なんとか毎日

2007年03月26日(月) その子は。。。

去年、7月末に流産した。
2ヶ月だった、、
突然、出血がはじまり、病院に子供を連れて急いで行き、
処置しておわりだった、、、
数分まで、おなかに居た子は、いなくなった。。。

第2子を熱望していたわけでは正直なかった。
今、いる息子だけで、私は心身ともに一杯だったから。
でも、検査薬で2かいとも陽性とわかったとき
”えらいこっちゃなあ、、無理やわ。。
産む体力はあっても、妊娠経過にリスクは大きいし(年齢的に)
生まれてから、ひとりでどうやって子供たちを世話するの?”

思い切ってここでいってしまおう。
”とても自信がない、、完全避妊しなかった私の責任。
でも、、
自然とこの子があきらめてくれへんやろうか”

そう、、おそろしいことに、自然流産をねがった瞬間があるのだ。


出来たときはわかっている。

私は前にも述べた九州、ハウステン○スのコンテストのフラワーアレンジの
コンテストに入賞し、家族とともに作品を制作しにかの地へいき、
出身校の同期とともに、生まれてはじめて、しかしはじめたころから
願っていた巨大なアレンジを制作したのだ。

技術的には未熟であったとおもう。
しかし、その達成感と充実感はいままであじわったことの
ないような輝きがあった。
同行し、息子の面倒を一切をみてくれた主人も、まさか妻がやってしまう
とは信じていなかったらしい。
作品そのものに関してはわからなくても、何人かのスタッフをひきいて
なみいるプロの中でひとつ事をやりとげたことにすごく彼なりに
感動したらしい。
”ママはがんばったね〜”
私は疲労困憊で口もきけないくらだったが、彼はできあがった瞬間も
審査と表彰のおわった翌日も、ひとり誰よりも興奮して、ねぎらってくれた。

その二人のお互いを尊敬し、感謝する気持ちが高まって、愛し合った夜だった。

日にちから計算すれば、その日にその子はやってきたのだ。

10日ほど”だめだ。。できない”と想う一方、
”もし、産んだとしたら、どうしたら、2人の子と、家事をやりくりしたら
いいのか”となやんでいる自分がいた。
しかし、そうかんがえる、、ということは、
”産もう、、ということではないのか?
自分は産みたいとおもっているのではないのか?
なにより、とても夫婦が愛しあい、家族3人が団結したときにやどった
子供なのだ。。
主人は、反対した。
”ママの体力や年齢からみると、リスクが大きすぎる”
”でも、、正直私は、、やっぱり産みたいと本性はおもっているとおもう”

私たちは、話し合ったその晩、そっと愛し合った。
”もういちど、考えてみよう、、はじめからね”
そう言いあって、眠りについた。

出血がはじまったのは、次の昼からだった。

先日、ある本で
”体内に宿った子が、親が何らかの事情で、最終的に産めない、都合がつかない
と告白したとき、自分の意志で母親の胎内から去るときがある、
その子は、また、時期をまってその母親に宿るかもしれないし、別の
母親の下にいくかもしれない。そうやって時期をまったりする。”

彼(あるいは彼女)は、私を恨んでいるのではないか?
そう想い続けていた。
それは、その後、水子供養のお寺にお参りにいったあとにも、消えなかった。

その記事を読んだとき、ほっとした、、、というと
バチがあたるだろう。
その証拠に、流産のあとに、自分個人の趣味で無理をしたことがあった。
てきめんに、目が緑内障の1歩手前の”高眼圧症”で通院をせざるをえなく
なった。
いろいろ日常のことでうまくいかないこともあり、他人にたいして
つまらぬ嫉妬をしたりし、大いに疲れた。

その子はこの世に生まれなかった、うんであげれなかった。
でも、今は、私を選んでほんの2ヶ月でも、体内にいてくれた
ことはうれしいと想っている。
一生、忘れないとも想っている。

パパもね、、なんやかんやいいながら、あなたのことを
楽しみだったんだよ、、
だってね
”また○○(息子の名)みたいなやんちゃがひとり増えて大変だなあ、
ておもったけど、、、、”

そして病院から帰ってきた私にいいました。
”昨日、SEXしたことを、心から後悔しているよ”

ごめんなさいね、、、でも、ありがとうね。



2007年03月25日(日) なにかが、、、、

朝から北陸地方の地震のニュースをやっていた。
かなり大きな地震らしい。
その地方のかたの無事とお見舞いをひそかに想う。

今日は、主人が子供をみてくれるというので、ひさしぶりに
外出、、
私は映画が好きなので、見に行く。
時間をみて、いった時間が中途半端だったので
4時過ぎから6時半までのぶんしかない。
6時半っていったら、余韻にひたるひまもなく、駆け足で
帰らねばならない、、休日といえども、夕飯はつくらねばならぬ。
月末ゆえ、買ってかえるほどの余裕もなし、、あいにく、そういうことも
あるかとおもってコロッケの下準備をしてあったので、
思い切って映画を見る。。

