はぐれ雲日記
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2005年07月28日(木) 天はシトノ上ニシトを作ラズ

靖国の帰りにY先生の研究室へ遊びにぃ〜行きました。おみやは爽健美ちゃ2本。
中国の香りがいっぱい。いっぱいでした。
先生に北京好日と戦中派虫けら日記は読んだ。いまは日米戦争と戦後日米関係を
読んでると報告。それとこんな(靖国の英霊)騒ぎになった原因は日露の戦争大勝利。
というのがすべての元凶でしょう。。日清戦争勝利。日露戦争辛くも勝利。
負けたのは米にだけ。
日露では余力ゼロ。エネルギー使い果たした状態で何とかかんとか勝ったのに
神国日本大勝利とお祭り騒ぎされそこからどんどん取り返しのつかない泥沼状態に。
日本のターニングポイントはこの時でしたよね。そこまではわかりました。
と言ったら、それは大方の意見になっています。との由。それよりも。と
本棚から一冊のボロボロの本を出してきて「近代史を語る上で自由民権運動がとても
大事です」と言われ。内容は不十分だがアジアで憲法と国会を持ったのは日本だけと
細かく説明してくれたのでなにやら大事そうとメモったらメモはとらんで話しをよく聞いたほうがいいです。と静止され、ふんにゃなるほど。と語る教授の話を見ていた。
話がさびの部分に入り。福沢諭吉は自由民権運動には貢献したが大きな過ちを侵したと
またまた「脱亜論」これはコピーしてあげますから。と。ね。
なかでもとりわけ(以下引用しまふ)出典は日本近代国家の成立と革命情勢。
おおもとは時事新報明治18年3月16日・・・・これでいいンか。

引用


我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。



以上を音読していただき「小泉はこういうことを知らないから靖国に参拝するんでしょう」と言われた。
ふむふむなるほど。諭吉は韓国中国をコケにしているんだ。当時はさぞかし影響与えただろーな。
・・・ところでこれ。初耳なんですが他の人は知ってんの?え?もしかしてわたしだけ?
たいていの人は知ってますよって?・・・わたしって常識ないのかな。
え?常識はあるほうの人だと思うが知識が断片的なんですねえ。ですと。
ものごとはいいですか。時系列を追って系統的に調べたり関連性を勉強しなければ
ならないのです。と。・・・む。そういうんは大学で歴史学んだ人は知ってるんかいなと
たずねたら、どの学部でも一般教養でやります。みたいなことを。
まーいいや。わからにとこは聞けばいいんだから。いまから基本をコツコツと。
(当分このっサイトやBBSはおせーないでおこう。アヒャ)

帰りに角田房子の「閔妃暗殺」と片野次郎 「李朝滅亡」はゼヒ読みなさい。
どっちも新潮文庫ですから。・・・・って。あーーーくらりっ。


2005年07月27日(水) ヘーゲルだのマルクスだの

労働しなくても楽してウマーな生活がでけることが書いてあるんならいいと思ふ。
でもなかなかいいことも言ってるよ〜。「宗教はアヘンだ」とかね。
キリスト教なんて搾取する側が黒人奴隷を自殺させないために作ったんじゃないかしら。

ん〜。最近は寝る前はもっぱら太宰@青空文庫だねぃ。

「彼は昔の彼ならず」


君にこの生活を教えよう。知りたいとならば、僕の家のものほし場まで来るとよい。
其処(そこ)でこっそり教えてあげよう。
 僕の家のものほし場は、よく眺望(ちょうぼう)がきくと思わないか。
郊外の空気は、深くて、しかも軽いだろう? 人家もまばらである。
気をつけ給え。君の足もとの板は、腐りかけているようだ。もっとこっちへ来るとよい。春の風だ。こんな工合いに、耳朶(みみたぶ)をちょろちょろとくすぐりながら通るのは、南風の特徴である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/300.html






