週もあと一日だ…となるから 一週間の中身が二三日みたいな感覚だ。 べたな話ずっと日曜だといいですね。 ずっと休みだと退屈するとかなんとかいうけど 全然問題ない自信ある。
昨日のスーパーでの買い物の時点で 財布がほぼからっぽだったから 朝からATMで3万5千円おろした。 預金額を見て収入と貯蓄に思いを馳せる。 なんだかんだ今の仕事は楽ちんだ。 その楽ちんさ、気楽さが、悩みのタネでもあるんだと思う。 これしきの仕事で収入得ていいの?と思う。 今でも平均的な同僚よりはよほど仕事量こなしてる。 人並み以上の作業量をかかえた上で なおできた余裕で他の人の仕事ももらい かつはワークフローや連絡体系の調整などもして で、余白の時間を週に160〜210分くらいはこしらえて その時間を自由に使ってる。 いわばさぼりだ。文章書いたりとか。
自分の仕事だけ片付いてれば…という反論されたくないから 余剰の仕事までこなしてるわけで、 努力と才能あってのことだから文句言うなよってつもりでいるけど やはり公的には認められないと思う。 公に非難されたらとうとう辞めるというわけだ。 自分の正しさを主張するつもりはない。 会社の掲げる正しさと一致しなかったら 所属の動機づけが欠ける、それだけの話だ。
結婚にともなう特別休暇をとらずにいたことを思い出した。 5日間休めるという制度で、社長直々にお達しをくれた。 しかしその頃かかえていた業務の都合で、 いかにも休暇の取りづらい事情から自粛した。 それだけの重圧を感じて取り組んでいたし、 責任感も背負ってるつもりでいた。 今いる上の人間は誰もそれを承知していない。 帰れる日には帰ってしまう、 あんまり責任感のないやつだという認識が通っているかもしれない。 どうでもいいんだけど、 と言える気もするし、 どうでもいい扱いするなよ、 と言いたいような気もする。 これはこれで人心だ。
替え歌CMやめろよもう。ものすごく不快だ。 広告代理店がばかなんだろう。 ばかというか汚いんだけど、この汚さはばかだ。 ずる賢いとか呼ばれるもんじゃない。 替え歌により元の歌が汚染されるのはもとより その歌にまつわる思い出のことごとくが侵害される。 間違いなく犯罪だ。 恥を恥とも思わない連中がこぞって この機能を利用していて あほがありがたがってる。 マジで…ねばいいのに。 替え歌だけじゃないけど。 ハイジの映像使ったCMとか。 人間としての恥ずかしくないのか。 それでおまんま食ってるとか食わせてるとか。 こんなしょうもない悪辣の搾りかすどもがまた 世の中とか政府とか教育とか公共性とか人権問題とかに 口挟んでるわけでしょうほんと…ねばいいのに。本当に。くっだらねえ。
ここの日記には あえて悪感情を残すよう務めてるけど ここまで強い思いはそうないかもってくらい腹が立つ。
新垣結衣さんが星野源さんとご結婚。 ネット上が沸き返っておる。 星野源は好かない。 あの ポップミュージックをダサい方向性で極めた感じがなによりも。 それに声が。歌声が。 そういえばこの前コブクロが話題になってたのを思い出した。 不倫がどうとか。 あんなんで騒いでやるなよと思う。 ラブソング歌っといて実際にはそれかよみたいなコメントたくさん見たけど 音楽性とはまったく別物だと思う。 彼の実際の恋愛態度とは全く関係なく あの音楽は下等だ。 そう見なしていかないと。 批点がぶれる。
読書メーターでちょいちょい いいね をくれる若い方が Twitter上で短編投稿企画を催していて 前回のテーマが「殺意」だった。 殺意なら一本アイデアはあるぞと思ったが 今は割拠の方に専念したいような焦慮もあるし 何よりどのくらいの水準、感度で作品が集まってくるのかわからんかったから 様子見をした。 でグランプリ発表とのことで三本選ばれてたから お手並み拝見とばかり読んでみたが感動はなかった。 きわめて上手ですけれども。 いかにも小説のフォーマットをなぞった代物で退屈だった。 文学的表現かくあるべしみたいな。 今回は「傷つけられた記憶」で募集している。 専念したい焦慮はさておき 気晴らしに一本書けないかなあと案じてみて、 ちょっと思いついたから草案を練ってみている。 うまく仕上がったら投稿してみよ。 小説然とはしていないから評価は怪しいけども。
小説でない読みものでもお話はあって noteの記事にしろ匿名掲示板のスレにしろ 実に読ませるし面白いし今どき小説より人気があったりして だからこそ小説の価値を…という論法もわかるけど たいてい行き詰まっててイッケネーと思う。 広く読みものとして読ませていきましょうよとまずは思う。
2021年05月18日(火) |
なんともいえない感情の渦巻き |
朝番組で 多摩地域にあるゴミ屋敷を特集してた。 テレビ局はちょいちょいこういう露悪的な取材しますね。 一歩引きながら見てた。 例によってガラクタが盛り沢山だったり 悪臭撒き散らしてたり ろくに屋根もなかったりだけど 今も姉妹が住んでいるという。 近隣住人からの評判は最悪。 花屋の主人は注意しにいった歳にエプロンを剥ぎ取られてしまったり あとコチョウランなんかはハエ一匹とまっただけでダメになってしまうそうだ。 たしかに気に障る。 ゴミ屋敷の住人よ憂き目に遭えと呪ってしまう。 かつて自分がその近隣住民だったら、を 何パターンかに分けて想像してみたこともある。 大分自分の醜いところが発露しそうだった。
が今の自分には、彼女らへの理解を示しうる新たな秩序がある。 彼女(たち)にも、「その時の正しさ」があるはずだ。
取材してるスタッフが彼女に 常識上の質問を投げかけるのを聞きながら、 そんなことはわかってるって話だよなあと思ってると、 まさに 「そんなことはわかってる」 を連呼する受けこたえ。 「これがまともな家に見えます?」 「わかってる。わかってますよ」 「どうしようもないんです。だから仕方ないんです」 「わかってるから」
僕はずっと 人心の正体 を追っていて、 日常生活のいたるところに見え隠れするそれを どうにか捕獲したいと必死だ。 このやりとりにはかなりのヒントがある。
彼女には彼女なりの常識があり、定見があり、判断がある。 これを突き詰めていくと、なにをどう責めていいものやらってなる。
そのときの正しさ。 映画館でバイトしていた当時、 館内を歩き回り アイスクリームを手売りで販売する ホーキングと呼ばれる業務があった。 毎日担当は変わる。 その日僕がホーキングをしていると 館内の目立たない通路にあるソファベンチ席で たまたま別のセクションの女の子とすれ違った。 ちょうど上映時間の隙間の暇な時間帯だったので、 挨拶を交わしてさらに軽口を叩いた。 やってらんないすよねえ、的な。 向こうもノッてきたので、 わずか1分にも満たなかったが ちょっぴりはしゃいだ雑談をした。 周囲を警戒しながらソファベンチに腰掛けたりして。 「大丈夫ですか? こんなところで油打ってて」 「ちょっとくらい平気ですって。 こんなカッコでアイス売りとか、どうせ全然売れないし」 1時間か2時間後、 先輩に問い詰められた。 「お前には期待してたんだけどなあ…」 「真面目なやつだって思ってたのに、バレなきゃいいと思った?」 「フロアの女の子から聞いたよ。サボりに付き合わされたって」 このときの感情のうずまきを忘れない。 言い分はあるけど 自分の悪いことはたしかで しかしそこまで悪かったか、 誤解はある、でも自分が悪いことに違いはない…
そのときの正しさ。 中一の春、バスケ部に入部したての当時 部員が一列に並んで 次から次へ代わる代わる ドリブルシュートをしていく練習があり 皆もくもくと励んでいた。 一緒に入ったカズマに 「けっこう難しいね」とか 「カズマ上手いじゃん」とか ちょこちょこ話しかけたところ あぁとかうんとか返事ならぬ返事。 とうとう 「ごめん俺バスケは真面目にしたいから」 とシャットアウトされてしまった。 カズマは中学で知り合ったばかりの男で まだよく人となりは知れていなかったが チャラめの浮ついた印象だったから意想外の反応だった。 このときも言いようのない感情がうずまいた。 バスケ部はその数日後に辞めた。
こういう思いで、感情の記憶、大事にしていきたい。 自分はこれでできている。
あさひなぐ読み返してて 三須さんのことが好きになってしまった。 もともと国陵の芯のところを支えてる役回りに好感あったけど 真春との試合で 1分半もたせる目標を人知れずかかげて 無事達成して 自分だけは褒めてあげようってところに 感動して好きになってしまった。
昨日油ハネで首に火傷を負った。 痕になってることに今日気付いた。 老いた染みみたいだ。残らなければいいけれど。
「バーカ! お兄ちゃんのシスコン!」 てフッと思いついた。 妹が好きでたまらない兄扱い(勝手に)。
「手荒な真似がしたい」 て一言も。 これは使えるかも。 穏便に済ませたくないときだな。 円満に片づけたくないときだな。
夕飯は酢豚。 豚もも肉はいつもサボッて揚げやきにする。 しかし美味かったな。 明日の弁当もこれだ。
妻から 主治医についての話を聞いた。 恥を忍んで。常識知らずなもんで。 主治医っていったいなんなのかと。 あれはセフレみたいなもんらしい。 別に何人主治医がいてもいいのだと。 そして 一度でも関係もってれば あとは勝手に 主治医扱いしてもいいのだと。 うーむなるほど。 僕はめったに病院にかからないから主治医がいない。 セカンドバージンみたいなもんだ。
田村正和さんが亡くなったらしい。ご冥福をお祈りします。 ご本人へは好悪の念はないけれど おやじぃ。というドラマが本当に嫌いだった。 親父役で出てたわけですが。 旧世代らしい、頭の固い頑固親父が 下の世代の振る舞いにいろいろ身勝手なことをいう。 ヒステリックに理不尽なことをいう。 それで煙たがられるのだけど、 物語の展開で 結局 「親父の言ってることが正しかったね」 となる。 カスみたいな作劇だった。 その展開も 親父の理屈や行動には全く関係のない たまたま であったりして、 結果だけ見て親父の言い分が正しいとするなよと。 言ってることマジでめちゃくちゃだったからな。 それを 「さすがだね」 みたいな。 醜くかったな。
その役の印象が強すぎて 古畑任三郎は見てこなかったけど ブームもすっかり去ったころ初めて見たらえらい面白がれた。
月曜しんど。 意外と昼間はもつ。 夕方から夜にかけてがしんどいだるい。
昨晩手のり動物のお話を終わらせた。 フクロウさんが手のりサイズより大きくなってしまったから 一味から脱会するという決意をして その送別会の最中に 羊さんから毛を借りて針の尖りを匿わせていたハリネズミさんが ちょっと前にフクロウさんと一緒に寝て そのとき毛が付着してフクロウさんのボリュームが増えてただけだった、 なーんだ、というオチ。
「将来なりたいもの? ”そこの民間人”かな」 というのを思いついたけどちょっとやだな。 Twitterくっさって感じ。 一度は言いたいこのセリフ、 みたいなの今も面白がってる人たち恥ずかしいんだよな。 マンガやドラマにありがちだけど 前日では使わないみたいなやつ。 もう10年くらい前にさんざんやったじゃんそういうのって。