”デジャブ”、、とてもおもしろかった。。つっこみどころも
あるけれど。。

で、その始まるまでの予告編、、
”ロッキー、、ファイナル”をやっていた。
ひえ〜スターロン、としとったなあ、、っておもうご挨拶篇(ファンのかた
ごめんなさい)のあとに映画のフラッシュ。

メインコピーは”NEVER GIVE UP”

また、スターロンが試合に挑戦するらしい、、このシリーズは見たことが
ないが、話は知っている。
で、そのフラッシュのなかで、
なにやら息子らしい若い男性に、スターロン
演じる中年の男性が言われる。

”父さんは、みんなの前で恥をかきたいの?”息子は非難してさけぶ。
”自分をあきらめたくないんだ、”と父。

青臭い、、、、
とおもえばおしまい。。。
ドラマ、奇麗事といえばそれまで、、、

でも、そうちゃうの?

”みんなのまえで恥をかきたいの?”

”かいたっていいやん、、自分のおもいのままに挑戦したっていいやん。
どこがいかんの?
その思いが大事なんやん???”

私のなかには、今すこし気になることがある。

6月に花のコンテストがある。。

いまさら、、、

デザイン画をおくり、選抜されて、主催する地へ行き、作品を制作する。
そのなかでさらに15名がファイナルに進出して、表彰となる。

デザイン画をおくって落とされるのがこわいの?

なんで?

ええやん、、すごく有名なプロかって、落ちることかってあるわいな。
おちたからって、誰がわらうの?

自分が勝手におもいこんでるだけやん、、、

時間はもう少しある、、

自分の中で何かがおきるのか、おきないのか
静かに待ってみよう、、
そして、自分に素直に生きよう。



2007年03月22日(木) 子供

私には2歳になる息子がいる。
41歳でうんだ最初の子供だ。

独身のときも、結婚してからも子供について
とくに熱望していたわけではない。
主人は、子供好き、というか自分の兄弟に子供がいて
(つまり甥っ子)をみていて可愛くてたまらなかったのだろう
つきあっている時から”子供もつくろう”なんていっていた。
わたしも”そうだね、、”といいつつ全くその気はなかった。

子供なんて、汚くてうるさくて、自己中心で手間がかかって、、

なにより、こんな自分が親になってどうするのだ、、
子供が子供を産み、そだてる?
そんなできるはずもないし、もともと太めで醜い自分の体型が
これ以上かわっていくのもいやだ。。
と想っていた。
30代半ばからPMS(月経前症候群)は現れだした。
排卵期には、だるくなったり頭痛がするものだが、仕事の帰り道
歩いていてとてつもない疲労感に圧倒されてうずくまることもあるほどだった。
生理も不順で、3日でおわったり1週間あったり、、
だから、妊娠などしない、、とまあ、10代の娘のようにたかをくくっていた。

結婚して相手の仕事の都合でのばしていた新婚旅行に半年後に出かけた。
行き先はハワイ、1週間である。
が、、
これがまた最悪であった。
主人は、もともと島国のひとで、無意識に島国根性というか
自分の故郷意外は敵みたいにかまえているところがあった。
(本土のひとは、、島のひとは、、という言い方をときにおれいうのである)
しかも、英語もできない、
そして、海外は言葉も通じないし、食事も異なる、飛行機に8時間も
乗ったこともなく、タバコをすえないということで、ともかくいらいらしていたのである。
だいたい、ハワイにいくというのは、私の希望であった。
2回おとずれて、すっかり魅力にとらわれた私は、どうしてもいきたかったのだ。

だが、、中身がフリープランの旅行であったため、、

結構、片言でも英語をはなさねば通じないところもあった。
しかも、予定が狂ってバスにのりおくれたり、違う料理がきたり、、とハプニング
もあった。私はもともと”これも旅なんだから”と楽しむほうだが、彼は
自分ではしないのに”物事がスムースにいかねばたまらない”タイプだった。
ないか、事があるたび、明らか様にふくれて怒ってだまってしまう。

かえってきたときは”もう、絶対離婚する、こんな状態でいっしょにはいられない
そう想い、恥をしのんで、母親にも話し、手続きのほんを立ち読みはじめたり
していた。
が、、、
くるものがこない、、
”うそだろう。。”と検査薬でしらべると2回とも陽性。明確に、、
”なんで、、??”
これが最初の感想、、
そのときすでに”かるいうつ状態”でいっていたレディースクリニックで
超音波検査をした。
すでに”心臓”ができていた。。。
自分の体内でおこっている”神秘”におどろいたものの、実感はなかった。
生むか、産まないか、、とももちろん想っていた。
次月の検査のとき、2センチくらいの勾玉みたいな息子が。。。
”あ!動きましたね!”
たしかに全身をまげてぴくっとうごいた、、
それはまるで
”ママ!はじめまして、ぼく(わたし)よ!”といっているようだった。

