My life as a cat
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2020年06月29日(月) 母子手帳の時間
















AMAZON.JPで購入した母子手帳が届いた。小児科医さんが制作したもので、妊娠発覚の時の気持ちとか周囲の反応とかあれこれ書き込んだり、エコー写真を貼ったりするスペースがある。1歳までに大方のページが割かれてて、今月出来たこと、喋った言葉なんかを書き込んでいく。1歳からは月に2ページというペースで成長を記録して、その子が12歳になったら贈るもの。わたしの記憶は3歳くらいに始まってる。4歳で幼稚園に通う前まで住んでた坂の途中の家の中のイメージがおぼろげに記憶にある。初めて話した言葉とかそういう記録があったら面白いだろうな、と書き残していくことにした。フランスにだってこの類の母子手帳は売ってるのに何でわざわざ日本から取り寄せるのかといえば、それはやっぱりわたしの母国語を理解して欲しいという願いからだ。先日母に妊娠のことを打ち明けた。子供の苦手なわたしが子供を作るとは全く想像してなくて驚くだろうな、でもきっと喜んでくれるだろうな、と胸をはずませて伝えたのに、第一声は予想外のものだった。

「・・・、その子は日本語喋れるのかな?」

すぐそばに住んでてしょっちゅう会える3歳になる妹の子とは違って、この子は疎遠な存在になってしまうだろう。日本語だって教えるつもりだけど、どこまで覚えてくれるかわからない。日本語を覚えたって日本との精神の結びつきという感覚を得ることは不可能だろう。母のテンションの低さにがっかりしたけど、仕方がないことだった。こんな遠くまで来ることを選んだのはわたしなんだから。

この手帳は日本語で書き綴っていこう。もしこの子が出自やわたしのことをもっと理解したいと思ってくれたらがんばって読んでくれるだろう。午後、早速書き始める。毎日体調がすぐれなくて息も絶え絶え、この子のことを考えてるときだけは少しだけ甘い夢を見て救われる。

夕方若山 曜子さんの台湾スイーツレシピブックのパイナップルケーキを焼いた。大好物で台湾土産にもらうと喜んで食べてたけど、初めて自分で焼いた。ちゃんとした型がなくてアルミフォイルの即席でやったにしてはなかなかうまくできたかな。若山曜子さんのレシピは本当作る人の利便性がよく考慮されててプロじゃないただの主婦のキッチンでは大活躍。だって卵半分とか、黄身だけとか生クリーム70gとかそういうのはちょっと躊躇しちゃうことが多くて、そういうところがうまく調整されてる。

それから夕飯の前菜にナポリ野菜料理の中のズッキーニと卵のミネストラを作った。実はこの本購入検討中で、中身が少し見られたんで、そのひとつを作ってみたところ。先日作ったカボチャのパスタもコンソメとかの出汁を使わないカボチャ味なのが気に入ったし、今日作ったミネストラもズッキーニ味で毎日でも食べられそうな飽きのこない味だ。南イタリア料理ってベジタリアンとかそういう思想はなくとも自然と野菜だけの料理が多くて食べやすい。気に入ったんで購入した。


2020年06月27日(土) 今年の初泳ぎ

やっと気候が夏本番という感じになった。今年の初泳ぎ。お弁当を詰めてマントンへ出る。カフェテラスもマルシェも外出禁止が遠い夢だったかのような活気。早朝の静かで冷たい水の中で泳ぐのが好きだったけど、今年はお腹が冷えるのを気にして、太陽が昇りきる昼間際にビーチへ。それでもやっぱりお腹の子が寒がるといけないと気になって10分くらい泳いでは外へ出て30分くらい休んで、また10分くらい水に入ってと繰り返した。いつもは1、2時間平気で泳ぎ続けてるけど、今はやっぱり体力が続かなくて、10分くらいで息が荒くなってくる。久々にお弁当なんて作った。もう少し色どりとか考えればよかったかな。でもやっぱりビーチで何が食べたいっておにぎりと卵焼き。子供の頃から母が海水浴へ出かける日はたんまり作って持参して、これが定番と自分の心に決まってる。お隣のイタリアでは最近はピッツェリアがビーチに宅配してくれるサービスが流行ってるらしいけど、ビーチで熱々にとろけてるチーズなんてあんまり見たくないな(でもイタリア人には人気らしい)。リュカが家族にお弁当を食べてる写真を送ったところ、

