私の家の周辺は住宅街だ。 住宅街が散歩コースの通り道になることがある。
家を見ていて思うのだ。 この家はきっと1億円とかしてしまうんだろうなと。 私には、家というよりも、1億円の品物に見えてしまう。 家にリボンがかけられているように見える。
そして、家はたぶん持たないだろうなと思うのだ。 私は家を品物と同じような位置づけとしてみているようだ。
でもよく考えたらすごいな。宝くじの1等と同じ値段。
私の家はマンションで両親の持ち家。管理費も結構かかるし、リフォームだの何だのとまとまったお金も出ていく。
私は、家というものすごく高い買い物をすることで、リスクを背負い、お金に自分の行動の自由をしばられることを望んでいないのかもしれない。(この世の中を生きている限り、何としてもお金を返さなくてはいけないという制約があるから)自分の身の丈以上のリスクは背負わずに、自由でありたいのかもしれない。
また別の価値観を持つひとにとっては、それだけの価値があるものなんだろうな。
豆もやしは、おいしい。 ふつうのもやしよりも少し高いけれど、私のリピート買いアイテムだ。
普通のもやしのようにくせがなくて、豆は少し甘く、歯ごたえがある。 トンコツラーメンに入れて、もやしラーメンにすると、とてもおいしい。
焼きそばに入れても、野菜炒めにしても、優れた味になる。 ごま油で炒めてもいい。
ただし、すぐに食べないと、すぐに物が悪くなってしまう。 その日のうちにがいいんだろう。
豆もやしオススメします。
小さい頃、恋というものは、いくつかの音楽の中にあるあの感じだと思っていた。 詩とかラブソングとかそんなことは関係なく、旋律に含まれるもの。 例えば、私のど真ん中は、chage&askaのaskaの方が歌っている 「はじまりはいつも雨」のサビで感じるあの感じ。 恋とはきっとああいうものだと今でも思っているけれど、 でも実際にあのメロディのように感じたことはない。 現実は、往々にして平凡なものだと、この25年間の人生の中で、 思い知らされてきたけれど、それは、私がまだ、あの旋律のようなものに出会っていないからなのか。 実際の恋よりも、メロディの中の旋律の方にリアリティを感じ続けている。
韓国ドラマも結構好きで見る。日本のドラマだって見る。 最近オンデマンドTVに加入して、アメリカ海外ドラマの「sex and the city」と「デスパレートな妻たち」を暇さえあれば見ている。
それらを見ていて浮かんできたのは「ドラマに民族性出てるな」ということ。 アメリカのドラマにはアメリカのドラマでしかできないものがあり、韓国のドラマには韓国ドラマでしかできないものがある。 日本のドラマは?といわれるとちょっと困ってしまう。 日本のドラマってちょっとあんまり1色じゃない気がするからだ。 でも全体として、アメリカほどスキャンダラスじゃないし、韓国ほど、ドラマじみてもいない。割と等身大だろうか。でも、結構個性はあると思うんだけど。 自国のドラマに対しては、客観性が欠けているのかもしれない。 自国のドラマというベースがあって、何が客観性という感じでもあるけれど。あくまで主観からしか見られないものなのかもしれない。
アメリカの海外ドラマを見ていて思った。 これを、日本人とか韓国人とかに置き換えたら、ぜったい、さまにならない・・・と。 デスパレートのようなことが日本の住宅街で起こっていたら侠気のように見えるだろうし、sex&the cityみたいなことが、日本や韓国で展開されたら、たちまち淫乱女、遊び人男で、好機の目にさらされてしまう。何より、様にならない・・・。
それに、より自然に、リアルな感じで、描くということをアメリカのドラマはやっていると思う。付き合う人が変わったり、メンバーも入れ替わったり、一回ハッピーになっても、また、そうでもなくなったり、浮かない日々もあったり。 話が最終回に向かって集約していくのではなくて、どの話もそういうものがない。そういう作りはアメリカならではだ。
逆に韓国のような壮大な恋愛ドラマみたいなものも、他の両国では、さまにならないだろう。 アメリカは生々しいほうがいい。壮大な恋愛ドラマはあまり似合わない。 アメリカの映画やドラマでそういうことをやろうとすると、マディソン郡の橋みたいにちょっとメロドラマがかった感じになってしまう気がする。 昔なら、風と共に去りぬとかでできたのだろうが。 日本でも自国なだけに、現実と基準として考えてしまい、しらじらしくなるだろう。 元々そんなに大きなスケールの想定が入り込む隙間がない。 韓国ならではだろう。実際の韓国がどうかはわからないが、実際はよくわからず、違う国だからこそ、隙間ができるんだと思う。 ただ、ラストの締め方には、大抵、突然終わった感を感じさせるし、登場人物も、この人何かにからんでくるのかな〜と思うような含みを持たせても、しりきれトンボで終わっていたり、ストーリーの大雑把さを感じさせる部分も。でも私はそんな大雑把さも好きだったりする。作品の質のギャップが激しいところも特徴だ。それなので、ものすごく見たいドラマはものすごくはまるし、そうでないものはまるで見なかったりする。
日本のドラマで言えば「時効警察」などは、日本独特のセンスだろう。ちょっとアニメっぽいドラマが存在するということか。 漫画が原作のドラマも多いし、セカイでも随一のセンスを誇る漫画の優れたところを、取り入れているのが日本か。 あの乾いた感じ。感情がウエットではないけど、笑いのツボのある感じ。 アメリカはコメディは、ひたすら、おどけていて、はっきりしているし、(少し大振りな笑いに感じる)韓国は、もうちょっと驚きという感情にクローズアップして、「驚きの感情」を再現するためのコメディ話のつくりな気がする。
それぞれに個性があって、それを享受できる現代は幸せだな〜と思う。そして、ドラマに見る民族性は、実は、それぞれの鏡でもある。
まだあんまり見ていないけれど、台湾のドラマも、あの台湾現地の独特のきらきらみたいなものが出ている気がする。
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