私にも母性本能があったのだろうか、
すごくなにかえたいのしれない感情の波がうちよせた。

”産まなければ、、なにか意味があって彼は(彼女は)私の
おなかにきたのだ”

主人も突き1枚ごとに成長する子供の超音波写真をみて
いままでにない感動にとらわれているようだった。

息子は私たちのまぎれもなく”かすがい”になったのだ。

が生まれてからもやはり苦難は続いた。
息子はひどい乳児製湿疹で、朝から晩まで、勿論夜中まで
私がかかりきりだった、、が最初の育児でわけもわからず、泣く息子を
まえに泣いていた。
どうしてもなきやまない2ヶ月の息子をはげしくゆさぶったこともある。
また、体質なのかなかなか太らず、水分(砂糖水)ばかりのみ、大量の
おしっこで毎日、ベッドにおもらしをした。
あるとき、狂気がはしり、まだ4ヶ月の息子のせなかとおしりを
激しくたたいたこともある。

それでも、息子はなんとか2歳になった。
あいかわらず細身だが、元気で以前の病気意外は風邪もひかない。
7ヶ月でたち、8ヶ月には歩いた、、言葉はまだでないが、感情は豊かだ。

台所で、私と主人が並んで話をしていると(私は難聴、彼は人口鼓膜)なので
ときおり、洗い物などしていると声がおおきくなったりする。
そのとき、息子はひとりであそんでいても、飛んできて私と主人の太ももあたりの
ズボンの橋をもって、二人の身体をくっつけようとする。

”けんかしないで、、”というように。
また、親がふざけて、たとえば主人が私をからかってくすぐったりしていると
めざとく見つけて
”ぼくも、仲間に入れて!”というようにかけよってきて二人にしがみつく。

彼は前世、親や家族の愛にめぐまれなかったのか、、
両親が不仲だったのか、、
そんなことを想像したりする。

子供という人格にふれて、親も子供も互いに磨かれるときいたことが
ある。
毎日、大変である。
けれど、子供ができたから、自分に向き合うきっかけができたかもしれない。

夜添い寝をしていて、自分の手の半分くらいの2つの肩甲骨が上下しているのを
みると、感情の波が押し寄せる。

”愛しい”というのはこういうことをいうのだろうか、共思う。

スピリチュアルの本で、自分の身近なひとが生まれ変わって子供になったりする
ときいたことがある。

父は早くに自分の父を無くし、母も20歳になるかならないかで
なくしたと聞いている。。

息子が父の生まれ変わりか?

いや、、夜、ねぐずっているとき、頭を頭突きしてすりよってくるところ
をおもえば、実家でかっていたオスの愛猫”ボン”だとおもうのだが。(苦笑)

長くなった、、、

そして、私にはこの世にはうまれなかったが
もうひとり子供がいた。。
去年、その事件はあった、、
そのことは、次回にいろんな思いもあるのでそれを含めて
かいてみたい。



2007年03月21日(水) 兄弟で、、

私には、6つ違いの弟が居る。
もう30代前半であるが、市民病院に内科医として勤務しながら
再度、某国立大学医学部の大学院を受験し、院生として研究しながら
付属病院で内科医の勤務もしている。
なんやかんやでいそがしかったのだが、4年もつきあっている彼女も
おり、この5月で結婚する。
で、その関係で、母とうちあわせやなんやかやで電話で話することが多く
なってきている。
そのときの話、、、
以前、大学院の研究発表で(教授のおともで)アメリカに出張したと
聞いていた。
そのとき、大学院を代表して、論文をアメリカの学会に提出してたらしい。
所属する大学院からは2名が提出していたらしいが、弟だけが、えらばれ、
5月中旬にアメリカ学会で発表することになったらしい、、
よく、映画やニュースでやっているのをイメージすればいいのか、

”すごいなあ、、おめでとう、、ってつたえておいてね”

聞いたあとから、祝福する気持ちと、また落ち込む気持ち。

”兄弟でこうもちゃうかあ、、”

まあ、専業主婦と内科医ではスタート地点で違うのだけれども。
そのうち、その世界で有名な人になったら、、、
なんだか複雑、、

弟は両親とは関係がとても良好であった。と本人もいっているし
私のようなわだかまりも持っていると聞いたこともない。
父が手をあげたことはあったろうが、本心で尊敬し、愛し、自分が長男で
家のあととりだ、ということを自覚し、本来文系であったのを
理数系に高校でかえた人だ。
天才はだではないが、とても努力家だし、今の立場がその成果をなにより
あらわしている。
そのかわり、わたしとの関係は、ひどかった。
というか、わたしがいじめていた、、とても陰湿だった、
”姉貴は厳しいひとだったよなあ、、”
さきごろ、母との冗談ででたらしい。
”車のなかで僕がねむくてよりかかると”さわらないでよ〜”って
つきかえされたし、”いっしょにあそびにつれてってといっても
”だれがおまえなんか、、、”といって拒否されたし、、、

