なんとか毎日

2007年05月20日(日) 自分の本性は、、


自分が一番よくわかっているようで、わかっていない。

それが悪いものであれば、目をそむけるからだ。

先日、とうとう子供を折檻した。

5週目というのに、はやつわりがではじめ、横になっていたところ
息子は別室の鏡台にいって、おしろいを箱ごと、頭から
部屋中にぶちまけた、、化粧水もまどからなげられていた。
(けが人がいなかったのは幸いだった)

本人は楽しかったのだろう

しかし、気分も悪く、やることに追われていた私はきれた。

息子の尻や脚、を布団たたきで、力任せにたたいた。

息子は、こわがってにげた。
追いかけて、気のすむまでたたいた。
自分が疲れるまで、、、

跡はみみずばれとなり、一番ひどかった尻は、皮下出血で
全体が黒くなり、引くのに5日ほどかかった。。

主人には、そのことは話した、、

”今、一番いうことをきかないときだし、ママも気分がわるいからね”

そんな問題ではない、、

私の本性は残虐な般若なのだ。
力の弱い、抵抗できないものに、不満をぶつけてしまう
ただのごみなのだ。。

疲れた、、、

こんなままでは、家族が崩壊する。
というか私がこわしてしまう。

責任や罪は一生背負う覚悟で
もし新しい命がそのままやどっていたら

。。。。やめようと想う。


息子は表向き、元気だ。。

私はなんなのだ、、

すこし、冷静になってきたとおもったのに。

人間は自分が一番かわいい、、エゴの人間だ。

ヒステリーの要素もあるとおもう。

再度、心療内科にいってみようか、とも想う。


しかし、”般若”の本性は永遠にかわらないのだ。

私はなにもない。。
最終的にただ、人間の心を、自分のエゴで食らう
鬼なのだ。。。

落ち込む、、、悲しいとか悔しいというより。







2007年05月10日(木) それはなにかの。。。

ずいぶん、日記がぬけた。。

いろいろなことがあってそれどころではなかったのだ。

ミーハーながら、映画”ロッキー、ファイナル”はみました。
途中まで、あざといなあ、、とおもいながらも、最後は
涙がつつーとでました。

結果ではない、、
自分がきめてやり遂げることができるかどうか
自分に挑戦するエネルギーがあるかどうか。。

例のコンテストには、締め切りぎりぎりで応募しました。
しかし、1次予選通過の通知状がこないので(すでに10日)
落選したとおもう。
けれど、それでもいい、。。

ただ、最後まで、迷いがあったから、落ちても無理はないのだ。

恥じかもしれぬ、

言ってしまおう。

新しい命が宿ったらしいのだ。

それは、なにかのご縁といえば、白々しいが
判明したときの私の素直な最初の感想

”戻ってきてくれたの?
 私のおなかを選んでくれたの?”

前に書いた、生まれなかった子がかえってきた気がしたのだ。

それでも、手放しでは喜べない。
産むときめた、年齢、妊娠中毒症などのリスク。。
ましてや、先日、奈良で、出産途中の脳内出血で母親が病院を
たらいまわしにされ、なくなった事故も記憶にあたらしい。

長男は、一時保育にあずけるにしても、今度は経済的な問題は
かなり深刻になってくる。
しかも、子供は産んだら途中で
”もう、できません、はい、やめた”
とはいかないのだ。

すくなくとも20年はいろんな意味でがんばらねばならない。
それは、”責任”でもあり”使命”でもある。

けれども、産婦人科の女医先生がいってくれたことがある。

”身体は出産できる、、からこそ、妊娠するんですよ”

今日もカウンセリングにいってきたのだが。。

世の中には子供がほしくてもできない人も居る。
人工授精をしてもさずからないひともいる。
それほど、神秘で驚異ですごいことなのだ。
そして、普通でいけば
子供をさずかるというのは、夫婦の愛情が満たされて
そのうえで、”驚異”がおこる、、

ゆっくり、もうすこし、熟慮したい、、、


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たい母 [MAIL]

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