歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2008年01月31日(木) 腕の良い歯医者考

“腕の良い歯医者”と言えば、誰もが技術的に優れている歯医者のことを想像するかもしれません。歯医者であろうが一般の人であろうが同じように感じていると思いがちですが、僕が今まで経験するに、“腕の良い歯医者“に対する捉え方が人それぞれ微妙に異なっていることが多いように思えてなりません。

先日、地元歯科医師会の会合があり出席してきたのですが、いつものように歯科医師仲間と雑談していると、歯医者仲間の一人であるH先生が下のようなことを言っていたのが印象的でした。

「先日、ある患者さんにクラウンをセットするために歯型を取ったんだよ。次回来院時にセットする予定でその場で仮歯を作ったんだよね。いざ、クラウンをセット使用とした時、患者が言うんだよ。『先生、この前作ってくれた被せ歯じゃいけないのか?』ってね。どうしてそのようなことを言うのかと思い、尋ねてみると、『前回の治療の時に先生が作ってくれた歯をはめていると非常に調子が良いのですよ。何でも噛めるのです。ところが、今回調整してセットしようとしているクラウンは何か体になじみそうじゃない。どこか、違和感があるんですよ。これじゃ、わざわざ歯型を取って新しい被せ歯を作る必要はないんじゃないかと思ったわけなのです。』って。ショックだったよ。」

「仮歯といっても決して手を抜いて作っているわけではなくて、きちんと作っているつもりなんだよね。それ故、患者さんとしては満足してくれたのだろうけど、歯型を取って模型を作って、きちんと製作したクラウンというのは非常に精密に作られているわけよ。少なくとも診療の合間に作っている仮歯よりはずっと精密なはず。それなのに、患者さんにとっては精密なクラウンよりも仮歯の方が気に入っていると言うのだよ。複雑な気持ちになるよ。」

仮歯を作った歯医者の実感としては必ずしも精密な歯を作ったわけではありませんでした。あくまでも即席で作った仮歯。仮歯は、専門的に見てきちんと歯型を取り、模型を作り、模型上で作製したクラウンには劣っているはず。
ところが、患者さんにとっては専門家が精密に作っていると判断したクラウンを良しとせず、即席で作った仮歯に満足していたのです。これは一体なにを意味するのでしょう?

愚考するに、人にはそれぞれ独自の感覚があるのではないでしょうか。例えば、繊細な感覚の持ち主があると思えば、繊細な感覚にこだわらない人もいます。一見すると、繊細な感覚の持ち主の人の方が優れているように思いますが、別な見方をすれば、繊細な感覚にこだわらない人の方は許容範囲が広い、柔軟性に富んでいるともいえるでしょう。どちらが優れていて、どちらが劣っているかということは判断できません。はっきりといえることは、人それぞれ持っている感覚が異なるということです。

一般の人にとって“腕の良い歯医者”というのは、その人の感覚に対応して治療をしてくれる能力を持っている歯医者といえるかもしれません。そこには、必ずしも専門的な技術が優れている必要はないかもしれません。ある一定のレベルに達しており、一人一人の感覚をつかむ能力があればいいのです。器用に越したことはありませんが、器用でなくても“腕の良い歯医者”になるには、如何に患者さんのことを考え、患者さんの感覚を理解し、合わせられるか?この能力に長けた歯医者が“腕の良い歯医者”として世間一般に評価されているのではないか?

H先生の話を聞きながらそのようなことを考えた、歯医者そうさんでした。



2008年01月30日(水) 新刊本が既に時代遅れ?

昨日、某歯科業界雑誌を見ているとある新刊本の宣伝が書いてありました。この新刊本は著者がアメリカ人で原語は英語です。この度、原本の和訳本が新しく完成し、新刊本として売り出されたということで某歯科業界雑誌に大々的に宣伝されていたのです。

この新刊本はA4版で2色刷、1200ページ弱にもわたるぶ厚い新刊本なのですが、歯科業界では、世界中で読まれているという定本ともいうべき本です。定価は31500円。専門書と呼ばれる本は雑誌や単行本、文庫本などと異なり発行部数が限られています。そのため、どうしても単価が高くなる傾向があるのですが、外国語で書かれた原本の訳本は更に単価が高くなる傾向があるようです。

僕はこの本に書かれてある内容の多くが非常に興味を引く内容だったため、高くても購入してみようかなあと思ったのですが、念のためにあることを調べてみました。それは、新刊本の原本の値段です。新刊本の原本は英語で書かれていますが、実際にどれくらい和訳本と差があるのだろうと思い、アマゾンで調べてみると、値段の差は歴然でした。原本の値段は日本円に換算して9500円余り。今回、出版された和訳本のほぼ3分の1の値段です。しかも、驚くべきことがありました。新刊本として売り出された和訳本は英語の原本の第9版の和訳だったのですが、アマゾンで調べた原本は第10版。何と日本で新刊本として売りに出されている和訳本は旧版であり、英語で書かれた原本は既に新しく改定された版だったのです。
これは一体何を意味するか?原本の和訳を行っている間に、原本の方も改訂作業が進んだ。その結果、原本の和訳が完成し、書籍化した時には既に原本の内容は一歩先を、新しい内容に変わっていたのです。

このようなことは和訳本ではちょくちょくあるようですが、それにしても、新刊本として売り出されている本の原本が既にリニューアルされ、しかも、値段に3倍もの差がある。一体何のための和訳新刊本なのかと思いたくなります。

英語で書かれたものを読むことは僕にとって相当のストレスではあるのですが、新刊本と比べ、内容が新しく値段も3分の1であるなら、やはり英語の原本を購入した方がいいかもしれません。
出版社が販売する書籍のキャッチコピーだけを見ていると、最先端のことが書かれてあるように思いがちですが、既に時代遅れになっているというものもあるという事実。改めて広告だけを全面的に信用するのは危ないことだと感じた、歯医者そうさんでした。



2008年01月29日(火) 胡散臭い自動音声防犯アンケート

先週末、我が家に一本の電話がかかってきました。僕が受話器を取ってみると、受話器から聴こえてきたのは自動音声による声でした。

「○○市からのアンケート調査です。皆さんの防犯体制がどのようになっているか調査をしております。これから行う質問に対し、番号を押して頂きご協力して頂きますよう、お願い申し上げます。まず、皆さんのお宅ではセキュリティシステムはどのようなものを設置されているでしょうか・・・」

僕はこの時、何か胡散臭いものを感じました。週末にわざわざ自動音声でアンケート調査のようなものをしてくることが腑に落ちなかったのです。○○市というのは僕が住んでいる市ではありますが、市が週末にこのような手のこんだアンケートをするものかも疑問でした。僕は直ちに受話器を元に戻し、電話を切りました。

週明けの昨日、僕が登録している○○市の安心メールから緊急情報が届きました。そこには以下のようなことが書かれていました。

市内で、市からの「防犯アンケート」と偽り、自動音声で調査を行う事案が発生しています。
 主な調査項目は以下のとおりです。
(1)セキュリティーシステムを設置しているか?
(2)カギの施錠状況は?
(3)防犯対策にかけている費用は?
 これらの質問に対し、プッシュダイヤルの数字で回答させるという手口で、防犯状況を調査しているようです。 市では、このような調査は行っておりませんので、決して回答しないようにお願いいたします。 このような不審電話がかかってきた方は、下記まで通報をお願いいたします。
○○市役所 防災防犯課 電話番号・・・・・


僕が感じていたことはやはり当たっていました。最近、いろいろな詐欺や盗難事件が後を絶ちませんが、中にはまさかと思うような手で思わぬ手段、予想もしなかった手を使い、不意を突いたり、精神的な動揺をさそうような手口を使うことがあるようです。今回のような自動音声アンケートを装った調査まがいのことも、一種の窃盗事件を起すためのリサーチのような感が拭いきれません。全く持って油断も隙もありません。

