はぐれ雲日記
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2006年05月31日(水) 司馬遼太郎は

「小生は七十になって、自分は『街道をゆく』 の『台湾紀行』を書くために生まれてきたのかな、と思ったり しています」と言っていた。

下関講和条約は日清戦争の後に1895年4月17日締結。台湾が清朝から日本に割譲され、台湾省が廃止される。時の日本側全権大使は、伊藤博文と陸奥宗光。

台湾が日本に統治されていた明治〜大正にかけ祖父は警察所長として台湾に居住。
そこの地で父は出生しました。この当時の祖父のことを調べに台湾を訪問してみたい。

数年前、春まだ浅き都会より、仕事の関係で与那国島に行く機会がありました。
石垣島から飛行機で30分。台湾まで約125キロ。石垣島からは約 127キロ
の位置にある 日本最西端の島です。  
島は昔から“ドナン“と呼ばれてまして”渡難”の字を あててそう読ませるほど
厳しい自然環境にあったようです。
戦後間もない時期 には、与那国は台湾との密貿易で 大いに栄え、1947年には町へと
昇格しました。 ...最盛期には1万人以上の台湾人が与那国へ上陸。
今でも久部良の中学には台湾からの交換留学生がきていますよ。
当時、与那国の人も病院や進学は台湾へ渡っていたそうです。

台湾の見える島。与那国島へきてはるか台湾を望み(たまたま見ることができた)
「海道」を行くわたしなのでした。


2006年05月30日(火) 武士は禿げると隠居する

わんばんこ。ヒッソリと野に咲く(爆)一輪の花。
野菊のごときどんかく奴でおま。

江戸時代の言葉に「世を厭う 姿か月の影法師かしこき知恵の回り灯篭」
とあります。
回り灯篭って、単純なこしらえのようだけれどもそうでないように見える。
逆に 複雑なようだけれども実際は単純なものに思える。 これは人生そのものかも知れません。ナンテネ!

今日はぐっすり眠れて良い一日でした。ひさしぶりに朝寝。ぽかっと起きて
夜勤の前にぶらり新宿。前から気になっている本があったので。

武士は禿ると隠居する つー本を紀伊国屋で読みました。立ち読みで。
どうやら月代(さかやき)が結えないかららしい。
武士同士のいじめや恋愛、規律、日常生活などがコラム風に描いてあるが
禿たら隠居とは、体質や遺伝によって現役と引退組が決定するというのは
ちょっとした愕きの雑学でした。

自分の妻が浮気しても、当時は不倫相手の男と自分の妻の両方を重ねて
バッサリ斬らなくてはならない。だから示談で済ませることも多かったとか。
てか、・・・・左様か。さようならば命だけは助けてくれようぞ。

いかほど? では百両で。

ホリエモンも言ってたっけか。金で買えないものはない。トネ。
命も恋も買えるのだ。

結局「緊急で役立つ頭部CT・・・」なる医学書を購入。
やはり頭部でも内側に興味アリということで。

お値段は。。。。。。アイタッ!





2006年05月28日(日) 賀茂の流れにポルナレフ

新幹線どっとこむ。
朝8時過ぎに家を出る。昼には地下鉄烏丸線。
どんよりどよどよ今日の京都。

なんだか京都行きはここんとこ葬式や法事ばかりで出かけること多し。
紫野。花ノ坊町。90歳で亡くなったおばあちゃまの十三回忌。
お年を召されても美しい人でした。
伝統工芸の会社を立ち上げ現役で社長。仕事では休むことなく陣頭指揮をとっておられた。
驚くのはそのファッションやインテリアのセンスの良さで京都から一歩も出たことないのに
そのご容貌も、雰囲気もたたずまいも異国の香りを漂わせていた。
初めてお会いした日。紅い細かい薔薇をあしらったジョーゼットのワンピースに
さしかけてくれた傘のしずくがポタッと落ちてお袖がぬれて。
ああ。花が雨にぬれてる、と思いました。


通されたお部屋は大きな籐のロッキンチェアにはアンティークドール。
深いブルーの絨毯はあつらえで尾形光琳のかきつばたの花が織り込まれていた。家具は全てマホガニー色で統一されていて、ああ将来わたしも
年とったら好きなものばかりに囲まれて暮らしたい。としみじみ感じました。
みうがお世話になります。と深々と挨拶され、子どもたちを抱きしめてくださった。・・・弟の義理のおばあちゃまです。
その赤ん坊はいまハタチ。ギターが大好きで自分はギター星人だ。
ギターをオレが弾いているんじゃない。ギターがオレ様を弾いているノダ。
などとのたもうております。

うっとりと想い出にひたっているとコクッと眠りそうになりました。

と。
正直。お経が長いです。
ミッシェル・ポルナレフの「愛の伝説」に聴こえてしまうのは曲が御詠歌調だからかしら?

