My life as a cat DiaryINDEX|past|will
レストランで席につく。リュカの背後で若い男女が向かいあって、黙々と食べている。中国人の女の子とフランス人の男の子。男の子は手持ち無沙汰で落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見回している。彼が後ろを振り返って、わたし達のほうを見たりするものだから、こちらも気になって見てしまう。ワインボトルが一本空になる頃、やっとこの男女の雰囲気が少しだけ和んだが、その後これ以上近づくことなど想像つかない雰囲気で会計を済ませて去っていった。数分後、その空席に今度は若いイギリス人カップルが座る。こちらはもう恋愛末期のような雰囲気。女の子はしきりにキョロキョロしたかと思うと、今度はスマートフォンをいじりだす。男の子はただスマートフォンをいじる女の子を見つめている。先日も別のレストランで隣に座っていた中年夫婦が一切会話をせず、ひたすらわたし達の会話を聞いていたっけ。高校生くらいの男女の大きなパーティーの隣の席に案内された時はうわぁ、うるさそう、と悪い予感に見舞われたのも束の間、彼らは全員スマートフォンに齧りついていて、ろくに会話も交わさずおとなしかった。いろんな人々がいるものだ。我が夫はよく喋るので、こんな索漠とした空気の中で食事せずにすんでいる。
いつもの食事用に焼いているライ麦と全粒粉の入ったカンパーニュはリュカの大好物で、そこらへんのブーランジェリーのより美味いと言う。賛成。だってわたしの焼いたものは自然風味が豊かで小麦の香りがすごく強くでてるのだ。日本で日本人が書いた本を見ながら学んだ天然酵母のパン作り。そしてその本のレシピ通りに焼いたパンが本場のより美味いとはなぜか。本屋でフランスの名の知れたブーランジャーに書かれたレシピを眺めていて、なんとなくその理由が想像できた。というのも天然のルヴァン種に極少量のインスタントのドライイーストを混ぜて短時間で発酵させるものが多いのだ。わたしが家で作るものは、相当暑い日以外は室温で自然に発酵させている。大抵の日は涼しいから低温長時間発酵なことが多い。夜寝る時間に発酵が終わっていなければ冷蔵庫にしまっておいて翌日焼くとか、そんな感じでいつ焼き上がるのか時間が読めない。たまにちょうど食事の時間に焼き上がって温かいのを食べられたらラッキー。変な時間に焼き上がれば冷ましてカットしてすぐに冷凍してしまう。それが商売にすると決まった温度で決まった時間内に発酵させなければならないから、どうしても自然発酵のものより風味がないものになってしまうではないか。あとは小麦粉か。わたしは全てBIOのものだが、普通のブーランジェリーではBIOのではないという違いもある。どんな田舎でも日本標準からしたらずっと美味しいパンが売られているこの国だが、個人の家庭で焼かれているものといったら、日本の家庭でもこちらのパンに劣らない風味の良いパンがあるに違いない。ともあれ、本場標準の作り方も学んでみたい。
久々にイタリアへ買い物にでたら、市場にはヨーロッパの菜の花と言われるチーマ・ディ・ラーパ(Cima Di Rapa)がわんさか並んでいた。千葉の南房総では年が明けて、七草粥も食べ終わる頃、菜の花が出回り始める。ふと郷愁の念に胸を掴まれた。寒さの厳しい冬の日に見る確実な春の訪れは、ほっと心を温める。チーマ・ディ・ラーパ、金柑、里芋など和食イメージの食材をたっぷり買って帰る。
「マリヤンヌの生涯」4巻読破。18世紀に書かれた古典で、出だしはちょっと読みにくいなと感じたものの、これが面白いのなんのって、夢中で読んでたらすっかりその文体にも慣れて、そのうち自分の口調までマリヤンヌ風になって"奥様、ようございまして!"なんて口走ってしまいそうだった。めくるめくメロドラマ風の展開なのだが、その中における鋭い人間の心理の洞察が核心を突いていて(物語の展開よりもこれが主題の作品なのだろう)全く古めかしくないのに唸ってしまった。最後の10ページくらいで、一体どうやって完結するんだと不安になりながらも夢中で読破して悲鳴をあげる。