皆さんのお宅でもお勤め先でもこの手の電話がかかってくれば、相手にせず、即刻電話を切って欲しいと思います。



2008年01月28日(月) 有名人口元チェック 中川家礼二

“芸能人は歯が命”という某歯磨きペーストの宣伝が流行して久しいですが、最近の芸能人の口元を見ていると、確かに歯に気を遣っている芸能人が多数を占めています。常に多くの人から注目され、姿、形が人前に露出し、言動が注目される職業です。当然のことながら芸能人にとって顔は商売道具であり、常に管理をしておかないといけないものです。芸能人にとって口元や歯も常にケアをしておかないといけないものであることは言うまでもありません。
多くの芸能人は、そのことを自覚しており、定期的に歯科医院を受診し、歯の清掃を受けたり、審美歯科の治療を受けたりしています。僕のように一日中人様の口の中を見ていると、テレビに出てくる有名人に真っ先に視線が行くのは口元になってしまいますが、最近の芸能人は口元がきれいな人が多いなあというのが印象的です。

そんな口元に気を遣う有名人が多い中、久しぶりに歯の悪さを放置している芸能人を見ました。その人とは漫才コンビ中川家のツッコミ役である中川家礼二です。
大阪の吉本興業に所属する漫才コンビ中川家。1992年にデビューした中川家は、大阪府出身の兄の剛と弟の礼二による兄弟コンビ。2001年に初めて行われた若手漫才コンビナンバー1を決めるM-1グランプリの初代チャンピオンに輝いてから注目を浴び続け、最近では東京方面にも進出、全国区の人気を得ようという勢いがある漫才コンビです。

最近、とあるテレビ番組を見た僕は中川家礼二の口元を見てびっくりしました。全ての歯の歯茎が下がり根っこの一部までが露出しているのです。そのため、歯と歯の間にかなりの隙間が見えます。しかも、左上の小臼歯が脱落したままなのです。明らかな歯周病です。それもかなり進行した歯周病。抜けたままの小臼歯は歯周病が進行したために歯医者で抜歯をしたか、もしくは自然に脱落してしまったのではないかと思われます。歯医者としてみて、中川家礼二の口元は早急に歯周病の治療を要する状態だと思われました。

漫才師はしゃべりが命です。ボケとツッコミの掛け合いが漫才の醍醐味であるわけですが、これらもしっかりと口から言葉を発しないとできないことは自明です。歯がなければ息が抜け、何を話しているかわからない状態となります。“芸能人は歯が命”と言われる中、漫才師も、いや漫才師こそ歯が命のはずですが、中川家礼二の口元の状態は、深刻な状態です。このまま放置しておけば漫才師生命を左右するような深刻な事態となりかねません。今、勢いにのっている漫才コンビである中川家。このまま漫才コンビとして大成していくためにも、息の長い漫才コンビとして活躍するためにも中川家礼二には忙しい仕事の合間に是非と歯周病の治療を受けて欲しいものです。



2008年01月26日(土) 真夜中の歯の治療

昨夜のことでした。一日を終え寝床に入り睡魔に襲われようとした時、突然、インターフォンの音が聴こえました。

“こんな夜遅く鳴るなんて一体何事だろう?”
僕は直ちに起きてインターフォンの受話器を取ってみると、

「夜分遅くに大変申し訳ありません。実は我慢に我慢を重ねていたのですが、歯の痛みに耐えられなくなりました。明日の朝まで何とか頑張ろうと思っていたのですが、だめでして、何とかならないものだろうかと思い、失礼を承知で伺いました。」

インターフォンを鳴らしたのはうちの歯科医院で何度も診たことがある患者さんでした。数日前から歯の痛みが続いていたそうで、夜も眠れない日々が続いていたのだとか。我慢していれば痛みは引くだろうと思っていたそうですが、痛みは増すばかり。市販の痛み止めを服用するも徐々に効かなくなり、昨夜の時点では我慢の限界に達したらしいのです。

うちの歯科医院は自宅の隣が診療所です。寝巻きを着ていた僕は直ちに白衣に着替え、診療所のシャッターを開け、電気や暖房、必要な器械、器具を準備しました。準備が完了してから直ちに患者さんの治療をしたのですが、案の定、歯は大きなむし歯に侵され、レントゲン写真を撮影してみると、むし歯が歯髄(神経のことです)に達していることが確認できました。直ちに麻酔を行ったのですが、痛みが激しい時に行う麻酔はなかなか効かないもの。いつもよりも多量の麻酔を行うも充分に効かず、仕方なく歯髄に直接麻酔をすることにより何とか麻酔を効かせました。
後は歯髄の治療ということで、麻酔が効けば何とかなるもの。何とか治療を終え、患者さんに治療後の注意事項を説明し、患者さんを送り出しました。患者さんのインターフォンで起され、治療を終えて後片付けをし、再び寝床に戻るまでには1時間以上の時間が過ぎていました。

おかげで今朝は寝不足ではあるのですが、これも歯医者としての仕事です。時には真夜中の診療もあるものです、ハイ。



2008年01月25日(金) うがい薬で歯にマニキュア?

昨年夏に発売され、ちょくちょくテレビCMでも取り上げられている洗口液にこれがあります。

白い歯にツヤと輝き&殺菌

という宣伝文句で販売しているようです。デンタルマニキュアと称し、洗口液の中に含まれたある成分によりマニキュア効果が得られ、白い歯にツヤと輝きが得られ、殺菌効果も期待できるとのこと。現代の美容志向に訴えたコピー文であることは疑いようの無いことですが、果たしてうがいをしただけで白い歯にツヤと輝き&殺菌をもたらすことができるのでしょうか?

車の洗車をイメージしてみましょう。車が汚れていれば水をかけながらブラシやタオルで汚れを落とし、乾燥させながら艶出し用のワックスをかけますよね。最近はいろいろな車洗い用製品があるようですが、基本は汚れを充分に洗い流してから艶出し用ワックスをかけるのが基本です。
白い歯にツヤと輝きを求めることも車の洗車に似ています。まずは充分に歯磨きをして汚れを落とさなければなりません。洗口液さえ口に含んでおけばむし歯や歯周病にならないと堅く信じている人が少なくないようですが、実際のところは洗口液だけでは歯の汚れを取り除くことはできません。歯の表面に歯ブラシを当てて動かさないと歯の汚れを取り除くことはできないのです。歯ブラシで歯の汚れを取り除いた上で薬用洗口液を含むのであれば、それなりの薬効は期待できるかもしれませんが、最初に歯ブラシによる歯磨きがなければ洗口液の効果は全く期待できないのです。

非常に微妙なのが、マニキュア効果というものです。マニキュアではないのです。歯にマニキュアをすることができる話は以前にも書きましたが、歯医者が行うマニキュアというのは一種の詰め物なのに対し、今回の洗口液はあくまでも“マニキュア効果”です。使用後、歯に一種の薄い膜用のものができるために如何にも輝いてみるように見えるらしいのですが、実際のところは、これらは直ぐにはげてしまうのが現状です。仮にうまくいったとしても、充分に歯磨きをせずに使用すると洗口液により歯の汚れが固定され、むし歯や歯周病になりやすくなるリスクさえあるのです。使い方を誤ると、かえってむし歯や歯周病になってしまうことさえあるのです。

宣伝コピーをみると、洗口液を使用するだけで、指にマニキュアを塗るがごとく歯に白いマニキュアが塗られ、白い輝く歯が得られると思いがちですが、実際のところは、適切な歯磨きを習得してからでないと使用が難しい代物であるのです。



2008年01月24日(木) 全てのアスリートにマウスガードを

マウスガード、マウスピースという単語を一度は耳にされたことはありますか?ボクシングやキックボクシング、K−1といった格闘技やアメリカンフットボールなどで装着が義務付けられている装具の一種です。