2005年07月26日(火) おじいちゃんになりたい。

いのち。

元気いっぱいだった12歳の少年を突然襲った病気「拡張型心筋症」。
発症すると平均余命1年とも言われる。
補助人工心臓を外すことはかなわず、早急に移植が必要な状態となった。
しかし、国内に於いては法的に15歳未満の臓器提供が不可能なので、
海外での心臓移植に頼らざるえないのが現状

心臓移植が早く日本でもできるようになれば。
日本人は手先が器用なので成功率も高いと思う。

先日、テレビでこの少年の番組を特集していた。
オペ前にテレビ局のインタビューで
「将来何になりたい?」と聞かれたらこの少年は
「おじいちゃん」と答えた。
「長生きしておじいちゃんになりたい」と。

翌日、職場でこの話をしたら看護士さんたちはみんな泣いてしまった。

わたしもおばあちゃんになる前に氏にたいものだ。とかずっと思っていたが
ひどくバチアタリな考えだと思ったよ。


2005年07月25日(月) 弁護士資格あっちゃこっちゃ

ずっと前のことだけんど。Y先生がおかしそうに
「法学部の教授を5年以上経験していると国家試験受けなくとも
弁護士になれるので東大のI.R教授はそれで弁護士になったのですが
彼は『鎌倉時代の法律』を教えているんだということなんですよね。」
とうれしそうに笑っていた。(・・・チイともオカシカネーヨ。)頭の良い人おいし杉。

何でこんなことを書くかというとそのときもあたいは
「法学部教授がそのまんま弁護士になれるってことは誰でも知ってるンか?」
と聞いたからだ。
もちろん。誰でも知っている。I教授の話も有名な話です。とのたもうた。
でも。一般教養で法学部で英語教えていても駄目です。法律を教えていないと。とも。

「だけど。司法修習生やらないかんでしょ」と言ったら「それもスルーできるんです」
とおっさられた。
かなわんかなわん。鎌倉幕府の法律や江戸の刑罰専門の先生に弁護されてモナー。
・・・・とか思ったが。ようく考えてみたら大学教授は国際法。日本の法制史から
六法全書。現代の法律に精通した上での鎌倉時代の法制度の専門なんだカラ。
まったく問題ないのでわ。と結論。
あーそういや渡井はY先生の本一冊も読んだごとない。またまたしくじった。


2005年07月24日(日) 前田療法

渡井なんかさ〜子どものことトカ仕事のことトカ生活のあれこれで「あーでもねいこーでもねい」
と考えているうちに仮性鬱みたいんになったわ。どきがむねむねして涙がほろり。
「なんか崖っぷちに立ってるみたひ。こわひ。不安で不安でションガネ。」
と赤ひげ内科医に訴えたらさ〜。「そうだよね」と。・・・・「そうだよね」って。わなわな〜。
んでもって。崖だと思っていても手え離してひょいと飛び降りたら案外でっかい台があるもんなんだよ。
開き直ってみい。と言われた。
それで「前田療法」という本があるからこれ読んで見なさい。と貸してくれた。
それは、あるがままに。今の心をあるがままに受け止めて淡々となすべきことをなし日常生活を送りなさい。
という趣旨の本だったと思う。

いま、考えると体に変わってこころが風邪を引いていただけなんだな。
てへ。悪いことばかりあってあったりまえ。いいことあったら不思議。という感じでほぼひびやってます。

そういえば。祖母は、お金落としたり盗られたりしたら「自分が交通事故に遭わずに済んだ。」
と思いなサレ。とか言ってました・・・・・が。思えねいですよ。祖母はお寺さんのお嫁さんだから。
人間そんなにぽよよんぽよよんできるもんじゃねいです


2005年07月21日(木)

