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ロクちゃんの9ヶ月検診。小児科医がグラフに線を引きながら言う。
「身長も体重も最小をキープしてますね。心配いりませんけど」
日本基準の成長曲線とやらからは小さすぎて外れてる。が、この元気いっぱい、朝から大暴れし、食べなかったものは一切なしというくらい何でも嬉々として食べて、大きなうんちを日に3回もする赤ちゃんのどこを心配しようか。ここに住んでたらこの先の人生で太るチャンスなんていくらでもある。現世では人類の生命を脅かす危機は飢餓よりも飽食による肥満というくらいだ。むしろ小さいくらいのほうがこの先の人生楽なのではないか。
小児科医にもらった9ヶ月の離乳食の一例を読んで苦笑する。牛の子じゃあるまいしというくらい、朝から晩まで乳製品を与える。典型的なフランスの赤ちゃんといったら、生後すぐに親とは別の寝室でひとりで眠り、3ヶ月もしたら母乳は断たれて、母親は働きにでて、ヌヌーに預けられる。離乳食は缶詰と乳製品と人工ミルク。これに加えて両親がすぐに離婚して、どちらかの家を行き来するなんてのも珍しい話ではない。日本の典型的子育ての仕方から比べたら、あまりにも索漠と感じられて、心配になってしまう。ところがそうやって育った子がちゃんと育たないかといったらそういうわけではない。ここに来て受けた子供の印象というのは、妙に大人びてるということ。ちゃんと大人と通じるような口をきき、お菓子売り場やおもちゃ売り場で愚図ってるというのも滅多に見ない。どうしたことだろうと考えたのだが、ここの子供は母親がべったりと自分を見ていないせいで、早くから自立心が育つのではないだろうか。そしてフランス流"Non"といったらそれ以外の何の説明もない断じて"Non"な空気の中で聞き分けの良さを身につけるのかもしれない。外出中ロクちゃんがあまりにも愚図る時、前からこちらに向かってくるベイビーカートの中の静かな子供を見ては、わたしはべったりし過ぎるて彼の自立心を養うことに失敗してるのではないかという考えが頭を過る。わたしは典型的フランス式の子育てはできそうにないが、ここから学ぶことも沢山あるのだとこのところ感じている。
休暇を利用して遊びに来てた義妹と義母が帰った。どっしりとした体躯で、大きな花柄のワンピースを着て、とにかくよく喋る存在の賑やかな義母が去った後は、まるで台風が去ったかのような静寂。しかし大人が四人いると、育児も家事も楽なものだ。ひとりが料理し、ひとりがロクちゃんの面倒を見て、ひとりが掃除し、ひとりが皿洗い・・と。ロクちゃんの誕生以来平日は全てひとりでこなさなければならず、かなり根詰めてやってきた。ここへきてやっと数日羽を休めることが出来た。実に9ヶ月ぶりの休暇。リュカもまとまった休暇をとって空港へ彼らを送迎し、家の隅々まで掃除し、庭の手入れまでやってくれた。義母はロクちゃんが果物を喜んで食べるから、じゃんじゃん与えてる。日本のダイエットドキュメンタリーのようなテレビ番組では、いつも肥満児の影に甘い祖父母の存在ありというのが典型。幸いどちらの祖父母も遠くて滅多に会えないが、近くに住んでたらこりゃ大変だ。
みんなでイタリアへ行き、ランチを食べた。保守的なお義母さんは見慣れないものだと、
「とっても美味しいわ」
という割にはあまり食が進んでなかった。
「わたしは痩せなきゃいけないから」