マウスガード、マウスピースを装着する目的は、怪我の予防、軽減です。競技相手と激しくぶつかり合うスポーツであれば、どうしても頭部や顔面も激しくぶつかり合う可能性があるもの。激しくぶつかり合わない方が不自然であるくらい、頻繁に接触することがあることでしょう。頭部や顔面に激しい衝撃が加わると口の中にも相当の衝撃が伝わります。伝わるだけならまだしも、歯を損傷したり、口の中の粘膜が傷ついたりします。また、上下の歯を激しくかみ合うことで脳震盪になる可能性も高い。そうした状況において、口の中にシリコン製のマウスガード、マウスピースを事前に装着しておけば、一種の緩衝材、クッションとして働き、外部からの衝撃が緩和されます。緩和されることで歯や口の中の粘膜の損傷、脳震盪の予防、軽減が図られます。

スポーツ界全体に目を向けると、マウスガードを装着することを義務化しているスポーツは、上に書いたボクシング、キックボクシング、K−1、アメリカンフットボールをはじめ、ラクロスやインラインスケートなどが挙げられます。
しかしながら、マウスガードが必要不可欠ではないかと思われるスポーツでまだマウスガードの使用が義務付けられていないが現状です。例えば、ラグビーやアイススケートなどは一部ではマウスガードの装着が義務化されているものの、全ての競技者の装着は義務付けられていません。また、ホッケーやバスケット、サッカー、バレーボール、水球などもマウスガードの装着が有効だとされているのですが、実際に装着している選手は少ないようです。この背景には、これらスポーツの愛好者の間にマウスガードに対する認識が充分ではないことがあるでしょう。また、マウスガードを装着することによって競技パフォーマンスが向上するということが言われており、マウスガード導入に消極的でない考えがあるという話しを聴いたことがありますが、実際のところ、マウスガードによる競技パフォーマンスの向上に対する証拠やコンセンサスというのは科学的に証明されていないのが実情です。

マウスガードを装着し始めた頃は、誰でも多少の違和感はあることでしょう。しかも、マウスガードは歯医者が作りますが、基本的にオーダーメードであり、保険診療では作れません。自費です。しかも、使用に耐えうる期間は、僕の経験では原則1シーズン、場合によっては1シーズンに複数のマウスガードが必要の場合もあります。
スポーツと怪我は切っても切れない関係にあるものですが、万が一怪我をしたとしてもなるべく軽症でありたいものです。怪我を回避できるのであればそれに越したことはないはずです。マウスガードの装着によって口の中の怪我をする確率が下がるのであれば、全てのスポーツにマウスガードの装着を義務付けて欲しいと思います。



2008年01月23日(水) 治療前、歯磨きをして欲しい!

先日、ある初診の患者さんの口の中を調べようと口を開けてもらった時、僕は愕然としました。その理由とは、口の中にある歯が食べかすや歯垢で被われていたからです。口の中が大変汚れていることや患者さんの口の中に対する意識の低さは充分にわかったのですが、あまりにも汚れていたため、それぞれの歯について正確に診査、診断することはできませんでした。僕が最初にしなければいけなかったことは、患者さんの口の中の汚れを取り除く歯磨きだったのです。

歯医者は歯を治療するのが仕事だろう?、歯が汚れていれば歯を掃除するのも歯医者の仕事じゃないか?

そのように思われる方もいるかもしれません。確かに一理あることかもしれませんが、僕は患者さんには、治療前は歯磨きをして欲しいと願っています。

歯科医院では毎日限られた時間で何人もの患者さんを治療しています。来院してくれる患者さんを待たせることなく適切な処置を行うためには、できるだけ時間を効率的に使いたいものですが、歯が汚れているとせっかく治療をしても歯の汚れのために治療がうまくいかなくなります。
泥だらけの手に出血した傷があった場合、泥を取り除かずそのままガーゼを張ろうとしても不潔なだけで傷の治りに時間がかかるもの。まずは、傷の周囲の汚れを取り、消毒をしてから適切な薬を塗ったガーゼを患部に当てることが適切な治療であることは明らかです。歯の治療もこれと同じです。治療前に歯が汚れていると、せっかく治療をしても治療の効果が期待できないのです。そのため、治療前は歯磨きをすることが大切なのですが、限られた時間で多くの患者さんを治療する現状では、歯医者が一人一人の患者さんに歯磨きをする時間的余裕が無いのが現状です。そのため、患者さんには治療前に歯を磨いて欲しいのです。うちの歯科医院では、受付窓口に治療前の歯磨きをお願いする掲示をしています。多くの歯科医院でも同様のお願いをしているはずです。

歯医者も人間です。きれいな口の中を見れば気持ちよく感じるものですが、汚れた口の中を見るとあまり良い印象を持ちません。このようなこと書くと、口の中の治療をする専門家として失格かもしれませんが、口に出さなくても歯医者が感じる本音の一つなのです。自分の口の中を見てもらうわけですから、治療前に患者さんには、一種の礼儀、エチケットとして歯を磨いて欲しいのです。
お互いに握手をする際、相手が泥の一杯ついた手を差し出したらどうでしょう?握手できますか?握手する相手のことを考えれば、泥を洗い流した清潔な手で握手をするのが相手に対する礼儀、エチケットではないでしょうか?口の中の治療を受ける前の患者さんと歯医者の関係もこれと同じだと考えます。

皆さんにおかれましては、歯の治療を受けられる機会がありましたら、是非とも治療前は歯磨きをお願いしたいと思います。



2008年01月22日(火) こだわりの睡眠

昨日、某新聞を見ていると某テレビ局の女性アナウンサーのインタビュー記事が掲載されていました。この女性アナウンサーは早朝に放送されるニュースのアナウンサーだそうで、いつもテレビ局には夜中の1時に入るとのこと。早朝のニュースの放送のために人様が寝ている時間帯に動かなければいけないことも驚きでしたが、それ以上の驚いたのは睡眠のとり方です。このアナウンサーは分眠をしているというのです。具体的には、午前の9時から12時までの時間帯に一度寝る、そして、起きて仕事や身の回りのことをした後、更に午後9時から午後12時まで睡眠を取り、起床して身支度をしてからテレビ局スタジオに入るというのです。
当初はかなり大変だったそうですが、数週間もすると体が順応してきたとのこと。今では12時間の1日が2回あるという意味で睡眠を3時間ずつ取っているという感覚なのだとか。

先日、ある知人の歯医者と話をしていると、睡眠時間は4時間なのだとか。何でも学生時代から一日睡眠時間を4時間にしているのだとか。一日の睡眠時間を4時間にして体がよく持つものだなあと感心するのですが、今では4時間以下の睡眠でも4時間以上の睡眠を取っても体の調子が悪いそうで、既に生活リズムの中に4時間睡眠が組み込まれているそうなのです。

僕には到底まねができません。僕は睡眠は充分に取らないといけない方で、できるだけ一日7時間の睡眠を取るように心がけています。実際のところは一日7時間睡眠を取るのは休みの日くらいで、どうしても夜更かしをしてしまうため年中睡眠不足なのですが、知人の歯医者のように4時間睡眠ではいつの日かぶっ倒れてしまいそうに思えてなりません。

ただし、必ず僕がするように心がけていることは昼寝です。午前の診療と午後の診療の間、少しの時間は休憩時間があるのですが、僕はできるだけ目をつぶるようにしています。これにはそれ相当の理由があります。自分の目を休ませるためなのです。
歯医者は口の中を治療する仕事ですが、口の中は大変明るいライトで照らさないと見えません。照度でみれば、10000ルクスの明るさのライトで口の中を照らし、治療をしているのです。ちなみに、昼間の家の中の台所の明るさが100ルクス、教室や研究室、食卓の明るさが200〜500ルクスぐらいですから、如何に歯医者が明るい環境で仕事をしているかということが想像つくのではないでしょうか。

非常に明るい環境で仕事をするということは、必要以上に目を酷使することでもあります。少なくともこれから何十年か歯医者をやっていこうと考えておりますので、目の健康を考えますと、診療の合間に目を閉じて休ませることは非常に大切なことではないか?目の疲労は歯医者にとって命取りになりかねません。そのため、僕はどんなことがあってもなるべく昼の間に15分目を閉じるように心がけています。
僕の年齢ではまだですが、これから好むと好まざるを僕の目は老眼になってきます。そのことも考え、今から目の健康に余裕のある間にこまめな目の休養を入れていても罰は当たらないであろうと思います。もし、目の健康を鍛える運動があるならいち早くそれをするでしょうが、残念ながら目の健康を鍛えることはできません。目の休養こそが目の健康維持につながる。僕が敢えて昼休みに目を閉じる時間を作るのは、そんな理由があるからなのです。