先先月は左京区の法然院へ桂都丸の落語会へよる。ここのお寺では毎年都丸さんの会が行
われていて、わたしもできるだけ毎年足を運んでいる。晴れの日に京都で落語会があると
楽である。弟夫婦が去年までいたので。自転車で直接行けるから。逆に雨の日だと電車、
バスで中途半端なところにあるから難儀。この法然院も中途半端な位置。バスで乗継ぎで
いくと1時間はかかるが自転車だとその半分。
蹴上〜南禅寺から哲学の道をブラリ。散策で観光客、カップルが多い。途中で風景を写生
をする
お年寄りも見かける。
法然院の境内に入ると、京都独特のお寺さんの雰囲気に。周りは重い緑に押され、風で刷
れる葉の音がザワザワと。本当にこんな場所でバカ笑いを発していいのか、と毎年思うが
。木戸銭を払って本坊へ。両サイドには庭園があって、獅子落としの音が響き渡る。11月

紅葉シーズンが待ち遠しい。
都丸さんは、「口入屋」と「百人坊主」を披露。「口入屋」は8月の連続落語会でトチっ
た部分があって、そのリベンジを期待。そして女中が肩書きで次々と流儀を言っていくの
だが自分自身にプレッシャーがあったのか、かなり慎重に進めていった感じ。どうにかト
チらずに済んだが、もう少しスラスラと言って欲しかった。あと高座が高くて腰を浮かす
と欄間の蔭となって、
ハシゴを上るシーン、神棚に灯を上げるシーンでは、下半身しか映らなくなる。「百人坊
主」は場所柄上、バチが当りそうなネタであったが、咄事体滑稽なもので笑えた。
え〜と関西の方は妾馬(東大赤門)を見たがりますね。それと噺塚ですね。戦時中に女郎
さんや郭の噺がご法度とされて艶っぽいものは葬られた。
熊っ八さんは行ったことがあるでしょうが。
わたしは友人に言われて初めて知ったよ。
たぶん・・・最初に言ったかにゃ?
「片棒」が大好きでふ。
ほんじゃ。


2005年07月19日(火) 東大やらしつけやら

数学者さんからお聞きしたのですが川端康成っ。も
東大卒ですが、あのころは東大は無試験だったんですってねい。
最近は少子化で。またまたどこの大学でも入れるようになる時代が来るかもね。まあ勉強はともかくできるやつにまかせておいて親は躾けだあね。
・・・わたしも無教育だからなぁ。(笑
知ってる日本語の数が少ないから子どもが人様に迷惑かけたり
だらしなかったりすると、ことばより先に手ぇが出てすぐぶんなぐりますよ。
まだ、なぐリ返してこないからいいけど。
15.17の大男になぐられたらまじ氏にますからねぃ。アハッ。

去年のクリスマス。こんな記事があったの。読んでみて。




米テキサス州パサデナで23日、行いの過ぎた子供たちにお灸をすえるため、
父親が「サンタクロースのプレゼント」を米大手イーベイオークションに出品した。
匿名の男性(41)が出品したのは、家庭用ゲーム機「ニンテンドーDS」3台。
ことの発端は、9歳と11歳、15歳の息子たちが喧嘩を始めたことだという。
子どもたちは不適切な言葉を叫び、 猥褻な仕草をしたため、男性の怒りに触れてしまったという。
男性夫婦はその後、子供たちを3日間の外出禁止とした。
また、「子供たちには、自分たちがどんな兄弟か、 親をどう扱っているのか、
このまま成長したらどんな大人になるのか考えなさいと叱った。
君たちはお互いを 傷付け合い、家庭の平和をぶちこわしているとも伝えた。それは、止めなければならない」とも話した。