「あなたの体重がどんどん減ってくワケがよく解るわ」

というコメントが返ってきたらしい。

コロコロ変わる山の天気みたいに、調子がいいと思えば、息苦しくなったり、一日のうちでもそんなのを繰り返してるから、外出も少し不安だったけど来てよかったな。海の水に浸かりながらお腹の子と一緒に泳いでるんだって思ったらすごく幸せな気持ちに満たされた。いつかこの子に両親が連れてってくれた千葉の海と、胸を熱く燃やしながら歩いたオーストラリアのインド洋の海を見せたいな。大洋の海は静かな地中海とはまったく違う顔をしてるんだってこと教えたい。


2020年06月22日(月) 誰もが奇跡の子なんだ

突然のように真夏がやってきて、朝から陽がぎらぎらしてる。月に1度の検診へニースへ出る。用事があって早朝からニースにいたリュカと落ち合ってクリニックへ。このクリニックは慎重に調査して選んだ甲斐あって、受付の人も先生も技師もみんな優しくて感じがよくて、何よりシステムがしっかりしてる。前回は診察室には一人しか入れなかったのだが、今回はもう一人だけ付添いの人が入れるとのことで、リュカも一緒に入る。

エコーに映った胎児。前回は"子犬ちゃん"だったのに、もう頭とか脚の形ができてすっかり人間になってた。わたしより大声をあげて興奮するリュカ。夜になると子宮が起きて、苦しくなって、はぁはぁ息を切らせながら毎日をやり過ごしてたわたしは、しみじみ"報われた"みたいな感情で胸がいっぱいで声が出なかった。もう性器も形成されてきて、男の子だと解った。わたしもリュカも特に性別の希望はなかったけど、女の子だったら・・・服を選んだり、髪を結ってあげたりそういう楽しみがあっただろうな。男の子はこの父親みたいに着古してヨレたTシャツとジーパンで育ってくんだろう。

「経済的でよかったわ。女の子だったら服着せるのが楽しくてわたし色んな物買っちゃいそうだもん」

「そうだね。その分ママがお洒落にお金使えるからいいじゃん」

そんな会話をしながら、ふと父のことを思った。女3人がいつもぎゃんぎゃんやってる中でひとり静かに酒を飲みながらたまに息子が欲しかったとか言ってた父。初孫すら女の子だった。やっと男の子の登場に喜んでくれることだろう。そろそろ両親にも妊娠のことを伝えよう。

よく行くレストランで日替わりのランチを食べた。Ombrineという魚。地中海や大西洋側の魚らしい。最近は料理するのも辛い日もよくあって、誰かがこうやってバランスのいい料理を拵えて運んできてくれることが本当に有り難い。胎児の姿を見た日だけは幸せな気持ちになる。でも明日になったらまた体が苦しくて、そんな気持ちは忘れてしまう。でも、息絶え絶えでも握りしめてることがある。それはやっぱりわたしがこの世にこうやって生み出されて、健康に生きてられるのは紛れもない奇跡の積み重ねだっていう感謝の気持ち。妊娠してから、赤ちゃんがちゃんと生まれてくるまでには色んな障害を乗り越えているのだと知った。その過程で息耐えていく命も沢山あるんだ。それは親とか病院の努力とかでは左右できないもの。だからわたしがここにこうやって存在してるのは沢山の幸運な奇跡の積み重なりなんだ。不運が積み重なって、気持ちが辛くなって、自分なんてと躍起になって自らの命を絶ってしまう人もいるけど、そもそも不運を被るのは幸運の積み重なりでこの世に生み出されたからなんだと良いほうの側面を見て欲しいな。