夕飯は手抜きして味噌ラーメン。 塩コショウ多めにきかせたもやしをたっぷりと。 あと白髪ねぎ。 なんだかんだで今日も逆転人生見てしまった。20分だけだけど。 製糸工場の跡取りが主役。 若いころは糸を作るなんて底辺の仕事じゃんと思ってたらしい。 でも大本の素材を牛耳ってるって いわば上部構造を支える下部構造の主体なわけで あなどりがたいんじゃないかな、と思ってたら イタリアの工場長に おれたちはファッションの土台をつくってんだ って言われて感激したんだって。 それをさらにMCの山里が 「底辺っておっしゃられたけど、土台って考え方にできるんですね」 ときれいにまとめてた。
だるい。だめだ。 洗濯もの部屋干しして寝る。
午後から雨の予報ではあったが 午前中から降り始め 布団を干すのに難儀した。
野方の輸入食品店への道中濡れに濡れおなかを冷やした。
Eテレの日曜美術館見てたら 最新のテクノロジーを駆使して 失われた仏像を復刻したんだとか。 もともと文化的に価値があるものなんだとか。 藝大生のが共同参画してるんだとか。 かんとか。
まぁ失われた遺物を現代の技術で再生させるってこと自体が 賛否両論を招くのはもちろんとして、 今回はこともあろうに仏像でしょう、 諸行無常って仏教の基本でしょう。 何もかも移りゆきやがてが失われるのだから 事物に執着するんじゃありませんよっていう。 それを無理やり力業で復活させて ありがたやありがたやって ばかみたいだ。
ルルナさんは皆がプリチャンを楽しむにあたって もう失敗をさせたくなかったそうだ。 失敗するんじゃないかという不安ごと取り去ってしまいたかったらしい。 それで、完全の秩序を敷こうとした。
ライブやってなんだかんだで和解。 ルルナの笑顔がめちゃんこ可愛かった。 そしてソルルはずっとルルナを泳がせてただけみたいだ。 ようやくわかってくれたねみたいな。 しかしいきなり地球の危機が叫ばれだしたのでそれどころではない。 これはクライマックスなのか新展開なのか。
ミュークルドリーミー、 今回あたりから2期目が軌道に乗った感じだ。 ちあふるタイムまだ端折られないな。 ガンバッテ続けてってほしいと思う。 くるっとジャーンプはいらないけど。
昼にはナシゴレンを出した。 妻のリクエストにのって海老せんつき。 スナック菓子ぽかったけどやたらと美味いやつ。 食べながら見たスクール革命、 ディズニーのプリンセスを5名答えよって問題で 他の人が白雪姫とかシンデレラとかいってるなか 八乙女くんの答えが 「美女」 で すげーと思った。 仮にこれがなんらかのヤラセだったとしても それならそれで思いついた人がすげーです。
今日は妻の言いなりということで 食後もヌガーグラッセと海老せんを 何度も食べさせることになってしまった。 あさひなぐをたくさん読んだ。
申し訳ばかりに花を買って贈った。 カスミソウとなんかおっきい丸いのとちっこい丸いのと あと何本か、寒色主体でちょっと黄色が差しこまれるだけの。 あまりお祝いっぽくはない。 赤や朱色も入れたかったけど その色で気に入る花がなかった。 花選びの難しいとこだなあ。 そもそも店にあるものの中から選ばなきゃいかんというのも。
夕方から夕飯の仕込み。 今回はそこまで気取ったご馳走ではなく いつもの献立のマックスの形を示すのがコンセプト。
マッシュルームのクリームスープ。 うちにミキサーはないのですり鉢でペースト状にする。 裏ごしがたいへんだがサボらずやる。 おかげで滑らかかつ濃厚に。
サラダは、ベビーリーフにルッコラを足して、 フルーツトマトとプロシュートとモッツァレラチーズを散らした。 モッツァレラはふんぱつしてブッラータ。 先日の新玉ねぎドレッシングにオリーブオイルとバルサミコ酢を和えて 塩とブラックペッパー。 岩塩が切れてたのが心残りか。
メインはホワイトアスパラガスのリゾット。 塩豚を足した。 あと思い付きで、 ミックスチーズに薄力粉をまぶしてフライパンで焼いて 何個か分に分けてって小さいボール状にした。 これをリゾットにのせてみた。美味かった…。
妻は大満足だった。
ダーウィンも面白かった。 帆立。 こいつ意味わからん。 そもそも貝が生きてるというのがわからない。 でこいつは動く。というか泳いだりする。 あと貝殻の開閉口にびっしりたくさんの目が散らされてる。 お前視界とかあるんか。 はじめは小さい帆立も プランクトンを食べて大きく育っていく。意味わからん。 番組では帆立が30万匹集まるスポットを紹介してた。 意味わからん…。
読書はあんまり進まなかった。 思想としての孤独。 良本の予感はある。 こっから面白くなってくはずだ。
休日は映画を観ないと いまいち脳が活性化しないみたいだ。 でも映画探し苦労するんだよな。 DVDで見たいし、 かといって近所のDVDレンタル店では めぼしいのほとんど見ちゃったし。
2021年05月15日(土) |
石を叩き割ろうとする飛鳥拳 |
ろくになんもしなかった。 無為に時間が過ぎていった土曜日。
図書館には行った。 三冊借りた。いずれも社会学。 道中思ったこと。 本を読んで仕入れられる知識や仕込める知恵、眠れる知は、 実際に人と相対して得られる生きた知に比べると数段落ちる、 "だから"、 読書は素晴らしいものだ。 なにしろ人と会って時間つかって ひいひい言ってコミュニケーションして ようやく得られる知より数段落ちる程度の知を たかだか本を読むくらいのことで得られてしまうのだ。 だいたいが、そう面白い人や賢い人、 刺激のある人に囲まれているわけじゃないのだ、一般人は。 「本なんか読むより、人と話した方がずっといいよ!」 という文言は恥ずかしい。
ついでに。 本を読むなら面白くないであろう本も読んだ方がいいし、 自分に向かない本も読んだ方がいい。 偏るから。 ある程度自分の好みの領域で探していると 複数の本で似たような言説が並ぶことがあり このとき 錯覚が生じかねない。 「みんな言ってる」「どの本にもそう書いてある」 という偏向だ。 これはよろしくない。 そもそも本を読まないならいいだろうけど。
ついでに2。 人もそうだ。 面白い人や賢い人に囲まれるばかりの好環境、 あまり望ましいとは思えない。 範馬勇次郎いうところの 「薬も食らう。毒も食らう」 の精神が至高だと思う。 なにしろこの世界に生きている限りは 面白くない人や賢くない人の方が多いわけで、 そっちにも精通できてないと つまりは世界に精通できてないことになる。 知見が狭まる。
3年半くらい前だったか、 20歳のころ仲良くしていたMくんと久しぶりに会って ものすごくガッカリした。 彼は当時から バックパッカーとして世界中の国々を 何か月も旅してまわる生活を繰り返してきていて 日本で金を稼いでは飛んでたそうだけど ある時期思い立ち フィリピンでいちばんの大学に入って 経済を学び 今はビッグデータの勉強を延々している…という話を聞いた。 その半生の中で様々な 常識では考えられないような 「すごい人」 と出会ってきたそうで、 それだけにほとんどの人のことがアホに見えるのだと白状していた。 しかしよくよく話を聞いていると 彼が何のために生きてるんだかよくわからない。 優しさや慈善は結局自分のためだとか自明のことを声高に主張したりとか 芸術は教養のために学ぼうとはしたとか とりあえず年収1000万が今の目標だとか 会社員を続けてきた僕のことがバカバカしく見えるとか。 「久しぶりになんというか、普通のひとと話せて、 あ、これが普通の世界なのか、って学ばせてもらいました」 とか 「この先連絡を取り合い続けるのは構わんのですけど、 正直、今の私とでは、レベルが違いすぎて、大変ですよ」 とか まぁだいぶきつかった。 "普通"の価値や意味を解体して再構築してみたりしてこなかった人だ。 人文科学と文芸とフィクションとネット文化に触れてこなかった人だ。 20歳のころは互いに尊敬し合える仲のつもりでいたから この現実はショッキングだった。 彼には何をどう言い聞かせようとしても それが言論にとどまる限り 鼻で笑われてしまうだろう。 行動と実践を主体にしていると見なしてあげれば 彼の振る舞い彼の価値観彼の生きざまは 十分主題にしてやれる。 一応、彼のことを敵として照準合わせてはいる。 この場合の敵というのは 人生におけるアンチテーゼの意だ。
昼飯は素麺。 北斗の拳のアニメを見ながら。 ケンシロウまじでこいつ面白がって人を殺してんな。 すんなり殺せばいいのに 背中折り曲げさせたまま 硬直させて 30秒後背中が曲がりきって死ぬ って いるか? その30秒。 最高だぜケンシロウ。
夕飯は揚げ出し豆腐。 空手バカ一代を観ながら。 飛鳥拳、大きな石を拳で割ろうとする修行に入った。 大きな石は鍛えた結果拳で割ることがかなうんであって、 大きな石をただ叩き続けても それは目的達成への道筋から外れてるんじゃないか、 それ全然修行じゃないぞ、 と思うんだけど こんな理屈はどうでもよいのだ。理じゃない。 大事なことだ。
あさひなぐ読み返してる。 面白い…。 人間の妙が面白すぎる。絵もいい。
読書メーターに上記の読書についての所感を呟いてみた。
ちょっと思ったこと。「本なんて読むより生で人と触れ合った方が得られるものが大きい」みたいな言説がありますが(ありますよね)自分もまさしくそうだと思うのですが本を開く程度のことで人と触れ合って得られる知に近い知が現れるのだからこれは一種の逆説が成り立ちやはり読書には十二分に価値が認められるんじゃないでしょうか。だいたい、人と話すと得られるものが多すぎてパンクする。1分話したら3日分くらいの思考の物種が溜まる。人との触れ合いは刺激強すぎ。本ぐらいがちょうどいい。 あと「次に読む本探し」は面白そうだとか自分好みだとかの領域に限らない方がいいと思います。視点が偏向的にならないように。それに、人相手でもそうだけど、つまらない、醜い、愚かしいものに向き合っていかないとなかなか弱る。ECサイトのリコメンデーションはさいあくだと思います。ついでにサブスクも大きらいです。人の世界を勝手に狭めようとしてきやがって。個人的には本当はゴミ捨て場から拾ってくるくらいが理想です。しないけど。
そしたらひっっっっっっさしぶりにコメントがついた。
偏っちゃいけないってことなんでしょうなぁ。私は結構考えてしまう人間なので生の経験とか行動とかするする飲み下す人を羨ましく思いますけど、やっぱり生の言葉で伝えられることって曖昧さもあるし、そこに人がいることによる忖度もあるでしょうし。ある程度自分の好きに読める本は本のありがたみがあると思いますわ。それでもその言説は本に偏っちゃいけないということに対する戒めとも思いますけどね。
こっちの文意を読み取ってるのかどうか不確かですっごいレスに悩んだ。