と食事はクロちゃんほどしか食べないのに、ジェラートなんかは二玉ぺろりと平らげ、パンにはそんなに?というくらいたっぷりオリーブオイルをかけて嬉しそうにかぶりついた。イタリアで食材を買い込み、翌日"赤ちゃんも一緒に食べられるから"とスペインで復活祭の間に食される精進料理のポタージュを作ってくれた。前夜に塩鱈の塩抜きとひよこ豆を水に浸すことからはじまって、パン団子を作ったりとかけっこう手がこんでる。塩もオイルもたっぷりでパンチがきいてて美味かった。食物繊維も炭水化物もタンパク質も脂質も全部が入っててバランスがいい。翌日全ての材料が余ってたから、自分で作ってみたけど、義母のように塩もオイルも思い切った使い方が出来ず、ちょっとボケた味で、いまいちな出来。感覚で記憶して作ってるからレシピを聞いてもわからないと言われるのは目に見えてるが、今度レシピ化してくれるように頼もう。食事中、リュカの従兄弟の話が出た。彼は19才で父親になった。子供の母親も同い年。しばらく付き合って、(彼側の話では)彼女が精神的に少しおかしくなっているのがもっぱらの原因で別れた。そしてその後彼女の妊娠が発覚した。子供の親権は母親にあり、彼はすぐに働きはじめて養育費を払っていたのだが、子供が3才の時、彼が親権をとり、今は彼が子供と暮らしている。というのも、母親は我が子をべったり自分の側に置いておきたいという執着心に捕らわれて、3才になってもまだ固形の食べ物は一切与えず、母乳だけをあげていたのだった。彼女は精神的にいよいよ不安定でおかしくなっているという。子供は今、24才になった父親と暮らし、しっかり食べて、肌艶も見違えるようによくなったという話。自分に子供がいなかったら、なんてイカれた母親なのか、と単純に思ったかもしれないが、自分が母親になった今、全くの他人事とは思えなかった。子供に対する愛情と自分にかかっているストレスとは全く別の次元にあるものだ。わたしだってロクちゃんとの暮らしはこの上なく幸せだ。それは本当だ。それなのに、なぜだろう、たまにふと他人を無闇に批判的に見てしまう自分がいてはっとする。だって他人を見る目は自分の精神状態を映す鏡なのだ。以前ならただ共感してたようなことに反感を持ってる自分がいる。はじめての子であれこれわからないのに、日中はひとりで何があっても誰にも頼れないという強迫観念や、わたしがひとつでもミスをしたらこの小さな息の根は簡単に止まってしまうのだという責任の重さが、知らず知らずのうちに鬱積してしまったのかもしれないとふと感じることがある。幸いわたしは20代の女の子ではないから、少し悪い兆しを見れば浅いうちに修正するくらいの技は身につけている。高齢出産は身体的に大変ともいうが、わたしはこの年だからこそその時々20代の時よりはよほどまともであろう判断を下して乗り切れてることのほうが多いように思う。
みんなでベイビーカートを押しながら、栗や木の実を拾いながら散歩をした。都会生まれの都会育ちの義母は自然が美しいと感動していた。しかし、やっぱり兄弟や従兄弟みんないる場所を離れてくらすことは考えられないらしい。道端で種が飛んで野生化したらしいミントを摘んで、それをそっとバッグに忍ばせて帰っていった。
朝のマントン。リュカが諸用を済ませている間、ロクちゃんと"Caffè Italiano" で朝食。芳ばしいカフェの香りが立ち込めてて、客は新聞なんかを片手に朝から甘いパンを食べてるような、なんの変哲もないイタリアの朝の風景を象徴するような雰囲気が好きなカフェ。朝からピッツァを齧りながら久々に本を広げた。読もうとずっと前に買って放置してた"マノン・レスコー"。読み始めたら面白くて止まらない。ロクちゃんが起きて遊びたがったので、片手で彼を抑えながら椅子の上で遊ばせておいた。たまに彼がわたしの顔を触りにきたりしてちょっかいを出してきたが、思ったより捗った。こんなにリラックスして朝食を摂れたのは何ヶ月ぶりだろう。ロクちゃんも成長して泣く以外の感情表現ができるようになり、わたしもロクちゃんのことが解るようになってきた。最近やっと育児が少しだけ楽になってきたと感じられるようになった。
