My life as a cat
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2022年02月18日(金) 小さなひとの大きなこと

大して昼寝しないロクちゃんが、たまにぽっかり電池が切れたように眠り続ける午後がある。暖かいからかな。それとも朝に沢山歩かせたからかな。とにかく、彼が昼寝してる時だけが、わたしが彼以外のことに没頭できる時間。お茶を淹れて、タルト・オ・ポワールを出してきた。毎年冬になると絶対に焼く大好きなタルトだけど、味わってる時間はなかった。食べてるそばからロクちゃんにせがまれて、果物の部分はほぼ彼の口に運ぶことになってしまう。やっとひとりで大きな口あけて味わうことができた。でも食べた後にふとさびしくなる。やっぱりロクちゃんと一緒に食べたかったな、とか。

リュカの同僚にロクちゃんと同月齢の子がいる人がいるのだが、この家は赤ちゃんは赤ちゃんとして大人とは別の暮らしをしているようだ。離乳食は缶からでてくるか、野菜をすりつぶしただけのもの。おやつにたまにヨーグルト。まずは赤ちゃんだけが食事し、すぐに寝かせられる。その後夫婦だけで静かに食事して・・・という感じ。良い悪いではないが、わたしはこの話を聞いて少しさびしくなってしまった。ロクちゃんは大人と同じように暮らしてる。朝一緒に起きて、朝昼晩と三食一緒に食べる。ロクちゃんのは甘塩にしたり、少し長めに火を入れたりする程度で、基本的には同じものを一緒に食べてる。皿に何か残したことがないというくらい何でもよく食べてくれる。でもこんな小さなひとでも好みはしっかり持ってる。大人しく口に入れて飲み込んでるものもあれば、熱狂的に欲しがって大きな口を開けて食べるものもある。朝切ってみたマンゴーとか、今夜作ったきのこのボルシチと油餅なんて相当気に入ったらしくて、早くもっと口に入れろとせがまれ続けた。彼がいると落ち着いて食べることはできないけど、小さな木製の椅子に座って、歌ったり踊ったりして、がさつに食べこぼすこの小さなひとがいなかったら、この食卓はどんなに静まり返ってさびしいことだろう。小さいのにその存在感は偉大なり。夫婦ふたりと猫一匹の静かな暮らしを愛してたはずなのに、わたしはそこに戻りたくはない。食事を作ったら、真っ先に背後で椅子に座ってるロクちゃんに味見してもらう。目を見開いてマッマ!!!と言ってくれたら、こりゃ美味いという意味だ。夕食後は授乳しながらドラマを観る。ロクちゃんはお腹が満たされたら、戸棚をあけて、中のものをぐちゃぐちゃにして遊ぶ。そしてドラマのエンディングテーマがかかると画面の前まで飛んできて踊る。

冬の朝はクロちゃんに温かい水をあげるのだが、ロクちゃんのお風呂だのおむつだのバタバタしてすっかり忘れてしまったことがある。小さなひとにとってはすごく大きなことなのに。"ちょっと待っててね"と言いながらあれこれ別のことやってるうちに忘れて。ふと"あっ、忘れてた"と思い出した時、キャットタワーの前にじっと座って温かい水をくれるのを待ってたクロちゃんの姿が浮かんで、本当に可哀想なことをしてしまったと深く反省した。小さなひとたちの大きなこと、真剣に向き合ってあげなければならないね。


2022年02月11日(金) 成功までのいくつもの道

ロクちゃんとマルシェへ。支えがないと立てない彼は、わたしが会計してる間などいつもその辺につかまらせて立たせておくのだが、マルシェではテーブルがちょうど彼の手の位置くらいにあり、売り物に触りたがるから、座らせて待たせておく。這いずりまわることはできるので、それまた心配なのだが、なぜかいつもじっとして待っててくれる。そして、こちらを見ながら歌をうたったり、マッマと呼んで手を振ったりしてる。

