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2024年02月20日(火) |
子育て初心者ママの反省 |
2月だというのに暖かい日が多くて、毎日のようにランチを食べた後にロクちゃんと散歩に出てる。家の裏の線路脇で電車を見てから、ぐるりと町の反対側まで歩いて、午後の仕事に戻るパパを待ち伏せして、ワァ!!!っと脅かすのが日課。陽の光を十分浴びてセロトニン大放出なのだろう、夜本当によく眠れる。
3歳からの義務教育が始まって約半年が経過した。12月末生まれのロクちゃんは実質2歳で学校へ通うことになった。クラスの子達が並んで歩いてくるのを見た時、とびぬけて一番小さい上に言葉のハンディキャップのある彼のことが心配で心配で仕方なかった(後で3〜5歳混合のクラスだと知った。小さい子は大きい子から刺激をもらい、大きい子は小さい子の面倒を見ることを学ばせるという目的なのだそう。グッドアイディア)。オンライン上で公開される先生が撮った写真の中にも笑っている彼はいない。いつも憂鬱そうで、みんながやっている作業が全くできていない。本人も学校へ行きたがらない。先生の言ってることが理解できないし、みんながやってる作業もできないし、友達もいないのだと言う。それでも泣いたり愚図ったりすることなく無表情で淡々と学校に向かう我が子がいじらしくて、心配でずっと胸がきりきりとしてた。
ところが、やっぱり子供というのはすばらしい柔軟性を持っていて、状況は少しずつ変わっていった。学校へ行き始めて3ヶ月も経つ頃、先生から最近よく理解して色んなことができていると褒めてもらえるようになった。フランス語も次から次へと毎日のように新しい単語が口から出てる。友達も出来たんだと、その子達の名前を教えてくれたりするようになった。オンラインの写真の中にも笑顔で楽しそうにやってる我が子がいて、学校が休みの日でも学校に行きたいと言ったりする。
学校のない水曜日、わたしはいつも通りやらなければならない家事があり、彼はその周りをうろちょろする。ふと、思う。毎日学校へ行き、他の子達と交流し、勉強をしたほうがよほど彼にとって良い影響があるのではないか、と。フランスが義務教育を3歳からにした目的のひとつは、子供に差をつけないということだ。とりわけ外国人の母親に多い傾向なのだが、子供をずっと自分の手中に置いておきたがって、そうやって母親以外の人と関わらずにきた子供は小学校で義務教育が始まった時に知能や協調性に他の子と差がついてるということなのだ。わたしはまさにその典型だった。だってこの国で血を分けた家族は彼しかいないのだ。彼をぎゅっと自分の側に置いて、一時でも離れたくないと思っていた。今思えば、自立できないダメ親の典型。だから2歳で学校へ送り出すことになった時は、すっかり我が子を取り上げられたみたいな辛い気持ちだった。でも半年経った今、我が子はすっかり強く逞しくなって、ママといたいなんて言わなくて、むしろ学校へ行きたいと言う。でもそれってすごく健全な親子関係なのではないだろうか。親子がべったりしてるより、家族みんなが自立して、日中を自分の世界で自分のことに勤しみ、夕飯時に一日のことをシェアする。それくらいの関係の家族が一番うまくまわるというのが、自分で人生で見てきたことだった。フランス政府が義務にしてくれなかったら、わたしは小学校に上がるまで彼にしがみついていたかもしれない。自分は家事で忙しくて面倒見きれてないというのにも関わらず、ただ離れたくない一心で。義務として離されたおかげで、そんな母親のエゴで彼にその後険しい道を歩ませずに済んだのは本当に幸運だった。
「可愛い子には旅をさせろ」
わたしも彼もそれぞれいっぱい旅をして、そしてその体験をシェアする、そんな良い母子関係を築いていきたい、と今は思う。