カフェを出たら今度は病院へ。リュカが用事を済ませている間、中庭のベンチでロクちゃんのランチ。家のお弁当箱はわたしからロクちゃんへのギフト。今日はトマトパンケーキとネクタリンのコンポート。皿の上に何か残したことがないというくらいいつもよく食べてくれるのだが、食べた後がすごい。手足をばたばた、ジャンプしたり這いずり回ったりもう暴れまくりで、いくら食べさせても足りないんじゃないかというくらい威勢がいい。
ランチにガレット屋さんへ行ったら、店員さんがロクちゃん用の椅子を用意してくれた。そうか、もう寝てるだけの新生児の頃とは違うんだ、と実感した出来事だった。一緒にテーブルに着いたロクちゃんはわたし達の食べるもの全てを欲しがり、一口ずつ全部味見しては自分のために用意された薄味の食事とのあまりにもの違いにいちいち目をまんまるに見開いては、もう一口くれ!!!と手足をジタバタさせた。日中はあまりおっぱいを飲まなくなって卒乳する日も近いのかと思っていたところ、前歯が2本生えてきてるのを発見した。
いつもなら平日は働いてるリュカが仕事を休んで、こうやってゆっくり時間を気にせずランチをとれる日は、子供の頃、ちょっと具合が悪くて学校を休んで家で母と過ごした"特別な日"の記憶が蘇って甘い気持ちになる。ずっとわたしと遊んでたくて、どうしても手を離せなくて放置してると泣くロクちゃんも、今日はパパもいるから終始ご機嫌だった。沢山歩いたけど、久々に精神の休息をとれた日だった。
桃はよく熟れたのを皮ごと食べるのが一番好きで、生で美味しいのに火を通すなんてもったいないように感じるけど思い切ってトライしてみた。白ワインで皮と種と一緒にさっと煮た白桃のコンポートの色合いの美しいことよ。サワークリームを少し入れたクリームと挟んでミルクレープの出来上がり。あっさりした爽やかな味。当りの桃が手に入ったら、やっぱり生で食べたいけど、ハズレならこうやってお菓子にしてもいいかも。それにしても、今年はなんだか果物が不調なのだろうか。桃も当たらず、昨年死ぬほど拾ったノワゼット(ヘーゼルナッツ)もどこの通りを歩いても実を生してない。毎年5kgほど収穫してるという向かいの家のオリーブは今年はぱったり生らなかったらしい。彼に理由を聞いたが、
「わからない。なぜかオリーブとかノワゼットとかそういう木の実ってそういう年があるんだよね」
ということだった。ここは世界でも有名なノワゼットの産地、イタリアのピエモンテ州のすぐ隣。ここでこんな調子だとピエモンテもダメなんだろうか。ジェラートにしても、クッキーに入れてもなにをしても美味しくて、こんなものが通り一面に落ちてる様は宝の山を見つけたような気分なのだが。この分では今年は栗も怪しいな。
椅子を買った。たった赤ちゃんひとり育てるのに、必要なものは借りるなりお古をもらうなりで凌ぎたいと、何も買わずにきたけど、離乳食をはじめて3ヶ月、そんな志も折れそうなくらいあまりにもあれこれ汚す。正直、自分が子を持つまで、食い散らかしてる赤ちゃんを見ては、教育が悪いのかしら、と疑ってたから、ちゃんと教育してる(つもり)の自分の子がこんなに汚い食べ方をするとは驚いた。果物や野菜のシミだらけになった一時凌ぎに使わせてた布貼りの椅子をシャワーで洗い流して、乾かして、とやるのに疲れ果てて、椅子は買おうと決めた。すぐに不要になるようなものを買っては後々カーヴに沢山詰め込んで暮らすなんて嫌だから、使用後人に売るなりあげるなりも出来なかったら最悪暖炉に焚べられる木製のにした。簡素な作りで組み立ても簡単だったが、座らせてみたら愛らしいのなんのって。買って良かった!テンションあがってバチバチ写真を撮る。これに座って家族の一員みたいにテーブルに就いて、夢中で食べてる姿に、その成長のめざましさを実感する。