2008年01月21日(月) 退職後趣味に生きる歯医者

「親父は去年の一月から全く歯医者をやっていないのですよ。」

先週末、僕は地元歯科医師会の新年会に参加してきたのですが、新年会の際、隣の席に座っていたのが若手のH先生でした。H先生は某歯科大学を卒業後、10年間ほど某病院に勤務していたそうですが、昨年から地元歯科医師会に入会した先生です。
実は、このH先生は僕と同じ歯医者の息子で、お父さんである大H先生も同じ地元歯科医師会の会員であり、先輩の歯医者の先生です。同じ歯医者の息子として話をしていた中で飛び出した発言が冒頭の言葉だったのです。

僕の親父も歯医者ですが、これまで何度もこの日記で書いているように、親父は僕の隣で歯医者として診療をしています。かつてに比べれば仕事量は減りましたが、それでも、診療をする意欲がありますので、僕自身、何も言わず仕事をしてもらっています。
そんな親父とは対照的にH先生のお父さんである大H先生は、完全に歯医者としての仕事をリタイアしてしまっているのです。

「一昨年の秋頃、親父から連絡がありまして、『もう診療所で歯医者として仕事をするのがしんどくなってきた。そろそろ仕事を代わってくれないか?』言ってきたのです。僕も行く末は親父の仕事を継がないといけないなあとは考えていたのですが、突然の親父の申し出でびっくりしました。何か病気でもしているのではないか?そんな心配をしていたのですが、幸いなことに健康面では問題はありませんでした。僕としては、もう少し勤務先の病院で仕事をしていたかったのですが、親父がどうしても診療所の仕事をして欲しいと強く希望するものですから、思い切って親父の診療所で仕事をすることを決心したというわけです。」

「それにしても、お父さんは先生が診療所で仕事をするようになってから全く歯医者として仕事をしていないんだね?それは思い切ったことだね。」

「そうなのですよ。当初は親父は少しずつ仕事量を減らしていくのかな?と思っていたのですが、実際に蓋を開けてみれば全く何もしないのですよ。僕が今の診療所で仕事をし始めてから、診療所で親父の姿を見たことは一度もないくらいなのです。」

「歯医者を全くしなくなったお父さんは、普段は何をしているの?」

「ずっと野山を駆け回っていますよ。親父は虫が大好きで、以前から仕事の合間に近くの山林はもちろんのこと、全国各地に虫取りに行っているんです。歯医者をしなくなった今、その虫取りが仕事みたいになりまして、しょっちゅう虫を採ってきては標本にしていますよ。」

歯医者というと、うちの親父のように歯医者以外に趣味を持たず、歯医者をしないと暇を持て余してしまうような人がいるかと思えば、趣味を持ち、歯医者として仕事をしていない間は、趣味に没頭してしまう人もいます。大H先生は典型的な後者の例ですが、それにしても、歯医者を完全にリタイアして趣味の世界に生きてしまう歯医者は珍しいと思います。息子が歯医者として自分の診療所を継いでいるという安心感があるからこそできることでしょうが、歯医者を完全に辞めてしまっても他に生きがいがある、何かに専念できる趣味があるということは、幸せなことだなあと感じます。

長年、社会の一線で活躍していた人が退職してから何をして一日を過ごしたらいいのか?悠々自適な生活を送れるはずの人がかえって暇を持て余し、余った時間の使い方に悩んでいる人が多いという話は、しばしば耳にします。歯医者という仕事は、患者さんに迷惑を掛けない限り、引退は自ら決められる仕事でもありますので、会社や工場勤務の人が時間を持て余し、悩むようなことは少ないものですが、それにしても自分の仕事以外に一日を快適に、充実した日を過ごすことができる何かを持っている歯医者というのは、ある意味うらやましいです。



2008年01月18日(金) 木を見て森を見ず

”木を見て森を見ず”という慣用句があります。この慣用句の意味はご存知だと思いますが、特定の場所、特定の人などに集中するが余り、全体像を把握することができない様のことを表すものです。

この慣用句、歯医者にとっては常に意識しておかなくてはならないことです。なぜなら、歯医者は患者さんの口の中、歯の悪い所、症状がある場所を治療しています。原因を探り治療を行うのは当然ですが、治療に専念するが余り、口や歯が体の一部であることを忘れてしまう傾向があるからです。もし、治療をしている患者さんが他の病気にかかり、薬を服用しているとしたら?いくら患者さんが口の中に症状があるとしても、原因を治療することが患者さんの全身状態を悪化することになる可能性さえ否定できないのです。それ故、最初に行う問診が非常に重要で、この時点で出来る限りの医療情報や日常の生活習慣などを聞き出すことが大切なのですが、毎日何人もの患者さんの口の中を治療していると、ともすると口の中にしか視点が行かなくなってしまうものなのです。

このことは、歯医者以外の医者にも言えることです。医者というと体のこと全てがわかっているように思いますが、現在の医学はそれぞれの専門が細分化されております。いくら心臓移植の権威であってもインフルエンザの治療はできない、なんてことはよくあることなのです。医者が口の中を意識しないことも多々あります。

先日あったことですが、ある患者さんがうちの歯科医院に来院しました。その患者さんは最近、皮膚が乾燥したり、痒みがでてくるようになったそうですが、近所の皮膚科医で診て貰ったところ、どうも歯に原因があるのではないかと指摘されたらしいのです。歯の中でも歯に詰めてある金属が皮膚の症状に影響しているのではないか?と言われ、歯に使用する金属に関する検査を受けることになっただが、その前に一度歯医者でも口の中を診て欲しいということでした。

口の中を診て、僕は思わずため息をつきました。

どうしてため息をついたか?その理由は単純でした。その患者さんの口の中には歯が一本の残っていなかったからです。総義歯を使用されていましたが、総義歯には歯科用金属歯全く認めませんでした。患者さんにはそのことを説明し、担当の皮膚科医にもそのことを伝えるようにお願いしましたが、このようなことは何も僕が指摘しなくても、皮膚科医が一度口の中を確認すれば直ぐにわかることです。それがなされていなかった。如何にこの皮膚科医が口の中を診ていないかということが披露してしまったようなものですが、これもついつい自分の専門分野の治療に専念するがあまり他の体をじっくり観察できていないからだと思われます。

木を見て森を見ず。

決して他人事ではなく他山の石としなければならないことです。



2008年01月17日(木) 13年目の朝 阪神淡路大震災を伝える義務

今から13年前の1月17日午前5時46分。
当時、まだ独身で、某大学大学院の院生だった僕は地震が起こる直前、目を覚ましました。普段、この時間帯は熟睡しているはずの時間帯だったのですが、この日はなぜか目が覚めてしまっていました。時刻を確認し、まだ起床時間まで間があると思いながら、部屋の天井を何気なく眺めていると、突然、“ゴー”という低音の地響きが聞こえました。

“一体この地鳴りは何だろう?”
と思うや否や、突然家全体が激しく揺れ出したのです。最初は上に突き上げるような衝撃があり、直ぐに大きく横に揺れ出しました。僕の家は木造なのですが、自分の部屋の柱が左右に振動しているのが見えた大きな揺れ。こんな揺れは体験したことが無く、“このままでは家が崩壊してしまう!”と感じざるをえませんでした。

“少しでも早く動かないと!”
と思いながらも、体が言うことを聞きません。不意をついた大きな揺れで何か金縛りにあったようになってしまっていたのです。数十秒程の揺れがそれ以上の時間に感じました。

揺れが収まってから直ちに家族の無事を確認し、家の周囲を急いで点検。途中、何度も大きな余震が起こり、余震に怯えながらも何とか家が持ちこたえていることを確認し、ほっと安堵したものです。
幸い、我が家は何とか持ちこたえましたが、周囲には倒壊、半倒壊の家が数え切れず。電気や水道、ガスといったライフラインは途絶えてしまいました。部屋の片隅に置いてあった電池式のラジオを聴いてみると、大きな揺れの震源は淡路島付近であることがわかり、神戸方面が大変なことになっていることがわかりました。多くの建物、道路、鉄道等に被害が及び、6400人余りの人が犠牲になりました。場所によっては壊滅している地区もあることがわかりました。

これからどうすればいいのだ?

