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2020年02月29日(土) |
世界の中心で、愛をわらう |
"ただの風邪"とかいうけど、短い人生を痛みや不調に費やすのは嫌だ。昨年何度か原因不明の熱にうなされた。ベッドに横になって過ごすことはなかったが、動きは鈍くスローで、何を食べても味を感知できない。映画を見ても、本を読んでも理解するのがやっとで、感じ入ることはない。合計すると3週間くらいこんな調子で過ごして、時間をどこかに落としてきたような気になった。コロナウイルスじゃなくても、こちらの人は自分が不調でもマスクをせず病原菌を撒き散らす人が多いので警戒してる。実際リュカの働いてる病院なんかでは胃腸炎やフルはすぐに流行する。だけどマスクを着用してると子供は怪物を見るような視線をまっすぐ向け、指を指したりするし、路地裏の悪ガキには"ヘイ!コロナ!"と絡まれたり、いい年したおっさんすら、"マスク俺の分もない?"と面白くもない冗談を投げられたりする。はいはい、好きなだけ笑ってください。そうやってコロナにでも感染したら今度はこっちが笑う番だ、とでも言ってやりたくもなるが。たまに無教養で世間知らずでフランスが世界の中心と信じて疑わない田舎者気質にうんざりする。
ニースのヴェトナム料理屋でランチをとる。マスクは着用せずとも人々は警戒してアジア系のレストランは閑古鳥が鳴いてるらしい。隣に座っていたヴェトナム帰りのフランス人のカップルが、現地ではみんなマスクしてた、などと話していた。毎日だと病気になりそうな招き猫やドラゴンのチープな雰囲気の中国インテリアに今日ばかりは愛着を感じた。
夜にドラマで見たものが翌日に食卓に乗るというんで、毎夜リュカはテレビの前で何がでてくるのかとわくわく待っている。自分ではなかなか選ばない食べ物ばかりなので、わたしもけっこう楽しんでる。ポテトサラダ(四話)は何度か作ったことがあるが、これは世界中どこでもロシアのサラダとか呼ばれて食べられてるから、とっつきやすいようだ。人参と紫玉ねぎ、胡瓜は季節外れなんでやめておいて、代わりにケッパーを入れてみたが、これは結構良かった。リュカは芋が大好きなので、こういうものはボウルいっぱい作ってもすごい勢いでなくなる。五話のバターライスというのは初めて食べた。フランスにはブルターニュ産の塩バターというものが売られている。粗塩が練り込まれてて、口の中でバターと塩が溶けて混ざるのがなんとも美味しいのだが、これを温かいごはんに乗っけて、「チョットダケ、チョットダケ」と呟きながら醤油をかけただけのごはんは、その冴えない見た目と裏腹になかなか良い。そして六話はカツ丼。
「あっ、日本で食べたことあるよ!」
とリュカ。そうか、ホンモノを食べたのね。でもさすがに豚肉買ってきて作るのはわたしには難しい。ヴェジタリアンの人は車麩なんかでそれっぽいものを作ってるけど、そんなの手に入らないし・・・。でもリュカはもう心がカツ丼に支配されてるようなんで、生麩を手作りすることにした。強力粉1kg、塩大さじ1、水3カップを混ぜて捏ねる。よくよく捏ねて、一晩冷蔵庫で寝かせる。これをたっぷりのボウルにはった水の中でもみ洗いして、水を何度か変えてデンプンを洗い流す。水が透き通ってきたら、これを15分ほど強火で蒸す。これで生麩の出来上がり。見た目も食感もなかなか豚肉っぽいではないか。パン粉も市販のものは日本のよりずっと細引きなので自家製のパンを乾燥させて挽いた。こうして出来上がったカツ丼。作った甲斐あり。リュカはとても喜んでくれた。
午後、もみ洗いした水の底に沈殿した粉を日向に置いておいた。これで浮粉ができるらしい。
近所に住むゲイカップルと八百屋で立ち話。この八百屋は若いお兄さんが営んでいて、珍しい野菜があると何でも仕入れてくるんで面白い。このカップルは日本が大好きなヴェーガンで、牛蒡、長芋、柚子なんかの調理の仕方を聞いてくる。牛蒡は人参と細切りにして、重量を測って、その8%の重量のカソナードと油と鷹の爪を入れて強火でちゃちゃっと炒めて、8%の重量の醤油を入れて絡めて、白胡麻とごま油をふる(わたしは七味もかける)。長芋は適当な大きさに切って、醤油と生姜を絡めて、片栗粉をふってフリットのように調理する・・・というようなことを説明する。