一冊も本を読まなければいいんですけどね。今日アニメの「空手バカ一代」観たんです。そしたら主人公の飛鳥拳が山籠もりしながら、拳で石を叩き割る修行をし始めたんです。ひたすら石を叩きまくってて。…鍛えた結果として石を叩き割れるほどの屈強さや極意が会得できるのであって、ただ割れない石を叩き続けても鍛えることにはならないと思うんですけど。しかしこんなのは理屈です。無力だ。僕は飛鳥拳がうらやましい。結局飛鳥拳になれないから本など読んでいるのです。読める本を選んで。まぁ飛鳥拳は一冊の本で人生決めた空手バカなんですが。
狂ったようなレスになった。
レスを考えながら、 正しくない意見などあるだろうかと思案してみた。 どんな意見も、ある見地からは正しい。 そして発信者はその見地に立っている。 いや、正しくない意見はある。 わかりやすい例が、それを裏付けるデータに反する場合だ。 しかしそれにしてみても、 発信した「その瞬間」は、彼にとっては反していなかったのだ。 客観的事実と反していたとしても。
やはり僕は、「意見の正しさ」の可能性を支持していきたいと思う。 思案の足りない意見はある。 そもそもほとんどの意見は、思案が足りていない。 足りているといえるのは神の意見だ。 言葉が足りない意見はある。 そもそもほとんどの意見は、言葉が足りていない。 足りているといえるのは神の意見だ。 こんな論法からすれば、 やはり世間でいう「正論」なんてものは覚束ない。 相対的にはなんだって正論に祭り上げてしまえる。 絶対的に成立するのは神の論理のみだが、 思案も言葉も足り切ってる論理を、人が、 それも素人が、そのへんの村夫子が、実現できるだろうか。
引っ越しのタイミングと 新型コロナワクチン接種のタイミングがややこしい。 妻の妊娠(するかも)のタイミングも加味しないといけない。
でもすごく生を実感する。 それぞれは独立事象で、本来互いに因果関係がない。 それらの事情が複層的に絡まり合って 現在の状況をかたちづくって、 立体化な視野を必要とさせてきている。 たまんねえな。 おりゃあ角度の違う事情が絡まり合うのが大好きなんだ。 だから細雪が好きなんだ。
2021年05月14日(金) |
オフィス街のマンションに住むシミュ |
スパイスとカスタード最終巻。 素晴らしい漫画だったな。 キャラがいきいきしていて…。 ポジティブシンキングな主人公すばらしい。
午前中は弁当が楽しみで仕方なかった。 朝からオムライスをこしらえたのだった。 しかし実際は途中でちょっと飽きる。 大盛にしてるのが悪いのだな。 自宅ではデミグラスソースでぺろりだけど 弁当だと味がずっと単調だ。
九段下方面を散歩するのはなかなかたのしい。 知らない町を徘徊する感覚がまだ楽しめる。 大通りから一本入った小道に面する 単身者用とおぼしきマンションが 土地柄に似つかわしくなくなんだか貧乏くさくて とても気に入った。 この部屋に住んだら…という想像を働かせてもみた。 いい感じだ。 貧乏でも、住み心地悪くても、生の実感は得られそうだ。 ずっと都市的なノイズが窓から絶え間なく聞こえてくる感じ。 でもネオンもなく、若者の喧噪もない。 オフィス街のエアポケットのような場所で、 なにやら後ろめたいような、見つかっちゃいけないような、 でも堂々としてていいんだおれは住人なんだという特権階級のような 複合した意識で呼吸するのはなかなか満たされそうだ。
お夕飯は 塩豚に 昨日仕込んどいた玉ねぎを合わせた。うんま。 タイタニック後半(二夜目)の 後半部(22時から)の前半(20分ほど)を観た。 浸水していく過程。 そういえば中学校のとき社会科の教師だったかが タイタニックを観たと感想していたのを思い出した。 面白くなかったと。 同じ海洋パニックものなら なんとかいう映画の方がずっと面白かったと。 …タイタニックをパニックムービーとして楽しもうとしてたのか?
原神、11層がクリアできない。 いやクリアはしたか。星が6に届かなくて12層が解放されない。 三問目後半のアビス二体を倒すために 第二パーティーを強化してるから 第一パーティーが虚弱。ジンさん頼り。 天賦があとイッコ強化できればいけるかな…。 ものすごく惜しいところまではいってるから 何度も挑戦してしまう。 あれこれ工夫を試してみるのも楽しく、時間が溶けていく。
油壷のマリンパークがつぶれるらしい。 ショ、ショック。 いいとこだったな。 全然覚えてないけど。 ものすごく楽しめたって記憶だけはある。
そういえば昨晩妻に 男子の排尿メカニズムについてとうとうと説いた。 お小水を立って済ませたときに 全身をブルブルッと震わせるあの所作は 映画なり漫画なりで見覚えがあるらしいが あれは排尿に必ず伴う生理現象というわけではなく 尿切れを促すための筋肉運動だからうんぬんと説明してるさなか 嘘でしょ信じられない と引き気味であったのが見ものだった。 僕自身意識してみたことはなかったがおそらくそうだろう。 座っていればあのブルブルは発生しない。 おそらく女性であっても 立って排尿したらああした所作が必要になるんじゃないだろうか。 こういうのどこで聞けばわかるんだ。 ネットで検索する気にもなれないし。
すごい長々書いてた日記が 全部消えてる…。 ショックだ。
部分部分、思い出して書いておこ。
今日は雨だった。 で とうとつにアバンストラッシュが放ちたくなった。 傘でやる真似事じゃなくて。 ものほんのアバンストラッシュを。 でも陸海空の剣技をきわめてないからだめだ。 世の アバンストラッシュ放ちたい勢は 設定の上だけでもいいから ちゃんと空裂斬とかできることになってるんですかね。 え? おい。 どうなんだおい、え。
高円寺駅前に響き渡るような威勢のいい声で接客してる 八百屋が邪魔。 公道にせり出してバンバン商品置いてるし 客も道に群がる格好になるし 路地がほとんどせき止められてるし。邪魔。公道なのに。 今日みたいな雨の日はなおさら。 でもこれを許容せんと町が死んでいくのよな。 生きた町を愛好していくには仕方ないのか。 邪魔だけど…。
脳内シチュエーションおったてて かっこつけシミュレーションしてた。
店とか駅とかで おじさんが女の子を威圧してるような場面で 割って入るわけです そのくらいにしときましょうよと。 でもおじさんも引くに引けないから 罵詈雑言をかましつつ かっこつけてんじゃねえよと こちらを非難する。 そこでこれから彼を叱らなくちゃならないんだが、 彼にはあまり正当性が認められない。 私は叱りっぱなしになるだろう。 でもそれじゃあ彼の立つ瀬がない。 かわいそうというわけでもないが、 総合的な観点から踏まえて上手じゃない。 味方してくれないか. あなたはもっとかっつけた方がいいですよ という。 どれだけ冴えない人生でも かっこつけることはできますよ という。 そっちの方がましですよ という。 勝ちだし正しいしかっこいいと思う。 何が勝ちで何が正しくて何がかっこいいか そういう定義づけの足かせを吹っ飛ばす力もある。 大体かっこつけられるとこはかっこつけた方がいい。 そしてここの文章は最悪だ。 かっこつけないとこんなことになるのか。 まとまりないし 言葉選んでないし 文法もめちゃくちゃ。 かなり本音を書けてるとは思うけど。 でもかっこつけてるときだって 本音は本音だ。
夕飯は手抜きしてロースかつ。肉屋で買った。 冷ややっこ。 こちらはショウガと鰹節、ネギを散らした。 食後に、新玉ねぎを1玉刻んで 塩とブラックペッパーとリンゴ酢で仕込んで置いた。 万能ドレッシングになる。
社会心理学講義、おもしろい! Twitterですかぢ先生が激賞してたから 取り寄せて買ってみたけど、早くもこれは名著だ。 直前まで読んでた だれもわかってくれない なぜあなたは誤解されるのか という アメリカの社会心理学者による本は全然面白くなかった。 心理方面にばかり傾きがちで、 しかも理論を現実世界に用立てようとするばかりに 類型化されたコミュニケーションをなぞる ビジネスマンの上っ面なやりとりを奨励するような 自分でものごとを考えられない人向けというか 実に程度が低かった。 そういった、似非みたいな「社会心理学」を批判してくれてるので気持ちいい。
「僕が一番興味あるのは社会心理学なのかもしれないと思って」 「フーン」 「本屋や図書館でうろうろしながら、 うわぁこの本棚読みたいのばっかりだな、 って思ったら区分が社会学なんだよね。 その中でも社会心理学が一番興味を誘う。 なんでいままで気づかなかったんだろうって。 出会った!て感じでさ」 「恋みたいだね」 妻はそういった。恋か。ふーむ。
誕生日のお祝いについては本人に相談してみた。 「というわけで、時局柄、なかなかプランが立てにくくってね」 「そんな程度で負けちゃうの?」 「負けはしないが、最高のにはしかねる。 この条件下における最適を目指すことになるね」 「ごちゃごちゃうるさいな」 「あ?」 「お?」 「だから、まあ、本来ならきみの望む通りにでもすればいいんだろうが…。 しかしなんだね。 アレがほしい、コレをしろといってその通りにするのは簡単でも、 きみあたりが望むのは、 自分でも意識していない欲求を叶えてほしいってとこだろ。 潜在的欲求を見出せというわけだ」 「まあ、そうだね」 「これがなかなか難しいんだぜ」 話しながらふと思いつき、執事デイをやることにした。 一日好きにしていいと。言いなりだと。 しかし普段からある程度似た関係性ができあがっているからか ことさらに言い聞かせようとしてもイマイチ思い浮かばないようで、 口の端にあがるのは罰ゲームめいた発想ばかりだった。 そういえば、 SMのSの方はサービス精神が旺盛でないと向かないらしい。 Mはただ受け手でいればいいのだが Sには絶え間ないアイデアが要求されるわけだ。 「じゃあもう考えておいてよ」 厄介なものだ。
北川みゆき先生の最新刊面白すぎる…。 どうしようもない僕とキスしよう4巻。 冒頭10Pくらいだけでも、 それまでのあらすじ知らずにいきなり読んだってこれ面白いもんな。すげえぜ。 なんでベテランなのにネタが尽きないんだ。 安定感にとどまることなく 脂ののった中堅作家みたいな勢いまであるし。
妻の誕生日が近い。 がコロナでデートも行けないし、大がかりな真似もできない。 今年もこじんまりとしたお祝いになりそうだ。 料理とケーキか。 世間一般に照らし合わせれば十分なのだろうけど わりとイベントは大事にしてる。 それは機会が訪れるごとに試されてるような気がするから。 試されるのはよい。 ありもしない課題を乗り越えていこうとするとき 生を実感する。
新しい性風俗を考えた。 客である男が女の子に優しくするサービスだ。 女の子は悩みごとを吐露したり 愚痴や弱音を吐いたり とにかくメソメソしてたりする。 男がそれを慰める。 偉そうなこともいう。 そして女の子はその言葉に(ヤラセで)感じ入る。 泣き真似くらいしてもいいだろう。
キャバクラやガールズバーなんかでも 女性を…あるいは水商売を…見下して 説教したがる男は多いそうだし そういうしょうもない自尊心を まだ平和的に満たせると思う。 わかりやすくヒーローにもなれるし 善人ぶるのってとても気持ちいいと思う。
