日々の泡

2010年04月30日(金) 引き寄せる

豪華駅弁の特集をラジオで聴いて以来、 松阪牛ステーキ弁当一万数千円のことが気になって仕方がない…
何をしていても、ふと心に現れる。
こだわりの弁当、牛肉は血統書も付いているらしい。うまいんだろうか…
どうなんだろうか…
うし…
仕事中、そんなことを考えていると、「牛沢さん」という人から電話が来た…
それにしても、ステーキ弁当…
おいしいんだろうか…
一生に一度くらいは食べてもバチは当たらないんじゃないだろうか…
うーん…三重県か…
うし…
なおもそんなことを考えていると、「牛田さん」という人から電話があった。
これを「引き寄せの法則」というんだろうか?
いやどうせ引き寄せるなら弁当の方を、どうか…
 寒さも一段落したようで、湿度の少ない晴れた一日…
去年の今頃は
語るに足る、ささやかな人生 アメリカの小さな町で 著者 駒沢 敏器
という本を読んでいた。
アメリカの小さな町を車で旅するロードドキュメンタリー。
小さな町でささやかに暮らす人々とのふれあいの十四編が修められていた。
著者が運転する車に同乗して、一緒にハイウェイの風を体に感じるような気持ちになった。
そういえば、こんな心地良い日は、風を感じるような物語を読みたくなるよなあ…
そう思っているとラジオから聞こえて来たのは向井万起男さんの声。
で、思い出したのが、
謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るin USA 著者 向井 万起男
旅が好きな万起男さんの車でのアメリカ旅行記。
これを読むことにする。
おお… アクセルを思いっきり踏み込んでハイウェイをすっ飛ばしてみたいものだわ…
来世に期待。



2010年04月11日(日) そんなこんなの日曜日

Roses by Janis.Ian仕事の資料造りが終わらない。
Vaio TYPE-P OSはVISTA これがスクリーンリーダーで読み上げさせるとめっちゃくっちゃ遅い!
途中から、6年近く使ってるTYPE-Tに代えてみたら、はっやい!XP万歳!
焼いた魚の味がイマイチ。
資料造りが押して、アイロンかけてない。
冬物のブーツたちを磨いて乾燥剤入れてしまおうと思ったのにできなかった。
朝、風呂場に洗剤をスプレーしておいたのを、今になって思い出した…
そのうえ、明日は雨だとさ。
で例によって月曜日だし。
そんな気分を何と言おう?
と、ふと耳を澄ますと、ラジオから溝口肇のチェロが聞こえて来ました。
音楽というのは、瞬間的に染みこんできてわたしの体内に化学反応を誘う。
さて、口角をあげるエクササイズでもしましょうか。
パチンと一泊 手を打って
青い帳をはらいましょうか。
げっつようび 機嫌良く参りたいものであります。
春になると、ジャニス・イアンを引っ張り出して聴いています。
のどかな午後の勉強部屋を思い出します。
のどかな春の日は何処?
Rose by Janis.Ian



2010年04月10日(土) 昨日出会ったふたりの女性

昨日の帰りのことだ。
電車を降りると、年配のご婦人が声をかけてきた。
一緒に行きましょう。
婦人は、わたしを抱くように腕を背中に回し、歩き始めた。
本当のところ、盲人というのはそんな風にされると後ろから前へ押される形になるから歩きにくいものだ。
けれど、その婦人はとても大柄でわたしを包むように歩かれる。
身長165センチのわたしよりかなり大きい感じがする。
その体からはなんともリラックスした感じが伝わり、わたしはうっとりとした気持ちで歩いた。
待てよ… この感じ、前にも体験したことがあるような…
背が高くてらっしゃるんですね…
と尋ねると、
そうなの、わたし170センチあるのよ…
その声は深くて、なんだか宝塚のスターみたいだ。
もしかして、以前にもお声をかけてくださいませんでした?
と訊くと、
あら、すごいわ、そうなの… でも、もう何年も前のことよ。
やはり。確か、あれは暑い夏の盛り、婦人はわたしの持っていた日傘を、まあ、しゃれてる!と褒めてくれたのだった。
そして昨日のようにわたしを抱くように歩いてくださったのだった。
わたしね、思うのよ、お目々のわるい人って、他の感覚がもの凄いんだって。わたし、だって集中したい時は自然と目を瞑るものね。
その口調は、わたしが、今盛んに読んでいる明治、大正、昭和初期の女の人のように奇妙に艶っぽく、かといってあだっぽすぎない品がある。
確か、あの夏の日、このご婦人はエステティックの帰りだと言っていた。
マッサージを受けて、気持ちがよかったと恍惚とされていた。
そのリラックスして弛緩した体で、わたしを包んでくれたのだった。
母ほどの年齢だろうか。
わたしまで恍惚としてしまったのだった。
あの包まれた安心感。
幼子が母に抱かれて歩くような安心感。
しばし、うっとり歩いたのだった。
 婦人と別れて、スーパーで買い物をする。
サービスカウンターで誘導を頼むと初めて担当してくれる店員さんが来た。
肩におつかまりください…
つかませてもらった肩はずいぶんと低いところにあった。
うって変わって小柄な方だ。
たぶん140センチぐらい。
明るくはきはききびきび…
山椒は小粒で…の通り、。
個性的なふたりの女性に出会った黄昏でありました。