「美味しそう!!買ってみるわっ(と野菜をバスケットに入れる)。そういえば、日本のTVシリーズで"Midnight diner"っていうの見てるのよっ。日本の食べものがあれこれでてきて、そこに人間ドラマを絡めててすごく面白いの」
あっ、なんか聞いたことある。「深夜食堂」ってやつだな。その夜早速見てみる。うわぁ、新宿の路地裏風景!こんな小さな店の中で客もオーナーも煙草ぷかぷか吸っちゃうんだ!!!大らかな山に囲まれて健全そのものみたいに暮らしてると、こんななんでもかんでも詰め込んじゃえみたいな場所は遠い遠い国の話みたい。この昭和臭むんむんの食堂では、日本人なら食べたことない人いないでしょ、みたいなものが沢山登場する。一話でのっけからゲイバーのママの登場。
「さすがゲイおすすめのドラマ」
ママがタコのウインナーをおすそ分けしてくれるヤクザに恋してしまうという展開。半分ジョークで半分本気みたいな滑稽さがツボにはまる。
翌日、頂きもので冷蔵庫で持て余していた生ハムのようなものを見てひらめく。これでリュカに豚汁っぽいものを作ろう。そういえば、お好み焼き、天ぷら、寿司みたいな外国人の思う日本食みたいなのばかりで、日本の家庭の中に染みついたような料理はあまり作ってあげたことがなかった。ランチは豚汁、甘い卵焼き、おにぎり。リュカはとても喜んでくれた。その夜二話を観る。翌日はやはり猫まんまにする。クロちゃんも鼻を鳴らして鰹節を鼻息で飛ばしながら夢中で食べていた。そしてその翌日は梅茶漬け・・・。こうなったら、このドラマの翌日はその食べ物を作ると決めよう。簡単なものしか出てこないし、何よりリュカが喜ぶ。せっかく日本人と結婚したんだもの、この機会に日本食レストランにはない家庭料理をたっぷり味わってもらおうではないか。
2020年02月16日(日) |
かけがえのない日常風景 |
「この間撮った写真くれない?」
「このフォルダに写真全部入ってるから自分で選んでコピーして」
と開いたリュカのフォルダ。そこにはわたしの知らない写真がいっぱいあった。一緒にいたのに、目にも留めなかったものや、自分が作ったのにすっかり忘れていたもの、リュカの目線で撮影したわたし。庭の手入れをしているわたしの後ろ姿、雪の日にバルコニーに作った猫雪だるま、リュカの誕生日に作った大きなショコラのケーキ、焼いたクッキーを入れた手作りのラッピング用紙、東京駅で買って新幹線の中で食べたお弁当・・・。
あぁ、このお弁当はリュカが長距離のバスに乗る時に余り物の中華饅頭とシシリアのパスタ・ミスタを詰めて中にメッセージを添えて持たせたんだっけ。
リュカがわたしと一緒に作った思い出を大事にしまってあるのが伝わってきて、目頭が熱くなった。
「あなたは相当わたしのことを愛してるね」
とからかうように言ってみる。
「当たり前だよー。君のいない人生なんて想像できない」
今日は近所にできた新しいお店のオープニングパーティーをちょこっと見にいった。手土産に薔薇をくれたりするのがフランスっぽいな。ちょこっとアペロをして帰宅して、テラスでランチにする。昨夜じっくり煮た香味野菜たっぷりのトマトソースのパスタ。
「すっごいお腹すいてた」
とリュカ。
「さっきのパーティーで何かつまんでくればよかったのに」
「だって君が焼いたパンが食べたかったから我慢してお腹空かせてたの」
嬉しいことを言ってくれる。じゃぁ、好きなだけどうぞ、と山盛りにしておく。
何はなくとも何でもある静かで暖かい週末。この先も写真に残しておきたくなるような日常風景をリュカと一緒に作り出していけたらいいな。
小学校の前を通るとフェンスに沢山のゴミ袋がぶら下がってる。中身はタバコの吸い殻にプラスチックの容器や袋。その脇にはプラスチックのゴミが溜まった海底や、プラスチックバッグが首に絡まった海亀の写真。
「ゴミの放置はしないで」
「もうプラスチックはやめよう」