その後車で分乗。四条の木屋町へ出て会食。
♪夕闇の高瀬川〜。
京都の人はみなここを世界一の町だと思っている・・・・
誇りと落ち着きをもっている。こころもようがいつも古都。
わかったわかったわかりましたよ〜。
確かに・・・確かに伏見の酒はうみゃい。って「司牡丹」やん。
笑ってさざめいてもう一晩ゆっくりしたくなって。でもでも

帰りは終電に間に合うよう泡をふいて帰ってきました。




2006年05月27日(土) 平成おっぺけぺー節

権利や幸福きらいな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい
おっぺけぺ おっぺけぺ おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ

現代で言えばラップ風に言葉を繰り出して、権力者や金持ちを皮肉る「オッペケペ節」。
川上音二郎が、後に代名詞となる歌の原形を始めたのは一八八六年。(明治十九)
二十二歳のころです。自らの獄中の見聞を披露したらしいセンセーショナルな題名に、
アナーキーな行動にひかれる芸人気質がのぞきます。
つるべ落としの帰り道。車内で「川上音二郎」を読み終えました。
・・・ムフフ。 ラップって好きなの〜♪ こんなん作りましたヨン。 (=^db^=) 


ジハードで死んだなら処女100人と暮らせるのぉ?
夢はふくらむキーポッポ
女性ならドーテイの美男子100人はべらせる?
どーでもいいけどウザクネー?
おっぺけぺっぽうぺっぽっぽう。

人殺しする原理主義
人殺してまでも民主主義
ミサイル放つイスラエル
あれはテロとは言わないの?
おっぺけぺっぽうぺっぽっぽう

小泉さんはかみさんがいないから神さんに会いに行くだけさ。
靖国参拝 責めないで〜。 おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ


5回裏負けそうになると「ルール変えよーや」
大人のだだっこ だーれだ。
おっぺけぺっぽうぺっぽっぽう


ランボー怒りの脱出かい?あそ。よかったねえ。こっちはねえ。
貧乏怒りの脱出だ。おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ。


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これは某掲示板に初書き込みのおっぺけぺーです。あのころそのころ。
沖縄大好き人間のわたしはときどき新宿、吉祥寺界隈 でオフ会をします。
どなん。残波の白をちょこっと。ひさびさの泡盛。おいしかったですねえ。


2006年05月26日(金) よいとまけの歌

町外れにあった近所のパチンコ屋がさびれ、とりこわされてそのあと広い広いのっぺりした土地が残った。
最近、大型ダンプの出入りが激しくなってきたと思ったら、そこはすぐに広大な工事現場に変貌した。
今度はどうやら大きな日曜大工センターができるらしい。
ビデオショップとか食いもんやが希望だったが・・・。つまんないでやんの。
工事現場はチャパツの建設作業員や赤毛のアンのダンプの運ちゃんでいっぱいだ。
土を掘るのも運ぶのも全部機械を使っておこなっている。
土方、モッコ担ぎ、よいとまけ、あなっぽり作業は今や昔。
基礎工事、つまり穴掘り作業やくい打ちに相当する作業は機械がやってくれる。
昼食も”ドカベン”から鼻歌まじりでコンビニ弁当を買ってくる時代に。

♪今も聞こえるよいとまけの歌。 今も聞こえるあの子守唄。
工事現場の昼休み。 煙草ふかして目を閉じりゃ 聞こえてくるよ  あの歌が
働くかあちゃんのあの歌が・・・
おっとちゃんのためなら ”えんやこーら”
おっかちゃんのためなら ”えんやこーら”

記憶にまちがい無ければ・・・シスターボーイとよばれたころの三輪明宏の歌である。
よいとまけの意味は今も知らない。
工事現場から、いきなり三輪明宏のディ―プな世界へと入りこんでしまった。
オニムカシ・・・。30年前から、わたしはあたかもギズモからグレムリンへと?変容したが、
三輪氏はやっぱり魔女ならぬ、鬼女なんだろうか。 あのおどろおどろしさは三島由紀夫の恋人?親友?だったときとまったくまったく変わらず。
だけんど、なんたらゆーおーらのいずみとかゆーテレビ番組でトトロみたいんなOYAJIと連なって前世は遊女だとか外国の受難者
だったとかどんびゃくしょーだったとか十二単のおひめさまだとかゆーのんはやめておくんなまし〜。許してくれいこらえてくれい。
ん?過去がどーたらとかってだからどーした?
見えないものが見えるとかそのシトの生まれる前はなんたらとかそんなこと
わかったってどーにもなるわけでもなし。
えと。

