朝の蜘蛛みたいにいくつかのジンクスがわたしにはある。 たとえば、パンを余分に買い込んでおくとだれかがパンをくれる。 たとえば、わたしの実母はいつもしてくれることであっても、こちらが期待していたり、当然してくれるであろうと油断しているとしてくれない。 先日も入院している京都の叔父を見舞った帰り、小田原で新幹線を降りて我が家へやって来ると連絡が入ったので当然お土産は漬け物でしょう…と期待していると買って来ないわけだ。 やっぱり漬け物は冬のものであるからして買って来ないだろう…と期待していないと緋の菜だの柴漬けだのなんだかんだと買ってくるくせに期待してお箸を持って待っていると買ってこない。 もしかして、京都駅でおいしい駅弁を買ってくるかもしれない……いや、夕飯時に来ると連絡をしてきた時に何も言わなかったのだからそれはないだろう…で、鰺フライだとかがんもの煮物とか切り干し大根とか味噌汁だの用意して待ったわけだ。弁当は来ないだろうが漬け物は来るだろうとふんで待っていたわけだ。 で、漬け物はなし、で、買ってきたのは鯖と鯛の押し寿司だし… だからこの時間に寿司を持ってやって来るのなら連絡せいつ!夕飯の準備は要らないとお言いっ!と説教したいのをぐっとこらえ、おいしいとにこやかにバッテラをほおばるわたしは大人だ。
朝の蜘蛛は仏様のお使いだから殺してはいけません。 そんなことを遠い遠い昔にだれかに聞いた。 わたしは蜘蛛なんか見えないので、周りの人たちの「蜘蛛格闘話」に耳を傾けながら、近くどこからか訃報が入るな…などと思っていると、かなりの確率でさみしい知らせが届く。それは同僚の親戚であったり近所の隣人であったり… その朝も職場で朝の蜘蛛話を聞いた。 Oは小さな蜘蛛がぴょんぴょんはねるように職場の机の上を逃げていったと言っていたし、 Mは掌ほどの大きな蜘蛛と起きがけに格闘した話をしていた。 彼女らの話を聞きながら、わたしはぼんやりと、ああ…今度はわたしの近くで何かありそうだな…と思った。 その晩遅く、尾道の叔父の訃報が入った。 叔父は長く患っていたので周囲も静かに覚悟はしていた。 わたしは連絡を聞きながら蜘蛛はやっぱり仏様のお使いなのだな…と考えていた。 蝶々もまた魂の化身と言う。 小林秀雄も母親が亡くなった夕暮れに自分の体にまとわりつく一匹の蛍を、 「ああ、おっかさんがやって来たな…」 と感じたという。 逝った人の思いがささやかに姿を変えてこちらの世界に現れる。 こちらも心を平らにしていないときっと見逃すほどのささやかな便りだ。
駅で行きつけのラーメン屋のおじさんに出くわす。 久しぶりのおじさんが言うのには、もう歳も歳なので息子に店を譲ったのだと。 で、おじさん、歳はいくつなのさ? と尋ねると 「こないだ○月で72歳になった」 「○月の何日?」とわたし。 「」△日」と、おじさん。 「えー!! おじさん、あたしも寅年の○月△日生まれだよ!」 と驚いているわたしに次のおじさんの言葉がその30倍くらいのメガトンパンチを繰り出した。 「えーっ!!! あんたも72歳なの?」 ! ええ ええ あたしゃ、若い頃から老けて見えましたともさ。 ラーメン屋のおっさん マイナス200ポイント…
風がゴーゴー吹いてます。 台風が近づいている… そんな緊張感溢れる暗闇に妙な懐かしさを覚えるほど、もう猛暑日に飽き飽きしていたのです。 台風は秋を連れて来てくれるでしょうか? 紙風船を掌でぽんぽんしながら いえね、これは頂いたものなんですけど… 封筒にこっそりしのばせてあったのですけれど そういえば、遠い遠い日、我が家は小さな旅館を営んでいて、年に数度、富山の薬売りのおじさんがやって来たものでした。 おじさんはいつもちょっとした子ども向けの贈り物を背負った荷物にしのばせていて、 わたしもおじさんから紙風船をよく貰ったものでした。 きっと薬の広告が印刷されていたのでしょうか、薄いパシャパシャした紙に一帯何が印刷されていたのか、緑や赤の線画だったようなおぼろな記憶しかありません。 封筒にこっそり入っていた紙風船、 こどもの頃のようにふくらませて ゴーゴー吹いている夜の風に 乗せるように飛ばしてみたら もしかして盛岡の友だちんちまで飛んでいけたりして… そんなことをつらつら書いていたら ぜーんぜん関係ないけど 「ムーミンパパ 海へ行く」が読みたくなりました。 灯台のある島へ向けて 夜の海へ小さな船で漕ぎ出すムーミン一家 台風を待っている今夜の緊張感が なんだかあの物語を思い出させたのでした。 今晩のデザートはミルクかんてんでした。
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