それをきいたとき、こたえた。
普通の子供の、あどけない意地悪といえば聞こえがいいが、、
弟が憎かったわけでも、嫌いであったのでもなかったとおもう。
ただ、自分が精神的に孤立して壁をつくっていたため(家族にたいして
弱い立場の弟に仕返し、はけ口をみていたのかもしれない。
両親ももともと、私をあきらめていたのではなく
小学校から中学にあがるとき有名私立にいれようとして、強制的な
勉強をやらせようとした。
けれど、心理的によわかった私は、自由時間がないことでおいつめられ
”自殺”しようとしたのだ。。
”自殺したい”という手紙をなぜか当時の小学校の校長先生に書いて
読んでもらったのだ。
どんな話をしたのかはわすれたが、そんな事件があって、両親は私を
あきらめた。社会的対面もあっただろうし、精神的タフさがないとみきった
のだろう。
中学にはいっても何をやっても平均的、高校もなんとか当時平均的れべるの
公立高校にはいったが、成績はクラスのびりから2番目、、
”こいつはなんとかどこでもいから短大でもでてくれたらいいが”
だったのだろう。。

自分でも自分にいやけがさしていたころだ。
しかも死ぬ勇気もないいくじなし。
体育系のクラブにはいったものの、体力が続かずやめてしまった。
かといって中途から文科系にいまさらはいれない、みんなにおいつけれない
、、中途半端。

そんなころ、はじめて両想いになってつたない付き合いをはじめた
相手がいて、彼と競争する意味ではじめた教科がのびた。

で、なんとか4年生大学にいけた。
純粋にその大学には、その教科の有名な教授がおり、ちゃんと勉強したい
とおもったからだった。
でも、せけんからみれば、単なる女子大の国文科、しかもつぶしが
きかない4年制、、
普通に卒業し、見合いし、嫁にいけ、、とおもっていたのだろう。

しかし、、、

26,7才ころから見合いはした。
恋愛できない私をみて、母は、いわゆるお見合いセンターに入会させ
紹介されもした。
一般に仲人さんをさがして紹介をたのんだりした。
育った環境がにていれば、、ということで、みな、医者であった。
けれど、そのときの私からみれば、みな、プライドが高すぎたり、年齢が
離れすぎ(相手が年上すぎたり)容姿がこのみでなかったり(これは若気の
いたりだった、、申し訳ないとつくずく今おもう)

そして、なにより、自分には、ひそかに実は恋愛している相手が
いた。
それはひとにはいえない恋愛であった。
そして、その人がなにより、心を大きく占めていたからであった。

結婚したのは39歳
相手は、勿論そのひとではない。
しかし、主人は8歳も年下で、高卒の建築関係の職人、、故郷は
奄美大島というところでご両親の職業も学歴もまったくわたしの家とは
違った、、

猛反対であった、弟もである。
今は行き来しているが、心底でこの結婚をいまだ許してはいない。
それは、親が子の逝く末を心配するあまりだということはわかっている。

しかし、弟にも母にも勿論父にも、私がなぜ、彼を選んだかは
永遠にわからないだろう。
私の苦しんだことがわからないからだ。勿論その人の心のそこの
苦しみはそのひとにしかわからない。
けれど、それが存在し、認めてくれることで、当人は安らぎを得る。

夫とは、趣味もちがうし、いっていることがすれちがったり、いらいら
することもある。育った環境がちがいすぎることが、ことなる価値観が存在する
ということさえ”わからない”ということもありうるという現実にも
直面する。
けれども、私の心の苦しみを話してみて、心療内科やカウンセリングの希望を
話したとき、彼は静かにこういった。

”その人の苦しみはそのひとにしかわからない。ママがそれで、気が落ち着いたり
納得するならばいっておいで”

彼を選んでよかったのだ。

私はエリートではない。
何も誇れることはない。
が、
最終的に家族にいつも救われている自分がいる。
素直に感謝したい。



2007年03月20日(火) ヘルペス

1週間、風邪をひきずり、咳がなおらないので
息子を一時預かりにお願いして病院へ、、

口のまわりにちいさなぶつぶつ、、、

”疲れからくるヘルペスですね、、”
いわゆる熱の花というのともちょっとちがう。
食物からだと、おなじふきでものでも、赤くはれてくるらしい。

小さいのに数が多いから、痛い、、
塗り薬と咳止め、念のために発熱時の薬、、

いままでは、たまに口の端がきれたり口内炎はよくできる
体質だったが、、、、。
身体がいろいろ信号を発している。

先日の顔そりの続き、、
担当のMさんとは、肌がどうの、手入れのことは話しても
子供が小さいんです、、ぐらいしか話はしていなかった。

”たい母さんは、なんでも完璧主義じゃないですか?
あれも、これもってがんばりすぎていませんか?
とってもまじめな感じがして、、前回までは、お肌も
状態がよくなって明るかったのに、今回はお会いした瞬間に
ああ、、、お疲れだなあ、、っておもいましたよ。
お肌も汚れや手入れ以前に、身体のなかの疲れがでてきて、新陳代謝が
うまくいかず、古い角質が中途半端にのこっているようですね”