・・・・関東大震災の予言まだ〜〜っ!(爆


2006年05月25日(木) 月山 (がっさん)

いまだ生を知らず いづくんぞ死を知らん。

これは、孔子に、弟子の顔回が「死ぬとはどういうことでしょうか?。」と尋ねたところ
孔子はカラカラと笑って「わたしがそんなこと知るもんか。 今こうして生きてるということがどういうことかすらわかってないのに・・・」
と応えたという、あまりにも有名なことばです。

森 敦著「月山」 のとびらの部分にこれが記されていました。
芥川賞受賞のこの本は本まるごと一冊曲にしてしまったということで当時話題になったものです。
電通のサラリーマンをしながらシンガーソングライターでもあった新井満さんが”組曲・月山”を作りました。

長く、庄内平野を転々としながらも 私はその裏ともいうべき肘折の渓谷に分け入るまで
わたしはなぜ 月山が月の山と呼ばれるかを知りませんでした。

という書き出しで始まるこの小説は、森さんの葬儀でも、お経のかわりにこの組曲を流したそうです。
以上はマエフリ。

今日は森さんのお母様のことを書きたかった。
森さんは旧制高校から東大へ進んだのですが、途中で感ずるところがあったのか中退。
ラーメン屋の出前持ちになりました。
その時のお母さんの態度がステキでした。
「敦、偉い。 東大も大学だが、ラーメン屋も人生の立派な大学だ。」 と励ましたそうです。
これはとても・・・わたしなんか言えません。本当に。
流浪の小説家、森敦はこのようなおおらかなお母様のもと育まれました。

月山は鳥海山とともに山形に位置し、その姿は牛が寝そべっているように見えることから正式には
臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれています。
前日の”暗闇から牛”を無理やり引き出したようですね・・・。


2006年05月24日(水) キューポラのある町

小学校のころ、川口にしばらく住んでいた。
キューポラの町。鉄錆びた町。ブリキの臭いがした。 すぐ裏は”坂下鉄工所”という町工場だった。
5、6人のあんちゃんが機械油で真っ黒になって朝から晩まで働いていた。
その中にターぼうという年のころ18、9のくらいのいつもとびきり上機嫌のあんちゃんがいて
仕事中、のべつまくなしに歌を歌いまくっていた。
別れの一本杉。 ごめんねチコちゃん。りんご村から。美しい十代。 達者でな。錆びたナイフ・・・。
ちょっと九ちゃんに似たにきび面で、よくもまあと思うほど次から次へと大声で歌いまくった。
夜になってハダカ電球が点っても、仕事に歌謡曲にしばしも休まず精出していた。
窓は全部開放されていたので学校帰りなど、遠くからでもその歌声は聴こえた。

「ひっさしぶりにい〜手をひいてぇ〜おやこでーあるけるうれしさにいぃぃーーー」
歌の途中で「ターぼう!」とだれが呼んでも知らんぷり。
「ここがここがあ〜二重橋ィー記念のしゃっしんを撮りましょうねえーーーーー!」
と最後まで”東京だよおっかさん”を歌いきらないと絶対返事はしない。
たとえ社長が来てなにか尋ねてもだ。
社長はしかたなく手をブラブラさせたりして、歌のキリの良いところが来るまで
キマリ悪そうな顔をしながらも、手持ち無沙汰でじっと待っている。

どんな寒い朝でも上機嫌で私たち子ども等には「おっはよー!」帰った時には「おかえりィッ!」
と声をかけてくれるので、ターぼうは近所でも人気者だった
土曜の午後など、鉄錆びた窓は子ども達が鈴なりに顔を連ねてターぼうの歌声に聞きほれた。
おかげで色んな歌を覚えることができた。
♪ABC〜XYZそれがおいらのくちぐせさあ〜 子ども達も加わりみんなで大合唱となるこの曲。
18番はフランク永井の”有楽町で会いましょう”  だが、ABCXYZなどと言う
そんな口癖ってあるんだろうか? いまになって思うと不思議ではある。

高度成長期、中卒が”金の卵”ともてはやされたころの話である。
石油ストーブの普及で、石炭を使うダルマストーブが急滅し、キューポラの火も消えた。
しばらくして坂下鉄工所も工場(こうば)を閉鎖。
ターぼうをはじめとするあんちゃん達は田舎へ帰ったり東京へ再就職したりして、みんないなくなってしまった。

