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2024年11月18日(月) |
わたし、友達なんかじゃなかった |
友達の離婚騒動。ねぇ、聞いてくれる?と言われていつも聞いてる。離婚ははじめてじゃない。でも海外で外国人という立場であれこれハンデキャップがある中の離婚とか大変だ。彼女は精神的に滅入ってる。だから、うん、わたしでよかったら聞くよ、っていつもひたすら聞いてる。でも心中では、半分彼女も悪いと思ってる。夫の浮気や暴力をひたすら彼が邪悪のように言うけど、彼がそこに至るにはそれなりの前置きがある。でもそんなことは言わない。今はこの状況だけで傷ついてるし、彼女はいつも自分を叩く人には100倍返しする人だ。だからそもそも夫の暴力といってもそれに100倍返しで応じているのだろうと想像つく。ただ彼女が一番の友達と言っていた子は彼女に言ったらしい。あなたが悪いよ。わたしは旦那さんの味方だ。わたしはあなたの周りの友達ぶったいい加減な人達みたいに、あなたに同調したりなんかしない、と。でもこっぴどく言い返された。しまいにはわたしに嫉妬してるとかなんとか言われて。わたしは結局は自分の体力を注ぎたくないから、黙って聞き通して、体に気をつけてね、と言って終わりにする。
その後3日間もやもやした。睡眠の力はすごい。結論がでない問題も、寝て起きてみると頭の中ですっきり結論に至っていたりするんだ。で、わたしは思った。わたしは彼女の友達なんかじゃない。結局自分が面倒になるのは嫌だから踏み込みたくないのだ。それにわたしが精神的に滅入った時、彼女に相談することはない。わたしの友達は母だけかもしれない。なんでも話して、それはあなたが悪い、なんてことも言い合う。
彼女は根の悪い人間ではなくて、たまに一緒に食事をしたりするのはとても楽しい。でも自分の脳内の記憶の中で自分に都合の悪いことを消去してしまう癖があるらしい。一度目の離婚の時も同じだった。後味の悪い話を何時間も聞いたせいで、わたしは具合が悪い。彼女の話を聞くのは親切心であって、決して友情なんかではないと解った。
これを書いて、それからきれいさっぱり忘れてしまいたい。
2024年11月07日(木) |
自然に起きることは何一つ無駄ではない |
ラジオを聞きながら、山で拾ってきた栗18kgを処理してる。栗は剥くのが面倒という声はよく聞くけど、わたしはちっともそう思わない。秋の少し心許無くなった日を浴びながら栗に触れてると、幸せな気持ちになる。それくらい栗が好き。
ラジオでさかなクンがこんなことを言ってた。南国の海には珊瑚礁があるけど、水温が上がりすぎると、珊瑚礁は死んでしまう。
「人間にとっては災害である台風だけど、自然に起きることには何一つ無駄なことはなくて、9月に台風がくるのは夏の間に温まり過ぎた海水をかき混ぜて、水温を下げる役割があるんです」
そうなんだぁ!感動した。自然はなんて律儀なのだろう。隣国スペインで膨大な被害者を出した水害。人間にとっては悲惨な出来事だったけど、自然は何かを意味していたのだろうか、と考える。大事な人や住処を失った人々のことを思うと、胸が痛い。でもやっぱり自然に起きることは自然にとっては何か意味のあることだったのだろう。
今年はこの辺り一帯本当によく雨が降った。雨が全く降らず、植物への水やりを禁止されて、街の花が全部枯れて人々の心を曇らせた昨年の夏とはうってかわって、植物はのびのびと深呼吸して体を大きくした。
雨の降らないところからきた夫はちょっと雨が降っただけで憂鬱な顔をする。夫にも雨の日の楽しみを知ってもらおうと、家族全員に傘とレインシューズを買った。子供の遊び心を忘れた中年男は、息子のようにレインシューズを履いて嬉々として水溜りにジャンプするなどということは出来ないらしい。わたしは早く新しい傘をさしたくて、雨の日が待ち遠しい。
以前息子に“夕飯何食べよっか?“と半分ひとりごとのようにつぶやくと“Pizza”とか答えてたのが、決して願いが叶わないことを悟ったのか、今日同じ質問をしたら、
「冷蔵庫の余り物が食べたい」
だって。なんて健気な3歳。朝、昼食のために買い物をし、前菜からデザートまでフルコース用意する。で、夕飯は冷蔵庫の余り物でなんとかするというのは自分の中の決まりなのだが、それでもいくつか選択肢はあるから迷ってこういう質問を家族に口走ってしまうのだ。そのうちピッツァとか作ってあげようと思いつつも、自分が食べたくないからやっぱりなかなか食卓に乗らない。仕事柄体力を使うから沢山食べないともたない中年なのに部活男子みたいな夫と、意味もなく走り回ってエネルギー消費してくる3歳の息子。こんな男ふたりと、40代も後半になってヴィーガン料理を小皿に少し食べれば満足なわたし。共生するのがたまに面倒になるものだ。
最近知り合った日本人の友人と日本人の営むフランス料理屋へ行った。パンからカフェに添えられたクッキーまで全てが自家製。この辺りではメニューにMaison(自家製)なんてわざわざ書かれてることが多々ある。ラザーニャメゾンとか、ニョッキメゾンとか。そういうの見るとそれくらいメゾン当たり前じゃないの?って思うけど、外注で買ってたりするの出してるだけっていう情熱感じないレストラン少なくない。さすが日本のスピリット。最初から最後まで仕事が繊細で美しくて美味しくて、オーナー夫妻と同国出身なのが誇らしかった。フランス人や他国からのツーリストにも大好評みたいだ。フランスでフランス人相手に日本人がフランス料理ふるまって褒められるってすごいね。うん、でもやっぱりすごい料理に情熱こもってるの感じたもの。