2020年06月17日(水) イスキア島の風




リュカの用事に付き合ってマントン(Menton)へ。年末のストライキ、大雨による崖崩れ、そして外出禁止令とあれこれあって、近いのに本当に久々にやって来た。リュカが用事を済ませている間ひとりでぶらぶらと散歩。朝のマルシェを歩く。お気に入りのフロマージェリー。ちょっとかっこいいイタリア人のお兄さんがよくオマケしてくれる感じのいい人気のお店。ここでほんの小さなチーズを手に入れて、その数歩先の100年以上使い続けてる古いオーブンで昔ながらのパンを焼くブーランジェリーで無骨なパンを数切れ切ってもらって、最後にビーチへ抜ける出口の八百屋で桃や葡萄を買ってビーチで朝食にしたな、と昨年の夏を懐かしく思い出す。妊婦になった今年の夏は、大方の製品が低温殺菌処理されてないフロマージェリーのチーズは食べられない、と素通り。たっぷりの果物と野菜だけ買い込んだ。昨年なら今日みたいに少しだけ汗ばむくらいの時期にはまだ水の冷たい海に飛び込んでた。でも今年はお腹を冷やしちゃいけない、と真夏になるまで海水浴はお預け。お気に入りのブティックで服を見た。細部までよくデザインされた白いレースのワンピースが気に入って鏡の前であててみる。素敵!いいじゃない、と思ったのと同時にこれから胸やお腹がもっと膨れてくるということを思い出す。今年は今しか着られなくても来年なら・・・、いや来年は赤ちゃんを背負って暮らすことになるのに、こんな白のレースのワンピースなんかで澄ました顔で歩いてはいられないでしょ・・・。がっくりと落胆してそのワンピースを置いて店を去った。ひとりで身軽で自由気ままな人生だったはずなのに、気付いたらこんな風になってた。生まれてくる赤ちゃんの顔を見たらきっとこんな気持ちはころりと変わる。でも今は重い体を引きずって失ったものを嘆く気持ちが大きい。

街歩きにも退屈してきた時、以前は夜しか開けてなかったイスキア料理のレストランが開いてるのを発見した。イスキア島はいつか訪れたい場所のひとつでこのレストランもずっと来てみたかった。ランチはここで食べると決めてリュカと合流した。





















ピットレ、イカのフリトゥラ、煮た白身魚にはオリーブオイルとレモン、ムール貝のパスタ、茄子とパルミジャーノ、イタリアの南部の料理は油をたっぷり使ったものが多い。わたしは動物性の脂(チーズやバター)は本当に少量でげんなりしてしまうのだが、オリーブオイルたっぷり料理には強い。そしてデザートやお菓子もめちゃくちゃ甘くて重い。たまにはダイエットなんて言葉は忘れて思いっきりこういうの食べるのもいいじゃない。背後には白いピアノが置かれてて、食事中オーナーが生演奏を奏でてくれる。波の音、シンプルで美味しい料理、美しいピアノ演奏、心地良い風、少し沈んでた心はみるみる元気を取り戻した。聞いてみると家族経営のこの店の人々は一家でイスキア島から来たのだそうだ。フランス語はあまり出来ないと言い、英語で話した。料理については"家庭料理の域を出ない"という感想はリュカと一致したが、とても感じの良い人々で、素敵な昼下がりの時間を過ごすことが出来た。

帰り道、ふと思った。妊娠したのが今じゃなかったら?20代は子供なんて絶対嫌だと思ってた。30歳になった時、ものすごい好きな人がいて、彼と家族を築きたいと思ったのに離れ離れになってしまった。35歳前後、子供を産まないならなんのために人生ずっと鬱陶しい生理と付き合ってきたんだ、と思ったが、相手がいなかった。そのうちそんな考えもすっかり忘れて、30代後半は仕事をして旅行して自由気ままという人生が楽しいように思えてきた。40代に入って結婚。やりたいことはまだまだ沢山あるけど、この年だからこそ自分のやりたかったことと子育て両方やりこなせるような気がしてる。今じゃなかったらいつ?そう考えたら今こそがライトタイミングなのだと思えた。

2020年06月16日(火) スーパースロウなファストフード

ランチのハンバーガー作り。バンの生地を仕込む。発酵させてる間に具を作る。ハンバーグはカノウユミコさんの「菜菜ごはん」に載ってる黒豆ベジバーグ。これ作るたびに誰もが美味しいという大好評のレシピ。わたし自身かなり気に入っててかれこれ20年くらい作り続けてる。リュカも大好きなのでたびたび作る。茹でて潰した黒豆、玉ねぎ、生姜、マッシュルーム、胡桃、味噌、コリアンダーパウダーなんかが入ってる。これにパン粉と小麦粉を混ぜて丸めて焼く。ソースはトマトケチャップ、ウスターソース、タバスコを混ぜる。カットしたじゃがいもは水に晒してからよく拭いて、冷たい油とフライパンに入れて中弱火でじっくり火を通していく(揚げれば早いが、何せ大量の油を使って揚げ物を作る勇気はないのだ)。途中で何度かフライ返しでポジションを変えて・・・30分くらいかかるが、外はクリスピーに中は柔らかくいい具合に仕上がる。焼きたてのバンにレタスと黒豆ベジバーグとざっくり切って炒めたオニオンとソースを挟んでフライドポテトを添えて完成。思えば、パン粉、味噌、トマトケチャップ、ウスターソース、タバスコ全て手作りしたもの。化学調味料も保存料も名前を見てもそれがイマイチ何なのか理解できないものは一切入ってないし、砂糖を多用して味を誤魔化したものもない。外でハンバーガーを食べたがらないリュカもこの全て自家製のスーパースロウなファストフードだけは喜んで食べてくれる(皿は20歳の時に搭乗したノースウェスト航空でもらったフリスビー。夕飯のハンバーガーがこれに乗って出てきた)。