でも結局最後には金払うわけだからな…。 成立しないかな。難しいか。 でももともとある商売に このシステムを組み込むのならできそうではある。 というか人気のある風俗嬢って これに近いことやってるんじゃないだろうか。 ウシジマくんのイメージくらいしかないから心もとないけど そういう賢さ強かさはいかにもありそうだ。
いまさら原神が面白くて ちょこちょこちょこちょこやってる。 鍾離先生引けたのが大きいんだな。 ドンドン強くなるから育成が楽しいし パーティーが強化されてできることが増えた。 螺旋11層をクリアできたのは感激だった…が 星が足りずに12層は開放されてない。 先生かジンさんの次の天賦次第でいけるかな。 11層の3問目後半のために第2パーティー強化してるから 第1パーティーが貧弱でというかジンさん頼りで 2問目前半が突破できなくなってもうた。
昨日の夜に仕込んどいた塩豚を ナスとともにオリーブオイルとバルサミコ酢で炒めて ブラックペッパー振って弁当にしたが実にうまかった。 塩豚は今回塩に漬けてから一晩だけだから さっと水洗いしらくらいで、炒めてる最中に醤油までちょっと足した。 塩豚は塩加減が全然読めない。今回はうまくいったけど次回どうなるやら不安だ。
でも夕飯のペペロンチーノにも加えてみた。 こちらは塩っ気の調整が割りとなんとかなるから気軽にやった。 ペペロンチーノは はじめ10回くらいは試行錯誤してたけど 麺をかなり早めに引き上げて にんにく唐辛子炒めてたフライパンにお湯ごとぶちこんで 茹で炒めながら乳化させるという荒業覚えてからは失敗知らずだ。 わかりやすいし。 具はキャベツが一番活躍してる。 次点でエビか。でも値が張るからな。
人心とか他者性とか地獄の正体とかいう 主題にあたるパートと お話の筋立てとあって 前者の方ばかりに気を取られていたから 5章を過ぎると筋立てがおろそか。今のところ。 終盤のたたみかけは大体決まってるから そこにいたるまでの中盤だな。中盤がすかすかだ。 それだけに自由にこれから詰め込めるともいえる。
ウーバーイーツやっぱ邪魔だなあ。 あのばかに大きい荷台の自転車を路上に置いて 運転主が植栽の縁に座り込んでスマホいじってる姿にいらいらする。 通行を妨げてるし。 これが単なる一般人ならそう気にはならないけど (荷物量が同じだったら邪魔ではあるけど) そもそもこの商売がなかったら この空間にはなかったはずの障害物なわけだから 全然仕方ないとは思えない。邪魔だ。うっとうしい。 カスみたいな商売だと思うんですけどね。 「ビジネスチャンス」って 人の潜在的な欲求をかなえる 隠れた需要を見出す みたいな商魂がたっとばれれて 建前上は「人のため」になるよう論法がくみ上げられてるし 実際「人のため」といえてしまえるような現実を達成しようとはしてるけど 「世のため」からはかけ離れてるケースがほとんどだ。 近視眼的というか。狭い、しょうもない視野で「人のため」とかいって。 バカみたいなビジネスが横行しくさってるから 世の中がドンドンつまらなくなる。
モノポリーの駆け引きの一つで 物件の権利書をトレードするにあたり こちらの物件の方が格が落ちるというとき じゃあ3回までならおれの物件止まっても無料でいいよ みたいな条件で成立させることがあって 一見公平感はあるのだけど これはトレードに参加してない者にとっては 相対的にただただ損だ。
需要があるからといって その価値を直鉄的に享受する市場参加者にとっては そりゃあありがたいことであっても それ以外の人に不利益をもたらすようなビジネスは まぁことごとく駆逐されろとまでは言わないが すくなくとも 人のためになってます 社会のためになってます みたいなツラしないでほしい。 そしてことごとく駆逐されてほしい。
まだ疲れてて全然本読んでない。
月曜日だけの特別な疲れ。 朝の時点で警戒してたから腹式呼吸を心がけた。 腹式呼吸で過ごすと明らかにだるさが緩和する。
が、妙といえば妙だけれども、 だるさに甘んじていたいというのもある。 気力を発さずに 身体が重いままに身を任せるのも これはこれで一つの快感で それを放棄するのはもったいないというような。 いや、だるさが不快なのは間違いない。 だがそれを解消しようとしたときに なまけたいという衝動がばくはつてきに沸き立ち なまけへの誘惑が強められ それが快感になるという…
まるで宿主を操る寄生虫だ。 快不快まで左右されてしまう。 だるさの生存本能。 やつらは始末されたがらない。
今日は仕事が忙しく それだけに気分がマシだった。 忙しいと裁量権が確保される。 仕事を円滑に裁くだけの能力が上の人間にないから こちらで切り盛りしてやる格好だ。 あれとあれのあいだにこれをやって、 それをしながらこの準備をして、 彼にはこの指示を、彼女にはあの指摘を、 いついつまでにこれが終えられた場合に限りこのプランを… と考えながら動いている分には時間がたつのも早いし充実している。 要はアホの言いなりになりたくないのだな。 実によく聞くやつだ。ありがちだ。
今日の弁当のおかず、 茄子とひき肉の豆板醤炒めがかなり美味かった。 いつもは豚ひき肉なのだが 明らかにヘルシーじゃないので せめて鶏むね肉の方がマシかなと試してみたところ むしろこっちの方が美味いかもしれない。 葉物に添えた鶏むね肉も抜群の出来。
今日読んだ少女漫画。 Cheeseのコーヒー&バニラ。 深見さんのビジュアルどんどん良くなるな。 リサさんはちょっとお人よしが過ぎる、 もうちょっとぐらい醜いところがあっていい。 ぶりっこみたいだから。 プレミアCheese掲載のコーヒー&バニラ-black-。 こっちの男は 女たらしの遊び人という類型であるのに 現代の価値観(というか需要)に合わせて 一途っぽさも前面に押し出さなきゃだからタイヘンだ。 破綻してないように見せてるけど ちょっと破綻してるようでもあるし でもそれらをひっくるめて成立してもいる… 同雑誌のパーフェクトスキャンダル。 この立ち位置同士なら いがみあったりしつつ仲を深めるのが王道だとも思うけど 普通に互いに距離感さぐりつつ くん付けさん付けで親しい男女っていうのは新鮮だった。 Sho-comiの仁義なき婿取り。 主人公死にかけ。終わりが近いか。 この作家さん、 毎回1シーンはオンナノコのお色気描写ないと気が済まないようだけれど、 今回は気を失った主人公が 男の子にお姫様抱っこされてるコマの スカートの垂れ下がり具合がすごく見ばえ良かった。 藤原よしこ先生のあしなが王子様は失恋する2巻。 大ベテランなのに全然失速しない…。 ますます面白いな…。 でも新キャラ、 せっかく王子様の彼に初めて親しく接してきたって役柄なのに いまいちパッとしないな。 うるせえ奴という印象がぬぐえない。
家帰ったら 怖れていた書類が届いていた。 賃貸契約更新のお知らせだ…。 6月には引っ越ししないと…。
夕飯はぶっかけ。 10分版ダーウィンを観ながら食べた。 小さい島を覆いつくすセイウチの群れ。 岩にも見える というか岩にしか見えないセイウチの群れ。 衝撃映像だった。
疲れ。疲れ。疲れ。 今夜は洗いものをさぼってしまう。 明日の朝やろう。
NHKの100カメで 結婚相談所のドキュメンタリーを観た。 所員は電話で恋愛相談のようなこともする。 ちょっとしたアドバイスや ときには説教に近い意見まで投げかけるのだが 自分が客だったら または相談員だったら を想定してみるとどっちにおいてもきつい。 というのは部分で判定されるからだ。 自分が客側だったとして ある振る舞いや選択に対し品評されるのは耐えられない。 部分的な行動、部分的な思考を その単位で見て取って 全体図を見れないというのは 誰しも正しくないと気づいてるはずだけど 本当にその例は多い。 いわゆる 正論 とか呼ばれる感じの指摘も、 大体部分に限っているので その通りに改めたら どっか別の歯車が狂う、全体の流れがねじれる、 ってことが往々にしてある。 それはお前の全体図にとってのみ成立するんであって こっちの秩序には反するものなんですよっていう。 こんな簡単なことがわからんのだ。 政治についての指摘、次いで仕事が多いか。 バカ丸出しで恥ずかしい。 でもいつもそれが誤るわけじゃなく それなりに成立するようなこともあるから 余計にたちが悪い。
「それになんの意味があるの?」とか 「今のやり方おかしくない?」とか まぁ大体似たようなあほさだ。 テーマにしがいがある。
プリチャン面白かった。 まさかプリチャンライブ中の お城まわりを走る演出が伏線になってるとは… キャッスルなんとかとかずっと言ってたもんな。
ミュークルドリーミーはめちゃ面白かった。 お空の女王様二名が せっせせっせと赤ちゃんぬいぐるみを縫って なんとかできあがって せーので息を吹きかけて 生命が宿って みなでお祝いムードを盛り上げるだけ盛り上げて 地上へ向けて投げ捨てた。 ダイナミックな捨て子。 絶対に育てたくないでござるというような。
空から落ちてきた赤ちゃんぬいぐるみは みゅーちゃんが拾って ちあちゃんという名前を付けていた。 ちあふるタイムでも活躍すんのかな。 ちあふるタイム癖になる。頭ん中で再生される。 応援してもらってる感じで気分がいい。
昼はジャージャー面。 白髪ねぎの下処理委時間が短かったから辛かった。 その後パウンドつくった。 キャラメル紅茶パウンドのつもりだったけど アールグレイパウダーがなかったから ほうじ茶パウダーで。 作りながらザ・ノンフィクション。 コロナ禍の女性タクシードライバー。 夜分に交差点で 無理やり目に右折しようとしてきた対向車と あわや衝突と瞬間 ハンドルを左にきって 無事減速できていたからよかったところ 目の前には歩行者がいて 当のドライバーは心底ふるえあがっていた。 とはいえ彼女自身 黄色が赤に変わるところで強引めに信号を突っ切ろうとしていたから 過失がないとはいえないだろうと思われた。 その後Twitter覗いたらトレンドにザ・ノンフィクション。 毎回放映時間はトレンド入りしてるよなあと思い かるく見てみると案の定叩きが。 生きがいなんだろうなあ。 叩きやすい人をつかまえて 叩きやすい構成で編集されてる番組見て叩くの。 醜いったらありゃしないぜ。
昨日にもまして天気がいい。 暑いってくらい暖かくて気が休まる。安らぐ。 妻とあさひなぐを読んだり ちょっとだけ昼寝したりして 暑さが収まってきた16時ごろ 野方方面の公園に読書しに行ってみた。 男子小学生が10人弱も集まって元気そうに遊んでいる。 ボールもなしに何が楽しいのかキャアキャアはしゃいでいたが、 やがて500mlのペットボトルに水を入れ蓋をしたそれを 上空めがけて投げ飛ばし始めた。 代わる代わるに投げ飛ばす。 惜しいとか、あとちょっととかいった声が叫ばれる。 どうやら園内の照明設備の上に載せてみたいらしい。 10m近くありそうなのその設備のてっぺんには たしかに50cm平方ほどの水平な領域があった。 しかし載らない。 僕の座っていたベンチからは どれだけ角度がズレているか丸わかりだったが 彼らの位置からは空間が把握しにくいのだろう。 なかなかいい光景だった。 あんな遊びは、 本当にやることがなくて暇で仕方ない、 という状況でなければ到底するものじゃない。 子どもは暇で暇で仕方ない、という環境に置くべきだと思う。 自分で遊びを作り出せるし。 どう見ても文明的じゃねーので 大人から見ると何やってんだこいつらって感じだけど 尊重すべき。 子どもからしてみても 何やってんだろ俺らって感覚あるだろうけど 尊重すべき。 大事な大事な時間だ。