というメッセージ。この小学校の子供達はよくこんなゴミ拾い活動をしている。しかし、小学校の前はタバコの吸い殻だらけ。誰が捨てるのかといえば、この小学生の親達だ。子供を迎えに来て、外で待つ間喫煙して、子供がでてきたらそれをぽいっと足元に投げつけ、踏みつけ、子供の元に走り寄る。ここへ越してきて、ベビーカートを押しながら喫煙する人を見た時はショックを受けたが、この町では子供の顔にタバコの煙をかけることはなんでもないらしい。自分に子供がいなくても、少しでも彼らに住みやすいきれいな環境を残していってあげたいとは常に思ってる。それに子供からこんな大人になりたいと思ってもらえるような人になりたいとも。しかし、皮肉なことに、こんなことを考える余裕があるのは子育てに追われていないせいでもあり、実際に小さな子を持つ母親達はそんなことを考える余裕はない。産後体型から元に戻らず、身なりも杜撰で、専業主婦という選択は経済的問題でできないか、または社会の風潮でしないかでいずれにしても働きながら子育てに追われる。夕飯は冷凍ピッツァをオーブンに突っ込んで凌ぐ。まともな手料理を食べたことがなく、水がわりのコークを欲しがる子供に会うと気の毒な気がして、自分だったら絶対子供にこんなインスタント食品ばかり与えて、タバコの煙を顔にかけるような母親にはならない、と心の中で雄弁する。でもそれも自分に暇があるから考えられることで、実際子を育てる身になっても同じことが言えるかわからない。
南瓜のニョッキを練る。皮ごと蒸した南瓜で練ったニョッキに、セージバター、クリームにパルミジャーノ。炒った南瓜の種とヘーゼルナッツをトッピング。リュカがえらく気に入っていてこれを出すとすごい食欲を発揮する。
2020年02月02日(日) |
Le Larousse du Pain |
昨日イタリアへ行く途中で買って電車の中で眺めていたエリック・カイザー(Éric Kayser)のパンの本。そしてイタリアで買った栗粉。今日は本の中でグルテンフリーのパンとして紹介されていた栗粉のパンを焼いてみた。すごくシンプル。栗粉400g、大豆粉(フランスではFarine de sojaという名前で売られている要はきなこなのだが、煎りが浅くて、そのまま何かにふりかけて食べるには青臭すぎる)100g、塩10g、フレッシュイースト5g、水400g。材料を混ぜて、1時間置いて、230℃のオーブンでスティームを入れて25分焼いて、そのまま庫内に10分放置して出来上がり。栗粉が高いので、材料のコストは1ローフで7ユーロ。自家製でこんな高価なパンはなかなかないだろう。恐る恐るスライスして食べてみる。すごいココアみたいな芳香と濃い味。砂糖を使ってなくてもしっかり甘い。チーズやバターと共に食べてみたけど、合わない。このパンはこのパンのみの味を堪能するに尽きるようだ。
サンレモへナポリのピッツァを食べに行く。本場じゃないと侮るなかれ。かつて職を求めて南方から北上してきた人々が住み着いて、家庭を築いて根を張っていったこの町には、ピッツェリアも南方のお菓子を売るお店もとても多い。しかし、何度か食べて至った結論。わたしはナポリのピッツァがあまり好きではない、ということ。400℃以上のオーブンでさっと焼き上げるというこの製法で、ぷっくりと膨れた生地はいいが、トマトソースやらモッツァレラチーズから出た水分が乾く前にオーブンから引きあげられるせいで、生地の底がピチャっと濡れているのが苦手。ほどよくクリスピーで手で持って食べられるピッツァが好きだ。そしてもうひとつの結論。チーズの動物性の脂肪分はやっぱりわたしには重い。イタリア人は一人一枚平らげてるが、わたしは半分も食べないうちに飽きてしまう。いつも半分くらい残して持って帰ってきて翌日にまた食べるとかしてる。オリーブオイルたっぷりの料理はイタリア人並におなかに入るのだから、やっぱり動物性の脂肪分がダメなんだろう。あとピッツァは塩っぱくて、食べた後やたら喉が渇く(かといって、塩をちゃんと入れてないピッツァのマヌケな味は耐え難い…知人にそんなピッツァを得意げにふるまってくれるイタリア人がいるのだ(苦笑))。ラーメンもあまり好きなほうではないが、 この後味はラーメンのとそっくりだ。ピッツァは好きだけど、チーズが乗ったのは一切れで十分。今度食べに行く機会があったら、マリナーラとかチーズのないものにしよう。
シャンプーの使用をやめて数週間経ったら、べとつきが少し落ち着いた。香港で医療用のかつらのビジネスをしている知人は、かつらに使用する髪の買付にヴェトナムの奥地まで出かけたりする。なんでもそこにはシャンプーなど一度も使ったことがないというホンモノのヴァージンヘアの10代の女の子なんかがいて、それが高価値なんだそうだ。髪は切り落としていくから、わたしのだってシャンプーの使用をやめてから伸びた部分は、年齢的な色艶からして価値は落ちるにしても、ヴァージンヘアにかわりはない。