どんな田舎でもアメリカの使い捨て食器でゴミを大量に出すファストフード店があるような国で育ったわたしには、ここへ来てこういう店のことを殆ど知らないという人が多いことが新鮮だった。

「うーん、マクドナルドは何回か行ったことあるかな。KFCは一度だけ。スタバは一度もない」

とリュカ。

「スタバ行ったことあるよ、一度だけ。ミーハーな女友達に誘われてさぁ。マクドナルドは3日連続で行ったけど、3日目に人を中毒にするような何かの味が入ってるように感じて怖くなってやめたの」

とはドミニク。

「ほら、わたしアメリカとか嫌いだから」

とはクリスティーヌ。ペルーからの移民のドミニクの彼女は2度目のデートにKFCへ行きたいと言い、待ち合わせ場所におめかしして現れた。ドミニクは不思議に思ったが、後で知ったところによればペルーの彼女の育った貧しい町ではKFCは高級なレストランという位置付けで、特別な日におめかしして出かけるようなところだったのだということ。へ〜、面白い。リュカは英語学習のCDの中でアメリカ人が話してた"ダンキンドーナッツ"が一度食べてみたいんだそうだ。ここの人達がアメリカのファストフードチェーンの店について語るとき、その口ぶりが"そらなんだぁ?おら、そんなの知らねぇべぇ"みたいなど田舎ものみたいに聞こえて、愛らしいのと可笑しいのでついつい笑いがこみ上げてきてしまう。


午後、母と話す。昨年両親はひょんなことから隣人の土地を購入した。というのも、老齢だった隣人夫妻が亡くなり、遠方に住んでる親戚が相続したのだったが、何せ彼らには何の興味もない田舎の土地。草も伸びるし手入れするのも面倒で手放したくて仕方がなかった。母は隣家の庭の草がぼうぼうで誰も手入れに来ないしと仕方なくざっくり草刈りをしたりしてたのだが、それを見た相続人がこんなことを言い出した。

「この土地要りませんか?要るならタダであげます」

「タダって・・・。知らない人に無料で土地もらうなんて怖いわ。それにわたしは自分の土地があるから要らないわ。市役所に行って査定してもらって売りにだしてみたら?」

そう母が提案すると相続人はすぐに市役所に行き価格を聞いてきた。しかし、売りに出したりするのも面倒くさい相続人。母にその半額以下の価格で買わないかと持ちかけてきた。その額、わたしだって現金で買えるちょっと高級な自転車みたいな額。まぁ、いいか、と母は購入することにした。こうして、実家の土地は倍になった。大して興味もないまま購入した土地はしばらく放置されたままだったのだが、最近になって父も母も一緒になってそこに野菜を植えたり、果物の木を植えて、失敗と成功に一喜一憂してるみたいだ。あぁだこうだ夫婦で口論しながらも賑やかにやってる光景が浮かんできた。両親とも70歳。同年代くらいの近所の人が病気になったとかあちこちが痛いとか言うのを聞くたびに両親のことを思う。元気でやっててくれることが何よりの便りだ。


2020年06月11日(木) Risi e bisi

昨夜ベッドの中で眺めてたイタリア料理の本にぎょっとする。ヴェニスで4月25日のサンマルコの日によく食される春を愛でる一皿"Risi e bisi(リージ・エ・ビージ=rice and peas=米と豆)"というグリーンピースのリゾット。日本でもグリーンピースご飯はよく食べられるし、ここまでは普通。しかし、この地方ではグリーンピースの鞘もペーストにして使用されるのだという。鞘?あの繊維ばりばりの???にわかに信じがたいが、イタリア人は不味いものは食べない人々だ。何かトリックがあるに違いない。よし、明日はマルシェの日、鞘付きグリーンピースを買ってやってみようではないか。そう決めて眠りについた。