夕飯にはホッケの塩焼き。 それと珍しく惣菜を買ってみた。チーズコロッケ。 妻は焼き魚を嫌がる。 せめて何か一品足してくれとねだるので今回は甘やかしてやった。 調理時間が短いから ついでに鶏むね肉を柔らかく茹でて あと鶏ひき肉で肉だんご作っておいた。こちらは弁当用。
ダーウィン、今週は先週に引き続きチーターの群れ特集。 三年追ったドキュメントだーっつって、 5匹それぞれのキャラ付けもしてあって ストーリー仕立てで 最悪だった。 人間の見方で 動物たちをキャラ付けして物語にするのは 自然を追ったドキュメントとしてフェアじゃないと思う。
食後、録画してあったNHKのドキュメント72時間を見る。 とにかく録画機器が復帰したから録っては見てるのだ。 今回は海上タクシー。 港周りの人々を追っていたなかで 小屋で飯食ってるおじさん見つけて 撮影スタッフがお仕事なんですかと聞くと 「大工さん」 との答え。 自分でそう呼ぶのいいなあ。 その後この大工さんは海辺に歩いて行って 弁当の一部を海の魚に投げ与えてた。 「日本の魚だからコメの方が好きだろう」 っつって。 いいなあ! これ映画や漫画や小説なら相当上等なセリフだ。
書いてる読みもの、 小説と呼ぶのが一番近いが なるべく小説の型にしばられないようにしたい。 ウェブ日記だとか2chで見るようなスレ主の語りのように 人名がなく風景描写がない。 ごく個人的な手記のように心境のアカラサマな書き連ねが多い。 小説には縛りが多すぎる。 小説はもっと自由でいいはずだ、 とされながらもなお、 良い小説かくあるべき、という最低限の秩序はあって、 そこんとこを全然満たせてないわけですが 今回はもういい。
やりたかったのは 今考えてることのオモテ面を全部日本語文にぶちこむこと。 つまりは人間界のよしなしごとを。 できるならエッセイでもよかったが お話にとじこめる方がより適してると思われただけだ。 だから小説として優れてなくっていい。 逃げ口上みたいだけど。 いや実際逃げ口上ではあるか…。 小説を書ける人間であればきっとうまいことやるのだろうし。
妊活の相談をしに産婦人科へ。
道中、妻から 二世帯住居を構えていると 相続税が安くなるのだと聞いた。 この友達とのリモート飲みで知ったのだそうだ。 この制度を活用するためタイミングを見計らって 住民票を移し替えた人もいるとかなんとか。
僕は節税があまり好きではない。 日常生活の範囲内なら構わないが 法制度の隙を縫って 賢く立ち回ろうみたいなやり口は嫌いだ。
節税というのはおおよそ 累進課税の影響の強い資産家や高給取りが取り去汰しているものだが 例えば連中は あっちで買えばお野菜が20円安いの ここの自販機は高いだの といった 倹約家、吝嗇家の行動及び意識を見下しがちだ。 「そんなものに時間を使うな」 「その分稼げばいいじゃないか」 「単に貧乏くさい」 といった論法で。 それでいて こと税金となると いかに自分の金を国に納めず済ませられるか ガンバルっていう。 バカバカしいったらありゃしないぜ。 額の問題とかじゃないと思うんですけど。 性根がださい。
そんなことを バスを待ちながら目の前にある自販機を見て思った。
バス内ではアメリカの社会心理学者による 「なぜあなたはわかってもらえないのか」 みたいなタイトルの自己啓発書すれすれの本を読んだ。 面白くない…。 これから面白くなるのかな…。 社会心理学という分野には興味津々ではある。 とりあえず気になったのは サメと雷のどちらを恐れるか人々に尋ねれば ほとのどの人がサメと答えるが アメリカでは年間のサメの被害者数が数人であるのに対し 雷の方は何千人もいるのですとかなんとか。 いや母数を一括しちゃいかんだろ。 雷の方はほぼ全国民を対象にできるが サメの方は海に行った先でのできごとだろう。 それも浅瀬で海水浴しているわけじゃなく 沖の方にまで行ってのことだろう。 比べるなら 「雷がある日に誰かが被害者となる確率」 と 「サメが出るような海域にまで行った人が被害者になる確率」 だろう。 そのうえで、どうアンケートをとっていったのか 詳しいところは定かじゃないが 質問の術語が「恐ろしいか?」であれば そりゃあ落雷よりもサメに食われる方が恐ろしいだろう。 だいたい落雷による事故なんて 直撃して黒こげなんてもんじゃなく感電や轟音の衝撃なんだろうし。 サメの方はよくてパニックによる溺死、悪くて食われるだから。 そもそも落雷の被害者ってどこまでを数えてるんだ? 外傷あり後遺症なしの被害なんていくらでもありそうだけど。 …そういった側面を無視して 都合よくおのが理論に取り入れているから 牽強付会の感が否めず信用ならない。
産婦人科にはやや遅れて着いた。 本町三丁目という停留所を目指したが 路線違いで 中野区の本町(ほんちょう)三丁目と 渋谷区の本町(もとまち)三丁目が隣接してるようだ。びっくり。
ほとんど励んでもないのに 今後の方針を定めやすくするためにという名目で 来院は心から気は進まなかったが 院長先生の話は面白かった。 まるで妊娠にいたるまでの活動はまるでゲームのようだ。 それもバランス調整が抜群に訊いている。 検温、生理周期から妊娠しやすい時期をねらって励む、 おおまかに言えばそれだけとも言えるんだろうけど 数々の見えない内部ステータスがあるから それを読んでいくっていう。 一番は数こなすことだけれども 排卵を促す注射を打って当たりの率を高めるとか これっていわば課金制で手間暇をショートカットしてるよう。 あと、女性の中にはたまに 精子絶対殺してやんぞ抗体を有しているひとがいるらしい。 詳しくはわかってないらしい。 生命界にたてつくような設定だ。 精神どころか身体からミサンドリーっていう。発想にもなかった。
病院出てから入ったラーメン屋、 店構えは中華そばと銘打ってるし どこにもそんなことは書いてないのに にんにく量がすさまじいラーメンで気持ち悪くなった。 書いといてくれよ…
録画しておいた 逆襲のシャアを観た。 Gジェネとかのゲームでシナリオは知った気になってたけど ちゃんと見たことなかったので。 ガンダムの世界観に触れる自体久々な気がする。 宇宙世紀という設定の根幹にあたるコロニーは 「増えすぎた地球人口」への対処なわけですが 結果的には現実の世界は人口減少に向かっている。 ガンダムが放映されたのは80年代初頭だったか? この時代は日本のみならず先進諸国が 医療技術の進歩や 人々の健康意識および知識の向上、 食料の生産および分配の能率化、 といった数々の理由から人口増えきってたわけだ。 でも現実は人口減ってる。 少子高齢化は日本だけの問題じゃない。 これじゃガンダム始まらないな。 で 人が死ににくくはなってるのに 人口が減るってのはつまり 人が増えてない つまり出生率の低下 つまり子作りの問題 つまり今日病院で話をしてきたまさにそれが問題なわけだ。 こうつながってるくのだなあと実感した。
逆襲のシャアは 名作という声もあれば ファンからは不満という声もあったけど けっこうおもしろかった。 アムロとシャアが舌戦繰り広げてるだけでも楽しいからな。 トミノ節で。 しかしトミノ節なんて言葉でわかった気になっていいレベルじゃないよな あの魅力的なセリフの応酬の数々は。 名言も多いがそれだけじゃなく あるセリフに対する返しのセリフが ちょっとズレてる(ズラしてる)、 その具合がなんとも面白い。
あとνガンダムが小さいころ好きすぎて フィンファンネルについては 年が長じてからも大好きで 今回初めてアニメで見て あぁやっぱり富野だから わかりやすく大活躍みたいな感じじゃないよなあと むしろ安心した。 子どものころ見てならガッカリしたろうな。 無双してほしいものだし。
アムロになついたクェスが ハサウェイとともに車に乗せてもらってたシーン。 たまたま一行がシャアと出くわしてしまったので アムロと白兵戦になるも シャアの弁に同調したクェスがアムロを裏切ったところで シャアが一切戸惑わずに 「来るかい」 と手を差し伸べるのかっこよすぎる。 あれは惚れるだろう。
昼でウェップてなったから 夜はあっさりしたものを。 アジのなめろう。 また三枚におろした。 スパン短い。 飯食べながら録画しておいたソーイングビー見た。 お題が 70年代に流行ったらしいマキシドレスという丈の短いドレスで 仕上がったドレスの中では ぶっちぎりに チャイナ仕様をミックスしたみたいなドレスが可愛かった。 袖口が広く裏地を見せる格好。 柄も落ち着いてて可愛かったんだよな。
飯食ってからはゲームいっぱいした。原神。 ショウリ先生を入手出来てしまったので ひたすら強くする作業。 聖遺物鍛えて 武器鍛えて 突破素材集めて 天賦素材集めて 秘境出入りして スライム倒して 合成して合成して… おかげで1軍入り。
風がきんもちいい。 人と会いたくなるな。
仕事でちょっと面倒な成り行きに。 発注元がスケジュールを今よりタイトにしたいとの由。 僕が請け負うスケジュール管理は複雑になるが そう難しい話でもない。 しかし今は無能の先輩を間に挟まなければならないから 簡単な話もややこしくなる。 本来なら立場上はこの人が現場代表として営業と打ち合わせるのだが 全然仕事を把握できないので一緒に立ち会う。 事情を客観的に整理した上で、 当面の目標を定めつつ 不測の事態への対処はこれこれこうして、 このようにワークフローを改めて…といった話を ペラぺ〜ラしてたら それが終わるか終わらないかくらいのタイミングで なかば遮るように 「だからまぁ、きつくなったら残業で対応していくしかないってことですね」 殺すぞ…。
しかなくないし 全然 しかなくないし。 しかなくないってことを 懇切丁寧に説明していたわけだから。
〜するしかないって 何も考えてないやつの常套句だからな。 もともと大嫌いな言い回しだけど この先輩があらゆる場面でれんぱつしてくるからビックリする。
亜種として 考えなければならない とか 考えさせられました とかも 何も考えてないやつの常套句だ。
今の職場の何がつらいって こんな連中に囲まれてると 気付かぬうちに頭悪くなるんじゃないかって危惧だ。
「まわりの人間がバカばっかで〜」 て言ってる時点で雑魚っぽいもんな。 ここ以外で言うことはないけど。
魅力的で頭のいい人ばかりとまでは言わなくても 魅力的で頭のいい人が散らばってるような環境にいる人を羨む気持ちがある。 今は 自分でものを考えられない愚図にかこまれてしまい これは我が身を思えば悪影響に違いないはずなのだが そのせいでもたらされている悪感情は大事にしていきたい。 満足してりゃあ満足ってわけじゃねえんだ。
んー… やっぱこれ良くないのか…?
