はぐれ雲日記
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1999年03月31日(水) 暖かな光。与那国島へ

皆さんは与那国島(よなぐにじま)という島を知っていますか?。
名前を聞いたことはあっても行ったことのある人はほとんどいないのではないのでしょうか。 私も離島が好きなので、四半世紀前からずいぶんと遠くの島へも 旅しました。(魔法使いではありません。普通の人間です。) 
石垣島が好きなので何度か足を運んでいるうちに、八重山には 自分が探していた物、すっかり忘れていた物がそっくりそのままあるというこに気付かせてもらいました。                                        
花が花に生まれて喜んでいる                   
樹木が樹木に生まれて喜んでいる。
ついでに
わたしもわたしに生まれて喜んでしまった。 旅の人でなく東京人とかでもでなく、南の海が、あったかくってとてつもなく でっかい自然が、私を琉球人としてつつみこんでくれた。 おそらく訪れた人の多くは、同じような思いを抱かれたと思います。おおいなる怒涛のような自然・・・。その前に思わずひざまづいてしまう、そんな力が沖縄にはあるように思います。

春まだ浅き都会より、仕事の関係で与那国島に行く機会がありました。
 石垣島から飛行機で30分。台湾まで約125キロ。 石垣島からは
約 127キロの位置にある 日本最西端の島です。  
島は昔から“ドナン“と呼ばれてまして”渡難”の字を あててそう読ませるほど厳しい自然環境にあったようです。



地図を広げてながめていた時点では、大型回遊魚が獲れる海、ハンマーヘッドの大群が泳ぐ海 。世界最大の蛾・ヨナクニサンの産地 などビッグでワイルドななイメージが先行していた

 パチンコやもなければゲーセンも無い。大型スーパーもマクドナルドも無いです。何もない。    木の葉の形をしたちっちゃな島です。
それでも来ていただけますか?。 そのかわり金は貯まりますよ。
案内してくれた人は冗談めかしてこう言った。(最後のフレーズでガクッ!そのかわりっていったい・・・)  
久部良(くぶら)のとある民家の前で車を降りた。「ここで泊まってください。夕食は迎えに來ますのでそれまでしばらくお休みください。」こう言い残して車は走り去った。
オイオイ聞いてないヨー。築百年ってとこの〔冗談でなく)家の土間に荷物を持ったまま私は途方に暮れてしまった。

 家はあけっぱなし。島にドロボウがいないそうだ。誰もいないのでとりあえずあたりをあちこちと見て歩くことにする。とりあえず公衆電話を探そう。20分ほど行けばあるという。教えられたとうりに歩くが・・・・。行けども果てなく続く ウージー バタチ以外、本当にあたりは車一台、人っ子一人通らなかった。

 あるのは夕焼けとトウキビ畑と吹き渡る風だけである。 まったくこの世の果てかと思うほど寂しいところだ。  腹が減るわ。、人恋しいわ。足がくたびれるわ。日が暮れかかるわ。
思わず、いい年をしていながら叱られた子供のように寄る辺無い気持ちになって涙ぐんでしまった。
でも、それは少しも嫌な気分ではなかった。それどころかなぜか懐かしいような安心できるようなシチエーションであったのだ。西岸良平の漫画の世界のような・・・。昭和40年代にタイムスリップ。なぜかおかっぱ頭にツギハギズボンの私がいて。デジャービューだかバック・トゥーザフイ―チャ―だかしらないがとても素直な気分になってしまった。

 そのあたりには、ホカ弁もコンビ二もタバコ屋も、いわんや電話ボックスすらも見えなかった。
それに、先ほどからすれ違う人の数よりヤギの数の方が多いのは不思議だ。なだらかな丘、草原、道路に至るまでつながれたり,つながれなかったりしたヤギが夕日をいっぱいに浴びて草を噛んでいた。
道路を少し入ったところの草むらで赤ちゃんを生んでる最中のヤギがいた。[アーララ!」
生み終えるとお母さんヤギは子袋をひきずったまま歩き回りながら赤ちゃんヤギがモコモコとしながら立ちあがっていくのを見守っていた。
ここですっかり、私の与那国島に抱いていた”ビッグでワイルドなイメージ”は払拭されてしまった。

  しばらく行くと”闘牛場はコチラ”の案内板がみえてきた。「オオ。やぎさんだけでなく牛サンもいるんか?。ウーン。与那国は動物サイトも奥が深い・・・。」
 久々の信号を渡ったところに民宿を兼ねたよろずやのようなスーパーがあったので、沖縄限定のパイナップルハイチュウとオリオンビールとカップ麺をこれまた久々の定価どうりで買った。品物の値段プラス飛行機代or船賃かな。
あと”ウメ―シ”という黄色い竹に紅いボッチがついた箸を買った。20膳100円で安くてうれしかった。
旅先で箸をわすれたらお祭り騒ぎだ。大変だ。

