はぐれ雲日記
DiaryINDEXpastwill


2001年12月23日(日) 寄附に思う

BSでアフガンの子ども達の大半が零下20度の寒さのなかで
凍死寸前の画像を見た。
アフガンはこれから雪なんだもんよね。
で、「4人の子ども達が、暑がりでほとんど着れないままに大きくなった
真新しいダウンジャケットやフリースがたくさん出てきました。
これから深夜まで勤務ですが、今日か明日発送させていただきたいのですが」
と某BBSで書きこんで送付先を教えていただいて
お菓子やら石鹸、沖縄の絵葉書とともに発送しました。

 ・・・・わたひも、びんぼうで転げまわってたとき、
近所のこころ優しい人たちが、古着を玄関によく積み上げてくれた。
子だくさんだったからね。
でも、ほとんどが真夏にカーデイガンとか、レインコートとか
シミのついたパンツとか・・・・。「うわっ、ちょっとね。ちょっとね〜」
ってとか思ったねえ。 
傑作は、うちで差し上げたネイビーブルーのブレザーコートを
わたひにもらったことを忘れて
「おたくの子どもにちょうどいいかと思って。」と半年後に持ってきたとき。
そういうわけで、クリーニングに出したものと、家で洗ってアイロンを
当てたものだけ送らせていただきました。
送るのは簡単。 それから先が大変な作業です

そひたら、もーう大変!!「どうせなら金を送ったほうが現地では助かるし
安上がり!」などというご意見をあちこちからいただいてしまった。
おいおい、本当にお金って現地の人が100%受け取れるの??
NGOとかって、組織の運営資金のほうにだいぶ回されるそうじゃないの。

でもでも、貨幣価値なんかを考えたら〜
そうだよね。 お金が一番だよね。うん。 わかってる・・・。
寄付って結局自分のためなのかにゃ?
でも、今回はこどものひとりが「ぼく、このほうが好きなんだよ」
と、つぎの当たった靴下を履いて買ったばかりの新しい靴下を
送ってよ。と手渡してくれたの。 だから・・・

以下、わたひにご意見をくださった方の引用開始です。

「うちのご近所でも衣類を寄付するための受付が有志の人たちの手によって
行われました。事前に申し込んでからでないと受け付けない、とのこと。
それは仕分けの手間と送料や梱包材の問題から制限をしているとのことです。
 申し込みの電話は話し中でなかなか繋がらず走り出しは盛況のようでした。

いくらクリーニングしたり繕ったりしたところで善意の人々が持ち寄る衣類
とは、捨てるのが惜しい品物、言ってしまえば「不要品」だと思います。
 今、着ている上着を脱いで寒さに震える人の肩にかけてあげるという善意
とは全く異質のものであると感じるのです。
現にあまりにも衣類の持ち込み希望が多ので憂いている人たちが多のだと善
意の勘違い解釈をした世話人の人たちは送料の寄付も同時にお願いすること
になったのですが、すると潮が引くようにその混乱は収まったそうです。
 相手国との貨幣価値の違いを理解すべきです。不要な衣類は潔く捨ててし
まい、新たな購買に繋げ、この経済不況から一日も立ち直って一円でも多く
の経済援助をすることのほうが目先にとらわれない援助ではないかと感じま
した。敢えて申し上げますが、阪神淡路の教訓が全国的には生かされていな
い気がします。カップラーメンばかりでは十分じゃないことを。生きる為の
最低限に必要な物は他にいろいろあり、それは金で買えるものが多いことも。
確かに厳冬に向かって衣類は必要です。その次はどうするのか、が問題です。


・・・・・・・・・なるほどね。 でももっと簡単に考えてもいいことですけどね。


2001年12月21日(金) ラーメンは人類を救う

昨日は日本橋人形町の本やで林家 木久蔵師匠の創刊記念サイン会。
「昭和下町人情話」 この時代にさまよう人々の心をあたためる
木久蔵流・江戸前の暮らし。いいねえ。こういうのは。
おんやけっこう並んでいるじゃあないの。 2冊購入。
近くで見てもやっぱしラブリー♪木久蔵ちゃん。
差し出した色紙にサラサラっと金文字で「ラーメンは人類を救う」

ああ〜! 師匠、お気持ちはわかりますが商売はヌキよん。
で。「こないだ、師匠の「笑点」に子ども学校休ませて行かせてもらいましたよ〜
だって大喜利のほうがよっぽど国語の勉強になるんですもん」
師匠 「アラ〜・円楽さん見て具合悪くなっちゃたんじゃあないの?」