子供たちは行儀良くすると誓ったものの、次の日の朝にはまた元のようにけんかを始めていたという。



か、かわゆいんだけど〜


2005年07月18日(月) 靖国で調べものがありまして

沖縄の学童疎開船対馬丸遭難と沖縄空襲について学童は「公務」なので靖国に祀られているということ。
他の無辜の民は圏外ということらしい。



まさか・・・渡井がヒットラーの墓参りに行く人間とか思ってやしめーでしょうね(爆

とりあえず最近の毎日新聞ニュースより




靖国参拝:遺族会「近隣諸国への配慮」求める異例の見解

 日本遺族会(会長・古賀誠自民党元幹事長)は11日、東京都内で幹部会を開き、
小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「遺族会の悲願としてありがたいが、英
霊が静かに休まることが大事だ。近隣諸国に配慮し、理解してもらうことが必要だ」
との見解をまとめた。遺族会はこれまで、首相の靖国参拝実現を活動の最重点項
目に掲げてきたが、これと同時に中国、韓国などへの配慮を求める異例の見解と
なった。
幹部会ではこのほか、(1)A級戦犯の分祀(ぶんし)問題に政治は介入すべきで
ない(2)靖国神社に代わる追悼施設の建設には引き続き反対する−−ことも確認
した。関係者によると、幹部会は靖国参拝問題が政治・外交問題に発展したことを
受け、古賀氏が呼びかけたという。

 小泉首相は01年の自民党総裁選で、遺族会に対し「首相に就任すれば靖国神社
を公式参拝する」との意向を示し、その後「公約」になった。遺族会が近隣諸国への
配慮を求めたことで、首相の参拝継続方針に影響を与える可能性もある



わたしがダラダラ解説するよりも上記の記事にアクセスして判断してもらいたい。
個人的に靖国には数十年前から通って調べていることがあります。
ここにしか現存しない資料があるからです。
亡くなられた犠牲者の児童、引率者などは未だに何回の海底深く眠り
引き上げられてないという。しかしながら関係者なかんずくご家族や
親戚によって地元沖縄の寺社に祀られていらっしゃるだろうに。

靖国ではパソコンの中に犠牲者のお名前が入っているだけ。
みなさま一度社務所で聞いてみるといいと思う。






2005年07月17日(日) みたま祭りへ

小泉純一郎氏の提灯は今年は南3区画。上から二列目に灯っていた。
およそ百個あまりの国会議員らの名前も。
初穂料一万円なりでだれでも提灯はぶらさげられる。
さすがに与党カルト教団は見当たらなかったけど。アハッ。

提灯は一張(ひとはり)と数えられる。

デジカメ画像は板が重くなるようですんまそ


2005年07月16日(土) 兵隊さんたちは

殺されたくないし戦いたくないし戦地に行きたくないし
本当に辛かったと思うよ。

今日の祭りも化け物屋敷や見世物小屋が出たり缶ビールが500円で売られたり
大村益次郎の銅像ははヤキトリの煙で燻製にされるわ。輪になって盆踊りをされるわ
阿鼻叫喚の騒ぎ。毎年確実にどっとこむ。若者の参加はバリバリ多くなっている。
人いきれと人の波。歩幅は約5センチ。熱ひ。帰りは氏ぬかと思った。

えと。
三浦洸一。や菅原都々子。神楽坂浮子。が元気で生きていたのにもびっくりだが
歌も「日本兵の潔さ」や「軍人の哀愁」の宣揚に満ち「九段の母」のように気丈で強い
女を讃える歌が目立つ。間違っても「平和」や「戦争反対」のことばは見つからない
・・・って山に魚がいない。と大騒ぎするようなものか。

m。mm〜。犠牲者には国として礼節をつくしてお詫びしなくてはならないと思ふ。
戦争で利用し。死んだ後も「英霊」として利用されるのはいい面の皮というもの。


2005年07月14日(木) 靖国に唄ふ。

きゃうは靖国神社のみたままつりでありまふ。
ぬわんと能楽堂での英霊たちへの歌を献納したのは
あの、つのだ☆ひろ氏でござひまひた。

これぞ。若き特攻隊員のホップステップ鬼畜米へ向けて玉砕!
の精神わ
名曲♪メリージェーン一発で散ったつのだ☆ひろ氏の
われてくだけてたまとちるやふな歌声と合い通じるものがあるのでせうか。

なほ。つのだ☆ひろ氏が審査委員長として
「日本を好きになる歌」を募集してをりまふ。
優秀作品は20万。つのだ氏のプロデュースにより、
CD化。販売されるさふな。後援は勿論産経新聞社でふ。