って、、、
さすが、接客のプロ、、してやられましたわ。。。(苦笑)

ヘルペスだって、きっと”ちょっとさ、、やすみなよ、、
気持ちはわかるけど、ついていかれないよ、、こっちがさ”って
いってるかもしれない。

きちんとしなくちゃ、、、一種の強迫観念ともいえるものは
私の育った環境にある。

私の家は父方が大きくは無いが代々医者の家柄で、父の兄弟も
専門はちがっても皆医者である、、
ここで、言っておきたいがこれはけして自慢ではない。
環境説明として正直話したいだけである。
弟も、個人的には文系だったのを、自分であるとき意識して変更し
今は内科医である。
母方は、両親ともに教師であり、私の祖父(つまりは母の父)は大学教授
であった。。
つまり、とても”堅い”のである。
金持ちうんぬんはべつにして、ともかく厳格であった。
母は父の社会的対面を大事にし、子供にも、しつけとしてそれを教えた。
”いつでも、きちんとしなさい。お父さんの顔にドロをぬるような
事はしてはいけません”
たとえば
だから、近所のいわゆるちょっとした御店にいくにも、部屋着やサンダルで
いくことは許されなかった。
盛装ではないが、でかける際のジーンズをはき、スニーカーをはくということで
ある、たとえ、それがジュース1本買いにいくにしても。
門限も勿論あった。。大学時代で10時であった。
大学は神戸だったから、たとえばコンパでもあれば、1次会もそこそこに
かえってこなければいけない距離にあった。
ある日、10時10分になってしまったことがあった。
勿論、途中から”すこし遅れてしまう”と連絡したとおもう。
が、、
かえってきたら、、
また、何時間もの説教である、、

社会人になって会社勤めをしたのも、医者の家の娘だから、贅沢三昧で
あそんでいる、、といわれたくなかったから。
残業もきちんとしたし、社会人になると帰宅はいわれなくなった。
それでも、その日の内にかえらなければいけない雰囲気はあった。

私が27歳のころ、父は開業医だったのだが”おなかがいたい”
といいつつも”医者の不養生”か忙しく、また便秘気味な体質のせい
にしていて、倒れた。
救急病身で”大腸がん”といわれ、3分の1ほどを切除した。
そのあと、1年ほど少しずつ、仕事を続けていたが、ガンは肝臓に
移転し、全体に豆状にひろがってしまったため、切除不可能であった。
家族はよばれ、いわゆる、チューブだらけの延命措置か、それともこのまま
見守るかをせまられた。
母は取り乱し、弟は涙ぐんでいた、、でも、私は、、、
すごく冷静であった、、
だいたい、父が入院中に見舞いにいったときも、当時つきあっていた
相手と連絡をとりたくてそわそわしていた。(携帯が普及していなくて
私たちは公衆電話の伝言だいやるというのを利用していた。
この恋愛についてもまた、別に話をしたい)
それを見て、父がひと言

”こんな、、病室はいやだよな、、”
それをきいたときは、さすがに、ぐっときたけれど、、

なくなったときも、母は一瞬気を失い、そのご20キロ近くやせた。
弟も、号泣した。。
私は静かだった。。
”ああ、、逝ってしまったんだなあ”
私は、最後まで、彼に子供として、愛情を抱けなかったなあ、、
私のなかには、彼の”厳しさ”だけが遺言としてのこったんだなあ、、
と感じていた。

独身で居るときは、それでよかった。
しかし、家族ができて、母となった。
子供は、普段、風邪ひとつ引かないのにこの1月に
クループ症候群という”気管支炎”の一種で4日ほど入院した。
主人も今は出ていないが喘息持ち、一度風邪をひくと、ひどくなると
かるく39、40度の熱が出る、、弱くはないが強くもない。
私は、今、専業主婦、、家族を守りたい。と想っている。

そして、今はやりの”そうじ力”
健康に、幸運もよびこみたい、、仕事をしていないからこそ
きちんとしなくちゃ、、
しかし、初めての子育て、かたずけた尻から、汚れる。
掃除をしても、そのあとにはすぐほこりがでる、、
それが許せなかった
”きちんとしなくちゃ、、私は意味がない、、家族もまた
病気になる”

出来る範囲でいいのに、、
TVや本のマニュアルどうりでなければ、できた気がしない。
自分に自信がもてない。
気持ちも身体もくたびれてくる。。
子供や主人に感情的にあたってしまう。。
なんのこっちゃである。。

家族は主人も、掃除1日さぼったってべつに
怒り狂う潔癖症でもない、、

自分のエゴで、追い詰め、疲れている。。。
”きちんとしなければ、自分はみとめられない。
一人前でないのだ”