2010年04月09日(金) 氷砂糖がなくても

禍福糾えるごとくの一週間でありました。
禍の方は自分で招いたもののようでありましたが…
まあ 仕方がない。
時間が解決してくれることでしょう。
気持ちをフラットに、時の流れに流されましょう。
オールを持たずにボートで流されるように
さて辿り着くのはどこだろう?
心から悲しいことはだれにも言えない。
なので言わない。
そうすると寡黙になってしまうんだな。
ある夜のこと
五十近くにもなる娘の頭を
母は撫でて言うのでした。
もっと幸せになって欲しい…って。
と言うことは、あたしはしあわせに見えないってこと?
さまざまなことがあるけれど
これでも結構しあわせなのだよ、あたしは。
しあわせのてんてんをつないで
もっとしあわせになって行くのだよ、これからあたし。
青空文庫で宮沢賢治の可愛い文章を見つけました。

『注文の多い料理店』序
宮沢賢治

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃(もも)いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾(いく)きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

  大正十二年十二月二十日
宮沢賢治

底本:「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社
   1990(平成2)年5月25日発行
   1997(平成9)年5月10日17刷
初出:「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社
   1924(大正13)年12月1日

明朝は晴れるとのこと。
美しい桃色の日光を思い切りのみ込みましょう。
今から楽しみです。
おやすみなさい…



2010年04月07日(水) ありがとう 渡辺君とポークピカタッ!

ポークピカタっ!
今朝は経理の渡辺君の快活なこの一言で始まったのでした。
本来ならば、今日のお昼の仕出し弁当のメニューの内容は
鰈の煮付け
ガンもと小松菜の煮浸し
小芋の煮っ転がし
でした。
けれどお魚が苦手な人のためにお肉のメニューも用意してくれるのです。で、毎朝お弁当屋さんに電話で問い合わせてみんなに教えてあげるわけです。
渡辺君に今日のお肉メニューを教えてあげると、彼はいつもの明るく大きく快活な声で、うれしそうに、でもってちょっぴしスタカートも効かせて、
ポークピカタッ!」
と言ったのでした。
なんだか、おかあさんの作ったおいしいごはんを大きくなるまでたくさん食べてきた健全な若者のパワーが炸裂したようで、
雨模様のどんより気分がパット晴れた瞬間でした。
ありがと、渡辺君…
 小田原の梅林の梅の実の八割近くがこのところの寒さでだめになってしまったようです。
今日の帰りもそれはそれは寒かった… 
春はどこに行っちゃったんでしょうか?
 今夜は鮭。
いただきものの鮭。
iPodでアン・バートンを聴きながら鮭を焼く。
板状のチューインガム数枚分の大きさのわたしのiPodシャッフル…
わたしには充分の小ささなんだけど、みんなでかい」と言う。
そんなちっさいの持ってたらきっとなくすんだから…
いいんだもん あたしはこれで。