怖い物の例えに地震、雷、火事、親父という言葉がありますが、大きな地震に人間はこれほど無力なのかということを思い知った、阪神淡路大震災。その後の復興は多くの人やマスコミが伝えているところですが、あの大きな揺れだけは経験した人でないとその恐ろしさはわからないと思います。いくら人間が進化したとしても、阪神淡路大震災のような巨大なエネルギーの発散には太刀打ちできない。自然の恐ろしさを感じざるをえませんでした。

阪神淡路大震災では、多くの歯科医院も被災し、何軒もの歯科医院が倒壊しました。今ではこれら歯科医院のほとんどが復活していますが、未だに借入金の返済に苦しんでいます。ある先輩の先生などは、
「この年になってまだ借金を返済し続けなければいけないとは夢にも思わなかったよ」とため息をつかれています。

まだ、借入金を返済できるのならましな方かもしれません。マスコミの報道によれば災害援護資金1300億円のうち、まだ260億円が未償還で、多くが返済の見込みがないのだとか。

大地震は大地が揺れるだけでなく、多くの人の人生をも揺さぶられるものであることを嫌というほど学んだ阪神淡路大震災。
あれから13年。阪神淡路大震災に被害にあった地域では阪神淡路大震災そのものを知らない世代が出てきています。阪神淡路大震災以降に生まれた人たちです。我が家の9歳と6歳のチビたちもそんな世代の一人です。彼らをみていると、阪神淡路大震災が確実に過去のものになっていると思わざるをえませんが、最近、僕のような直に阪神淡路大震災を経験した者としては、何とか大地震の恐怖、悲惨さ、そして復興について語っている義務があるように感じます。第二次世界大戦、太平洋戦争を体験した僕の祖父や祖母たちが戦争を知らない世代に戦争の悲惨さを語り、二度と戦争を起してはいけないと伝えてきたように、大地震の恐ろしさ、大変さ、その後の復興を伝えることが僕のような世代の使命ではないかと思うのです。
大地震では多くの物を失ったのではない。修羅場を生き抜いてきた貴重な経験を得ているはず。そのことを後世に伝えることは決して無駄ではない。阪神淡路大震災から13年の今朝、僕はそのように感じています。



2008年01月16日(水) 痛い出費

昨日、いつもうちの歯科医院に出入りしている歯科材料店の担当者が僕にある紙を渡しました。

「先生、遅くなって申し訳ありませんが、昨年末に先生が言われていたものの見積書が出来上がりましたのでお持ちしました。」

“一体何だったかな?”と思い、担当者が言う見積書を見たところ、僕は思い出しました。その見積書とはある器具の見積書でした。その器具とはタービンと呼ばれる切削器具のパーツの一つでした。

タービンというのは、歯を削る際に高速回転で歯を削る器具のことです。“キィーン”という高い音で鳴る器具で、歯医者の代名詞とも言える切削器具です。歯医者であれば毎日の診療で使わない日は無いというくらい必要不可欠な器具で、うちの歯科医院にも診療台に備え付けられています。このタービンですが、この写真のように頭の部分が取り外しできるようになっています。この部分をタービンヘッドといい、タービンの心臓部ともいえるパーツです。

昨年末のことでした。タービンを使用しながらある患者さんの歯を削っていると、僕は不自然な挙動を感じました。その瞬間、タービンの回転が遅くなり、歯を削ることができなくなったのです。これは明らかにタービンヘッド部分の異常でした。その場は、別のタービンヘッドと交換して何とか患者さんの歯を削ることができましたが、治療終了後に調べてみると、明らかな内部構造に何らかの問題があるように思えました。これは僕では手に負えない。そう思った僕はうちの歯科医院に出入りしている歯科材料店の担当者を通じ、タービンヘッドの点検と修理の見積もりを出してもらうようにお願いしていたのです。

年末に見積もりをお願いしていたため、実際の見積書は昨日届いたわけですが、見積書に書かれていた金額を見て僕はびっくりしました。およそ○万円。見積書に書かれていた内容を見てみると、タービンヘッドは長年の仕様によりかなりへたっていたようで、かなりのパーツが交換したり、新調したりしないと使えないようになっていました。担当者からも説明を受け、修理及び修理にかかる経費については納得せざるをえませんでした。できるだけ修理費を安くあげられれば、それにこしたことはないのですが、信頼できる品質のものでなければ、安心して患者さんに用いることができません。そのことを考えると修理費を必要以上に節約するのは後日、患者さんに迷惑をかけることになりかねません。僕はほぼ見積書に書かれていた修理費で修理をお願いせざるをえませんでした。

今回の修理費は、新品のタービンヘッドよりは若干安い修理費ではありましたが、それでも決して安くはない修理費です。歯科で用いる器具は消耗品が多いものですし、何かと器具に要する経費はかかるものですが、それにしても、年明けのこの時期に想定の範囲外の出費を負担せざるをえないのは、痛いのが正直なところ。青息吐息のうちの診療所としては、年明け早々かなりきつい出費となりそうで、つらいものがあります。



2008年01月15日(火) 悪女の深情け

先の日曜日の昼、僕は何気なく某新婚カップル紹介番組を見ておりました。この番組、嫁さんが好きで毎回見ているくらいなのですが、いろいろな新婚カップルがいるものだと思います。僕自身、何人もの夫婦やカップルを見てきてはいるのですが、しばしば感じることは、どうして男と女が結ばれるのであろうということです。一見して、お似合いの夫婦が数多くいる一方、お似合いとは思えないような夫婦も確実に存在します。中でも不思議に思うことは、夫婦のうちどちらかが美男、美女で相手方がそうではない夫婦がいるということです。数多くの男女がいる中でどうしてこの夫婦はお互いを人生の伴侶として選んだのだろう?これまで何度となく見てきた某新婚カップル紹介番組で登場した新婚カップルの中にも、どうしてこの人とあの人が夫婦になったのか?と思いたくなるような新婚カップルがいました。

この時僕が思い出したのは学生時代の女友達Hでした。Hと僕は友人ではあるのですが、彼女との出会いは鮮烈でした。
大学入学して間もなく、僕は友人同士で徹夜マージャンをした後、講義を受けておりました。入学当初、徹夜マージャンをしても翌日の講義には出ないといけないと思っていた時期でもありました。眠たい目をこすりながら僕は講義に出ていたのですが、講義の間、絶えず睡魔が訪れておりました。講義を聴いているつもりでもいつの間にか目をつぶってしまっている始末。案の定、講義の間の休み時間は講義室の中で寝てしまっておりました。その時です。誰かが僕の肩を叩いていたことに気がつきました。僕が眠たい目をこすりながら顔を上げてみた時に僕は飛び上がるほどびっくりしました。僕の顔の前に大きな女性の顔があったからです。僕は思わず

「びっくりした!君は強烈すぎるわ!」

その女性がHだったのです。Hは僕があまりにも絶えず寝ているので体調を崩しているのではないかと気にかけてくれていたようなのですが、僕からすれば眠気をいきなり起され、ふと瞼を上げた瞬間にHの顔があったわけです。しかも、Hは器量が良い方ではありませんでしたから、起された瞬間、僕は何かお化けを見たかのような錯覚に陥ったのです。