つい数ヶ月前まで仰向けに寝て、泣く以外の意思表示は出来なかったのに。寝返りをうったと思ったら、声をあげて笑うようになり、パッパ、マッマと連発するようになり、わたし達と同じものを食べたがり、つかまり立ちしたり。おしっこやうんちもほぼトイレでできるようになったし、夜もお腹がすいた時以外は自分のベッドでちゃんと寝てる(以前はわたしにひっついて寝たがって、わたしもそれが好きだったけど、お互いのために今のうちにと頑張ってその習慣を断った)。育児の渦中は無我夢中で感じ入る余裕などないけど、夜に彼が寝付いた後、毎晩写真を眺めては一日のことを反芻してる。あぁ今日も終わってしまった、ともう数時間前が恋しくなる。時が経つのが早すぎて、心がついていかない。
隣人宅でアペロ。祖母のマリーと孫娘の二人暮らしなのだが、デンマークからマリーの息子がやってきて、リュカが彼と面識がないので、みんなでアペロをしようという運びとなったのだった。この家族はあれこれ複雑。マリーがフランス語と英語をごちゃごちゃに混ぜて語る家族の話を聞いてると頭が混乱してくるのだが、やっと理解したことによれば、こういうことだ。マリーはデンマーク人で年齢はわたしの母と同年代。デンマークで麻酔を専門とする看護師として28年間働いた。24時間いつでも駆けつけられるようにと病院に住み込み、夜中でも連絡が入れば飛び起きて駆けつけ、一歩遅ければ命を失ってしまう赤ちゃんに麻酔を打つのが彼女の仕事。姿勢をピンっと正して、いつでも家と庭が整然と保たれているのは、緊迫した日々の中で育まれた習性なのではないかと想像した。自分の子供が欲しかったがどうしてもできず、インドの孤児を二人養子に迎え入れた。だから息子さんは蒼白というくらい色白のマリーとは対照的に太陽をたっぷり浴びてこんがり焼けたような肌色なのだった。娘さんは10年前すーっと家族全員との連絡を絶った。50歳になったマリーは24時間いつも気を張っていなければならないハードな仕事に疲れて辞める。客船の中で待機するナースとなり定年退職まで勤め上げた。息子は結婚し、女の子を授かる。が、その子はダウン症だった。母親は彼女が1歳の時に交通事故で亡くなった。定年退職し、離婚し、ひとりで毎年夏の休暇を過ごしていた南仏の家に永住しようかという折にダウン症の孫を連れてきてここで育てた。
マリーがロクちゃんを抱きたいという。さっき物が重く感じられるようになって買い物はもっぱらデリバリーしてもらってると聞いたばかりだったから、恐る恐る手渡す。一瞬不安げな顔をしたロクちゃんがマリーの顔を触ってにっこり笑った。マリーも本当に嬉しそうだった。
「こんな風に赤ちゃんに触れることはあんまりなかったから」
そりゃそうだ。泣きわめく赤ちゃんを押さえつけて麻酔を打って、養子にもらった娘と息子は既に赤ちゃんという年ではなかったのだから。こんな満面の笑みで腕に抱かれてる赤ちゃんにマリーの目は輝いた。ロクちゃんは大人しく一緒に食事をし、その後マリーの息子さんに抱かれて笑っていた。たった大人5人という会なのに、ひとつの話題を囲むことなく、会話があちこちにシャボン玉のように浮遊し、それをこの孫娘とその愛犬が割って歩いてるような疲れる会ではあったが、はじまって2時間後、孫娘の
「ママ(マリー)はもう寝る時間なのよ」
という一言に退散するきっかけを得て、そそくさと家に引き上げた。
「あぁ、なんという無秩序な会なのか。ぐったりだぁ〜」
とカウチに倒れこんでぐだぐだした。でも思い出したらみんな笑顔だったな。ロクちゃんも沢山笑ってた。
「マリー、ロクちゃん抱っこして本当嬉しそうだったね。それで君が陶器見て"ロイヤル・コペンハーゲンだね"って言って、とどめは僕が"コペンハーゲン行ったことあるよ"って言って。めちゃくちゃ目輝いてたよ」
こんな夜はよく眠れる。