わたひ「で、魚河岸で働いている長男に、ちょこっとサインお願いしまーす。」
そしたら サインと・・・”ウオッと笑って!”と本にひとこと。(笑)
「すみません。すみません。わたしだけの師匠じゃないのに・・・。」
待ってる間中もタリバンやブルカやオウムの話をしてたよ。
帰りに地下鉄の車中でちょっと読んだら、巻頭にこんないろもんが。

”僕が6歳になった昭和18年。ビクターから出たお正月用のレコードがあります。

坊や おききよ
1 坊や美味いか 特配の 砂糖で炊いた豆の味
  これもみなみの国からの 兵隊さんの贈り物

2  坊やいつかのゴムまりは 仏印進駐の記念品
   今にアメリカ 亡ぼして 自動車ぐらいは 土産物

この歌とはうらはらに戦果は悪いほう悪いほうへと進んでいて・・・(中略)
国の物資の不足を「欲しがりません勝つまでは」と勝つはずのない
戦争に期待させられていました。”

あと、横山やすしさんとの交流だとか、ちょこっと作れるおいしいもんの話
ですとか、ひさびさに「ザブトン10枚!」の本でした。


2001年12月19日(水) かわゆい黄金バット

たしか、昔わたしの記憶が確かならば
「バット」というタバコがあった。
よく買いに行かされた。

漫画や映画で”バットマン”は何回も見ているが、実は本物のこうもりは一度も見たことが無い。
飛んでるのは何回か目撃しているが。
きのうのこと、閉めきっている家のなかで
天井からかすかな物音。「すわ!野ネズミか?」
引っ越してきた当時、あたりは以前農地だったこともあり、天井でネズミが暴れてびっくりしたものだ。
これはすぐ駆除できて今に至ってるけど。

ところが、うすいベールのようなものが居間をキッチンを飛交い始めた。
「あれ?鳥かな?」いやとびかたがソフトだ。
チョウチョにしては大きいしすばやい。
・・・ゲゲッ、なんとこうもりだった。

こうもりはかみつくというからこわい。
でも、飛び方はさすがうまい。
目が見えず、超音波を発信して障害物の距離を正確にキャッチしているから、絶対に壁や天井やシャンデリア(うそ。電燈)なんかにぶつからない。

さて、大声で二男をよぶ。
よんでも、おもしろそうに見ているだけで「網がないよ・」とか言って役にたたない!
しょうがない。ではやるか。
帽子で押さえて、でかいビニール袋をかぶせる。
れれれ〜! あーらビニールの中で「コロン」と死んだふり。くるみのように小さく丸まってしまった。
羽を広げてやろうとつまんだが知らん振り〜
そうっと白い紙の上において外へ出したら「あーらら」パアッと遠く遠くへ飛んで行ってしまった。 こうもりの赤ちゃんだった。

みんなとはぐれてしまったんだね。
2階の窓を開けておいたからまぎれてしまったのかも。
近所の人にこのできごとを話したら、「こないだは伝書バトが入ってきちゃった」と言ってたので、さらにびっくり。

動物も人間もピントがずれてきたというべきか
はたまた地震なんぞの前兆か・・・・?

でも、可愛かったなあ。こうもりの赤ちゃん


2001年12月17日(月) はぐれ雲

17日は、深夜勤務まで少し時間があったので永田町に中村医師の講演会を聴きに行
きました。
社会文化会館がよくわからんかったので、国会図書館から出てきた人に道を尋ねると
「ああ、あそこ・・。女の人がいっぱいたまってますよ。」
おんや。ほんと。すっぴんでパーマっけの無い女性とかけっこう多かった。
・・・いんや。すっぴんといっても女子高生とかじゃなくておばちゃんのほう(笑)
わたひも一番ひどくて人のこと言えたもんじゃあないけど。
並んでるあいだ、「神の子」上演案内とか「夜間中学の話」とかあといろいろ・・・

チラシをもらった。 中には”天皇家のあとつぎはいらない”デモのご案内とか
(ヘ?おいおい、そこまでキチガイになってねーよ)なんか、
完全に「空気よみちがえ〜」のまま会場に。
前説(まえせつ)が二人。早くも立ち見席、通路までうずまってなんとなんと壇上に
まで
たくさんの来場者が坐った!そして中に入れずに帰った方もたくさんいたようです。
でも、中村医師っていろんな人や団体から利用されなきゃいいがとつい感じてしまい
ました。