今から思えばHに対し大変失礼な、申し訳ないことをしてしまったことをしてしまったと反省しているのですが、不思議なものでその時から彼女との友人としての付き合いが始まったように思います。
Hは非常にざっくばらんとして友達でして、男性の僕からみて女性を感じない、気を遣わない友人でした。お互い結構言いたいことを言い合ってはいたのですが、特に後に感情のしこりを残すようなことはない間柄だったのですが、そのHがある時から僕を避けるような行動をしだしたのです。一体何事かな?と思っていたのですが、その理由は直ぐにわかりました。Hに彼氏が出来たからです。その彼氏とは、僕の友人でもありイケメンであったK君でした。器量が良いとは決して言えないHがイケメンのKをどうしてゲットできたのか?正直言って僕には理解できませんでしたが、後日、お互いの関係が皆の間にオープンになってからも恥ずかしがることなく、堂々と付き合っている姿を見て、学生時代の僕は男と女の関係というのは顔だけで決まるものではないのだなあと強く感じたものです。

このことを嫁さんに話すと、嫁さん曰く

「それは『悪女の深情け』っていうものの典型例だよね。」

悪女の深情けとは、器量の悪い女ほど情が深いという慣用句なのですが、なるほど、学生時代の友人Hはまさしくその典型だったことでしょう。Hは僕にひどいことを言われても全く動ずることなく、むしろ笑いとする精神的なたくましさがありました。そして、何かと気を遣い周囲からの受けは大変良いものがあったのです。Hのきめ細かい心遣いは友達の間でも評判でしたが、恋愛においてもこれぞと思った相手にはここぞとばかりに情を注ぐ一途さがあったのだろうかと推察します。

その後、Hとその彼氏の付き合いはそのまま続き、結局、結婚を果たしました。今では2人の子供を持つ家庭を持つまでに至っております。Hのことを思い出すと、結婚というのは見た目だけで決まるものではない。お互いの気持ち、ハートをつかんだ者同士が結ばれるものだなあということを気づかされます。



2008年01月12日(土) 手の甲に書かれた“タマネギ3個”

歯の治療においてレントゲン写真を撮る事は必要不可欠なことです。歯科で撮影するレントゲン写真にはデンタル型と呼ばれる2〜3本程度の歯を写すものと、顎全体を撮影するパノラマ型がありますが、撮影する頻度からいえばデンタル型が圧倒的に多いのです。

歯医者でレントゲン撮影をした方ならわかると思いますが、このデンタル型、フィルムを口の中に保持して撮影するのですが、保持するのは患者さん自身です。撮影したい歯の裏側にレントゲンフィルムを置き、患者さんの指で押さえ、保持してもらうのです。
その際、歯医者は否が応でも患者さんの指や手を見てしまいますが、僕が毎度レントゲン写真の撮影をして思うことは、いろんな指や手があるということです。当たり前のことといえばそこまでですが、歯や口の中と同様、老若男女の患者さんにおいて全く同じ指、手はありません。指の太さ、長さ、色、皮膚の張りなど、全く同じものがありません。これら指や手を見ていると、その人の人生の一部を垣間見ているようなところがあり、歯とは異なった個性を見ることができます。

先日のことでした。ある主婦の患者さんのレントゲン写真を撮影しようと、レントゲンフィルムを保持してもらったのです。その時、その患者さんの手の甲に僕は思わず視線が行ってしまいました。それは何か文字らしき物が書いてあったからです。よくよく見てみると、その文字とは

タマネギ3個

と書いてあるではありませんか?思わず笑ってしまいそうになった歯医者そうさん。

何かと時間に追いまくられ、忙しい日々を送っている現代人。ちょっとしたことを覚えているつもりでも何か別のことをしている間につい忘れてしまうこともあるものです。人それぞれ、備忘のために紙にメモを書いておき、備忘録としている人もいることでしょうが、手に直接ボールペンやサインペンでメモを書いている人も少なくないと思います。今回の主婦の患者さんも手にメモを書いてしまう人の一人だったのです。

おそらく歯医者で治療をした帰りにどこかのスーパーか小売店で食材を買わなければならないのでしょう。その食材の一つがタマネギなのかもしれません。この主婦の今夜の食事は何なのでしょう?カレーライスなのか肉じゃがなのか?仔細はわかりませんが、少なくともタマネギ3個を是が非でも買わなくてはならない。そのことを忘れてはならない。そのために自らの手にボールペンで書いて忘れないようにしていたのは確かなようです。
まさか手の甲に書いた“タマネギ3個”を歯医者で見られているとは思いもよらなかったでしょうが、僕は見てしまいました。見てしまいましたが、僕は何も言わず、見ていないふりをして何事もなかったかのように歯の治療を続けた歯医者そうさん。

患者さんは日常生活の貴重な時間の一部を割いて歯医者で治療をしているのだなあ。そのようなことを改めて感じながら、少しでも早く治療を終えてあげようと思った、歯医者そうさんでした。



2008年01月11日(金) さようなら、明るいナショナル

昨日、ニュースを見ているとこのようなニュースが流れていました。

松下電器産業は、会社名を国内外でブランド名として利用している“パナソニック”に変更する方針を明らかにしたとのこと。欧米やアジア市場では、ブランド名のパナソニックが、社名の松下より浸透していることから、社名も統一して世界的なブランド戦略を強化するねらいで、社名から創業家の名称が消えることになる。
松下電器産業は国内では、冷蔵庫、洗濯機など白物家電製品に“ナショナル”ブランドを、パソコンや映像・音響機器には“パナソニック”ブランドを活用してきたとのこと。海外ではパナソニックブランドで統一して販売しており、松下よりもパナソニックが浸透している。 ただ、結果的に、松下、ナショナル、パナソニックという3ブランドが並び立つことになり、社名が世界中で広く知られているソニーと比較すると、「ブランドイメージで大きく見劣りする」(松下関係者)という見方が強く、社名を変更する動きは、中村邦夫会長が社長だった時代から検討されていた。この時期実行に移したのは、薄型テレビなどAV機器の北米市場でシャープやサムスンなどとの競争が激化、ブランド力を高めて対抗することが急務だと判断したとみられる。
創業者が命名したナショナルの廃止には慎重な意見が多かったが、「今回の社名変更や統一が一連のブランド改革の集大成」(松下関係者)とみられる。
幼少の頃、僕がよく遊んでいた祖父母の部屋には冬場には電気ストーブが置いてあったのですが、そこには“NATIONAL”の文字が書いてありました。当初、“NATIONAL”がどんな意味なのか皆目わからなかった僕ですが、毎日見ているうちにいつの間にか“NATIONAL”の綴りを覚えてしまいました。後日、“NATIONAL”が英語で国の、国の中のという意味であることを知ることになりますが、“NATIONAL”という文字は僕が初めて覚えた英単語という意味で非常になじみのある英単語でした。この“NATIONAL”が松下電器のブランド名であることを知ったのは後年になってからです。
また、祖母は時代劇が好きだったのですが、祖母がよく見ていたテレビの時代劇のスポンサーが松下電器でした。番組が始まる前には
“明るいナショナル 明るいナショナル みんな家中なんでもナショナル〜”
という歌で始まっていたものです。

亡くなった祖父は松下電器の創始者である松下幸之助のファンでした。松下幸之助関連の書物のみならず、PHP研究所が発行している雑誌を常に買い求め、読んでいた姿が今も僕の瞼に焼き付いています。当然のことながら、自分が使用していた家電製品のほとんどは“NATIONAL”だったのです。
このように物心ついてからの僕は、常に“NATIONAL”に接してきたと言っても過言ではありません。その“NATIONAL”ブランドが消えるというのは、時代の流れを感じるとともに一抹も二抹も寂しい気がしてなりません。
あまりにもなじみのある“NATIONAL”ブランド、僕と同じように“NATIONAL”ブランドの親しみを感じている人は多いのではないかと思います。ブランドを統一するのはいいのですが、かつての日産自動車がアメリカでなじみのあった“DATSUN”ブランドを”NISSAN“にすることによりアメリカでの認知度が下がり、それが自動車売り上げにも影響を及ぼした例もあります。長年多くの人に親しまれてきたブランドを変えることは、ある種のリスクも抱えます。僕には直接関係の無い話ではありますが、ブランドを統一することにより松下電器に悪影響が出ないことを願います。