リュカの仕事仲間のアレッサンドロがこんなことを話してた。彼はイタリア人で20代の娘さんがいる。

「彼女は子供の頃からよくお菓子作りをしてたけど、いつもネットで情報収集して、”成功する作り方"についてよく学んでから取りかかるから、ちゃんと美味しいものができるんだ。でもそれってどうなのかな。転んで転んで、答えを導いたものに対して人はちゃんとそれについて学んだといえる。とすると、彼女は本当の意味で自分の身を持って学んでいないのではないかな、と思うんだよね」

成功までに色んな道を通っていれば、こうしたらこうなるとあらゆる道について学ぶけど、いきなり成功した物事に対しては、ひとつの道しか知らずに終わる。Google大先生に聞けばなんでも答えてくれるこのご時世、当てずっぽうに歩く人もなかなかいない。誰かの成功体験を真似すれば、自分もそこそこできてしまうから全人類賢くなったような気になる。でも実際は自分の頭でじっと考えて答えを導き出すことをしなくなって、情報処理能力が衰えてきているのではないか。ぼんやりしてると情報をひたすらインプットするばかりで、自分の思考を形成する時間を見失いがち。週に一度のデトックスデイは、食べ物のことばかりでなく、脳内のデトックスも試みようと思う。


2022年02月08日(火) Orange Amère

オレンジアメール(苦いオレンジ)の季節。日本語ではダイダイというらしい。隣人からたんまりもらったので、コンフィチュールを煮てみた。大好きなベリー系のコンフィチュールは砂糖は20〜30%で美味しいのだが、柑橘系のものはそれでは酸味と苦味が強すぎて食べられない。フランス語で書かれたレシピはどれも煮こぼしもせず、砂糖を果実の2倍も入れてるものも少なくない。ひとまず煮こぼししないで砂糖を50%で作ってみた。苦過ぎてどう食べていいのやら。しかも舌が痺れる。2回戦。皮だけ薄く削って、果実をしぼって、煮こぼしして砂糖80%で煮てみた(これは日本人的作り方)。少しだけマシになった。3回戦。2回戦と同じ方法で処理して、砂糖を果物と同じ重量入れてみた。結果、これが一番よかった。やっぱりコツは砂糖たくさんってことなのか。それにしても、やっぱり味がきつくて、ロクちゃんにもあげられない。瓶詰めしたのが3年分くらいは出来てるんで、少しずつビスケットに砂糖代わりに入れたりして使うことにしよう(ジンジャービスケットや紅茶のスコーンなんかに混ぜ込むとなかなかいい感じだ)。

1月はガレット・デ・ロワ、2月はなぜかクレープを食べるのがフランス文化らしくて、スーパーではこぞって小麦粉とヌテラの安売りをしてる。市販のヌテラは、これを塗ると、パンもクレープも全ての味が消えてしまうというくらい甘みが強くてあまり好きではない。拾ったヘーゼルナッツがあったので、自分で作ってみたら、これが美味しいのなんのって。すっきりした甘みでたっぷりクレープに塗ってもぺろりと食べられてしまう。スーパーの棚から手軽に食卓にのぼるものは塩分・糖分・油分も過剰。でもそういうものも自分で作れば、なんて風味豊かに美味しくできるのだろう。トマトケチャップもウスターソースも納豆も味噌もコンフィチュールもアンチョビも我が家は全部自家製。ロクちゃんにはあれは食べてはダメとか、これを食べなさい、とかそういうことは言わないつもりだけど、手作りで素材の味がちゃんと味わえるものを食べて育って欲しいなぁと思ってる。そして、それがどういう経過で食卓に乗ったのかとイマジネーションを持って、感謝して食せるように育てるつもり。

ロクちゃんがつかまり歩きができるようになったから、毎日大人の足で徒歩3分のスーパーまで10分くらいかけて一緒に歩いてる。みかんを買って、公園で他の子供達が遊ぶのを眺めながら食べて、また10分かけて帰ってくる。小さな足に小さな革靴を履いて、真剣に歩く姿が愛おしい。強くなるようにあまり甘やかさないで育ててるせいか、絶対に途中で疲れたと止まったりしない。でも、夜は早く寝てしまうようになったから、本当はすごく疲れてるんだろう。


Michelina |MAIL