朝、マルシェでイタリア人からごっそり鞘付きグリーンピースを買い込んできた。そしてネットでリサーチ。外をうろうろしてたドミニクにも聞いてみる。

「あぁ、子供の頃食べたな。苦くはなかったと思うな。まぁ、苦ければパルミジャーノ入れれば大丈夫だよ」

彼はよく"苦ければパルミジャーノ"と言う。イタリア料理ではパルミジャーノは苦味を消したりする魔法のスパイスのような存在なのか。子供が食べない料理もパルミジャーノを混ぜて解決したりするそうだ。


鞘は30分〜1時間程度煮てからムーランで濾して繊維を取り除くと書かれてる。中の豆と鞘をばらして鍋に入れて、ひたひたの水と塩をひとつまみ入れて蓋をして弱火で煮る。30分後蓋を開けると豆のいい香りが漂う。鞘をひとつ口に入れてみた。なるほど、繊維は口に残るけど、それ以外の箇所はとろっととろけて豆と同じような味で決して苦味があるわけじゃない。豆は取り出しておいて、鞘と煮汁をミキサーにかけて繊維を濾す。うぐいす色のスープみたいのが出来上がった。うん、美味い、使える。リゾットに注ぐスープ代わりにこれを使う。オリーブオイルで(バターでもいいかも)玉ねぎを炒めて、米を加えて更によく炒める(最近知ったのだが、米によってはここでよく炒めてヌカ臭さを取るのはかなり重要)。ワインを注いでじゅわっとアルコールを飛ばしたらスープを少しずつ足して煮ていく。このスープには少しだけ野菜ブイヨンと塩を足した。完成寸前にとっておいた固形の豆とペコリーノチーズを足して塩味を整えて完成。胡椒を挽いていただく。

「美味い!!!」

豆好きのリュカはかなり気に入った様子。いつもごっそりでるコンポスト行きの鞘はコンパクトに繊維だけとなってあとは余すことなく人間のお腹に収まった。

イタリア料理まだまだ未知の世界。こんなどケチ料理みたいのもあったと思えば、鯖を水で煮て脂を流しちゃって、その身だけを取り出してオリーブオイルとレモンで食べてたりする。魚って脂がいいんじゃないの?そんなモッタイナイ食べ方は日本人的にはめちゃくちゃ抵抗ある。


2020年06月10日(水) 代替えばかりの人生

体調が回復してきたら、急にやる気が漲ってきた。手抜きしてすっかりくすんでた自分の肌や髪の手入れから、埃が溜まってた家の隅まで、一揆に磨きをかける。ウォーキングしても足取りは軽く、"妊婦もできるバレトン"とやらをはじめて、久々に脚の筋肉痛を味わう。そしていつの間にか心もすっかり変わってきたことに気付く。30代前半、映画館で"ベンジャミン・バトン"を観た。映画の中でケイト・ブランシェット演じるデイジーが43歳という設定で如何にも自然な雰囲気で"妊娠したわ"とベンジャミンに告げるシーンがあって、ぎょっとした。妊娠とかについて何の知識もなかったから、そんな年でも出来るんだっ!とただ驚いたのだった。映画の後一緒に観に行った人と夕飯をとりながら、そのことについて結構強烈な高齢出産なんじゃないか、とかそんなことを話したのを覚えてる。自分の妊娠を知った時、ふっと頭に浮かんだのは"自分がベンジャミン・バトンになっちゃったよ"ってことだった。でもこの年だと流産の可能性もかなり高いみたいだし、と半信半疑のままつわりに取り憑かれて、ただ不調な体を引きずって暮らしてた。それが、体調の回復と同時にすっかりお腹の子犬ちゃんに愛着が沸いてて、"失いたくないもの"に変わってることに気付いた。それで決めた。半信半疑はやめて、ちゃんと産まれてくるって前提で準備を進めよう。またいつ具合が悪くなってあれこれ出来なくなってしまうかわからないから、体調が良くて出来る時にやろう。100均なんかで買ってきたものでお金をかけずに工夫して、子供服やおもちゃを手作りしてるお母さんのBLOGを見てすっかり感化されて、わたしもこうやって創意工夫でお金をかけずとも愛情だけはしっかり感じられるような物を子供に与えていきたいと思った。大したお金もかけないつもりなんだ。もし失ってしまうようなことがあれば、それまで準備したものはわたしより1ヶ月先に出産予定のリュカの友達にあげればいいじゃないか。人生は良くも悪くも自分の思った通りには進まない。でも、大切なのは"うまくいく"って信じること。そう信じてる人は、思った通りに進まなくても、流されてしまった場所で違う形の幸福が待ってるものだ。人生はいつでもどこでも代替がきく。こうでなければ幸せでないとか、こうなったら不幸だなんて決めずに、これでもあれでもまぁいっかとやっていきたい。まだこの国に精神が融合できず悪戦苦闘してるわたしの産む子供はフランス人になっちゃうことが不安だった。でもそれもわたしは子供と一緒にこの国の精神を学んで一緒に理解していけばいいか、と思えるようになった。