中村医師登場。
なんか、朴訥で頑固な田舎のお医者さんといった風体で
政治的とか、センセーショナルな感じはまったく感じなかったです。
スライドを使用して、淡々と18年間のアフガニスタンでの診療生活を語りました。
ハンセン病の治療と予防、大流行した悪性マラリアの根絶との壮烈な戦い。
(注 壮烈な戦いと中村医師は言ってません。わたひが感じただけです)

アフガニスタンはヒンドゥークシ山脈の雪解け水で生きていること。
地球温暖化で、その雪が少なくなりカブール川も干上がり未曾有の大干ばつで
飲み水も無い。疫病が蔓延して何千という人々が診療所にかけこんでくるが
外来で待っている間にも赤ちゃんなど、体が冷たくなってくるそうです。

食料も無いが、水が無いと体は24時間持たない。水がどこにも無い。
そのため病状が悪化し、バタバタと死んで行く。
「病気どころでは無い!とにかく生き残ってくれ」と中村医師は井戸を掘ったそうで
す。
岩盤のあるところはロシアが埋めていった1000万個の地雷を少し利用して・・・
(ありがとう。ロシア。じゃなくっておまえらが地雷の後始末しろって・・・・)
それからアフガンの「すぐそこ」は歩いて丸一日だったり、ハンセン病の治療に
部落まで馬にのったり歩いたり、切り立った崖をはうようにして一週間かかったと
か。

最後に「現地の実情とマスコミ報道は違っているのでびっくりしてます。」と結びま
した。
現地で働いているスタッフの報告と米側の発表とはあまりにも落差があるとのこと。
カタール放送局も爆撃され大変心配されているようでした。

最後に感想です。(ラップで。 タハッ!) 
♪考え論ずる人よりも行動する人信じたい
アフガン苦節18年中村医師について行く おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ。


では「我が胸の怒る思いにくらぶれば 煙は薄しアフガン空爆」でした!


2001年12月15日(土) 人生とは一笑

花の雲 鐘は上野か浅草か・・・・
今日はのんびりたゆとうような心持で「笑点」を観覧に行ってきた。
お正月の録画撮りとあって、「命!」のTIMやキャイーン、勝俣クン、
スマップの香取慎吾も出演。
それよりなにより円楽師匠も週三回透析治療しながらがんばっているな〜。

前説は新進気鋭の若手落語家
「え〜今年もいろいろございましたがおめでたいニュースもございました。
田代まさしのタイホですとかね。・・・・新宮様のご誕生ですとか。
それにしても「敬の宮 愛子様」うーーん。ちょっとひねりが足りませんねえ。
たとえば「愛に楽しいと書いてあいらくとしたらどうか?三遊亭愛楽なんて
よろしいんじゃないでしょうか?」
と、軽く笑いをとるこの人こそ三遊亭愛楽。
席がとんでもなく前だったので、思わずサインをもらってしまった。
それが「人生とは一笑」と・・・。

 ややあって・・・。

ごぞんじ「笑点」の出囃子にのって円楽師匠、山田君、レギュラーの噺家さん登場。
大切り(大喜利)の一部を紹介

お題   「こんなスキー場には2度と行きたくない!」


歌丸   「タリバン兵の隠れているスキー場!」

こん平  「足ふみはずしたら 肥溜めにはまるスキー場・・・」

好楽   「隣りの病院が大繁盛しているスキー場!!」

楽太郎  「シャモニー以外のスキー場・・・・・・」

小遊三  「ゴンドラが『ごんどりゃ〜なにしよるんじゃ〜』と怒鳴るスキー場」

木久三  「骨折しただけなのに棺桶で運ぶスキー場。」


ゲストも冴えてたのでちょこっと。 なぞとき

正月の凧上げとかけて「もちをのどにつまらせた歌丸さん」と解きます。
そのこころは「昇天しまーす。」 キャイーンの天野くん。

正月の子どもとかけてお年玉ととく。
その心は「命!!」 もち人文字で。「兄、祝い!」とTIM。

ではでは
討ち入りの時のBGMは「キラキラ星」がいいかなと思う
四十七士ならぬしじゅう質屋がよいの どんかくでした!