ちなみに、松下電器は歯科業界向け製品も取り扱っています。松下電器グループの一つ、パナソニックデンタル社がそうです。です。歯科業界で用いるレーザー照射装置は、松下電器製のものは歯科業界ではかなりのシェアを占めている有名ブランドです。こちらは既に“NATIONAL”ではなく“PANASONIC”です。



2008年01月10日(木) 盗難歯医者仕様デジカメ

最近、歯科医院をターゲットにした窃盗事件が後を絶ちません。僕が所属する地元歯科医師会の警察歯科医の先生の話によれば、昨年一年間で僕の地元市では10数件の歯科医院が窃盗に被害に遭ったとのこと。特に、夜間や休日誰もいなくなるテナント開業の歯科医院がターゲットにされることが多いようで、これまでも念には念を入れた防犯対策に努めることが大切であるという説明が何度もされていました。

窃盗で盗まれた物はほとんどの場合、持ち主の元へ戻ってくることはないそうですが、昨日、地元歯科医師会から送られてきたファックスには必ずしもそうではないことが書かれてありました。

某窃盗事件で被疑者自宅から押収したデジタルカメラが押収されたとのこと。そのデジタルカメラはC社製の一眼レフデジタルカメラだったそうで、マクロレンズ、リングストロボ付き。カメラにはメモリーカードが内臓されており、歯や口の中の接写写真が多数記録されていたというのです。どうも歯科医院からの被害品と思われるので持ち主と思われる先生は連絡をして欲しい。

ファックスにはカメラの型番や製造番号も書かれていましたが、デジタルカメラの仕様を見るだけで歯科医院からの盗難品であることが一目瞭然です。

歯医者は患者さんの口の中を記録することが多々あります。口の中を記録することにより治療前と治療後の経過を客観的に診ることができます。患者さんにとっては治療の成果が明らかとなり、歯医者にとっては自らの治療の状態を専門的に検証することが可能となります。口の中の写真を撮る事は患者さんにとっても、歯医者にとっても共にメリットのあることなのです。
歯医者で使用するカメラですが、最近ではデジタルカメラを使うことが主流です。デジタルカメラは多種多様ですが、専門的にはやはり一眼レフタイプの物を使用します。レンズはマクロレンズといって接写に耐えるレンズを使用します。また、口の中は大変暗い場所ですから、通常のストロボではなく、リングストロボと呼ばれる特殊なストロボを使用します。
上記の盗難品はまさしく歯科仕様の一眼レフカメラキットであり、歯医者が使用していたことは間違いありません。しかも、記録メディアの中には歯や口の中の写真が多数記録されていたということですから、このデジカメは歯医者が使用していたデジタルカメラであることは明らかです。

おそらく、今回逮捕された被疑者は歯科医院を荒らしたことがあるのでしょう。歯科医院に潜入しているうちにデジタルカメラが目に入り、そのまま盗んでしまったのかもしれませんが、あまりにも特殊な仕様だったため、売るのにも困り、自宅で保管しているうちに警察に御用になったのでしょう。

今回のデジタル一眼レフカメラ、仕様をみているとなかなかの優れもののようです。何もなければ僕が貰いたいなあなんて思ってしまうぐらいですが、これはあまりにも不謹慎ですね。少しでも早く元の持ち主の所へ戻って欲しいものです。



2008年01月09日(水) 人の弱みに付け込みたくない

昨日は新年初めての地元歯科医師会の会合。新年の挨拶もそこそこに、いつもと同じようにしばし雑談となりました。この雑談の中で歯医者仲間の一人、K先生が興味深いことを言いました。

「僕の長年の友人がいるんだけど、その友人がどうも歯が悪いようで僕に相談してきたんだよね。実際に話を聞いてみると曖昧な点があったので『俺が一度診てやろうか?』と言ったんだよ。そうしたら、その友人、『今回は相談だけでいいから』って断ったんだ。『実際に診てみないと正確なアドバイスもできないよ』とは言ったんだけど、友人は頑なに僕の申し出を断るんだよね。仕方ないから口の中は診ることなしに、概論的な話に終始したんだけどね。こちらとしては長年の友人にも関わらず何かすっきりしないものを感じたよ。」

この話、僕にも同様の経験があります。僕の友人の中にも僕に歯のことを相談するにも関わらず、実際に診ようかと申し出ても断る友人がいます。そんな堅苦しく感じなくてもと思ってしまうのですが、どうしてだろうと自問自答してみると、そのような友人にはある特徴があるように思います。
その特徴とは一体何か?このことを書く前に、僕の友人、知人の中で僕が歯を診たり、治療したりする人のことを考えてみると共通点があります。それは、全般的に歯の状態が良好であることです。多くの歯に治療痕はあるものの、全体的に歯の管理は行き届き、症状のある歯はごくわずかであることが共通点です。ということは、歯に関心があり、歯に自信がある友人、知人は僕に歯を診てもらっても構わない、全然気にしないのではないかと思うのです。

このことを考えると、先の疑問が何となく解けてくるように思います。すなわち、友人、知人の中で僕に歯を診られたくない人は、自分の歯や口の中の状態に自信が無い、コンプレックスがある。自分の弱点である場所を見られたくないという思いが強いのではないかと思うのです。
僕は歯医者ですから他人と話をしているとどうしても口元に視線がいきます。どうしても、人様の口元の状態が目に入ってくる悲しい性があります。他人が何も言わなくても、口元の状態というのはある程度わかってしまうのです。僕に歯を診られたくない友人、知人というのは、歯の専門家として診ても、確かに口の中全体が芳しくない状態であることは間違いないように思います。

この気持ち、わからなくはありません。どんなことでも自分の弱点や悩みというもの、むやみに誰にも告白したくないものです。自分の親しい友人や近親者でさえ隠しているような場合もあるくらいです。体に関する悩みに関しては、非常にデリケートな側面がありますので、いくら長年の友人でも、その道の専門家であるが故に自分の体の悩みを知られたくないところがあるのかもしれません。
また、人には自尊心というものがあります。自分の弱点を触れられることが自尊心を傷つけるような場合、他人に弱点を触れられることを嫌うということはよくあることです。それが歯である場合、いくら親しい間柄であったとしても、歯のことは話題にしたくないのでしょう。僕が歯医者であればなおさらなのかもしれません。

僕自身、人の弱みに付け込むようなことをしたくはない性質なので、歯の悪い友人、知人にはあまり歯のことを話したりはしません。何か相談事があれば、相談の範囲内で話をする。相手が望めば治療をするが、望まなければどこかの歯医者で治療をするように、それなりにアドバイスしているつもりです。これが本当に相手にとって良いことなのかわかりませんが、相手の面目をつぶさないよう、悪い歯を治してもらうようにしむけることも歯医者にとっては必要なことではないかと考えるのです。



2008年01月08日(火) 医療費削減のツケ

年末年始のニュースを見ていると医療に関するニュースがいろいろと報道されていました。中でも救急医療に関して大きく報道されているものが目を引きました。
大阪の89歳の女性が30病院から搬送を断られ、最終的に受け入れる病院に到着するのに2時間かかった挙句、亡くなったというニュースや交通事故に遭った男性が5つの救命センターから受け入れを断られ、収容に1時間要し、結果的に死亡したというニュースなど見られました。
これらはいずれも大阪のニュースではあったのですが、大阪という大都市圏でも救急救命態勢が維持できていないことを示すものとして、日本における救急救命医療が深刻な問題を抱えていることを露呈してしまった象徴的な事件のように思えてなりません。