今日は余り布でベビースタイを作ってみた。ミシンはないんで手縫いでざっくりだけど、なにせ小さいから結構簡単にできた。折り紙ぞうさんは未完成のモビールのパーツ。小さなものをちまちま作ってる時って"女の子"気分で幸せだ。


2020年06月06日(土) 妊娠初期の記録

朝のカフェを啜りながらこれを書いてる。カフェが美味しいなんて感じたのは久々のこと。波があるもののつわりも大分落ち着いてきたところで、辛かったけど興味深い体の変化のことを記録しておこう。

〜 食べ物、味覚

●4歳から40年間ほぼ一日も欠かさず愛飲し続けたカフェが突然吐き気を催すものになる。その他のお茶の類もいまいち

●これも4歳くらいからこよなく愛した焼き立てのパンの香りが吐き気を催すものになる。パンは食べられるけど、焼き立ての香りがダメだった

●米もパンも白いものより雑穀が入ったものが断然好きだったのに、この雑穀の匂いが苦手になる

●果物が一番美味しいもの

●食べるならとにかく和食、韓国料理、中華みたいな醤油系の味とお米がいい

●口の中に常に何かがへばりついて麻痺してるような感覚で、かなり味覚音痴

●砂糖の入った甘いものは食べられなくはないけど、食べたいものでもなくなった


〜 体調

●つわりは英語で"Morning Sickness"というくらいだから、朝がきついのかと思ってたが、わたしは午後からがよりきつかった。常に乗物酔いの症状

●便秘がちになると言われるが、それは一度もなかった

●とにかく免疫力が弱ってるの感じる。ちょっと油っぽいものとかお腹に強いものを食べるとすぐに胃が痛くなる

●食欲はないが、空腹だとより気持ちが悪くて、何かを食べてる時だけが気持ち悪さを感じずにすむときだった

●とにかく眠い。夜もしっかり寝てるが昼食後もすぐに眠気に襲われて眠ってしまう

●起きてる時は大丈夫だが、就寝中何度もトイレに起きるようになる(大抵4回くらい)。でもこれは特に睡眠の妨げにならず、トイレに起きてまたすぐ眠れるので大した問題ではなかった

●寒がりになる。上半身薄着、下半身厚着を心がけてきたが、6月になっても半袖でらいられない。以前は絶対やらなかったベッドの中で靴下履くのもやるようになった

●体重は変わらないのに、胸とお腹がぷっくり大きくなった


〜 暮らし

●猫のトイレ掃除はリュカの担当になる

●相変わらずクロちゃんとべったり寄り添って暮らしてるけど、食事前に手を洗ってから、食べ終わるまではクロちゃんには触れない決まりにした

●一日40分のウォーキングは継続

●ボディシェイプを保つためにしてた筋肉を使うエクササイズは辞めて、代わりに軽いヨガや瞑想をするようになった


こんなところか。以前の暮らしを100%とすると、一日の中でこなせるのは70%くらいと大分動作緩慢になってしまった。仕事をしてる人なんかはマタニティ休暇に入るのはお腹が大分大きくなってからだろうから、つわりを抱えながら仕事へ向かう人はさぞかし大変だろうと想像する。つわりが酷くて寝たきりみたいになってしまう人や一日吐いてる人もいると聞くから、そういう面では70%の能力でも普段どおりに食事や運動を出来てたわたしのつわりはかなり軽いほうだったのではないかと思う。


2020年06月05日(金) 餃子作り瞑想

昨夜色々あった。まずは良いニュース。リュカがこの町で一番仲良くしてる男の子から、彼女が妊娠してるという報告があった。うわぁ、やっぱりコロナベイビーブームが本当に来てるのか。予定日を聞いたら、わたしより1ヶ月前。子供は同じ学年になる。彼女は別の相手との間に一人男の子がいるから二度目。それに何よりわたしよりずっと若い。わたしの妊娠はリスクも多そうだから、わたし達のことはまだ言わないでおいた。