いなくなってしばらく経ってからも、三丁目の垣根の角を曲がり、ぽっかり浮かぶ雲を見上げたりすると
ターぼうの歌声が風にのって聞こえてくるような気がした。

♪これこれ石の地蔵さ〜ん。西へ行くのはこっちかえ〜。だまっていてはわからなあい。
ターぼうの大好きな祐ちゃんもひばりちゃんも天国に召され 昭和も徐々に遠くなりつつある・・・。


2006年05月23日(火) 青葉繁れる

意思を継ぐ。 夢や野望を遂げられずに生涯を終える
人間の意思を誰かが引き継ぐという話は無条件に心を打たれる。
年とったせいかなあ・・・。
今日、ラジオで聞いたんだけど”戦国時代”にちなんだ曲をインターネットで
探してリクエストするという番組の中で(ちょっと変?)紹介されてた話。

関が原の合戦の時に、家康の子どもの秀忠は、戦いに遅れて来たという。
合戦に勝った後、家康は部下(家来?)の前で厳しく我が子を叱ったそうな。
しかし、のちに判明したことには、家康はわざと我が子を遅刻させたと言われている。
それは、戦に負けても秀忠が生き残り、意思を引き継がせる意図でそうしたそうな。

まったくたぬきおやじのやりそうなことではないか。
ずる賢くて、計算されつくした度胸があって、いつでも裏の裏まで読んでいる。
ほんとアッタマ来る〜。こういう奴って職場に一人はいるんだよなあ。反面、妙に感心したりして。
コネズミ総理は”徳川家康”読んだことあるのかな?
コータローはOYAJIの意思を継いで走るのかいな?プ。

ところで、戦国時代にちなんだ曲。難し過ぎ。平成ポンポコ合戦ではだめだろうし・・・。
旗本退屈男?古城@ミハシミチヤ?青葉繁れるはどんなもんだろー。

♪青葉繁れる櫻井の里の渡りの夕まぐれ。木の下蔭にとめて
世の行く末をつくづくと偲ぶよろいの袖の上に散るは涙か、はた露か。

まちがっているかもしれない。なにしろ幼いころ祖父に教わった歌だ。
楠正成が戦にでる時に我が子正行(まさつら)に後世を托した歌と聞く。
なんか・・・じ〜んときてしまう。 年とったせいか。

わたしがぜひ、子ども達に託したいもの・・・。

それは財産ではなく、借金の山である。

むひょ。


2006年05月22日(月) 逢いたくて逢いたくて

小学校高学年になっても、わたしはあいかわらずギャザースカートをたくし上げて
ゴム段をしたり石けりや缶ケリをして遊びに興じていた。
幼い弟たちと地面に水をぶちまけ、泥をこねて山を作ったりお団子をこさえたりしていた。
そんなある日、近所のシスターボーイのオサムちゃんがしゃなしゃなとピンクのラッパズボンで(!)
ドブ板を踏み鳴らしながら私たち3人の横を通り過ぎた。
通り過ぎざま、「アラアラおいしそーなおだんごあたちにもちょうだいな」とお愛想を振りまいた。
振りまいたのは良いがせっかくまんまるくできた団子を踏み潰して行った。

片っ方の耳にイヤホーン。イヤホーンの先には当時流行ったゲルマニウムラジオ。
それを手にもって電波の調整をするように上下させながら・・・
♪愛した人はあなただけ〜。わかっているのに・・・こっころの糸がむすべないふったりいは恋人ぉ〜
と高い調子で歌い出した。歌いながらご満悦の様子で、歩幅を調整しているのではないかと思うほど
ある地点に正確に到達した。・・・ そこには犬の糞。
わたしと双子の弟は坐ったまま泥だらけの顔であんぐりと口をあけてその様を見ていた。
正気にもどったオサムちゃんは「あっちゃあ〜!」と言いながらおんなもののサンダルをそこら中の雑草で
ぬぐい始めた。 わたしたちはまるで自分たちが悪いことをしたようにこそこそ泥遊びの片付けにかかった。

その後、園まりの”逢いたくて逢いたくて”を聞く毎に、色っぽい歌い方をする人だなあーと
感心しつつ、犬のふんのありかを教えなかった自分のあの意地の悪さは、泥団子をふんづけた仕返しか
女物のサンダルを履く男へのこらしめだったのかいまだによくわからない。

