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2024年06月07日(金) |
ババちゃんとジジちゃんの家 |
羽田空港で家族と別れて、南仏の家に帰ってきた。実家では、わたしが日本に帰る数日前に犬が突然死して、22歳の老猫はもう歩くのもやっとでいつ老衰してもおかしくない状態、父はぼんやりとしていて大して喋りも笑いもせず植物のように静かになってて、ひとりだけ以前と変わらずしっかりした母が心配で心配で、本当に辛い別れになった。息子はツレない親とは違って、ショッピングモールで汽車ポッポにコインを入れてくれたり、お菓子を満足いくまで食べさせてくれたり、夜はお風呂に沢山おもちゃを浮かべて入れてくれる"ババちゃん"の虜となり、朝目が覚めれば、ババちゃんの布団に潜り込んでいって、ぺったりと抱きついて二度寝したりしてた。ババちゃんも静かな老人と老猫との暮らしに突然現れた瑞々しい生命との一時が楽しかったのだろう、彼との別れが辛かったそうだ。
滞在中は一度だけ息子と頑張って銀座へ行った。彼は"Mama!!!mucha gente!!!!(スペイン語で"沢山の人"という意味)"と驚きながらも、わたしの目には留まらないあらゆるものに興味をひかれていちいち立ち止まった。ランチにエビフライを食べさせたら、好きじゃないといって脇にあった醤油をごはんにかけて食べてて、追加でアジフライを頼んだらこれは好きだと一枚平らげた。わたしも息子も大好物の抹茶のスイーツを食べようと中村藤吉へ行き、東京駅で新幹線型のお弁当を買って帰った。お茶の旬であちこちで期間限定だのなんだのあって、滞在中は抹茶のお菓子を沢山食べた。
本当に驚いたことに、3歳までだんまりで、この子は一生喋れないのではないか?とまで心配させた息子はそのたった5ヶ月後、日本に着くなり、家族とぺらぺらと日本語を喋りはじめたのだった。そんな言葉いつ覚えたの?と何度も聞いた。そして、更に驚いたことに、南仏の家に戻ると、パパとはスペイン語、学校ではフランス語、わたしとは日本語、みんなで喋るときは英語、といつのまにか言葉をちゃんと使い分けられるようになっていたのだった。
毎回楽しい家族との時間はこれが最後かもしれないという切なさを伴う。大切に大切にしても、この世に永遠はないのだ、と魂がどこかへ行ってしまった父の頼りない姿を思って、泣かずにいられなかった。