そして悪いニュース。大雨で家の外壁が突然崩壊して、その石がうちのカーヴの屋根をヒットしてカーヴ崩壊。中は瓦礫の山で、ドアも開かない。どうしちゃうんだろう。ビルのオーナーとか保険屋とかあれこれ出てきて簡単にはいかない。それにしても、イタリアの橋みたいに古いまま放置して死人をだされたりしてはかなわないけど、一方でヨーロッパの町の素材が古いまま崩壊するまで使用されていくことには、まだまだ使えるものもすぐに捨てて最新のものと替える日本の町を思ったら、感心する。

血液検査の結果、トキソプラズマには感染したことがないと判明。生まれた時から沢山の動物と触れ合い、土まみれで農園で野菜作ったりして暮らしてきたから、これは意外な結果。妊娠中に初めて感染すると赤ちゃんにとって危険なようだから、これは気をつけなくては。そして風疹の抗体価が妙に高い。今更そんなことわからないだろうと思いながらも、母に子供のころ予防接種を打ったのかと聞いてみたら、"調べればわかるから待って"と返事がきた。そんな履歴とってあるんだ。そう思ったら、わたしはこんないい年になっても母はずっと母なんだとなんだか泣けてきた。大体こんないい年してても体の調子が悪い時に側にいて欲しいのはやっぱり母なんだ。ここ最近は母が恋しくて仕方がなくて、声を聞いただけでも泣きそうになる。弱ってるな。

何事もなかったように見事に体調のすぐれた午後、沢山作って冷凍しとこうと大量の餃子を作った。テラスで波の音の入った音楽をかけて、ただ無心で3時間くらいやってたか。就寝前にも瞑想して呼吸を整えているけど、こういう単純作業も瞑想と同じような効能あり。




そして、花椒をたっぷり効かせた餃子のタレも。花椒ってクセになる味。塩分控えるために醤油は少なめ、酢多めにしといた。味噌と白ごまペーストを豆乳で溶いたタレもよくやるが、今日は力尽きてタレは一種類。



そしてやっと口に入る水餃子。具はキャベツ、人参、マッシュルーム、生姜だけでそのまま食べるとかなりあっさり。タレが味の要。しかし餃子って煮ても焼いても、具何入れても美味しい。まだ沢山あるから、当分楽しめそうだ。



2020年06月03日(水) アタシは大丈夫よ!?

リュカの患者さんが愚痴ってたことが、まさにここ数ヶ月わたしがぶつぶつ言ってきたのと同じことだった。

「パティスリーに行ったらさぁ、カウンターはガラス張りにされてて、小さな窓からマスクしてない売り子がボンジュール、ムッシューとか喋ってさっ、手元のパンに唾飛んでるんだよ。何なの、あの客は感染者かもしれないけど、自分は絶対感染してないみたいな姿勢は。潜伏期間があるのに無知過ぎるよ」

この田舎にはそんな人がわんさかいる。

「アタシは大丈夫よ」

とみんな言うのである。

「パティスリーはね、苦情が出たのかここ数日売り子もみんなマスクするようになったよ」

「そうか、それはよかった」

「でもね、BIOの店はいまだにマスクしてないオーナーが籠持って出てきて"野菜には触らないでね、欲しいの言ってくれたらアタシが取ってあげるから"とか喋って、彼女の唾かかった野菜客に渡すの」

「最悪だぁ。先日マルシェでマスクしてないマダムが3人べらべら近距離で駄弁ってて、ちょっと冗談っぽく"近すぎないかね?"と言ってみたら"アタシは大丈夫よ"って言われてさぁ。僕のような年取った男が何言っても誰も聞いてくれなそうだから、もうあんまり言わないけど」

「え!!あなたのようなフランス人の年取った男にこそ頑張って欲しいわ。わたしなんて一発で外国人ってわかるこのめちゃくちゃなフランス語のアクセントで、"アジアの小娘"みたいな見た目で思っても言いにくいことばかりで」

以前図書館で勉強してた時、毎日大きな音を出してYOUTUBEを見てるムッシューがいた。うるさくてストレスに感じて"もう少し音下げてもらえますか?"と言いたかったけど、フランスの公共の図書館でフランス人の初老のムッシューが、"アジアの小娘"にそう言われたら気分を悪くするに違いないとずっと黙ってた。でもそれがずっと続いたある日、ついに言ってしまったのだった。その時は大人しく音をさげてくれたけど、帰り際クリスティーヌにこう言ったんだそうだ。