眠る時以外は恋する人のことを思っていた・・・。”逢いたくて逢いたくて・・・”
そんな恋心からとんと縁が無くなってはや四半世紀。(?)
でも、でも、今ではオサムちゃんを思い出すととても胸が痛むよ。
ペラペラピンクのラッパズボン。 まとまらないよな〜今日は。


2006年05月21日(日) 灯(ともしび)

わたしにとってのナツメロとはズバリ神田川、なごり雪、22才の誕生日、傘が無い
などに代表されるフォークソング。
さらに新宿の歌声喫茶”灯”(ともしび)で友と肩組んで歌ったロシア民謡。
”若者達”に象徴される”銀色の道”や”夜明けの歌”
音大の学生さん等が舞台にあがり、圧倒的な歌唱力で私たち客の大合唱を仕切ってくれた。
5、6冊に色分けされた小さな”ともしび歌集”はまさにコーランのような存在。
沖縄が本土復帰する前なので、反戦歌も熱っぽく歌われた。

固き土を破りて万物の怒りに燃える島沖縄よ。 (中略)
沖縄を返せ(返せ!) 沖縄を返せ(返せ!)
あのころ、多感な高校時代。 まさに灯世代の私たちは青春のエネルギーを
フォークコンサートや反戦歌を歌うことで昇華させていたのだろうか


2006年05月20日(土) イカ イカ イカ!

今日の晩御飯。 乾ししいたけはもどして千切りに。しめじは一本ずつさく。エノキダケはザクッと2等分に。
油揚げは熱湯でさっと湯がいてから細く切っておく。
磨いだ米にそれらをさっくりと混ぜ、日本酒、みりん、醤油で炊きあげる。

かき玉汁は左手だけで作る・・・。

はやと瓜と赤カブのぬかづけは薄く切って冷蔵庫に冷やしておいた。

新鮮で真珠のように光ったイカは皮をむき、塩、胡椒で味付けして粉をはたきカラリとリング揚げにする。

ゲソはわたといっしょにアルミホイルに乗せ、ストーブで焼けるのを待つ。ころあいを見て長ネギのみじんにしたのを
パラリとかける。 部屋中にイカの香ばしい匂いが立ち込める。
焼けたかな〜。焼けたかな〜焼けたらねえ、じゅうと音をさせて醤油を廻しかける。
イカのわたとネギと醤油がこげて爆ぜる。

「いただきまーす。」 家族揃って晩ご飯。 おいしっ!
イカのゲソ。めちゃうま。 舌から胸に胸から目に、うまさがじーーーんと来た。
だれも何も話さず食べた・・・。口になにかくわえているとしゃべれないものね。
自分の料理をこれだけ誉めるのも、どこかおかしいかなあ?
それよりも文章が鬼平犯下張の池波正太郎からDrスランプあられちゃんになってしまったことのほうが
もっとおかしいかなあ・・・・。



2006年05月19日(金) 痛いよ〜。ハチササレ

午後6時15分。 こんなことってあるのだ。 ちょっと買い物にでようとして
靴下を履いたとたん、足に感電したような電気ショックを受けたような衝撃を覚えてうぎゃあと悲鳴をあげた。たとえようも無い痛み!
煙草の火でも入っていたのかとあわてて靴下を脱ぎ捨てた。
すると、なんと中から蜂がよろよろと出てきたではないか。
こんにゃろう、こんにゃろう! あわててそばにあった子どもの黄色い通学帽でバタバタとなぐった。
それにしてもひでーこの痛み。アンモニアなんて普通の家にありっこない。どーしよう。 
とにかく針と毒を吸い出そうと、足のかかとを口へ持ってきて吸い出そうとしたが・・・アイテテテ届かない。
ボールペンの芯を抜いて、赤くなってる刺された部分に押し付け、思いきり吸って陰圧にしてみた。
あ〜なんてことない!手応え無し!
もう一回挑戦!!とばかりおかしな姿勢でガブリと噛みついたとたん、ガリリッと軽い音が走って・・・
びっくりして何かを飲みこんでしまった。
そう・・・刺し歯が一本取れて、なーんと飲んでしまったのだ。こわいやら、情けないやら・・・。

あーもうやたらと笑えない・・・。目の前が真っ暗になる思いだ。
今時のサシバっていったいくらかかるの?
よろよろと立ちあがったわたしのもとへやっと子ども達が駆けつけた。
蜂の件については、子ども達全員が刺された経験があると言うのでびっくり。ついでに刺し歯の
ことの顛末を話すと口々に「ダッセー!」「お母さんあたまわるーい」・・・だとさ。 なるほど。

そういえば、今日は朝から土曜日の気分だった。なんかオオボケだった。
洗濯物に蜂がセットされてくるなんて想像もしなかった。御用心。
あんまり痛かったので、明日も休みの気がしてならない。
一週間って8日あったけか?