このコンプレックスと、どう歩み寄っていくかなのだ。



2007年03月19日(月) 顔そり

つきに1度、かおそりにいく、、
これといって肌の手入れもできていないわたしだが、
マッサージもしてくれるのもあってひそかな楽しみである。

Mさんは、ある化粧品会社のいわゆるなんとかレディーであるが、マンションの
1室をかりて、マンツーマンで施術してくれる。
バックに化粧品会社があるが、押し売りせず、サンプルをわたしてくれて
希望があれば、、という姿勢や、あかるい飾らない性格にひかれて
通いだして5ヶ月になる。

”たい母さん、、もっと気をぬかれたほうがいいですよ、、
お顔につかれが・・・

とかいていたら息子がおきてきた、、、
続きはまた、あらためて



2007年03月16日(金) 自信がないということ

初心者であるため、心療内科の最初の原稿を
消してしまった、、、(苦笑)

再度、くどいけど心療内科でいわれたことを、、、
”たい母さんは自分に自信がないんですね、、
だから、いつもこれでいいのか、、と悩んでしまう。
うまくいうと、開き直れない。
横から意見されると、自分では納得していてもまた悩む。
人に評価されたいという願望がありすぎて、そうなってしまう。

まじめ、、、きまじめなんでしょうね”

そう、、幼少時に、一番ちかい親から評価されなかったから
いつも、ひとの顔色をうかがっている(極端にいえば
だから、買い物にいって、何の関係も無いのに、店員に愛想よくされれば
すごくうれしくなっておしゃべりするし、無愛想ならなぜか傷ついていた。
”こっちは、お客だ”とひらきなおれないのだ。
学校内で、だれか顔見知りが、こっちをちらとみて、ひそひそ話をしていれば
”ああ、、わたしの悪口なんだ、、きらわれているのだ”

要は自意識過剰、被害者妄想、敏感に反応しすぎ。

まじめ、、ていいのか?

ちっともよくない、、いいかげんにちゃらんぽらんのほうがいい。
そのほうが、自分が心の疲労骨折寸前でうずくまるまでしなくていいから。

その上に不器用とくる。
精神的にもそうだが、手先も不器用である。
この克服には、小学生から自分なりに努力してきた。
が、最後の詰めができない、、というか、
中学の技術課程でも”2”
趣味のフラワーアレンジでも、ワイヤーがけは
人3倍くらいは練習してやっと人並み、、まあ、これは慣れもあるが。
ワイヤリングはもう、できる。
あるスクールの師範もとったし、趣味のサークルで人を教えたことも
フリーでブーケの仕事も何件もした。
が(専門的な話になるかも)
私には、致命的な欠点がある。
ブーケでは、最後のセキュアリング(本体とガーランド(別に組んだ枝葉の部分)
を結合させる)が、甘い、、
どうしても、どうしても浮く。

それは、もうはじめてから15年たってもいまだ私の弱点で課題だ。
素人の人にはわからないが、プロがみれば一目瞭然だ。

自信がなさがさせる、、とかたずけるのは簡単。
しかし、続けていくには、つきまとう課題だ、、しかもすごく基本的で
すごく本質的な、、、。

だから、私は、花を生業にできなかった。。
と、いいわけしている、、
が、、アマチュアでも好きなものは好きだ。
自分の出来る範囲で続けていきたいのだ。

プロでその仕事につかねば、まっとうできない、、、とおもうのは
そうあるべきとの考え。
でも、自分は、続けていくというのは願望。

ひそかに自分に正直でいよう。。。

日常にはいろんな情報がいっぱい。
ふりまわれる”弱い自分”についても少しずつ、書いていければ、、と想う。



2007年03月15日(木) 心療内科 続き2

さて、ちょっと時間ができたので、、

昨晩は本当にこわかったです。。

悪夢2本立て

ひとつは、自分はよこたわっていて、身動きできない。
誰かがわたしの頭を開いて、長いスプーンのようなもので
まるで、かきまわしている、、脳みそをまるでスープか
なにかのように、、
苦痛はない、、けれどえたいのしれない恐ろしさで
さけぶ!手をもがく、、隣には主人がいるはず、、
きずいて!、助けて!
とおもっていたら、いつのまにか入り込んできた息子の頭突きで
目がさめた、、

数分後その2私の家はハイツで2階である、、団地によくあるように2つの家しかないのに
なぜか、夢の中で長い廊下があって、足音が聞こえる
音の重量感から察して男だ、、
我が家の前で、音は止まる、、
鍵穴をガチャガチャする音がする。。
我が家は2つ鍵がある。。が
どちらもかちゃ、、とあいた音がする。。
”しらせなくちゃ、、!!”
となりの主人にさけぶ
”パパ、おきて、誰かはいってくる、!!!
大声でさけんでも声が出ない、口がぱくぱくするだけ、、
手をのばしておもいきりたたいてしらせようとする、、