 民家へ戻っても、まわりはあたりまえの静けさにつつまれていた。 テレビやCDが普及してない時代に、何かがそっと立ち帰らせてくれた  そして、その静けさの中で、わやわやと音をたてて身体と心の関節がほぐれて行く。
 夜になって仕事先の人が 迎えにくるまで、私はこの島独特のもったいないような 南国の暖かい闇をゆっくりと楽しむことにした。


続くかもしれなひ。


1999年03月27日(土) プロをめざして

今朝も5時半起き。 睡眠時間に関係無く起床。体内時計の正確なうれしさよ。
弁当3個。おにぎりにきんぴら、だいこんのみそ汁をちゃちゃっと用意。
簡単に掃除、洗濯を済ませると外へ行って 近所の野良ネコとしばし今日の予定について会議。

メールの返事を出勤前まで書きつづける。

さて、今日はと。患者さんの入浴日。きりりと緊張。
およそ、入院中、患者さんは
おいしい食事、快適な睡眠、気分の良い入浴は「あたりまえにして充分ヨシ条件」と考えているだろう。

頭にタオルを巻き、汗が目に入らないようにする。首にタオルをぎゅっぎゅっと巻く。
ナースシューズを長靴に履き替え、肉やのおっさんのようなでかくて長いゴムのエプロンを着用。長っ。
仲間ふたりと入浴介助。車椅子にからシャワーチエアに移動させる。
オムツをはずす。まずぬるめのお湯からかけて行き、体中に末梢から心臓に向かってシャワー。
最初、人肌ていどにしても「あ”〜〜!」と悲鳴をあげる患者さんも。「めんご!」

ようやく暖まると体中を入念に洗って行く。当然全面的な介助が必要。
いつもこぶしをかためているのでてのひらをひろげながら、わきの下、耳のうしろ
足の指の一本一本を。さらに最後に同僚に声をかけて患者さんをも持ち上げてもらい
ちょいと浮いたところで肛門をていねいに洗うのは必須。

きれいにせっけんを流したあと患者さんを抱きかかえてバスタブへ。
その間に次の患者さん。れれ、便をしている。手早く始末し、入念に洗う。
さきほどの患者さんを二人がかりで浴槽から引き上げる。
車椅子にバスタオルをしき、患者さんを「よいしょ!」と乗せる。

こんなことをえんえんと繰り返す。バスタブに入ってる患者さんのようす、表情を常にチェック
一時間経過。 腰と腕が痛くなってくる。体中汗だくでどろどろ。
たまりかねた同僚が「あ”あ~~暑い!!」と窓を開けた。
「だめだよぅ〜。われわれは暑くてもはだかんぼの患者さんは寒いんだからさ〜」と制止。

2時間経過。48名最後の患者さんのMさんが車椅子でご到着。ね、寝てる!。四肢硬直。老人性皮脂欠乏生のため、
体中が引っかき傷だらけで真っ赤。か、痒そうっ。
またまた同僚がためらいなくナイロンたわしで背中を流しはじめる。
「いやーん、それだめよん」あわてて手のひらに石鹸を少しとり泡立てて患者さんの体を
てのひらで洗ってゆく。なんかみたい(?)「あんの〜。”ナイロンたわし症候群”つ−のがあって皮膚科にけっこう
お年寄りの方が痒みや発赤でくるのよねえ。だからなるべくタオルかなんかで洗って・・・
アブラぎれおこしているんだからさ、ご老人は。石鹸も最小限にしないとさらに脂ぎれおこしちゃうんよ〜」

わたしもこういうことは「ヨーシャなく」注意する。でもでも
忙しければ忙しいほど元気で明るい声をはりあげるヘルパーさん。
汗だらけの笑顔。見ていて気持ちがいいんよ。
ん?ここは器械があるのに器械は使わず全部「人間」が介助する。
大変といっちゃ大変だけど、この病院のそういうところが気に行って入ったんだから・・・。

ひるめしどきも、同僚の話題は「いかにして患者さんを安全に入浴させるか」
「床が水びたしになるので滑って事故があったら大変なのに・・・・」「だれが拭くか!」
「床ずれ処置やら着替えやらオムツでそんなひまは看護婦にはないっ。」

ああっ、もう休み時間くらいチャンネルを変えてくれよ。 そこで男性看護師と病院ネタのとりあいっこで爆笑・
と、血相を変えた某ナースがわたしを「ちょっと」と別室へ誘い「ここも病棟のやりかた、おかしいですよね?!」
「変えていきましょうよ!○○さん!」 「ああ、そうね。でもやるべきことやって実績作ってからね」

午後からはバタバタと食事介助、点滴、処置、各種検査、補水、床ずれを作らないようにトランス(車椅子に移る)
入浴できない患者さんにベッド・バス。看護記録・・・・。

5時半をすぎて、なんとかコーヒーブレイク。 患者さん以上に患者さんらしい某医師やお約束の幽霊話。
やたらみんなでバカ笑いしてから帰る。

駅まではちょい足をひきづり気味。


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