2010年04月05日(月) 雨だし月曜だし…

雨で月曜。
鬱々…
夕食に桜フレーバーのかまぼこを食す。
口元に近づけると例のさくら持ちの匂い、陶然、脳は先走り要求する、舌先のあんこの味を。
しかしながら、さすがに小田原の名店のかまぼこ、桜の香りも上品で噛みしめるほどにおいしい。ごっつぁん!
 で、引き続き明治大正昭和初期の女流文士たち。
華族に生まれ、お家のために親子ほど年の離れた九州の炭鉱王の大金持ちと結婚させられた柳原白蓮。歌人。
大正三美人の一人。
若い愛人と駆け落ちし、新聞紙上に夫への絶縁状を掲載させるなど一代スキャンダルを巻き起こした。
で、テキストは林真理子 「白蓮れんれん」
正直申して、このお方には共感できませんでした。
二度にわたる家のための策略結婚の犠牲となったのは気の毒でありますが、二度目の結婚においては贅沢の限りを味わい、夫の相手をするのが苦痛になると若い娘を側室のようにあてがい、駆け落ちしてのちも戦後、皇太子、道子妃のご縁談に華族代表として猛烈に反対するなど、いったいなんなんでせう?
『私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます』ウィキペディア-柳原白蓮の絶縁状より引用
女性の人格的尊厳-夫に若い娘をあてがうのはいったいどうなんでしょう?
私は私の個性の自由と尊貴を護り-ご自分の自由と尊貴はお護りになるのに、皇太子が愛する女性と結婚することを阻止しようとするなんてなんと勝手なんでしょう。この絶縁状は白蓮の書いたものを下敷きにして、駆け落ち相手の友人たちが書き直したものということですが、一流の歌人が、ご自分の意志に相反するような内容は許すはずはないでしょうからこれは白蓮の考えとして受け取って良いのではないかと思うわけです。
ああ なんだか書いているうちに腹が立って来ました。
しかしもっと沢山、白蓮に関する本や、歌集を読まなければ彼女の人格を断定するのは尚早というものでしょう。
なにしろ、じっくりと意地悪なほどに重箱の隅をつつく林真理子さんの作品なのですから。
やはり、わたしにとって女流文士は美しくありながら気っ風がよくってどんと懐の深い長谷川しぐれのような人がチャーミングであります。
岡本かの子のような愛あふれる人が好みであります。
桜ばないのち一ぱいに咲くからにイノチをかけてわがナガめたり かの子
かの子は男女問わず、その人の前で命いっぱい燃やす人だったのでしょう。
なので、ある人には窮屈であるし、ある人にはエネルギーを与えたでしょうし、好きな男性には命がけだったのでしょう。



2010年04月04日(日) かの子繚乱

桜の頃になると、何故だか明治・大正時代の女流文学を読みたくなる。
何でだろう?
満開の妖艶さと、枯れたような黒い幹…
それがまだ女性が恵まれない時代にあって、恋に生きた美しい女流文士たちを連想させるんだろうか?
数年前、ネット上の図書館、青空文庫で初めて岡本かの子の短編を読んだ。
それまでかの子と言えば、かの岡本太郎の母上で、当時圧倒的な人気を誇った岡本一平の妻であり、ふたりの愛人を次々一平との家庭に住まわせ不思議な三角関係を続けていたというスキャンダラスな一面しか知らなかった。
けれど、青空文庫で次々に彼女の絢爛たる作品を読み継ぐに従いかの子自身をもっともっと知りたいと思うようになった。
そうだそうだ! それにはいい作品があったではないか!
「かの子繚乱」瀬戸内晴美著
今までたまっていたかの子への疑問、興味を一気に解決すべくわたしはこの本に集中した。
さて、それはそれは面白かった!
岡本かの子という芸術家が太陽のようにわたしの脳裏に鮮やかに描き出された。
かの子という人は、我が儘であり常識では計れないところばかりだけれど
文学に対する透徹した情熱、一緒に暮らした男性たちすべてが、彼女と暮らした日々が我が人生で一番生きている」という実感に溢れた瑞々しい日々であったと感慨をもらすなど、凡人には想像できないリビドーに溢れた時代のミューズだったんだと思う。
 岡本一家が欧州へ旅立つときにも同居していた愛人と書生は同行する。
愛人と言っても慶応大学病院の外科医という社会的にも立派な人物であったようだし、早稲田の学生であった書生は戦後ある県の知事を何期も務めたような人物で、俗な人間がスキャンダラスな夫婦と同居しているなどと言う想像してしまうような人物像とはかけ離れた人たちだった。
その不思議な人々の関係が具体的に想像されるエピソードがあるので引いてみよう。
かの子は渡欧中にたくさんの有名人と対面しインタビューしているが、なんとチャーチルにも対面している。
かの子じしんも英語を話せたようだが、そそんな際には日本語を通し、通訳は書生が、書生が通訳したらないところはハアちゃん’(愛人の愛称)が付け加えて通訳して、それでも足りないときにはパパがスケッチして説明するのですよ!
と男三人を堂々と従えて行ったのだという。
なんとしあわせな女性なんでしょうか。
かの子は面食いで、夫の一平氏はもちろん、愛人たちも見目麗しい男性ばかりであったという。
そう言えば、ハンサムだった小林秀雄にもかの子はどうか付き合ってほしいと懇願したというエピソードを秀雄の妹さんが書かれた本で読んだことがあった。
男性だけではなく美しい女性にも憧れていた。
おっと、時間がなくなったので続きは次回に書こう。


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茉莉夏 [MAIL]