Twitterに載せる文章では ネガティブな内容を避けていた。 おかげで希望とか祝福とか喝采とか そういった観念を肌身になじませることができて それはもうかけがえない収穫だった。 だが more!more! の精神から やはり絶望とか怨念とか蹂躙とか ネガティブなハート&マインズも大事にしていきたい。
帰ってから 金曜ロードショーのタイタニック観た。 前後編の前編で、 その後半1時間分。 冒頭が好きなんだけどな。 ディカプリオ演じる金のない若者が ポーカーで勝負して 買って チケット巻き上げて キャッホーゥっつって 無限の希望を胸に豪華客船に乗り込む… という一連の場面が凄まじい早さで あの早さが好き。1分もかけてなかったような。
あの映画 ちゃんと男が女を口説くからいいな。 やっぱ口説かんと。正面切って。 しかしあの男は 金持ちの世界にあこがれて船に飛び込んだくせに 本当のパーティーを見せてあげるよと言って 労働者階級の催しの場を どうだ素晴らしいだろう と言わんばかりに持ち上げるのは気持ち悪いな。
毎晩妻に語り聞かせている寝入り話、 これまではお題を変えてきていたのに ここ最近はずっと 手乗り動物 の話をせがまれてしぶしぶ続けている。 逆盗賊の話だ。 道々で拾ってきた価値のありそうな品々を 訪れた町の民家に忍び込んで置いてきてしまう。 という一味の話ならぬ話。 話としては中身がなくとも 妻は寝る前には とにかく可愛い話が聞きたいとのことで この手乗りサイズの動物たちの奮闘記を気に入っている。 あとは毎晩お題を出すのにも疲れたのだろう。
会社連休終わり。 引っ越し先で初仕事。 一部を除いてだいたい皆もくもくと作業し始める。 感想とか全然なし。 コロナ禍で会話が奨励されないとはいえ異常な光景だった。 小学校のコンピューター室みたいな匂いしますね、とか 雑音が減ってキーボード叩く音が目立ちますね、とか そのくらいのコメントしてみても「はぁ」という感じで。
余計なコミュニケーションとらなくて済むのが 今の職場の良さでもあり問題点でもあり、 その雰囲気が嫌になった若手が何人も辞めてきている。 僕にしてみても 仲良くしたいわけでもない職場の人間と 意味もなく会話したいとは思わない。
だがしわ寄せというのはある。くる。 コミュニケーションには労力がいる。 あれは疲れるものだ。 ほんの一言二言であろうと、 友達でもない相手にそれを日々続けていくのはストレスだ。 だからそれを避けられるのであれば 避けた方が 疲れずに済む… と思いきや、その結果、余計に疲れを招く未来が待ってたりする。 というわけで、ほどほどにはやっといた方がいい。 …こんな話を当の同僚に伝えるわけにもいかないから難しいな。
職場にはもともと仲のいい相手が何人もいたのに 二年ほど前に皆やめてしまった。 おかげで毎日がつまらない。 唯一仲良くしている先輩と久しぶりに帰りの電車で居合わせた。 GW中のストレス…docomoへの不満などを笑い話の調子で語ってみた。 激情に駆られて 怨念まき散らして でもこんなことぐらいで感情高ぶらせるおれが 結局は一番おろかで幼稚で害悪なのだ… そういった口振りをしていったところ メンヘラみたいだと笑っていた。 本気でそうは思っていないから冗談になる。 そうだ、全然メンヘラではない。 しかし先輩も全然メンヘラわかってないな。
ものすごく眠くて帰宅してダウン。 夕飯は 鶏モモ肉とクレソンのスープご飯。 煮込むだけでできるから楽。 今回はしめじも加えてボリュームがある。 ニンニクを揚げて散らす。 楽だけどカフェ飯っぽい。 新玉ねぎをオーブンでとろけさせてやりたかったが 35分じゃ足りなかった。 しかもスープご飯のボリュームもあったから結局食べずに。 つつみなおして冷蔵庫へ。
読み物、三章目が終わった。 手ごたえがない。
観たり書いてばかりであまり読んでなかったから シティプロモーションてぇまちづくりの本を読みきった。 まち、地域ときたら人口が取り去汰される、 その人口はたんなる定住人口とは別に 関係人口と呼ばれる新たな概念があって より多様な関わり方をうんぬん〜という本だった。
昼は醤油ラーメン。めんま入り。
女子高生の裏社会て本も読み進めた。 2014年の本。 時期をかんがみると この世代が今パパ活がどうとかなってんのかな。 2014年時点で16歳だったら 2020年で22歳。大学生のおわり。 パパ活は去年あたりに話題になったけど こういうのはその数年前から成長し続けてるのが常だから かなりジャストなはずだ。 でも読んでると 性被害に遭ってる子が多すぎてへこむ。 女性がつねづね細かいところで 性被害を警戒してあるいは怖がって生きている、 というのは知ってるつもりだったし かなり意識できてる方だろうという自負もあった、 おくびにも出さないだけで 性被害に悩んでいる女性がいるというのも想定している、 だが たとえば身の回りの男が おくびにも出さないだけで 性犯罪の加害者かもしれない という想定はしたことがなかった。 「男は、女の前でしか見せない顔を自分一例しか知らないし、 女もまた、男の前でしか見せない顔を自分一例しか知らない」 って持論はあるのに。 知らないんだものな。 男友達が女に本当はどう接してるのか、接したいのか、 接してきたのかなんて。 おくびにも出さないだけで 本当は 軽かったとしても 女性を性的に悩ませてきてるのかもしれない。 それを 女性に対して 実は性的に悩まされてきてるのかもしれない と斟酌するのと同じレベルで 想定しなきゃならない、 と断じるのはまだ早い。 その是非はまた別だ。 しかし可能性の一つとして頭に描いてもみなかった、 これは情けない。
夕飯は真鯛のムニエルに マッシュルームのマスタードソースかけて かぼちゃとズッキーニを付け合わせにした。 うまいぜ。
Lo-fi HIPHOPいいなあ。 作業用BGMの究極という感じ。 原神のアレンジが気に入った。 ようやく流行り始めたくらいのジャンルみたいだし これから既存の音楽がアレンジされていくと思うと心躍る。
礼儀作法の本読んでたら アッて思った。 日常生活の場面ごとに 気遣いが審判されるわけだ。 人はその都度、どう振る舞うべきかを判断している。 振る舞いの一つ一つにはそれなりの理由がある。 これ "その時の正しさ" に通じるやつじゃん。 今の問題意識になにも関係ない本読みたいなって思って 何気なく手に取った本だったけど こうつながってくるとは。
というより主題を抱えていれば なんでもかんでも通じていくのかな。
晴れまくり。 朝のうちにゴミを捨てに行きたかったのだが 妻が自部屋のゴミをまとめるのを待っていたら 回収に間に合わず ちょっと揉めた。 何にも遺恨はないのだけど 後々役に立たせたいからその一幕を記録しておく。 …というのも、昨日見た4ヵ月〜でもそうだし、 あとはアスガー・ファルハディ監督の映画なんかでもだけど、 ちょっとした思惑のすれ違い、 互いに正しいとする言い分はあるのに諍いになる、 といった会話劇のドラマがすごく好きなので、 現実で起きたら一度はちゃんと残しておこうと思ってたところだったので。
発端としては昨夜の時点で、 深夜3時を過ぎてから、 本来朝に出すべきゴミもこの時間帯ならいいだろうと 絶対に今回は朝に出し忘れたりしたくない僕が提案したところ、 妻は いやここのゴミ回収はいつも遅い、午後まで放置されていたりするから と言い、自部屋のゴミをまとめるのは翌朝にすると突っぱねた。 ものの1分で終わるのだから今してもらえればそれで済むのに、 明日の朝にまた待たされたりゴミ捨てに行く予定を確保しといたりと こちらからすればデメリットだらけではあったが たかだか1分とはいえここで やれ と強制すると機嫌を悪くするのは明らかだったから彼女の案を呑んだ。 果たして翌朝、僕は8時前には目を覚ますが妻は遅い。 9時半まで寝かせておいて飯を食べさせ、 ゴミをまとめるよう伝えるが先に一服、 それから衣類を洗濯機へ、 ゴミをまとめるよう再度伝えたが 言われなくてもやるから と言い返し別の雑事を済ませ、 それからゴミをまとめて、10時になって、 コンビニに行くからついでに出してくると言う。 任せてみたところ、すぐ帰ってきて「もう回収されていた」とのこと。 「ごめん」と言い残し再び今度はコンビニへ。 数分後帰ってきて、僕が文句を言う。 「今回のゴミ捨ては、絶対に出したかったんだ。連休中で多いから」 「でも、ごめんて、謝ったじゃん」 「なにか、あぁゴミ捨てが自分の担当じゃないと思ってるから その程度の意識でいられるんだなって見えちゃうんだよ」 「別に、昨日の時点で自分の分だけでも 捨てに行ったらよかったんじゃないの?」 「……」 「勝手に待っておいたわけでしょ。え? どうしろっていうの?」 「過失を責めてるんじゃなくて…。次につなげてもらいたい」 「そういう意味で言ってたの? え、自分の担当じゃないから〜とかいうのも?」 「そうだよ」 「わかんない」 「…べつに、たしかに昼過ぎまで回収にこない例を きみは何回も目にしてきてたんだろうし、僕もまぁ知ってる。 怒れるいわれはないってきみが言いたくなる気持ちも、まぁわかる。 でも僕からしてみたら、こういうことが容易く想定できるから、 だから昨夜にせよ、今朝にせよ、何回もゴミをまとめろって言って」 「どうしろっていうの?」 「…僕はとても…ぶちぎれたいようなところを我慢して… とても不快になりながら… でも自分の正しさをただ並べ立てたって… きみの不備への指摘をたたみかけたって…仕方ない。 きみも、いま面白くない気分なのを我慢して、 そのくらいの態度にとどめてくれてるんだろう。 だから逆ギレってほどじゃない。 でも気持ちの上では納得いかないんだろう。 といったって、僕からしてみたらね。 そりゃあ、なんとでもいえるよ。 僕がいつもまとめてるキッチンのゴミを "自分の分のゴミ”だって? よくも言えるね? いつもゴミ捨ての予定とか段取りは僕の頭にはある。 きみはどうだ、って、責め立てても…仕方ない。 論破とかしたいんじゃないんだよ。 ただ…ハイ私が悪かったですとか、 そんなに私が責められることないとか、 そうじゃなくて、 私私、じゃなくて、 僕が不快になるのはごもっともな話だろ? こっちに目を向けてくれよ。 あなたが気分を悪くするのもしょうがないって理解を寄せてほしい」 こう言い聞かせると、しおらしい声で ごめんね と呟いて、僕の気もおさまり、そこからはいつもの仲に戻った。