「この図書館ではイヤホンとかの貸し出しとかないの?退屈な人間が僕がうるさいとか文句つけるからさっ」

(しかし、"そういうサービスはないけど、図書館では静かにしてね"とクリスティーヌにも釘をさされておずおず去ってったらしい)

外出禁止令が解けて、この町のティーネイジャーなんて広場でマスクせず10人くらいでべたべたつるんでるのをよく見かけてぞっとする。10代に命の重さを解れといっても難しい。彼らの親の世代だって"アタシは大丈夫よ"なんて言ってる人ばかりなのだから、もうしょうがない。

リュカの病院でひとり感染者がでて職員と患者全員総勢400人ほど検査を受けたのだが、その結果全員陰性だったそうだ。ひとまずほっとした。


2020年06月02日(火) それでも季節はめぐる

早朝、血液検査のため病院まで歩く。今日は飲食店がついに再開する日。川沿いのお店は一斉にテラスにテーブルを並べて、見事に開店してる。人々も一斉に外にでてテラスに席をとり、カフェを楽しんでる。あぁ、この夏の風景。川に沿ったプラタナスの街路樹の下に並べられたテラス席は半日陰で、初夏の午後カフェやらジェラートを手にまったりするのもよし、真夏の夜、そよそよ漂う川風を受けながらピッツァを食べるのもよしの特等席。この二ヶ月半、ぱったりと閉ざされて沈黙し続けてた川沿いの風景はあまりにも不吉な雰囲気で、もう二度と愉快な夏もやってこないような気になった。外出禁止中も心乱すことなく淡々とヨガや瞑想をして過ごしてた。この状況が辛いとかそんな風に感じたことはなかったのに、わたしは自分でも気付かないような体のどこかで本当はどこか我慢してたのか。この風景がまたちゃんと戻ってきてくれたんだ、と急に胸に何か熱い感情がこみ上げてきて泣きそうになった。

採血してくれたナースのムッシューはすごく優しくて、沢山の血液を抜く間、何度も"Ça va?"と聞いてくれる。健康保険証も医者からもらった処方箋も全てそれぞれわたしの名前の綴りが間違ってたり、名字がリュカの名字にされてたり(うちは夫婦別姓でわたしの名前は生まれた時のままが正式なのだが)とあれこれめちゃくちゃで、こういう時いつも何か不都合が起きないのかと不安に駆られるのだが(いや、大抵不都合が起きる)、このムッシューはどれが正しいのかと聞いてくれて、書類上ちゃんと正してくれてた。あれこれ質問を受けていると、他のナースがその周りで朝のカフェを淹れはじめた。わたしにもオファーしてくれたのだが、もうつわりが始まってからずっとカフェの匂いで吐きそうになったので遠慮した(カフェと焼き立てのパンの香りというそれまで自分がこの上なく愛してたこのふたつがなによりも一番吐き気を誘うものとなったのは摩訶不思議。自分が自分じゃなくなっちゃったみたいだ!!)。ところが彼が自分のカフェを淹れて、そこから漂った香りが久々に"良い香り"と感じられた。先週あたりからつわりも大分軽くなって気持ち悪さも少しやわらいだせいか。

帰宅して久々にカフェを淹れて焼き立てのパンを食べた。まだ最高に美味しいなんて思えないけど、大丈夫だ、食べられる。

昨夜、散歩の途中、今年初の蛍を見た。いつものキツネも痩せ細ってはいるけど、まだ生きてて、食料を探し歩いてた。今日はこれからリュカと待ち合わせてレストランでランチの予定。料理はパッションといえども毎日準備と後片付けが常につきまとう主婦としては、ただ座って誰かがサーブしてくれるのを待つ食事の時間は贅沢な休暇だ。

いつも、大量の薬を投与されて生き延びてるリュカが働く病院の患者達の悲痛な叫びを見てた。本人達は"もう薬なんか要らない。死にたい"というが社会と家族がそれを許さない。そしてここ数日、予防接種のこととか考えてて思った。人は死なないために生きるんじゃないってこと。生きてる時間の一瞬一瞬、自分の心地よいと思うことを選び取って、精一杯幸せを噛み締めて生きることなんだ。わたしはこの先一歩たりとも自分が不快と感じることはしたくない。両親にも家族にもそうあって欲しい。婦人科医も全く問題ないと言ってたし、今年の夏も沢山海水浴へ出かけよう。リュカと沢山美味しいものを食べて、お腹の中の"子犬ちゃん"が冬にちゃんと顔を見せてくれたら、世の中の美しいものを沢山見せてあげよう。


Michelina |MAIL