地域医療が崩壊し続けていることは多くのマスコミにも取り上げられてきていますし、僕も何度か書いてきたことですが、その原因の最も根幹にあることは高齢化社会の到来と高齢者に対する医療費です。
日本は世界で一番の長寿国であることは皆さんもご存知のことと思いますが、長寿であることと、いつまでも健康で生きられることとは意味が違います。実際の寿命と健康でいられる健康寿命との間には男女とも平均で7年の差があるものなのです。
この差というのは、何らかの怪我を負ったり、病気にかかり、自立して生活することができず、誰かの助けを借りながら、介護を受けたり、医療を受けなければ生活できない期間と言っていいでしょう。当たり前のことですが、高齢者はどうしても体力が衰えてくるものです。どうしても若い世代の人よりも医学的に弱い立場にならざるをえず、医療を受ける機会が多くなるのは必然です。いくら若い頃に体を鍛えていたり、健康に気を使っていたとしても怪我になりにくかったり、病気に掛かり難くなる可能性はありますが、人間は誰でも死を迎えます。死を迎えるにあたり何の医療も受けずに死を迎える人はほとんどいないのです。ということは、誰もが死ぬ間際には医療を受けざるをえないのは仕方のないことだと思うのです。
これら医療を受けるには当然のことながらお金がかかります。日本のような高齢化社会、少子高齢化が進むということは若い世代が医療費を負担せざるをえない状況になっているのです。これは大変なことである。年間33兆円以上あるといわれる医療費を含めた社会保障費を少しでも抑制しようと、国では毎年2200億円の社会保障費の削減をめざし実行しているのですが、この弊害が最も顕著なのが医療態勢の崩壊です。

年末年始にマスコミに取り上げられていた救急病院の患者受け入れが多くの病院で拒否された問題はその一端です。決してどの救急病院も好き好んで患者の受け入れを拒否しているわけではありません。どの病院も受け入れたくても受け入れられない事情があるのです。これまでであれば、比較的症状が軽い患者さんの受け入れをしていた病院が少なくなり、高度救急医療をしている病院に集中する。しかも、医者側は、研修医制度の改革により、大学医学部病院や医科大学病院から地域病院への医師派遣ができなくなり、地域で医療を担う医師が不足してしまった。その結果、限られた医師で急速に増えた患者さんを治療しなければいけないという事態に陥ってしまっているのです。この問題は厚生労働省による医療政策の完全な失政だと思うのですが、その根本には、何が何でも毎年増大する医療費を抑制しないといけないという国の方針が大きく影響しているのは間違いのないことだと思います。

中でも保険医療において、保険医療制度のマイナス改定を何度も行ってきた愚策のつけの一つがここにあります。国では、限られた医療費を救急医療や、地域病院、専門医が少ない小児科、産婦人科医療へ振向け、開業医への医療費を抑制しようとしていますが、最も身近なかかりつけ医である開業医を締め付ければどうなるか?今の医療は益々混迷を深めていくように思えてなりません。

国の財政状況を考えれば、医療費を少しでも抑制したいという考えはわからないでもないのですが、そもそも今の日本の少子高齢化の現状を考えると、医療費を抑制することを考えること自体が全くのナンセンスではないかと思うのです。
高齢者の方たちは、長年、日本の社会を担ってきた人です。いろんな人がいますが、今の僕のような世代を育ててきてくれたのは間違いなく今の高齢の方たち。この高齢者が人生の終わりを迎えるにあたり、安心して生活することができるようにするためには確固とした医療が不可欠なのは言うまでもありません。医療費の削減というのはこうした高齢者の医療の機会を結果的に奪うものです。いくら国の財政が厳しいからといって医療費までケチるというのは如何なものでしょうか?
しかも、この4月からは75歳以上の高齢者も保険料を負担しなくてはならない後期高齢者医療制度がスタートします。政治的判断によって医療費の負担がどのようになるかは不確定なところはありますが、基本的には高齢者も死ぬまで保険料を負担しなくてはならないようになっているのです。これでは経済的に余裕の無い高齢者に“金の無い者は死ね!”と宣言しているようなものです。これで果たしていいのでしょうか?

国では療養病床数削減の見直しも行おうとしていますが、これなども国が医療費をケチろうとした結果、医療現場で医療難民と呼ばれる人が急増し、大きな社会問題化しているからです。医療費削減という根本の思想が間違っているということを国はいい加減に理解し、そのための対策を打ち出さないといけない時期に来ていることは間違いありません。



2008年01月07日(月) インシュリンを打つようになりました!

有難いことに今年も僕は何枚もの年賀状を受け取りました。最近は年賀状を出さない人が増えてきているそうですが、新年を迎えた朝に届いている年賀状を見ることは、新年を親族、友人、知人と共に迎えているような気がして、何となく心晴れやかに新年を迎えているような気がします。

僕の手元に届いた年賀状ですが、単に印刷だけで済ませているものもあれば、絵入り、写真入りのものもありました。絵入りはやはり今年の干支であるネズミの絵を描いているものが大半でした。写真入りは年賀状がインクジェット紙や写真用印刷用のものが販売され、パソコンを使用して手軽に印刷できることも相まって年々増えているように思います。写真に関しては、

子供の写真
子供を含めた家族写真
夫婦だけの写真
孫の写真

といったものがありましたね。

中には
子供の七五三の記念に撮影した写真
子供が幼稚園で皆勤賞を取った時の記念写真
写真館でポーズを決めて撮影した写真
等々、なかなか趣向を凝らした写真の年賀状がありました。

その他の写真入りのものとしては

新築の家の写真
新築の家のテラスの写真
新車(某外国車)の写真
ペットの写真

などがありました。家や趣味、ペットに対する思い入れが強いのでしょう。

受け取った年賀状はどれも有難いものですが、個人的には添え書きがあるものはうれしく思います。単に印刷文字や写真や絵だけでなく、何らかのメッセージが書かれていると受け取った年賀状の中でも思い入れが強くなるように思います。僕自身、自分が出す年賀状全てに添え書きを書いているだけにこだわりが強いのかもしれませんが、毎年、添え書きの年賀状が少なくなるのは寂しく感じます。
今年、受け取った添え書きの中で特に印象に残ったのは、大学時代の友人からのものでした。

とうとう、インシュリンを打つようになりました!

この友人、数年前から糖尿病で食事療法や運動療法をしていたはずなのですが、インシュリンを打たないといけないようになるまで糖尿病が進んでいるとは・・・。
友人の体調を気遣わずにはいられませんでした。



2008年01月05日(土) 寝正月

今回の正月、僕は何処にも出かけず、ずっと家の中におりました。といいますのも、昨年の年末から今年の年始にかけて風邪をひいてしまい、体調が優れなかったからです。
我が家では昨年の12月にチビたちや嫁さんが相次いで風邪をひいて、しょっちゅう“コンコン”と咳をしておりました。“これは僕に風邪が移るのも時間の問題な”とは感じていたのですが、仕事の合間はそれなりに気が入っていたせいでしょうか、風邪の症状はありませんでした。ところが、仕事納めが終わってからというもの、気が抜けたと思いきや咽喉が痛くなり、完全に風邪の症状が次々と出現。風邪の年越しとなりました。

何とか正月ゆっくりと過ごしたおかげで、今日の仕事始めから何とか仕事はできるくらい体調は戻ってきたとは思います。完全に風邪から抜け気っていませんから油断大敵ではあるのですが、少なくとも患者さんに迷惑を掛けないようにすることはできるのではないかと考えております。

上記のような事情により、今週の日記は休んでおりました。今日から再開といきたいところですが、明日もう一日休みを頂き、本格的な再開は月曜日からということにしたいと思います。



2008年01月01日(火) 謹賀新年

明けましておめでとうございます。平成20(2008)年も無事明けました。皆さん、新年を如何迎えられたでしょうか?

“歯医者さんの一服”日記は、全国に10万人いると言われる歯医者の一人が書く戯言を綴った日記ではありますが、僕自身、歯医者の代表としての自覚を持って書いているつもりです。歯医者のことを少しでも知ってもらいたい。その一心で5年余り日記を書いてきました。いつまで書き続けることができるか自信はありませんが、年を新たにして今年も書いていきたいなあと考えております。

今年も宜しくお願い申し上げます。


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