”なあに、、ママ?”ねぼけた主人の声
つながれた指。。ほっとするわたし、、

題名に関係ないようだが、、今朝目覚めたとき、やはりなんかの
脅迫観念か、、と心身ともに疲れてしまっていた。。
生理とともに、本格的に風邪もひいている、、
のども痛いし、関節痛もひどくなっている、、

私の父は、幼少は、怒るとき、腹をださせてつねり、
小学生時には拳固でなぐった。中学生には手はでなくなったが
正座をさせて、大声で何時間も怒鳴り続けた。
言葉使いは普通だったが、3時間くらいはざらだった。
こどもなりに、言葉をかえすのだが、すべてへりくつだとされた。

黙って嵐が過ぎ去るのをまつ、、しかし、今度は
だまっているから、、と相手もやめない。。
1次的に自分を心理的に分離できるようにと願った。
母は、”父さんは、理論的にはまちがっていないから。。”と
助けてはくれなかった、、

先生の言葉から、、

本人の感情にかかわらず、その育ちはその人に身についてしまう。
すくなからず。。
だから、私も、子供をたたいてしまうのだと。。
ただし、本人が、”いきすぎはいけない”と自覚し、違う場面で
子供を抱きしめたり、優しく接することで、虐待にはいたらないのだと。。

”こどもってね、弱いけど、案外強いものでもあるんですよ、、
泣いていてもけろっとわすれて、そばによってくるんんですよ”
本当に、虐待されている子供は、始終おびえてびくびくしているものなんですよ

これは、小児科の先生にも言われた言葉だ。
”2歳なら、だいじょうぶ、言葉をはなして意識がでてきたら、本人
なりの反抗心がでてくるけどね”
”でも、3つ子の魂、百までといいます、、その後に意識として
私のようにのこりませんか?”
”大丈夫、大丈夫、、人間は弱い、、だれだって疲れていたり、いらいらして
ついたたいてしまったりする、、でも、それだけじゃない。”
完璧な人はどこにもいない。。
たい母さんは、なにもできないというが、好きな人が出来て、子供も
でき、家庭ができたではありませんか?
すごいことですよ。。
ひとりなら悩むことは無かったが、相手が出来たことで、また、自分はこれで
いいのか、、と悩みだしたんですね”

そう、、
自分の問題、、劣等感克服の問題はあるが、これについて
解決せねば、、と真正面からむきあったのは、家族ができたから。
自分がまもりたいものがうまれたからだ、、
まずは、専門家の意見を聞きにいけただけでも、前進か?
手を何時間も洗いたいとか、出かけに何度も鍵をかけたか、確認したい
という癖も私にはない、、

本当の治療をされてる人や、もっと重大な病や苦しみを抱えているひとには
もうしわけないが、私には、ずっと何十年も封印したいほどの問題なのだ。

あらためて、もうすこし考えて生きたい。




2007年03月12日(月) カウンセリング

を、うけた。

毎日、理由もはっきりせず、いらいらして、何も
やる気がでないからだ。

カウンセリングで出たことは、主人に対する要望や
自分の時間がほしいのになかなかとれない、、とか。

恥ずかしながら1時間、規定いっぱいしゃべってしまった。
なんだか、恥ずかしい、後悔もあるような。

”頑張りすぎではないのですか?
 こうあるべき、、母として、妻として、、で
自分の本当の欲求、、こうしたい、とかけはなれ、
自分のなかで葛藤しているから、いらいら、苦しいのでは?”

ある意味そうだった。。
私は、いつも頑張ってしまう、他人からみたらたいしたことはないだろうが。

何故、がんばりすぎるか、、、
頑張らねば、自分は人並みになれないからだ。。
子供のころから、しつけ厳しい家庭に育ち、ほめられたことは
まるでなかった。
どんなにがんばっても、その努力さえ、みとめてもらえなかった。
ずっと、”自分は存在すらあやういつまらない人間だ”と
コンプレックスのかたまりだった。

主人と結婚したのは、そんな自分をはじめてみとめてくれたから。
”頑張らなくて、いいよ。頑張っているの、わかっているから”

年齢も育った環境も学歴も趣味もなにもかも異なるのに
そのひと言にかけたからだった。

子供が幼く、不器用な私は今、専業主婦だ。
愚痴や不満を吐き出す、場所も人も時間もなくていきずまっていた。

そこで、ネットをつかって、”心の相談室”って昔いっていたサイトに
ついているところに書いてみたのだ。

しかし、そこで”あんたは専業主婦だから余計なことをかんがえるし、
だんなのあら捜しばかりするんだ、仕事をしてみろ”と
書かれた。
そのひとには、ちゃんとレスのお礼を書いた上で、自分が今、仕事を
する余裕がないこと、体調も完璧ではないし、主人にもそれをふまえて
助けてほしい、、と返事した。

が、最終的に”有閑専業主婦の暇つぶしにつきあわされた”と
別のかきこがあり、
私もいらだっていたせいか
”ちゃんと文章をよみこめない、あなたも暇人”と書いてしまった。
すると
”だから、あんたは自分の意にそわない意見は排撃するんだ、、
そんな女をもっただんなこそ、いい迷惑だ。いいかげんにうせろ。
おばさん、いいとしこいだ大人のくせに”と書かれた。