2006年05月18日(木) ミリオンダラーベイビー

「アメリカの核心にある『愛蘭土』」をやっと読ませていただきやした。
(以下転載)
しかし、この映画には隠れたストーリーがある。それは、アメリカにおけるナショナル・アイデンティティーとしての愛蘭土(アイルランド)を物語っているのだ。サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、冷戦構造解体後、世界各国ではグローバル化した中で
それぞれのナショナル・アイデンティティーを再構築しなければならないが、それは簡単だ、「外に敵を作ればいいのだ」と述べていた。
わたしはそれを、“ハンチントンの罠”と読んでいるが、世界各国はいまその罠に落ちて、「外に敵を作る」ことに必死になっている。アメリカしかり、中国しかり、ロシアしかり・・・。だが、イーストウッドはこの映画で、アメリカのナショナル・アイデンティティーは「外に敵を作る」ことではなく、いわば「内に誇りを再確認する」ことだ、と語っている。
映画評論家たちがそのことに気づかないのは、それはアメリカ人にとって自明のことであり、それゆえ(イーストウッドが)あえて言葉では語っていないからである。映画評論家はそのことを、映像において読み取らなければならない。しかし、それができていない。わたしが冒頭で、映画評論家がずいぶんと表層的になっていると述べたのは、その意味である。イーストウッドは、アメリカのナショナル・アイデンティティーを映像において語っていた。かれはマギーという女性ボクサーに“人間としての誇り”を語らせた。しかし、映画作家としてのイーストウッドは、そこに「アイルランド」を映し出すことで、アメリカ人としての誇りを重ね合わせてみせた。老ボクシングトレーナーのフランキーは、いつもアイルランド詩人イェイツの詩集を携えている。イェイツはイングランド系のプロテスタントだが、かれはケルト系でカトリックの「アイルランド」を発見した詩人でもある。イェイツにとって「アイルランド」は、自らの「魂の祖国(パトリア)」だった。
『ミリオンダラー・ベイビー』の老ボクシングトレーナーは、ゲール語を学んでいる。
かれは自分が愛する「娘」としてのマギーのガウンに、ゲール語で「モ・クシュラ(私の血)」と縫い込んだ。
ガウンの色は、アイルランドのナショナル・カラーとしての「アイリッシュ・グリーン」だった。イーストウッドはそのように、アメリカのナショナル・アイデンティティーとしての「愛蘭土」を映画にうたいこんだのである。
アイルランド人が石を砕いて土をつくったように、アメリカに渡ったアイルランド人は「アメリカ」を作った。
中国人も韓国人もロシア人もヒスパニックも、そして日本人も、みなアメリカを自由と民主主義の「理想の国」と考え、そこに移民してゆく。しかしアイルランド人は、アメリカを「理想の国」に変えてゆこうとした。(そこに、アイルランド移民の子の
ケネディ大統領がいつまでもアメリカの星であるゆえんがある)。
その意味で、『ミリオンダラー・ベイビー』はアメリカの核心に「アイルランド」を据えた『風と共に去りぬ』の後の物語なのである。
その女主人公スカーレットは、敗北を乗り越えるために、何度となく「タラへ」と叫ぶ。

タラはアイルランド独立運動の聖なる丘の名である。無一物のスカーレットもまた、「アイリッシュ・グリーン」のカーテンから緑のドレス、つまり誇りを作ったのだ。
(転載終わり)

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防人さん。やっと探してきて読んだんですけどこれ、何言ってるんだかよくわからねーですよ。まあ映画評論家といえば映画評論家らしい意見ですけど。

・・・この映画のあらすじは
マギーとトレーナーのさわやかスポ根物語変じて不幸の問屋のチンレツ。ということで
テーマは、神様なんていらねー。これでキマリ。
尊厳死のプロセスも描き方も雑なので言及しない。
ただ、あんなにすぐ褥創ができるのはおかしいですよ。しかもすぐ肘に。てまえみそですが勤務先の病院にも植物人間状態の方が何名かいます。中でも、さーたーあんだーぎーを詰まらせて呼吸不全から脳死状態で二年経過されてる患者さまもいらっしゃいますが褥創予防に関するケアは徹底しているのであのように(映画のように)なることは考えられません。
口腔ケアもとても力を入れて歯科医と相談しながらていねいに時間をかけています。とてもきれいですよ。・・・・ただ。このまま生きているのがどうか。という問題は別ですが。
職業がら。人間は生命の奥底からの生への希求はあるんではないかと考えます。たとえば生まれたての赤ん坊は生命の奥底から「生きる」ことを本能的に希求している生命体だと思います。ただ。マギーは赤ん坊じゃーねーですよ。マギーはわけわかんない赤ん坊なんかじゃねーです。意識は清明だし。生きるということは、ベッドの上で人口呼吸器を付けて朝がきて夜がきてまた朝がきて夜が来るのをじいっと待つだけの
デクノボーでいたくねい。自分の生はリングの上で完結した。自力で呼吸もできない。永遠に体を動かせない。これは自分じゃねー。と思ったから自殺未遂したんじゃなかろうか。