ヤマザキマリ著の「貧乏ピッツァ」に出てきた"おふくろの味"の話にふと考えてしまった。ロクちゃんは大人になった時、何をおふくろの味と言うだろうか。わたしにとっての"おふくろの味"は即答で卵焼きと鶏の唐揚げだと言える。母はひととおり家族のためにごはんを用意してくれたが、料理が好きではなかったからすごくレパートリーも少なくて、ヘビロテで食べていたものばかりだった。卵焼きと唐揚げは、子供の時から母がお弁当を詰めてくれる日は絶対入っているもので、それは冷めていても美味しかった。22歳の時、あるきっかけでもう肉は食べないと決めた。格段肉が好きだったわけではなかったから、別に大した決断ではなかった。しかし、母の鶏の唐揚げだけは別だった。一緒に暮らしてなかったから、作ってもらう機会は滅多になかったが、見れば絶対食べたくなる。これだけは、やめることをやめた。
他人のおふくろの味というのも興味深い。パースに住んでたオーストラリア人の友人はメルボルンに住んでるクロアチア人の母親から送られてくる大量の瓶詰めのトマトソースを受け取っていた。重量も重いし、いったいいくらかけて送ってくるのか。
「レシピ教わって自分で作ったほうがいいんじゃ?」
と提言したら、
「いや、そんなシンプルじゃないんだ。火加減とかあれこれあるし、絶対同じの作れないから」
と返された。
ロクちゃんは、今のところだとおふくろの味は"パン"とでも言うだろうか。彼がはじめて食べたパンは、わたしが家で焼いて常備してるライ麦と全粒粉を混ぜたカンパーニュだった。日本の子供がよく食べてる油脂やミルクの入った柔らかいパンとは違って、彼がパンを食べる姿は、獲物を捉えた小さな肉食動物のように頑張って食いちぎっていた。当人が好きかどうかではなく、あまり主食にバターやミルクや砂糖の入ったパンをあげたくなくて、ずっとそれを食べさせていたら、どうやら彼にとってのパンはこのカンパーニュに定着したらしかった。たまにブリオッシュのようなパンをあげてもあまり喜ばず、カンパーニュを有難がる子になっていた。あとは家の裏の笹の葉を摘んできて仕込む自家製納豆か。納豆は毎日でも食べられるらしい。3歳の誕生日に何が食べたいか、と聞いたら、
「バナナ」
と言われた。もう少し喋れるようになったら、おふくろの味について聞いてみよう。
フランスから国境を超えて着くイタリアの最初の街にお気に入りの陶器屋があった。フィレンツェの郊外の自然に囲まれた美しい村の工房で手作りされているもので、ロクちゃんには離乳食がはじまった時からここの食器で食べさせていて、一度割ってしまった時など頼み込んだら昔のコレクションでも再度同じ物を制作してくれたりした。そんな工場大量生産とは逆の人間の手によって作られる一枚ずつ違う陶器が好きで、この街に行ったら必ず立ち寄っていた。ところが、少し離れた場所に店を移すことになり、店の陶器を運ぶのが大変だから半額で売るというので、ロクちゃんと二人だけでイタリアへ行くことにした。陶器を売る店に3歳の暴れん坊と二人で行く、というかなり不安な挑戦だったが、見たい気持ちが勝って決行した。
発語が遅かったロクちゃんだが、3歳の誕生日を過ぎた頃、突然永い眠りから覚めたかのようにすごい勢いで喋りはじめた。行きたがらなかった学校へも楽しそうに通うようになり、友達ができたとか言ってその子の名前なんかを教えてくれたりするようになった。驚いたことに、バスを降りる時、ドライバーに向かって"Merci"とちゃんと挨拶したりしてる。そして陶器屋に入る。バッグから彼が酷く気に入って毎日練習してる数字ドリルを取り出し、
「絶対この店にあるものを触っちゃだめよ。ここに座ってドリルやっててね」
と言ったら、店を出るまでの30分、ダンボールを机にして、ドリルにひたすら数字を書いて練習してた。わたしはなんと運がいいのか。こうして、陶器をじっくり眺め、店の人から直通の連絡先ももらって無事に店を後にした。
ピッツァを買って公園で食べて、バルでクリームの乗ったカフェを9割ロクちゃんに奪われ、そんなこんなで無事に帰宅した。
いつの間にこの子はこんなに成長したのだろう。ちゃんと挨拶して、買い物中はカゴを持ってくれて、歩くペースも早いし、ランチに買ったピッツァはわたしよりも沢山食べる。いつまでママの買い物に付き合ってくれるんだろうか。