2001年12月12日(水) いも焼酎愛子

内親王ご誕生にあやかりすぎて、3日間で一年の売上を果たしてしまった
商店がある。(すでに喜びで昇天しそう。)

恥ずかしながら、わたしも本名にあやかって1本注文。
こういう”色もん”はおめでたくて良い。
ヒット30000の方に贈呈しようと5月あたりをメドにキープする予定だったが

「この度は屋久島新焼酎愛子をご注文頂きありがとうございます。
せっかくご注文頂きましたが、現在注文が殺到し、
在庫および人手の関係上、発送時期、発送本数について
明確なお返事ができない状況です。
率直に申し上げまして年内の発送は困難です。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、
改めてご連絡致しますまで、今しばらく
お待ち頂きますようお願い申し上げます。
ご理解、ご協力に感謝致します。」

おいおい御理解って?ご協力に感謝って?・・・。まだなんとも言って無いのにこのメール。
いったいどんな奴が競って注文してんだ。 まあ、春までじっくり待つからいいけど(笑)

以下、屋久島について引用開始。
屋久島は、九州本島最南端佐多岬の南方60@に位置しフェリーで3時間半の世界遺産を
気軽にウオッチすることのできる周囲約100@のほぼ円形状の島である。
九州最高峰宮之浦岳(1935m)をはじめとし、永田岳、翁岳、黒味岳などの1800m級の山々が、海からいきなり急峻にそそり立っている。
温暖多雨な気候条件に黒潮や南国特有の強い日差しが影響し、比類無き大自然を満喫させてくれる島である。
また、巨大杉に代表される特有の植生、美しい水、気軽に姿を見せる鹿や猿、
花崗岩の特殊な地形、そして、絶好の景色。
目の前に現れるすべてが感動を呼ぶ世界遺産屋久島。

ちょいと聞くからに楽しそうではないの? なんか沖縄より濃ゆい大自然やんけ。
しかひ、文中の「@」ってなーに?わけわからん


2001年12月09日(日) 見世物小屋を知ってるかい?

おさないころ、酉の市で「見世物小屋」が立った。木戸銭50円。
へびおんなやふたつ頭小僧を見世物にした。
へびおんなは看板では大蛇をまとっていたが
実際はおおきめのへびを首からぶらさげるだけ。
ふたつ頭は。
「広島のピカドンで〜親からもらったこの体〜」
とかで出てきたのは作りものの頭を肩におぶったこびと。
「「親の因果が子に報いいいい〜
ああ〜どっこいどっこいどっこいな〜」と出囃子。

ところで、今はテレビをはじめとするメディアがこれでもかこれでもかと残酷なシーンを放映するね。見世物小屋なんて今思えばかわいいものですよ。
アフガンなんてひどいものだ。
荒れ果てたなあんにもない土地に連日の空爆。
おまけにたくさんの住民をまきぞえ。
ああ、アメリカは精神異常者でも大統領になれるんかって思ったネエ。(笑)

それからちかごろの少年犯罪

昔はとなりのおばちゃんや工場のあんちゃん、ご隠居やらがいて
地域ぐるみで子どもを見ていたから
いまみたいな少年の凶悪犯罪は無かったね。
規制が多かったし、ものわかりの良い大人は
少なかったが、昨今のような犯罪も少なかった

なんか9・11以降「夢と現実」が入れ替わったような日々を送っている


2001年12月08日(土) 中学校の先生へ

中学校でいろいろありまして、さらにいろいろあって、娘が赤毛のアンになってしまいましたが。
今回、卒業アルバムの写真撮影に当たって
またまた悲しいできごとが・・・・

以下の文は学校へ昨日送ったものです。
おはようございます。

先生方へ
いつも、ご心労をおかけしております。
一晩考えさせていただきましたが・・・。

今回の”黒ヘア・スプレー”吹きつけはあきらかに「行き過ぎ」です。

娘はもともと生まれつき赤毛で、
産毛(うぶげ)も金髪が現在でも生えてきています。
自然な頭髪は、もともと赤褐色なんです。

今回の写真撮影で、慎重にカラーを選択した結果
1番「自毛」に近い色を選んで染め直した次第です。

それよりも、「学校側や先生方の好みに千歩譲った」
子どもをどうしてここぞとばかりに「評価」してくださらないのか・・・・。
靴も、サンダル→ 靴に履き替えて登校したはずです。

悲しみと、またかという憤りでいっぱいです。
もう、かんべんしてください。

こういう”たわみ”の無い全体主義が、子どもを閉塞的状況に追い込んでいるのか
とすら考えてしまいます。

髪の毛が真っ黒なことが「ふさわしい中学生」の容姿であるなら
外国人転入生や、生まれつき極端に髪色が赤い、もしくは茶色に
生まれついた「個性」は中学生にふさわしくない。ということでしょうか?
学校全体のイメージであるアルバムという”公的”なアイテムには
平均的な児童しか掲載できないという発想を根本的に
考え直していただくべきだと思います。