2005年07月12日(火) 「御府内備考」をどなたか譲ってください。

きゃっ。わたしの「下町」の定義が間違っていたようです。
葛飾、柴又。や月島。佃島まで下町と考えていました。
下町とはもともと江戸城の管轄下の地域内で
「お城の近くに住みたい庶民はここに住むことを許す」っていわれた
とても狭いエリアのことを御城下の町っていう意味で「下町」と呼んだそうです。
幕府編纂「御府内備考」によりますと
「下町というは日本橋川筋より北の方、神田内堀に属する」とあります。
つーことは当時の下町は日本橋・京橋・神田あたりだけとなりますね。

その後、薩長が江戸に乗り込んできて江戸文化や情緒を破壊しました。
また江戸という地名は廃止。「東京」とするとかいって地名変更などしても
江戸の庶民はあわてず騒がず。あ。そ。と割とすんなりそれを受け入れたそうでして、
旧町名の廃止のときにも抵抗は現代よりもよほど少なかったそうですよ。

維新後は江戸城も機能しなくなったから「御城下」なんていう枠もはずれて、
庶民のためのエリアは拡大していきました。
その頃の「下町」はもちろん城下町の意味ではなく、
上京武士や薩長貴族のエリアである山の手でももちろんないですよ。
ちなみに江戸・東京の大きな店はほとんどすべてが新潟や三重出身者。
伊勢屋とか越後屋とか近江屋とかありましたね。
日本橋は御城下町なんだけど、江戸っ子率は低かったそうです。
さらに
戦災によって更なる江戸っ子の拡散が生じ、戦後の混乱期を経て、
下町の「権力の誤用?」が始まったと見る説は多いです。
男はつらいよ。フーテンの寅さんで空前の下町ブームが起き、
下町人情がもてはやされ、それ以降われもわれもと下町を名乗り始めたようです。

最近。江戸川とか谷中とか神楽坂。本郷とかまでも下町を標榜しすぎ。
とくに寺町の谷中も大名屋敷跡の根津も千駄木も、もともと山の手なのに
下町ブームで「谷根千。」とか本出してごっちゃにされている気もしますが。
あそこはしっとりとしていて樹木も寺社にうっそうとしげり、どう見ても
下町じゃないよなぁ・・・・ってどこかで下町散歩。と自分で書いた気も(汗

明治33年発行 の「大日本地名辞書」で微妙に解釈が違ってきていますし
下町エリアの拡大がここでもすでにされています。
「下町、都内低地の総称にして、日本橋、京橋、芝、神田、浅草、下谷の数区にわたる」

あ”〜。本所区・深川区は下町には入らない。向島は当時まだ区ですらない。
ゆかりの町も江戸城から見て辰巳の方角ですがなんだかあぶなくなってきましたよ(笑

定義がどうであれ。
きどらなくって食べ物が安くっって。人情があって住みやすければいいと思いますが。
湯屋っ。とかが多いとなおいいね。みこしの松を眺めながらの銭湯の湯上りは大好きです。

・・・とにかくいろいろ書いてきましたが基本の「後府内備考」を読まなくては
どこまでもハンカツウですもんね。ああ。荷風やら杉浦日向子本はほとんどそろえてありまふ。
あのころ。そのころ。ハチのいる街。↓ここの白黒写真。本当にうまいねえ。
http://homepage.mac.com/yoshiokashigeru/haticity/haticity59.html



2005年07月10日(日) 今日はひややっこにしよう。豆腐百珍。を読んだから〜。

休日なのでにちゃりんこで浅草へ。
ふと立ち寄った喫茶店アンヂェラスであったかいコーヒーとケーキでいっぷく。
ここは戦前からある老舗。人気のケーキ「アンジェラス」はバターケーキで
小学生のときのクリスマスの味がしました。じーーーん。