キャンベラにいるexと話す。去年9月に起きたブッシュファイアはまだ燃え広がっていて、彼のいる場所も空気の汚染レベルは相当酷くて車にカヴァーをかけないと真っ赤な錆のような埃に取り巻かれるとかそんな話を聞く。キャンベラから一度だけ海へ出かけた。Batemans bayというところ。観光地なんかじゃないけど、美しかった。誰もいないビーチで泳いで、目についたイタリアンレストランに入って食べたパスタはとびっきり美味しかった。ブッシュの中をドライブすること2時間。途中で死んでいるウォンバットを見かけて、野生のは初めて見たので写真を撮ったりした。そのブッシュも焼けていて閉鎖されているのだそうだ。写真を撮りたくてカンガルーを追いかけたブッシュ、町を見下ろそうと登った大きな木、あれこれフラッシュバックして、かつてあれほど愛したものが死んでいくということが悲痛だった。ブッシュで死んだ沢山の野生動物(焼け死ななくたってその後食料の不足したブッシュでどうやって生きていくのか・・・)、ラクダの射殺、動物たちはいつだって人間優位の社会の犠牲になる。オーストラリアに住んでいた時、この国は100年後はもう人が住んではいないのではないか、と感じた。雨が降らなくて水がないのに、移住する人は年々増えて、経済発展も目覚ましい。こんな乾きの激しい大地で人々がこのまま潤った生活を続けていけるとは想像ができなかった。科学的根拠はなかったが、やはりその予感は正しかったのか、と思わずにいられない。この国だけではなく地球全体の生活は年々潤ってきているように見えて本当は死滅に向かっている。人間の住むところで感じずに済むだけの話なんだ。
頂き物のフルーツコンフィがあったので、プロヴァンスのガレット・デ・ロワ(Galette des Rois Provençale)を焼いてみた。これが大成功。焼き立てのほんのり温かくてふわふわ(バターがけっこうたっぷり入っているので、冷めると重めの食感になる)なのを隣人も加わってみんなで頬張る。
ニースの冬のソルド(SOLDES)へ。フランスでは国が法律で定めている年に2回のソルドの期間がある。人々はソルドでなければ食べ物以外にはなかなかお金を使わないので、ソルドはお得というよりも、こちらが適正な価格設定のような気がする。日本では気にも止めなかったバーゲンというやつだが、ここではこの機会にタオルや下着など自分の中では"消耗品"と位置づけているものを買っておくことにしている。日本人の真面目さで初日の開店時間に買い物を始める。フランス人は午後からゆっくり湧き出すので午前中に済ませる。まずは下着。色は白(なければせいぜい淡いピンク)であまりデザインのないものと決めている。ちぐはぐとか不揃いが自分の中のここ数年の流行で、ブラとショーツはあえてセットで買わないが、色が揃ってるんでどれとどれを合わせてもいい感じなのだ。フランスに来て黒が少し苦手になった。みんな汚れが目立たない黒が好きだが、なにせ食べ物をこぼしたりするがさつな人も多くて、衛生的疑惑が強くなったせいだ。白い衣類はどうあがいても水質のせいで洗濯するごとに多少黒ずんでいくんで、半年ごとのソルドで買い換えるというサイクルがちょうどいい。下着を10点、あとはフェイスタオルを3点。少し洋服も眺めたが、気に入ったものがなかったのでこれでおしまい。よくいくユダヤ人のファストフードのお店でランチをとって、午後に湧き出した人混みを尻目に家路に就いた。東京ほど人が多いと頭痛がしてしまうが、ニースくらいの混み合い具合ならお祭りのようで楽しい。スリにも合わず無事帰宅できてよかった。
Michelina
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