実際彼女の判断は、そう悪くはないはずだ。 というより言い分がある(わざわざ口にしていなかったが)。 「昨晩は忙しかった、タイミングが悪かった」 「朝ちゃんとやるつもりだったのは本心だ」 「似た予定でこれまで何度もこなしてきている」 「ゴミの出し忘れ自体はそんなに大ごとじゃない。 今回は絶対に出したかったという夫の意は知らされてもなかった」 「自分の分のゴミだけでも自分で管理できていればいいはずだった」 「いつもできていないわけじゃない」 「他にもやることがいっぱいある。 ゴミ出しを意識してないわけじゃないが、 私がたくさんの仕事を同時に処理していくのが苦手だとは 夫の方でも承知しているはずだ」 「たまたま前日にゴミをまとめられなかったこと、 朝まとめるのがちょっと遅れてしまったこと、 今日に限って回収が早かったこと。 夫が今回は絶対に出したがっていたこと。 これらはそれぞれ別問題のはずだが、 偶然、不幸にもすべてが重なってしまった。 それを一つの大問題扱いされても困る」 「次は気をつけろというが、私だって気をつけていないわけじゃない。 私なりにちゃんとやろうとはしている。 さぼろうとかいうつもりでいるわけじゃない。 それでもこなせないのは私の限界なわけだから、 じゃあどうすりゃいいのって言いたくなる」 「いちいちあれしろこれしろって、言われたくない。 自分の時間を邪魔されると面白くない。 あれしろって言われたらやる気がなくなる。 やることはやっていきたい。 でもそれは自分のペースでのこと」 まだまだ出せそうだ。
幼いころ長兄と将棋していた記憶。 僕が指した一手に、横で見ていた次兄が 「バカじゃんそれなんの意味があるんだよ」 と口をはさんだ。 僕には僕なりの考えが、浅くともあった。 おそらく次兄の見通しの方が正しく賢いことは、 それは自分にもわかっていたが、 しかし僕にも僕なりの 「"その時"の正しさ」というものがあった。
架空の記憶。 誰かが乗る車の右横に立ち、運転席の彼と話している。 助手席に乗り込むよう促される。 車の前を回り込んで助手席へと向かう。 「ふつう後ろから行かない?」 と指摘される。 たしかにその指摘の方が真っ当かもしれないが、 助手席へと促された 「"その時"」には自分なりの判断があったはずだ。 自分に見えている情報から下された「"正しい"」判断が。 その判断は、判断と呼べるほどのものじゃない。 ほとんどどちらでもよかった。 でもなんとなく、今回は"その時"前からまわってみることにした。 その"なんとなく"にどんな判断が込められていたかは、 相手から指摘されることで立ち上がってくる。 「後ろを通って回り込むよりちょっとだけ距離短いから」 (ささやかな合理性) 「視界から消えられるのちょっと嫌な気分にさせちゃわないかなと思って」 (過剰な気遣い) 「家族の車に乗るときよくこんな風に前から乗り込んでたから」 (主観的経験) 「後ろの方に別の人が見えたから」 (気分) 「体が斜めに、どっちかていうと前の方を向いていたから、自然に」 (なんとなく、につけられそうな理由) いずれも、わざわざ口にして伝えるほどのこともない。 というより、口にすればするほど嘘っぽくなる。 だからこの手の理由付けは、人に語られることがない。
これが、今回僕が書こうとしてみている、「地獄」の正体だ。 他者は勝手な評価を下してくる。 これはサルトルの思想にもある、"まなざし"だ。 サルトルにおいては、"まなざし"の中に地獄がある。 他者から下された評価に対して、"私"は反論を試みたくもなる。 しかし自分一人では実証されない。 さらなる他者がそう認定されて初めて、"私"はその内実が認められる。
ところが、人には明かさないまま、自分の中だけにとどまる自分らしさ、 自分の正しさ、"私"像がある。 これが、先の言い分、言い訳、"その時"の正しさだ。 僕はこれこそを地獄とする。 そしてその地獄には、他人を招き入れることができる。 つまり、脳内論争みたいなものだ。 頭の中で、こっちの言い分を伝える。相手も言い返す。 実際にはそんなつまらない言い争いなどしない。 でも、頭の中では繰り広げる。 これが、「地獄に落とす」の正体だ。 これは"私"の核心ではない。 "私"の中でも端っこのものだ。 でも、髪の毛や爪のように、いずれ切り落とされたりはしない。 それを間近に目撃しながら、なおもしぶとく"私"にとどまり続ける… 爪の語源は「はし」からきているという説がある。 ならば、その地獄が爪の裏側に宿っていたっていいだろう。
そして。 そして、この地獄を、ただ忌まわしいものと呪わず、 祝福してやりたくもある。 人は呪いながら祝える。憎しみながら愛せる。 ちっとも矛盾なんかしない。 言い争いはさせてしまおう。 でもそれは、祝福の中で。 地の底のようなところでも、上を見上げれば美しい世界が広がっている、 そういう場のなかで。
…ちょっと論法弱いかな。 祝福についてはまだ練らないといけない。 ここの接続がうまくいくか次第で、 今回の読み物の価値ががらーんと変わる。
追加メモ。 主人公は他者を"私"に取り入れることに慣れている。 それは例の悪趣味において、さらには人口地理学において。 人様を情報として見なしているわけで、空海さんに怒られるやつだ。 レヴィナスにも怒られるやつだ。 「私はなぜ他者を渇望するのか。 それは他者が私から超越した存在だからである。 超越した存在は、そのものとしては、私のうちに同化されない。 つまり私によって所有されることがない。」 主人公は、女主人ビナについて誤解していることがある。 物語の終盤で彼女はそれを知り、 今までのビナとの日々の意味が変革されてしまう。 情報を追っていてはそうなるという仕掛け。その人を見よ。 「地獄に落とす」もつまりは情報により模擬戦みたいなものだ。 人は他者を"私"に取り入れながら接している。 誰しも、他者を地獄に落としている。 ある人は、関わった人々すべての人のなかに割拠している。 でも、本当は、それぞれ独立して、 人はみな"私"のなかに"私"を割拠させている。 三千世界は"私"の心の中にある。 だからいずれは、地獄には私一人の空間となる。 そのために祝福を… あぁこれならいいかもしれない。
2021年05月03日(月) |
iPhone、ゲーム、映画 |
iPhoneの交換機が届いた。 おおむねスムーズに移行できたが 唯一 やはりdocomoのアカウントまわりがカス丸。 こんなアプリを作ったり作るの指示したり 管理したりしてる人間一同全員恥を知るべしだ。 親兄弟に恥ずかしくないのか そういう陰湿な責め方をねちねちやってやりたい。 現場作業員はいいか。それより上の一同。 最悪。最悪はこのことだ。 いらいらしすぎて日常生活がままならなくなる。
昼は昨日作った餃子のタネが残ってたから これをごま油でトマトと炒めた。うまい。 再放送してたらんま1/2が録画できてたから観た。 キャラの絵がかなり可愛い。 深い意味じゃなくてシンプルに可愛い。
午後、母の日のための花を贈るため妻と花屋へ。 うちの母親へは蔓薔薇の鉢植えで決まったが 妻の母の方が決まらない。 7日までは配送間に合うそうだから先送りに。
女子高生の裏社会という本を読む。 2014年当時の JKリフレとかJKさんぽとかの 秋葉原っぽいグレーゾーンなビジネスが主題。 摘発を免れるために店舗を構えず マンションの一室を事務所にしている… というところで感興を得た。 今書いてる話、ボランティア団体の事務所を やはりマンションの一室にしてみてるから とても参考になる。 マンションやっぱ面白いな。 マンションをテーマにした話の方も早く書きたい。
うあ うおああああああああああああああああああ
文字だと気軽に叫べてよい。 なんで現実では絶叫しちゃいけないんだろうか。 目の前に絶叫し始めたやついたら 誰よりもいぶかってやる自分ですが。
休日だしーと思って 割とがっつりゲームやった。 原神。 長く続けてるから キャラクターへの愛着も湧いてきたな。 ジンさんがドンドン強まっていってて 今やかなりひいきしたい。
夕飯は天ぷら。 かき揚げと、ごぼう、大葉、かぼちゃ。 大葉がMVPだった。 天ぷらって安上がりだよなあ。 以前は油がもったいない気がしてたけど まぁ実際もったいないはもったいないんだけど コスト面だけでいえばけちることはないと知れた。
NHKの コロナ禍のタクシー運転手を追った軽めのドキュメンタリーを 食べながら見た。 女性タクシードライバーの車に乗り込むなり お姉さんタイプです と切り出したふぐ料理店経営の男が気持ち悪かった。 いかにも慣れていて。 あれなら女性もそう不快でもないだろうなあという程度で とりあえず言っとけみたいな軽々しさが 客観的にはとても不快だった。
映画。 4ヵ月、3週間と2日。 クリスティナムンジウの。パルムドールの。 ずっと再鑑賞したかったけどとっといたやつ。 妻が僕の薦めていった中から コレ と選んでくれたので。 「めちゃくちゃ暗いけど大丈夫?」 「いつか観るつもりではあったけど、 これからドンドン見づらくなるばっかりだと思って」 「なるほど」 果たしてやっぱり素晴らしかった。 妻は 「よかった。面白かった…。が、感想が浮かばない」 と締めていた。 この映画の良さは、脚本は勿論だけども、 時間の流れの演出が良い。 ある場面の映画内の時間と、それを見ている時間とは その秒数は一致しているはずでも 表現としては違う。 堕胎の支度を終えた友人の前で 黙って座っている主人公の画、 ただ座っているだけで一分くらいとっている。 これは、映画の鑑賞時間としてはすごく長い。 しかし作中の時間としては、もっと長い数分間を表現している。 それを数分間かけて描写せず、一分で見せるわけだ。 恋人の家族が集う食卓の場面でも、 あの会話シーンはすごく長い。言葉数も多い。 しかし作中の、…作中の"現実の時間"は、もっと長いはずだ。 これが映画の醍醐味だ。 小説でも漫画でも表しえない。 そして筋立てとしては、 どう展開していくかの出来事を見せるのではなく、 つまりこれから「どうなるか」ではなく 「どうなっていってるか」という 出来事と出来事の間、点ではなく線の方を味わえるようになっている。 クライマックスの、ルーマニアの暗い暗い夜を主人公が駆けて行く場面は、 何も起こっていない。セリフもほぼない。 あの場面に出来事はない。 出来事と出来事の間なわけだが、 作中で積み重ねてきた場面のすべてが あの映像に集約していく。 あぁ素晴らしい素晴らしい。 DVD買わなきゃー。
2021年05月02日(日) |
スマホ交換手続き、雨 |
起きて洗濯。 干して今度は布団を洗濯。 いつもの日曜日。 天気は最高。 でも急変の可能性があるらしい。 昨日は唐突な雷雨と竜巻注意報が東京をどよめかせた。 で今日も結局は振られた。 スーパーに出ている最中にお天気雨。 帰宅後、あわてて取り込んだら雨が止んだからまた干した。 で午後、図書館行ってる間に今度は瞬間的な豪雨。 雹みたいだった。 でも今度はほとんどぬれてなかった。 近所徒歩10分の地点で土砂降りだったのが、 ほんのわずかな差で雨を免れたみたい。 お天気雨ってそゆとこあるよなあ。 で、それから数十分差できた。雹めいた強い雨。
ドコモショップでスマホ交換の手続き。 オンラインではログインが依然かなわず ロック解除には端末操作がいるというし、 電話受付も当然ながら端末操作ができなきゃかなわんので 店舗からサポートセンターにつないでもらった。 担当女性の声が整っていて まるで機械音声のテンポをちょうどいい具合に速めたような よどみない スムーズすぎる語り口だったから 一通りの手続きを終えてから ご丁寧にありがとうございました、完璧な案内でしたね と一言加えてみたら間髪入れず ありがとうございます、励みになります というこれまたパーフェクトな受け答え。 交換料金は張ったけど まぁ気分は害されなかったからいいか…。