ちょっと今読んだ本を打ち込んでみますね。杉浦さんの一日江戸人より。

‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘
豆腐といえば忘れられない話があります。越後長岡藩主・牧野忠敬(七万四千石)は、
藩財政立て直しのため、ハードな倹約を実行し、自ら進んで木綿を着用し、
豆腐半丁をおかずとして五年間過ごしました。主君が質素にすれば、家臣は皆それにならいますから、効果は絶大でした。彼が藩主になったのは十六歳の時、それから足かけ五年間の倹約のため国庫もうるおってきた、が、その矢先に二十歳で若死してしまいました。あわれです。
江戸後期は、どの藩も深刻な財政難みより、想像以上の倹約を余儀なくされ、多くの大名が献立に豆腐を用いました。
現存する下野壬生藩・鳥居家(三万石)の食事記録によれば、献立は一汁一菜、そのお菜は月に一日を除き全て豆腐料理でした。同じころ、江戸の職人は一汁三菜、庶民は百珍ブームに浮かれていました。
‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘


2005年07月09日(土) 浅草演芸場

トリの金原亭伯楽さんの「堀の内」はさすが。
あてくしのご贔屓の扇辰さんは道具屋。与太郎ぶりはちょ、超なりきりで楽しめたが
あまりに器用過ぎてキラキラして将来残れるかとファンながら心配になってしまった。
和楽社中は今回色っぽい娘に曲芸を演らせてマンネリを回避。いいよ。いいよぉ。
落語協会を抜けて何年か赤旗に記事を書いていた川柳さんは何かこう垢抜けて
歌ったりお●●●4文字連発の(爆)艶笑噺をでっかい声で聴かせていただいてごっつおさんでした。
入れ替えなしでこのお値段。一日中笑えるとあって最近の寄席は本当に若い子が多い。

さて。堀の内 (古典落語目次より)

***************************************

人のことは言えませんが、そそっかしい人というのは、傍目から見ていて、信じられないようなことをしでかすものです。

 落語では、そそっかしい人というのはお得意さまでございまして、このお噺もそそっかしい人物が登場いたします。

 どのぐらいそそっかしいかというと、靴を片方他人の物を履いてしまい、どうも片足が長くなったような気がすると感じたり、子供と出かけたはいいが、途中で他人の子供と間違えてしまったり等々、いかにも落語らしい荒唐無稽な失敗をしでかします。

 落ちは、子供を銭湯に連れて行って、背中を流してやりながら、

「お前も随分大きくなったなぁ。つい昨日まで、子供だ、子供だと思っていたが、こんなに背中も広くなって……。父ちゃんは本当に嬉しいよ。覚えているか。お前が夜中に熱だして、ウンウンうなっているときに、父ちゃんは医者を呼びに行ったんだよ。そしたら、医者の野郎、来るなり難しい顔をしやがる。ダメなら、ダメと言ってくれ、こちらも覚悟するからと言うと、医者の野郎、『いや、わたくしは獣医ですから、お子さんの様態についてはなんとも……』 それにしても、おめぇ、本当に背中が広くなったな。いやにザラザラしているが、仕事が大変なのか。困ったことがあるなら、父ちゃんに言えよ。金のこと以外なら、相談に乗ってやるから」
「父ちゃん、さっきから風呂屋の戸板に向かって、なにブツブツ言ってんだい?」

**************************


2005年07月08日(金) 杜子春

読んでいたらほろほろと泣けてきた。
なんか〜畜生道に落ちたらしく、両親の顔をした馬がいて
地獄の鬼が両親を骨が折れるまで殴りつけているの。
ひどすぎる物語。
ところで渡井のとうちゃんやかあちゃん。あの世で息災なンか?

なにはともあれ。とりあえずとうちゃんかあちゃんのぶんまで



びいるを飲んだげるわ。回向。回向。


2005年07月07日(木) いこかもどろか

七月上席(1日から10日まで)は昼席は伯楽さんが主任(トリ)を
夜の部は入船亭扇遊さんが出演。演芸場は助六寿司やサンドイッチも売ってるの。
時間さえ許せばもっと笑っていたのだけど。


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