私は、できない自分を攻撃されるのがいやで、殻をかぶった。
自分を攻撃するものは、理論でいいまかす、、そうして自分を
防御してきた。
いっぱいいっぱいになっているところに、それこそ、排撃された。
だから、すごく落ち込んだし、昔の自分が、もう乗り越えたとおもっていた
自分に気がついた。
本質はなにもかわってはいなかった。

なにもできない自分、中途半端な自分、親が手をだしたので、はっとすると
子供に手をあげている自分、
掃除も、料理も中途半端な自分、、、

ネットはこわい。
顔もみえないし、その人の背景や、要因など書かれた文章に
あらわれないことも多い。
私を攻撃した人が、育児や家事の大変さや、心の傷をわかっていた
とはおもえない。
自分だって、攻撃的なのは、弱さの裏返しで、自分をまもりたいため
ていうのに、そういう自分になっていると今、気がついたのだから。

しかし、そのカキコでやはり、すごくダメージが大きい。
情けない本当の自分に気がついたからだ。
家事も育児もこなしてはいるが、正直
”しんどい、、、休みたい”
でも、頑張らねば、、と想う自分、、強迫観念にちかいかもしれない。

やはり、誰かに
”よくやっているね、、”と言われたいのだろう。
些細なことでいいから。。

このうつ症候群(?)のようなところから抜けだしたい。。
13日、心療内科の予約を取った。
しかし、子供も私も風邪気味。。

すこし、延ばさざるをえないか。。。

三つ子の魂、、早くまで、、、
3歳までの、しつけや、心の傷は一生、つきまとう。

息子にはそんな思いをさせたくない、、、



2007年03月03日(土) 荒れました。。。

子供は2歳
元気で甘えただけど、やんちゃで頑固。

昨日はもやもやして眠れず、今日は睡眠不足。

でも、かかわらず、おもちゃをひっくりかえし、食事もあれこれ
好き嫌いをいって、、

いやになって、切れました。

なんでこんなにちらかすのよ、、
といって、おもちゃをなげかえしていました。

母親失格。

でも、子供をぶたないだけ、まだましか、、
以前は、たたいていましたからね、、、

40歳代になっての出産、育児はなかなかつらいもんがある、、
身体がついていかんもんね。。。
おまけに、ちかくに見てもらえる両親もなく、そこまで親しい友人もなく、
一時保育も月1回ぐらいしかなくて、だんなは、仕事で朝早く、夜遅いし、、

と、、愚痴ってしまいました。

人は、誉められ、価値を認められる欲望がもっとも強い、、
とどこかで読みました。。

家事や育児も、その価値をもっとみとめてもらえたらいいのに。

よく、働いて、育児も家事もやって、社会性ももちましょう、、、
なんて自己啓発本みたいなもんにもあるけど、
そんなの、できる人とできない人がある。
不器用なら、そのどちらかでもいいやんか。。。
専業主婦でも、共働きでも、そのひと、それぞれ、、

かってなことをいうな。

独身のとき、フラワーアレンジの教室をもっていた。
身近なところで、フリーの仕事も兼業でやっていた。
妊娠、出産で、中止していたが、ふと応募した九州、ハウステン○ボスの
フラワーアレンジのコンテストに入賞した。
花の仕事を本業とし、なみなみたる受賞歴のある面々のなかで
アマチュアはわたしだけだった。

おとつい、ある花の雑誌をみた。
そこには、そのコンテストの審査員をつとめたある世界的有名女性デザイナーの
本人の結婚式の模様が巻頭に特集されていた。
その会場の飾り付けの写真、、

私のコンテストのデザインと似ていた。。
盗作なんてものではないが、、、、

なんだか悔しい。。

今は、子供が小さくて、そんなに活動できないけど
感性をもっと磨いて、羽ばたいてやる。。。

観てろ。。。




2007年03月02日(金) なんだか。。。

はじめてかきます。

ちょっとへこんでいるというか。。。

実は、あるサイトの相談コーナーに投稿して
それはちがうともいえる回答があったので(と私は感じた)
で、
こういう事情があるんだ、、とかいたら。。

有閑専業主婦の暇つぶしにつきあったんだね、、
やめなよ、おばさん、いい年こいで、、

だって、、

あはは、、

まあ、ネットてのは顔もみえないし、文章のうまい下手で
伝えたい心理がつたわったり、だめだったり、、、

はい、いい年こいだおばさんです、
相談したのが間違いだったか、、

て愚痴をこぼしたりして、、

まあ、私にも書き方に問題があったんだろうけど、、
逃げだろうけど、、むかしから・つかっていたそのサイトを
削除しちゃいました。。

弱虫、、でもいい。これ以上頑張っているのに
がつがつやられたくないもん。。
みんな、自分がかわいい、、逃げてもいいじゃん。


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