とにかく自分を、そして愛する者を守るには強く賢くなければならない。
愛する人に適切な助言を出来る人でいたい。弱さに流されない自分でありたい。
そんなことを考えました。「愛蘭土」とかはちぃっとも考えませんでした。
それはそうとあてくし。モーガン・フリーマンのファンでして。
今夜辺りプロポーズのお手紙を書こうと思ってたとこなんですよね〜。
「今世はむりだろーから来世。あーそうそう。来世は、かもかのおっちゃんと約束したから
できれば来来世あたしといっしょになってくださいまし〜。とね。」
来来世。これでええ。これならあたしもほうぼうに顔が立つ。(爆)


2006年05月17日(水) 東京高裁の悲しみ

知人の公判に行く。若葉が急に桜田門に萌え出したようなまぶしい陽射し。
傍聴席は満席。やはりその筋と思われる方々がほどんど。
Yさんは自分と自分の家族(奥さま、お子さん四人)が殺されることを聞き
死刑覚悟で暴力団員組員5人の人間を射殺してしまった。


Yさんは堅気の人間や市民、婦女子には絶対迷惑をかけるないじめるな。
と組の若い者にも大変厳しかった。
娘さんたちものびやかで子どもさんにしては一本筋の通った優しい性格。
わたしはこのご家族が大好きでした。

夕暮れどき、わんちゃんを散歩させながらちょっとぽうっとした様子で
考え事をしながら町内をてくてく歩くYさんを見ることができないのは
とても残念です。

なにかあるときちっとあやまる。その見事な土下座っぷりはとうてい
最近の堅気の人間には見られない。
わたしは警察へ用事で行く都度、Yさんのことを気にして刑事に聞いていた。

大丈夫。Yさん。子どもは未来に向かって育つ。
安心して刑に服してください。
面会には行けないがお嬢さんにはお会いしてくるつもりです。


公判はあったが判決は7月11日13時30分に持ち越される。
傍聴は抽選になると高等裁判所係官に教えていただいた。
 
おそらく判決は死刑。



2006年05月16日(火) 符丁

若いころ、築地の魚河岸で仕事をしていたが、その頃、商売ではほとんど符丁(ふちょう)を使った。
符丁は、商品に付ける値段の記号。 仲間内で通じる合い言葉のようなもの。
うちの店は海老問屋だったので符丁は「明けの海若恵比寿」 あけのうみわかえびすだった。
この記号は店によってそれぞれぜんぶちがった。
つまり、あ=1 け=2 の=3・・・・という意味で、売り子さんが帳場にむかって
「花寿司さん巻きワカね!」 「魚竹さんタイガー、ケーミー。」 「ダイエーさんアーエーだよ」
このとき帳場のわたしは花寿司さんの領収書に 巻き海老670円×100本 67000円と書く。

同じ時刻にお得意さんと上得意が来た場合当然値段は違ってくる
でも、お客さん同志ねだんがちがってはいけないね。(これタテマエ)
わからないように符丁を威勢良く使う。
魚竹さんのタイガー海老は1ケース2500円  5ケースお買い上げ〆て12500円也。
ダイエーさん、まったく同じタイガー海老が1700円。1200ケースお買い上げ〆て204万円なり。 バーゲン用だ。

これは、差別でなく区別だ。
粋なエチケットだと専務が再三再四、ミニタコ、でなく、ミミタコで説明してくれた。
7人の売り子さんがほとんど同時に値段を怒鳴ってくる。聞き分けて瞬時に領収書を切り
茶屋札を書く。現金が小切手が、文字どうり乱れ飛ぶ。

おかげでめっぽう安産でなく暗算には強くなった。
専務が12×12=144って暗記しとけ。1ダースは良く使う単位だからね。
2500円は一万の四分の一だから言い値を四分の一で割るって
覚えておいたほうがいいの。とか具体的にいろいろ教えてくれた。 だから今でも暗算はとくい。
数えるお金はないけど・・・。