とにかくまゆみに関しては生まれつき赤いということは
無数の写真で証明いたします。
本来の髪色で無い「黒」をスプレーすることは
人権侵害に相当するといっても過言ではありません。

どうして、こどもの主体的な「行動」「大人への歩み寄り」
を認めてもれえないのか?
おかしい。おかしい。
誤解しないでいただきたいのは、

過去の放火 人違い冤罪事件。
部活のありかた
通信簿オール1かろうじて数学2
(高得点なのに通信簿を制裁の道具に使った)
さわやか相談室のありかた
実際熱発してるのにかかわらず椅子に坐らせただけの
狼少年を連想させる保健室
その他の疑問を下地に怒りをあらわにしているのではなく・・・

今回は。「黒色スプレー」吹きかけに対してのみ厳重に抗議いたします。

昨日、娘から一連の話を聞いて、不覚にも涙がこぼれました。

学校側の慎重な対応をこころよりお願いいたします。


2001年12月05日(水) オルグな日々

アフガニスターンから帰って来た友人が、「いやぁ、何処からも援助の届かない中央部の悲惨さは聞いていた以上だった」と声をひそめる。
「連中は草を食べているンですヨ。これから冬になったら雑草もない」

別の友人は、「3-4日も食べていない子供達は、もう起きあがる元気もないンですヨ。そんな子供達の様子に耐え切れなくって、母親は子供たちに背をむけ、火も焚いていないかまど(石を置いただけ)に鍋をかけ、水を入れて掻き回しているンです。鍋の中で何かを煮ているのかという期待で、子供達が元気づくからと……。」
子供に何も与えられない母親、そんな無力な母親が1人でも減ることを祈って、夢のように美しい理想に燃える援助団体から、ビシバシ援助金(品)を取り上げ、そういうところに配れるようにしなければ……と、思う。
(以上本日付けパキスタンのサイトから引用。)

昨日は中村医師が吉祥寺で講演。
病棟から看護婦さんが行ったが、会場に入り切れなくて、玄関でビデオだったそう。
昼休みにアフガンの子ども達のことを話したら、みなさんからカンパ。
ドケチ人生で有名な看護婦さんもパッとカンパ。
あ”〜、何も何もしてあげられないなあ〜!!とみんなで地団太。


かたや日本の少年犯罪の実態

まず、この子(A)ですが、幼い頃から自分はいつもついていない。
自分が両親から受け入れられた日々が少ない。
学校から帰っても「お帰り」と彼の帰ったことを喜んでくれる人がいない。
ごはんがまずい。話を聞いてもらえない。精神が、生活が不自由なことなどを訴えても
(メッセージを送っても)常に無視され続けられた。

あなたはNOである。自分もNOである。
陽性のストローク(交流)がもらえない代わりに陰性のストロークを求める。
幼い頃、ほめられたり、思いやりで接することをされない子どもは
無視されたり、かかわってくれないより
たとえマイナスのストロークであっても
他人が自分にかかわってくれるのを好む。
けられても、なぐられても、罵られても、かかわってくれないよりはまし。

・・・・・こんな子ども、いくらでもいるよ。
でも、自分をだましだまし一生懸命生きている子がほとんど。
しかし、荒涼としたこころを癒す時間と場所は、いったいだれが作ってあげられるの?


2001年12月01日(土) 祝!お姫ちゃまご誕生

染めの助・染め太郎でーす
お・め・で・とうございまーーす〜。

こどもは授かりもの。
男は当たり〜
女はスカ〜
みたいなアホらしいことがこれを契機にこの世から無くなりますように。
女系家族多いにけっこうじゃあないの。 平和で。
たしか、推古天皇もおひめさまでした。 
雅子さまデカシた!。 
皇室に不幸やトラブルが起きればいいとでも
思っている奴も少なからずいたろうに・・・。
よく長い間の屈辱やプレッシャーに耐えた。

なんか日本の未来は明るい気がするよ〜
はでは日本酒「つるかめ」をあつかんでいっぱいやって
ちょうどいいあんべいになったところでPCに向っています〜。
ではではとにもかくにもおめでとうございます〜。おめでとうございます〜
今日はいつもよりマウスを多めに回しておりまーす〜〜♪ 
2001年12月03日 23時00分16秒


鈍角 |MAIL

My追加