ミュークルドリーミーが総集編で悲しい。 制作会社のJCは今期6本アニメかかえてるとかで たしかに休んでほしいとも思うけど。 Twitterで 「近年の多くの日本製アニメは凄まじいスピードで 言葉と喜怒哀楽の感情演技が繰り出される。 この情報速度でないといまの視聴者には不満なのだろう。」 というツイートのRTがまわってきて、 これを先鋭化させていった究極が ミュークルドリーミーだと思う。 映画や小説では どれだけの余白をあしらえるかで 鑑賞者の意識も深化していく、 そういう構造があり ハリウッド慣れした層が 眠くなるようなアートフィルムでそれは顕著。 アニメはエンタメと親和性高いし 高尚な領域から離れていくのは自然な成り行き。 ところでミュークルドリーミーは 凄まじいスピードどころの騒ぎではない。 大洪水的情報のたたみかけで鑑賞者に その世界への集中 をうながし 余白を埋め尽くし ミュークル脳に染め上げてしまう。 これはこれでありだ。大いにありだ。 と直感してるのだが そこんとこの論法がかたまってない。 これからもミュークルドリーミーをしっかり視聴して その価値を研究していきたい。
陰惨でどうしよーもねー暴力映画が見たくなって 韓国映画「悪魔を見た」を。 ウーン…まあ確かに陰惨ではあったし… 猟奇の風味もあって、復讐劇としても退屈させないが… 結末の仕掛けもアイデアがあったが… 主人公がうかつ過ぎるのはいただけない。 怨敵を逃がして泳がして ってのがミソとはいえ 相手の自由度が高すぎる…。 戦力ももっと殺ぐべきだ。 つねづね思うのだけど 殺し合いに近い戦闘で 相手が倒れこんで お好きな一撃食わらせられるのだったら 真っ先に利き手の指先を叩き壊すべきだと思う。 戦意も戦力もがた落ち、獲物も握れなくなるし 逆転の工夫の余地もかなり狭めてやれる。 ダメージも与えやすく、頭を叩くより効率的だと思う。 軽傷でも一時的には戦闘不能になり ためらいなく叩き壊せば もう歯向かえまいよ。 そのうえでもう片方の指先や 足先を打擲すればいい。 復讐も 密室監禁してやりたい放題できるなら とりあえず歯を叩き壊せば 言いたいことも言えなくなって好都合だ。 もしその後逃がすというルートを取るなら やはり手の指は欠損させといて 両目も失わせて 舌もずたずたにして 鼓膜も破裂させといて コミュニケーション能力と五感を奪っておく、 そうしたら生きること自体が苦痛にもなるし 口もきけない字も書けない相手から 聞き取り調査をすることは困難。 死体は語る なんていうけど 半死半生の不具にしておいた方が 一番捜査は行き詰まるだろう。 フィクションだと話が立ち上がらなくなっちゃうから こうはしにくいだろうけど。
こんなことを中高生くらいのときに考えてた。 グロ漫画とか好きな方面に走らなかったのは 別にそういう趣味嗜好があるわけじゃなく ただ単に ある状況が与えられたときの 最適解を考えるのが好きだったから。 それが復讐だったら こうだな って思ってただけです。
昨晩妻が 「きみの話面白いよ」 と 僕の読みものを評価してくれたので俄然やる気に。 なにしろ妻だから身内びいきの最たる例で ひいきの念がなかったとしても 僕が何を表現したいか どこに面白さを込めているか 手法がつたなくとも見出せてしまう間柄だから そこんとこは差し引かなくちゃいけないにせよ 嬉しいものは嬉しい。
2021年05月01日(土) |
「考えさせられました」 |
会社の引っ越しの都合で、 平日である昨日とお休みが入れ替わっての土曜出勤。 私物の整理と機器の配線など。 てきぱき順当にこなしてって午前中に終わった。 しかしやはり無能な先輩にイライラしてしまう。 頭のなかが自分のことで手一杯なのだ。 エゴイスティックなわけではないからこそ、 当人にも、 自分は自分が損する格好で〜とか まわりに気を遣って〜とか そういう論法がまかり通ってるはずで、 自分を納得させる筋道が出来上がってるからたちがわるい。 世の中には 「上司がバカで死んでほしい」 という声があふれかえっていて その気持ちがようやくちょっとわかる。 擁護はできる。 できるからこそむかむかする。
帰り道が全然爽快でない。 本来ならないはずの障害物がイッコ挟まれてるわけで ほんと人生にとって邪魔だな。バカバカしい。 世の人の悩みを体感できるのはいいことだが ずっとこれが続くのは問題だ。
コンビニ人間読んだ。芥川賞の。 昔だったら 「なんだこの文章!」 とかいって投げ捨ててたろうけど 今はちょっとは小説の読み方がわかるから これは小説的に上手いのだと見なせる。 しかし主題は全然面白くなかった。 話題になった5,6年前に タイトルから そしてあらすじから 想像してみた型を一切はみださない、 さんざんマンガで見てきたようなテーマだ。 読書メーターにはこう書いた。
マンガで済むのでは。主人公は「普通」のひと。「普通」の枠型はあまりに狭小というのは90年代から主題にされ続けてきた現代の共通認識で、「普通」からずれた人があまりにも多いという実情は、逆説的に多くの「普通のひと」 を発生させている。だから本編の主人公も、(既成観念としての)普通からちょっとずれている、そういう類型の「普通のひと」。…結末はお見事ってなったけど、それでもやっぱり2000年代にさんざんマンガでやりつくされてきたテーマとしか見なせない。
追記でこうも書いた。
考えさせられました系のどくしょかんそうぶんがウジャウジャ湧いてそう。主題のパートなんかより、アパートの二人暮らしの空間の手触りがよかった。あの人物像だからこそ立ち上がってくる部屋(生存の証拠)のどうしようもなさとか、その中での虚無的な時間の流れとか…このあたりの描写、ほぼ言葉は割かれてないけども、そこへ至るまでの過程でなんとなく察せられるという、こっちの方によっぽど小説的感興をそそられた。
実際他の人の感想はひどいもんで、 「主人公はサイコパス風味で〜」とか 「独特な思考の持ち主」とか 「普通ってなんなんだろう」とか どれもこれも気持ちわるい。 何も考えてないから 「考えさせられました」なんて平気で言う。 何も考えてないのが悪いわけじゃなくて、 むしろそれは一つの美徳たりうるはずだけど、 "何も考えてないのに「考えさせられました」"は醜悪だ。
話題作だから読書メーターですぐにボンボンいいねがつく。 読メの呼び名はナイスか。 ナイスをつけた方々の感想は ごちゃごちゃのたまってるけど要は 「考えさせられました」系だから 本編もこっちの感想もろくに読んでない。 あとはあらすじをまとめてるだけとか… それで2000ナイスとか。あほっぽ!
夜、映画。 「アンナと過ごした四日間」。 幻の巨匠 とかゆう妙ちきりんなコピーがパッケージにはあった。 ポーランド映画。 セリフが極端に少なく、映像と芝居で見せてくる。 ストーカーの話。 時系列はばらばら。 硬質的なグレーの世界でロシア映画みたい。 映画そのものは、まぁ面白く作ってるわけでもないし 観ている時間楽しませてもらいましたってくらいで、 内容は一年したら忘れてしまうだろう。 観ながら何考えてたかの方が大事だ。 前に一度考えて眠らせてた マンガのストーカーネタを今一度練ってみた。 ほぼサイレント。 そう、ストーカーの話にゃセリフいらんよな。 主人公の男は懸想してる女の子の部屋を覗き見していて、 やがてそれがエスカレートして夜な夜な部屋に忍び込むようになる。 で、暗い部屋で物音を立ててしまう。 でも彼女は気づかない。ほっ。 部屋で静かに、彼女の寝息を眺めて過ごす。至福の時間。 あんまりリラックスしてうたた寝してしまった。 朝だ。彼女は…まだ寝ている。早く出なければ。 あ、彼女が目を覚ました。目が合った。 が彼女はそのまま何事もなかったように動き始める。 あわてて窓から逃げる男。なんだったんだろう。 今度は昼間にピンポンしてみた。出てこない。 鍵は…閉まっている。 合鍵がある。入ってみよう。開いた。 彼女はリビングでテレビを見ている。 そっと部屋に入ってみる。ノーリアクションだ。 ソファの隣に座って…みてもノーリアクションだ。 彼女がゲームを始めた。格ゲーだ。乱入して対戦してみた。 なかなか白熱した。 彼女との奇妙な生活が始まる。 食事を作ってやったり、洗い物を済ませてやったりする。 夜はソファで寝る。 彼女はベッドで寝ている。 手を…出してみようか。 頬に触れてもノーリアクションだ。ドキドキ。 男は上を脱いだ。ドキドキ。 そこで、ガチャガチャ。キイイバタン。 「うぃーす。 お前電話出ろよ。あれ、明かり… 寝てんのか? 起きろよ、おい」 明かりがつく。目撃。 「は?」 「え」 「は? なに? なにこれ?」 女が起きる。男をねめつける。 「あの、その僕は」 「こいつ誰?」 それぞれの顔。部屋の様相。 見開きで主人公の回想。走馬灯。 これまでの人生のエピソードばららららら。 <誰?> 「誰って…」女が答える。 なんて答える?
第一案 「赤ちゃん」 「あ、ああ?」 「…」 「お前、おま、すっとぼけんなよ。 赤ちゃん? こいつ、おま、こいつのどこが」 「…」 「お」 「…」 「おぎゃあ」 赤ちゃんの絵。 「おんぎゃあおんぎゃあ」 誕生へ。
第二案 「あんたこそ誰?」 「は?」 「勝手に人の家入ってきて、なに?」 「……。ああ。あっそ。もういいよ。 荷物は捨てていいから。 あ、でも二回目んときのぬいぐるみは、お前、大事にしろよ。 …ちっ。なんだ、くそ」バターン 沈黙 「あの…」口を開く主人公。 見つめ合う二人。 「誰が誰でもいいじゃん」と女。 「えっと…」 「"荷物は捨てていいから。" "ぬいぐるみだけは大切に。"」 そういって女は部屋を出ていく。 部屋に取り残される男。 男はこの部屋で生活をし続けていく。 これからは一人で。
第三案 「なにが?」 「あ? とぼけんなって」 「ごめん、あのね。何のこと言ってるの?」 「いやいや、こいつ。こいつ何って話」 「こいつ…?」 「いや久々に帰ってきていきなり 裸の知らない男見たらびびるでしょ普通」 「えっと?」 「あ、あの…」 ずいっと前へ出る女。 「あんたこそ誰?」 「あ?」 「仮に、あんたが言うように。 ここに裸の知らない男がいたとしましょう。 で? いくらこっちから連絡とろうとしても無視されて、 誕生日もクリスマスもすっぽかされて、 ずーっとさみしい思いさせられてた女の子に、 誰が誰だか、わかるっていうの? ねえ、あんたこそ誰なの?」 「あーーーー…。んだよ、メンドクセェな」 「めんどくさいって何?」 「ま、いいや。悪かっ「ちょっと」たよ。来いよ。 結局あ「やだ」の車おれのになったか「離してよ」ら、見せに来たんだ」 「あ…」 「…あんた、ちょっと落ち着かせてくるから、ここで待ってろよ。 1時間もかかんないから。寒くない? 暖房つけたら?」 「あの…」 オチ未定。
二案かなあ。 今どきの邦画っぽい感じだ。 誰が誰だかの錯誤でかろうじて 僕の主題を保ってるか。
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