そのころ、社長は相撲道楽。○○部屋のタニマチすじ。
 専務は三味線の名手。 番頭さんは清元(長唄のようなもの?)のセミプロだった。ちょいと江戸草紙の世界だった。

若い衆はキビキビいでたちもキリリと立ち働き、スッキリとした男前ばかりだった。
火事と喧嘩は江戸の花、粋でいなせで目で殺す。
そんな男が上物だと今でも信じて疑わない。・・・・時もたまにある。

♪浦和から4時半の始発で築地に通った。
1ヶ月でリタイヤするかと、自分でも思っていたけど、水があっていたのか結婚するまでの3年間続いた。
帰りは銀ブラをするか、気が向くと勝どき橋や白髭橋をわざわざ渡って帰った。

くたびれるとよく、幼い頃遊んだ隅田川沿いの”言問い団子”を食べに立ち寄った。
春のうららの・・・。桜には目もくれず。 aikoそのころ56キロと500グラム・・・。春や春。今は昔。

おあとがよろしいようで・・・。


2006年05月14日(日) 神田祭りはよーーいやさぁっ!

祭りはやっぱあれだねえ。雨上がりの午後。ほんとは宵宮がいいねえ。
てんてんてれつくてれつくてんてん。祭囃子に血が騒ぐ。
大和民族のサガ。とでもいいましょうか
5月13日から15日にかけて日本三大祭の一つ、
神田祭がとりおこなわれました。

秋葉原からぞろりと参りました。液晶テレビやパソも見たいですし〜。
交通博物館も閉館いたしますし〜(まあ、ここは行ったことないケド)
江戸時代の神田祭は天下祭とも呼ばれ、華麗な山車がぞろりぞろりと続き、将軍上覧の天下第一の祭礼として全国に知られました。
これは両国の江戸東京博物館でその模型を目撃したことがあります。


岩本町から東神田と秋葉原東部、外神田へとわっしょいわっしょいです。
男神輿が・・・女神輿が・・・・通るたびにどよめきと歓声。汗。唾!
おっと。お神輿の掛け声ははこっちは「セイヤッ、セイヤッ、セイヤッ」ですね。キリッとしてていいですね。もう何でもいいですね。

あ、その前に本当はまず神田祭のバヤイはじずしずとずずずいーーーっと
江戸鳶頭連の「木遣り」が登場なんです。これは一度観ました。
独特の節回しがお江戸の空に染みて行く。
品がいいねえ。色気もあるねえ。
結婚式にも謡っていただいたくらい好き好き好き。
・・・って何唄っているのかまったく意味はわからんけど。

江戸時代疫病が流行り江戸っ子たちはそれが平将門の霊の祟りだとカンチガイ。
その怨霊を慰めるためにこの祭りが復活したそうです。なんかなあ。
いやホント。祟りかもしれませんがね。
怨念っていや何やらこわひから。だからこの祭りのシメククリは薪能。
これはまだ観た事はないんですがね。何やら鬼ババアを山伏が調伏するらしー。怨念を祈りで鎮めるもよう。

とにかくアキバの大通りは人人人・・・東京都民でドットコムドットコム
おしくらまんじゅう状態でみな正気の沙汰ではない・・・疫病になっちまう。帰りの満員電車でほっと一息(爆

江戸の三大祭りはそう、言わずと知れた
浅草の三社祭り(オニ混みだからほとんど行かない)
富岡八幡宮の例大祭(生まれた近くのお宮さん山本一力さんが近くに住む)
日枝神社の山王祭り。OL時代近くにあってヒルトンホテルの裏だった。

でもでもいっとう好きなんは鳥越神社の宵宮。
6月5日〜6日。みなさん蔵前までめんそーれ。
そのときゃぁ。デジカメ忘れるドジはふまない・・・・つもり。


2006年05月10日(水) やっちゃった

ブラジルと?

え?赤子の手をひねるとはこのことwいうんじゃないの??
豹と猿。へびとカエルみたいな。

つか。神さまなんていらねー。


2006年05月03日(水) コイズミとオザワ

コネズミとオザル

どっちかつーとオザワがいい。見るからにずるそーで。
コネズミは見るからにずるそーでないとこがやばい。
あてくしはコイズミのような顔がきらひなのだ。
動物だとしたらば、コネズミは食うとこねーし。
アハッ。
ま。コネズミは死後ミッキーマウスとなり
オサルは蟹ムカシのエテ公に生まれ変わるなり。


鈍角 |MAIL

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